
今日は、ヒロシマの日、66年前の今日は「核」が人を襲う凶器になった日です。
例年通り暑い日差しの中、ヒロシマの街は、一日祈りの街になります。
50数年前長崎の原爆資料館で、生々しい記録の数々を見たときから、
ずっと心の中から出て行かないものがあります。「人は生きなければいけない」という思いです。
若くて、若すぎて、恋だ仕事だ結婚だと、自分のことしか考えられなかった時期も、
子供を持って、その子が重度の障害があるとわかったときも、その子が私の世界の中心になったときも、
母業も主婦業も、二桁で数えられるようになった今も…
探ってみれば、いつも心の片隅に「生きていりゃこそだ」と、その思いがありました。
人は明日のことがわかりません。わかっているのは、国も性別も貧富も個性も、全く関係なく、
いつかはみな命を終える日が来る、ということです。
若いころ、死ぬのがとても怖かった時期があります。
でもそれは、何度も葬儀を見てきて、自分があの中に入り、自分が焼かれて…という、
ホラー映画の被害者のように感じたからだと思います。
今はそんなことも思わなくなりました。いつかきっと来る、その日がいつだかわからない、
だからこそ「今日を生きる」のだと思います。
先日新聞に、被災者の友人からの手紙に「今私は、戦時を生きている」とあったという記事がありました。
以前にも書きましたが、一瞬にして何もかも失う、命までもとられる、大切な人と永遠に別れる…
まさに戦争と同じです。そしてそれでも、人はそこから前へと進まねばならない、生きなければならない。
家もない、家財もない、お金もない、仕事もない、身一つでゼロからまたつくりあげなければならない。
私たちの親の世代はそうやって、今の日本の礎を築き上げました。
それはどこかで間違ったかもしれない、もっと別の積み重ねようもあったかもしれない、
それでもそれを元からやり直すことができないのなら、今の時代を生きる私たちは軌道修正しながら、
更に積み重ねていかねばなりません。「よき積み重ね」をしていかなければならないのです。
今日、菅総理が「原爆忌」に「原発に依存しない社会を目指す」というような挨拶をしたそうです。
賛否両論あるでしょう。「総理」という立場での政治的思惑なんぞに利用しようとしたのなら、
死者に対しても遺族に対しても、たいへん失礼です。まぁ、今ここでそれを論じるのはやめておきましょう。
いずれにしても私は「原爆」も「原発」も、芯は同じだと思っています。使わないにこしたことはない。それは賛成です。
日本は唯一「核」を人殺しの道具に使われた被害者です。
だから「核の平和利用」という言葉に、必要以上の正義をみてしまったのでしょう。
単純な話です。人はまだ核を征してはいない。それが結論です。
最後の始末が安全につけられないものを、武器だろうが発電だろうが、使うことは平和ではないのです。
今回は元は震災ではありましたが、実際には「津波と原発」、これが被害を大きくしました。
天災はさけようもありません。備えるだけです。人災は知恵を使えば避けられます。
その知恵の使い方がたりなかった、間違った、それが原爆も原発も「災い」になった元です。
最初は「震災と原発」があまりに大きくて、今年は戦争への思いが希薄になってしまった、と、
自分のことを思ったのですが、そうではなくて、震災と津波がもたらした福島原発のことは、
戦争と同じで、人がもたらした被害なのだと思いました。
死にたくない、死なれたくない、そういう思いが無残にも打ち砕かれる悲しみや悔しさを、
もう一度考えれば、何が大切なのかはわかると思います。
南の海で、凍てつくシベリアで、国を守るため、家族を守るために、骨になった人たちがいます。
闘う人もなく、ただ戦争の終結を祈りながら厳しい暮らしに耐えていただけなのに、
空襲や原爆で、骨も残らなかった人たちがいます。
その人たちの人生の上に、今の私たちは生きているんです。
いい生き方をしなきゃ、一生懸命生きなきゃ…。
長崎の原爆資料館で見たもの。たくさんの溶けたガラス瓶、真っ黒焦げの弁当、
血と泥と焼け焦げのまだらの上着、一瞬にして消滅して影しか残らなかった人の写真…。
今も鮮やかに思い出します。
「生きなきゃ」と思うのです。私には、伝えてつながる子供はいません。
それでも、いろんなカタチでこれからの人たちに「戦争」という最大にして最悪の「人災」を
伝えていかなけれはならないと思っています。
知る限りの私の身内につながる人で、 戦争と震災で命を落とした人は、幸いなことにおりません。
それでも、今こうして生きていることに感謝し、全ての被災者に「合掌」。
学んで、軌道修正しながら積み重ねても
やっぱりまた違う形で失敗を繰り返すもの
なんですね。
不謹慎ですが、死ぬ時は長患いせずにコロッと
死にたいとよく言いますが、残された者は
心の準備も何も出来ず、辛い思いを抱えながら
生きなければならないんですよね。
いつかお迎えが来る時は、せめてこういう事じゃなく老衰で召されたいものと思います。
マチガイにきがついて、直せばいいのに
直してくれるようなトップがいない…。
日本は何を忘れてしまったんでしょうねぇ。
ほんとにコロッていうのは、自分のこととして考えれば、
誰しもののぞみだと思いますが、残るものにとってはねぇ。
ちっとわずらってからコロリ…そうそううまくはいかないですかね。