とりあえず写真は、出てきた「紬」、普段用ですね、
いずれチェックして販売予定です。
別記事を書き始めて、三行ばかりかいたところで、
宅配屋サンのバイク便の音…行ってみると「月間アレコレ」さんでした。
表紙の柄がいつもきれいです。
さて、あけてみると「きくちいまさん」の記事の中に
「不思議おパンツ」のお話が…。つまり「和装パンツ」のことです。
いろいろと着物の頂き物をした中にはいっていたとのことで、
いまさんは「ギョッ」となさったとか…。
私「あぁ~やっぱあたしは若くない…」と、実感したことでした。
私にとっては「見慣れたもの」でしたから。
で、ふと「今ドキの人って、着物で下は??」と、考えたわけです。
いやぁ、今日は「アブナイ」話になりそーですなぁ。
まずは、和装の下着の「下」のお話です。
これも以前書いていると思うのですが「再放送?」ということで…。
元々は下着「ナシ」、これで終わっちゃうわけなんですが、
江戸時代に入り、今で言うところの「腰巻」が出てきました。
最初は「湯ふんどし」です。つまり、昔はお風呂に入るときも、
裸では入らなかったわけですね。
江戸時代は「湯や」というものができて、内風呂のないものは、
みな、そこに通いました、というより「火事」をなによりも恐れましたから、
「火」を使う風呂はよほどのお金持ちでなければ、家には作らなかったのです。
で、その「湯や」は、最初は混浴でした。
今よりずっと開放的、といいますかおおらかだったんですね。
初期の「湯やの混浴」は当たり前でしたが、お上がうるさくいうようになって
ようやく「男湯」と「女湯」に分けられました。
そのとき「湯ふんどし」はだんだん廃れていったのです。
廃れたといっても、なくなったわけではありません。
まず「湯ふんどし」というのは、パンツ、せめてショーツといいましょうね、
それだったわけですが、男性のような形ではなく、腰巻スタイルです。
湯に入るときの「礼儀」としてそれをつけたわけです
当時は長じゅばんはなく、みな半襦袢と裾よけでしたから、
湯やに行く前に一番下につけておき、帰りはそれをはずして帰る、でした。
それが、男湯女湯と分かれましたから必要なくなりましたが、
たぶん「汚れとか保温とか」そういうことから「あったほうがいい」になり、
そのまま「下着(腰巻)」として定着したものと思われます。
そこで「腰巻」を「湯もじ」という言い方が残っているわけです。
「もじ」というのは、これまた以前にお話ししました「宮中の女房言葉」、
直接「○○」と言わずに「もじ(文字)」とつけて、遠まわしにぼかして言う、
「しゃもじ」は「しゃくしの『しゃ』という字のつくもの」
「ひもじい」は「ひだるい(空腹)の『ひ』の字のつく状態」…。
で、「湯もじ」は「湯ふんどしという、風呂で腰に巻く布」で「湯もじ」です。
というわけで、半じゅばんの下に裾よけを巻き、その下に「湯もじ」をつける、
であったものが、江戸後期に花街から「長じゅばん」がでてきて、
やがて一般の人も「長じゅばん」を着るようになりました。
そこで今までの裾よけ、つまり本来は「じゅばんの下半身用」だったのが、
そのまま「湯もじ」がわりになったわけです。
今、うそつきなどで半じゅばんと裾よけのときは、別に裾よけをつけます。
暑い時期はつけませんが…。
つまり…実は和装には「ショーツ」はないわけです。
洋風文化が激流のように日本にはいってきたとき、当然下着もはいってきましたが
着物を着ていた人には「必要のないもの」でした。
ショーツが穿かれるうになったのは、よく言われるのですが、
「昭和7年の日本橋の白木屋デパートの火災」、
これは、当時のデパート店員は着物の女性もたくさんいまして、
その人たちはまだショーツを穿いてなかった、
それで飛び降りたときに「見えて」しまうのを恥じて逃げなかったため、
救出が間に合わず、犠牲者になってしまった…というお話し。
これはどうやら真実とばかりはいえないようなのですが、
実際、昭和初期ではまだショーツは普及していなかったことは確かなようです。
きくちいまさんが「ギョッ」として「アブナイものではないか」と思われたのは、
いわゆる「股割れショーツ」です。
たぶん昔のものでしょうから、メリヤスの分厚いやつ?
今はこんなに薄いのがあります(ニッセンさんのカタログより)
この「股部分」の原形は、実は男の人の「パッチ・股引き」と同じです。
今でもお祭り用であると思いますが「ゴム」という伸縮するものがなかった時代、
紐で縛るという方法しかありませんでしたからこういう形になりました。
この股部分の「左右に分かれる」ところだけを応用したわけです。
母なんかは、ずっと穿いてました。
私も一度だけはかされたことがあるのですが、当時のものは
分厚い「メリヤス地」でぶっかぶかで、しかも今のショーツのように、
ウエストにはレース状のゴム、なんてシャレておらず、
しっかりフチに袋縫いがしてあり、ゴムが通してありました。
これって着ると「ゴロつく」んですよ。
それに、普通のショーツを穿きなれた身には、真ん中がパカパカと開く、
というのはなんとも頼りなくておちつかないものでして、二度とイヤ!
こちらは古い和裁の本に出ていた「股割れパンツ」と、
もうひとつは、左側がスナップで全開するという「アイデアパンツ」
女性は苦労しますよね。
で、今の人たちは「何はいてるんだろ」…、
お若い方は「今更何いってるの?」でしょうね、
ビキニショーツでいいわけですから。
つまり、着物を着て帯を締めると、ウエストまでしっかりあるオバサンショーツは
トイレでおろすにもあげるにもたいへん、着崩れの原因にもなります。
慣れてしまえば、トイレのなかでササッと直せる崩れですが、
やはり面倒であることには違いありません。
だから着物のときは私も「ビキニ」です。(千さん、今大爆笑してるでしょ)
でも、年をとると、いくら裾よけをネルにするとか、暖かい工夫をしても、
ビキニ一枚ではなんともねぇ…おなか冷える感じだし…。
それでこの「股割れショーツ」が、長いし脱がなくていいので重宝なわけですが、
でもねぇ…どーしてもヤダ…。
そこで、数年前からは「腹巻」使用しています。
最近は薄くて伸縮性のある素材の腹巻がイロイロ出ていますが、
一昨年「絹製」を見つけまして、今はそれです。ほんと薄くてあったかいです。
着物のときは少し下にします。上がウエストあたり。
そうすると、下が太ももくらいまで下がるのであったかいんです。
まぁ現代版ショート湯もじってことで…。
最近は和装下着もイロイロ増えまして、
以前は見えるとみっともないだけだった真っ白けの脚絆のような
着物用ストッキングも、最近は肌に近い色とか、
つま先が足袋型のとか、出てきました。
着物は確かに暖かいのですが、下から風が入るというのは
ロングスカートと変わりません。体のためにはこんなのもあります。
いずれも「ニッセン」のカタログから。(お借りしてまーす)
温暖化もあり、また今は昔より暖房が完備して、
どこへ行ってもそれほど寒さは感じませんが、
外歩きをするとか、告別式のように長時間外で立っているなんてときは、
体のために、あったかくしましょうね。
まぁ、今日はなんて色気のない写真ばっかりなんでしょ、すみませーん!
いずれチェックして販売予定です。
別記事を書き始めて、三行ばかりかいたところで、
宅配屋サンのバイク便の音…行ってみると「月間アレコレ」さんでした。
表紙の柄がいつもきれいです。
さて、あけてみると「きくちいまさん」の記事の中に
「不思議おパンツ」のお話が…。つまり「和装パンツ」のことです。
いろいろと着物の頂き物をした中にはいっていたとのことで、
いまさんは「ギョッ」となさったとか…。
私「あぁ~やっぱあたしは若くない…」と、実感したことでした。
私にとっては「見慣れたもの」でしたから。
で、ふと「今ドキの人って、着物で下は??」と、考えたわけです。
いやぁ、今日は「アブナイ」話になりそーですなぁ。
まずは、和装の下着の「下」のお話です。
これも以前書いていると思うのですが「再放送?」ということで…。
元々は下着「ナシ」、これで終わっちゃうわけなんですが、
江戸時代に入り、今で言うところの「腰巻」が出てきました。
最初は「湯ふんどし」です。つまり、昔はお風呂に入るときも、
裸では入らなかったわけですね。
江戸時代は「湯や」というものができて、内風呂のないものは、
みな、そこに通いました、というより「火事」をなによりも恐れましたから、
「火」を使う風呂はよほどのお金持ちでなければ、家には作らなかったのです。
で、その「湯や」は、最初は混浴でした。
今よりずっと開放的、といいますかおおらかだったんですね。
初期の「湯やの混浴」は当たり前でしたが、お上がうるさくいうようになって
ようやく「男湯」と「女湯」に分けられました。
そのとき「湯ふんどし」はだんだん廃れていったのです。
廃れたといっても、なくなったわけではありません。
まず「湯ふんどし」というのは、パンツ、せめてショーツといいましょうね、
それだったわけですが、男性のような形ではなく、腰巻スタイルです。
湯に入るときの「礼儀」としてそれをつけたわけです
当時は長じゅばんはなく、みな半襦袢と裾よけでしたから、
湯やに行く前に一番下につけておき、帰りはそれをはずして帰る、でした。
それが、男湯女湯と分かれましたから必要なくなりましたが、
たぶん「汚れとか保温とか」そういうことから「あったほうがいい」になり、
そのまま「下着(腰巻)」として定着したものと思われます。
そこで「腰巻」を「湯もじ」という言い方が残っているわけです。
「もじ」というのは、これまた以前にお話ししました「宮中の女房言葉」、
直接「○○」と言わずに「もじ(文字)」とつけて、遠まわしにぼかして言う、
「しゃもじ」は「しゃくしの『しゃ』という字のつくもの」
「ひもじい」は「ひだるい(空腹)の『ひ』の字のつく状態」…。
で、「湯もじ」は「湯ふんどしという、風呂で腰に巻く布」で「湯もじ」です。
というわけで、半じゅばんの下に裾よけを巻き、その下に「湯もじ」をつける、
であったものが、江戸後期に花街から「長じゅばん」がでてきて、
やがて一般の人も「長じゅばん」を着るようになりました。
そこで今までの裾よけ、つまり本来は「じゅばんの下半身用」だったのが、
そのまま「湯もじ」がわりになったわけです。
今、うそつきなどで半じゅばんと裾よけのときは、別に裾よけをつけます。
暑い時期はつけませんが…。
つまり…実は和装には「ショーツ」はないわけです。
洋風文化が激流のように日本にはいってきたとき、当然下着もはいってきましたが
着物を着ていた人には「必要のないもの」でした。
ショーツが穿かれるうになったのは、よく言われるのですが、
「昭和7年の日本橋の白木屋デパートの火災」、
これは、当時のデパート店員は着物の女性もたくさんいまして、
その人たちはまだショーツを穿いてなかった、
それで飛び降りたときに「見えて」しまうのを恥じて逃げなかったため、
救出が間に合わず、犠牲者になってしまった…というお話し。
これはどうやら真実とばかりはいえないようなのですが、
実際、昭和初期ではまだショーツは普及していなかったことは確かなようです。
きくちいまさんが「ギョッ」として「アブナイものではないか」と思われたのは、
いわゆる「股割れショーツ」です。
たぶん昔のものでしょうから、メリヤスの分厚いやつ?
今はこんなに薄いのがあります(ニッセンさんのカタログより)
この「股部分」の原形は、実は男の人の「パッチ・股引き」と同じです。
今でもお祭り用であると思いますが「ゴム」という伸縮するものがなかった時代、
紐で縛るという方法しかありませんでしたからこういう形になりました。
この股部分の「左右に分かれる」ところだけを応用したわけです。
母なんかは、ずっと穿いてました。
私も一度だけはかされたことがあるのですが、当時のものは
分厚い「メリヤス地」でぶっかぶかで、しかも今のショーツのように、
ウエストにはレース状のゴム、なんてシャレておらず、
しっかりフチに袋縫いがしてあり、ゴムが通してありました。
これって着ると「ゴロつく」んですよ。
それに、普通のショーツを穿きなれた身には、真ん中がパカパカと開く、
というのはなんとも頼りなくておちつかないものでして、二度とイヤ!
こちらは古い和裁の本に出ていた「股割れパンツ」と、
もうひとつは、左側がスナップで全開するという「アイデアパンツ」
女性は苦労しますよね。
で、今の人たちは「何はいてるんだろ」…、
お若い方は「今更何いってるの?」でしょうね、
ビキニショーツでいいわけですから。
つまり、着物を着て帯を締めると、ウエストまでしっかりあるオバサンショーツは
トイレでおろすにもあげるにもたいへん、着崩れの原因にもなります。
慣れてしまえば、トイレのなかでササッと直せる崩れですが、
やはり面倒であることには違いありません。
だから着物のときは私も「ビキニ」です。(千さん、今大爆笑してるでしょ)
でも、年をとると、いくら裾よけをネルにするとか、暖かい工夫をしても、
ビキニ一枚ではなんともねぇ…おなか冷える感じだし…。
それでこの「股割れショーツ」が、長いし脱がなくていいので重宝なわけですが、
でもねぇ…どーしてもヤダ…。
そこで、数年前からは「腹巻」使用しています。
最近は薄くて伸縮性のある素材の腹巻がイロイロ出ていますが、
一昨年「絹製」を見つけまして、今はそれです。ほんと薄くてあったかいです。
着物のときは少し下にします。上がウエストあたり。
そうすると、下が太ももくらいまで下がるのであったかいんです。
まぁ現代版ショート湯もじってことで…。
最近は和装下着もイロイロ増えまして、
以前は見えるとみっともないだけだった真っ白けの脚絆のような
着物用ストッキングも、最近は肌に近い色とか、
つま先が足袋型のとか、出てきました。
着物は確かに暖かいのですが、下から風が入るというのは
ロングスカートと変わりません。体のためにはこんなのもあります。
いずれも「ニッセン」のカタログから。(お借りしてまーす)
温暖化もあり、また今は昔より暖房が完備して、
どこへ行ってもそれほど寒さは感じませんが、
外歩きをするとか、告別式のように長時間外で立っているなんてときは、
体のために、あったかくしましょうね。
まぁ、今日はなんて色気のない写真ばっかりなんでしょ、すみませーん!
今お祭なんかではく「股引き」と同じですね。
今でも白いの、販売しておりますよ。
ただ、穿き方知らないひとがいるそうで…。
ほんじゃ、小生もも袴の下にそれを穿いて高下駄履いて
大きな信玄袋を担いで「姿三四郎」気どりで往来を歩くと致しましょう・・
♪勝つと思うな~
思えば負けよ~
書生絣の着物にセルの袴にしてくださいねー。
着物の時はおへそより下のにしています。
着付けの他の先生で、着物の時はTバックを
穿いているという事を聞いたこともありましたよ。
股割れも慣れないと抵抗があると思いますねぇ。
芸者さんなどでは、ほんとに穿かない方もあるとか。
私もスースーはいやなんだけど、短いのはいてます。
股割れはほんとに、妙な感じです。
Tバックは…勇気いるなぁ…。
きものの後ろ姿で、おパンツのラインがはっきり分るのって・・・なんかいやですって・・・
そこ注意して見てるんじゃないけどね!?
かえって色気が無いように感じます(すんません余計なお世話です)
はかなきゃいいのにと思っていたのですが、今日疑問が解決しました・・・スースなのね???
これって、産後に使う産褥ショーツに似てますよね。
個人的には、ボクサーショーツとかローライズショーツがいいと思ってます。
ウエストラインより下で、さらにお尻はしっかりカバーしてくれるので、着物にラインが響かなくていいと思いますよ。
それまで紬系の着物ばかりを着ていたので
娘の結納の時に柔か物を着せて頂いたら
線が出てしまうとの事。
脱げませんか?と着付けの方に言われたので
ハイと二つ返事で 脱ぎました。
始めは不安でしたが 思ったより スカスカしませんでしたし
忙しくて気にしている暇はありませんでした。
最後は穿いていない事をすっかり忘れておりました。
本当に内緒ですよ。
同じタイプで、ガードルもあります。
産後に着用した記憶がありますが、そうか、
いま、役に立つ?
和装のときは、まず、水分をひかえると教えてくださった方もいます。
ふだんきものの方には、ムリですねぇ。