ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

ものがたり

2012-07-20 17:09:12 | つれづれ

 

昔ある山の奥に、きれいな泉がありました。

だぁれもこないけれど、いつもきれいな水がこんこんと湧いていて、

それは小さな流れを作って、山の裾のほうへと流れていました。

ある日、一羽の鳥がやってきて、水を飲みました。

お礼のつもりか、小さな種を一粒、置いていきました。

やがて種から小さな芽が出ました。

何年か何十年か…それはやさしい木陰を作る樹に育ちました。

でも、相変わらず、だぁれもきません。

また静かな静かなとしつきが流れました。

いつの間にか、樹の根方に小さなシダが生えました。

それから小さな緑のはっぱが伸びてきました。

春になると、樹がかがみこんでやっと見えるほどの、小さな花も咲くようになりました。

樹のおなかのあたりには、リスが巣をつくり、肩より高いところには鳥もすむようになりました。

樹は一人ぼっちではなくなりました。

泉はあいかわらず、ただこんこんと湧き続け、シャラシャラキラキラとどこかへ流れていきます。

樹もシダも草花も…この小さな世界が大好きで、シアワセでした。

自分たちがポロリと落とした小さな実や種が、泉の流れに乗って、べつのところへ流れ着き、

やっぱり自分たちと同じように、仲間と一緒に暮らし始めていることを知りませんでした。

小さな泉から流れていく、その小川のほとりに、たくさんの小さな静かでやさしい仲間が増えていることを、

水の流れだけがしっていました。

 

 

何でも大量、何でも簡単、ボタンひとつ、キカイに話しかけてコトがすむ…

そんな今の暮らしは、本当に幸せなんだろうかと、ふと思います。

「満ち足りる」ということは、いつもたっぷりものがあったり、いつも好きなときに何でもできることだったり、

いやなことわずらわしいことに触れなくてよかったり、

顔や名前を出さずにヒトの悪口や傷をつけることが言えたり…そんなことではないはずです。

 

恐ろしい地震も、降り止まない雨も、すべてを破壊する津波も…自然の一面であることは確かです。

恐ろしい顔も持っている、でもそれは、最初からヒトを痛めつけようとしてやっているわけではない。

自然の摂理に則っているだけです。

だからこそ、ヒトは謙虚であらねばならぬ…と思います。

続けて災害に合った人たちが「ココロが折れる」といいながらも、またもう一度やり直そうとする、

あの恐ろしい津波に合った人たちが「それでもここでまた暮らしたい」という…

それは、ヒトは一人で生きているわけではない…とわかっているからだと思います。

樹とシダと草花とリスと鳥と、水の流れと…。

仲間や家族がいれば、また前に進める…だから、孤独死やいじめによる自殺…

そんな事件を知ると、言いようのない哀しさを感じてしまうのです。

人間は「言葉」と「文字」という最強の伝達手段を持っているのに、なぜそれをシアワセのために使わないのかと。

 

キャスト

樹…どうだんつつじさん

シダ…ずっと鉢のなかで「龍のひげくん」と、にぎやかにひしめきあってるシダさん

草…サボテンの横に「おじゃましまーす」とはえてきたネコジャラシさん     


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2 コメント

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自然に営み (akkomam)
2012-07-21 06:41:35
今社会で問題となっていることの根幹は
すべて大人の世界では普通にあることで、
今にはじまったことではありません。

その大人が何を是とし何を非とするかの
判断が出来なくなってきているように
思えます。
俯瞰して事を考えることが出来なくなって、
自分よがりな解釈でいますから、
その任につきながらもことの重大さの判断が
つかないのには愕然とすること多しです。

一昨日までの暑さは昨日今日は一段落して
いっときの憩いを感じています。
<生き返る>心地です。

自然の営みも生命の営みも語らずとも
お互いに営みあっているのです。

なんでも考えなくても与えられてしまう
今の世の中は便利なのは進歩なのかも
知れませんが、その進歩のなかで
心が問う、思いやることの心が
失われていくのはとても辛いことです。
私自身も改めて考えるこの頃です。

とんぼさん作の物語、
そうありたい世界です。
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Unknown (とんぼ)
2012-07-21 14:28:56
akkomam様

手間をかけることが無駄のように言われる昨今、
機械や道具を使って簡単にしたら、そこにかける「心」まで、
あちこち省略になったり、浅くなったり…。
なんだか薄い軽い…が当たり前のようで、ほんとにさびしいです。

NHKの復興支援の歌で「私は何を残しただろう」という一節を聞くと、
考えてしまいます。
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