クリスマス・キャロルと言っても音楽の方ではなく「お話」の方のことです。
初めて「クリスマス・キャロル」を知ったのは、子供のころの児童文学書。
わくわくして読みました。まったく物語を知らない状態で読んでいますから、
この底意地悪いじーさま、どうなっていくんだろう…と。
そのころから、母に「お金は大切だ。汚いものだからきれいに使うのが人の知恵だ」と、
わかったようなわからないようなことを言われていましたから、
少なくともこのスクルージというじーさまは、人も「汚いわ」と、思いつつ読んでました。
やがて精霊たちによって、クリススマスの朝、まるで180度かわった彼が、
次々と人の喜ぶことをしていく…とてもとても「よかったぁ!ほんとによかったぁ!」と、
何度も思ったものでした。以来、私の大好きな物語になったわけです。
今朝いえ、深夜か今朝か…もう時計も見ていなかったのですが、
息子のことで起きて、眠気覚ましにテレビをつけたら、やっていました「クリスマス・キャロル」。
残念ながら、物語はすでに最後の精霊にあった後の場面。
マーレイの幽霊に「今のままならこれだ」と、重い鎖をかけられて…ふと気がつくと、
首に巻きついていたのは毛布…「ああ、やり直せる!」と、
スクルージが売れ変わった瞬間…の場面でした。惜しいことしたー。
とても古い映画で、たぶん1970年のもの。以前にも見ています。
アルバート・フィニーというイギリスの俳優さんが演じたものです。
映画では当然「老人」なわけですが、実は当時は彼30代半ばです。
劇中に若き日のスクルージが出ますが、当然彼自身。
それからすると、ほとんど老人の姿で演じた彼の演技力、すごいなと思います。
それはさておき…
大人になると、分別なんてものが体のあちこちにくっついていて、
ついつい「そうそう人は変わらない」だの「お金ばらまきゃいいってもんじゃない」なんてね、
そんなことも思うわけですが、ここは純粋に「人にとって大切なのは何か」と、
素朴な疑問の一つの答え…としてみるのが、こちらとしても心地よいと思うのです。
ハナシが飛んで申し訳ありませんが、またまた母が、昔「徳川家康」を読んでいました。
たぶん…1964年のテレビ朝日(当時はNET)で放映された「徳川家康」を見て…だと思います。
山岡荘八著、全26巻読破しましてそのあと「10年経ったらまた読む」と言って本をしまいこみました。
えーと、当時の私は中学生、オリンピックの年ですねぇ。10年後はバツイチになった直後。
自分のことで手一杯の年齢でした。母はちゃんと読んでいましたね。それは覚えています。
そして「また10年後に読むわ」と…。それは私が息子を産んだ年。
そばにはいなかったし、私は子供のことで、これまた自分の周りしか見えない年代。
後年、母に「どやった?」と聞いたら「(再読)せぇへんかったらよかった、と思うようなこともあった。
例えば『あのときと同じような感動がない』とか『こんな場面あったか?』とか、
せやけど、それは自分が年をとって、感じることも感じるものも、違うということやとわかった」
そんな風に言っていました。そして「おんなじ感動もあったしなぁ、まるっきり最初とおんなじやったら、
自分が成長してへんということやんか。なんべんも読み返すちゅうのは、ええもんやで」と。
すみません、私は最初から「26巻」読む気がおきまへん…。
まぁ母にはとても倣えませんが、クリスマス・キャロルは、これから何回でも読んだりみたりしたいです。
今回、ほんの終わりの部分だったのに、私が「あぁこういうのいいな」と思ったのは、
彼がクリスマスの朝に、たくさんの人と挨拶を交わし、いつもの彼と違うのに驚く人も、
すぐにその変化を喜んで、みんなで歌い踊るところ。
もちろん、これがシリアスなドラマなら「なんか怪しい、あんなに急に善人になるわけない。
こりゃ裏になにかあるぞ」ですよね。そこがまぁ「子供向けのお話」ということで、
ハッピーエンドを迎えるわけですが、彼の姿を見ながら、父のことを思いました。
いえいえ、父は決して「旧スクルージ」のように、人に忌み嫌われる人ではありません。
ただ、人とのつながりをもちにくい人なのです。もっと外に出て、たとえば老人会でも、
近くのケア・センターや、市民センターでもいいから、どんどん出かけていって、
人と関わってほしい…と思うのですが、必要以上に人に気を遣ってしまう性分の父は、
勝手に疲れてしまうのですね。だから一人で何でもやるのがいい…になっしまう。
無口どころかよく話すし、冗談もいうし…いろんな人と関われば、そのなかでまた、
新しく深いお付き合いのできる人も、出てくるのではないかと思うのですが、
そのあたりが「もう年だし」とか「今更めんどくさい」とか、そういうありがちな方向へいってしまう。
それでも、嫌がることを無理強いもしたくないし、と私はジレンマ。
来年80になる父です。正直、先は短いのです。
だったら、と思っても、父が元々「善人」である以上、私はマーレイにもクリスマスの精霊にもなれず、
「好きなように生きればいいよ」としか、いえないのです。
真夜中のクリスマス・キャロルは、そんなことを考えさせてくれました。
私はこの先、きっとまたこのお話とは出会うのでしょう。
そのたびに、できれば新しい発見を新しい感動を…と、欲張っている私です。
お飾り、出しました。狭い窓の棚には松ぼっくりツリー、サンタとスノーマンがお守です。
発見…長年飾っているこのサンタさんが、実はホッケーのかっこをしていたと…今年気がつきました。
だいじょぶか、あたし…。
中を楽しむ、というキモチを失わなければ、
おっしゃるとおり、ほどほどの距離感も、
自然とつかめると思うのですが、
最初から疲れたくない…と、ひっこまれると、
手のうちようがありません。
しかも、年々頑固に拍車がかかって、
私の言うことは、ほとんど聞いてくれません。
とうとうインフルの予防接種も、拒否されてしまいました。
もしも罹患したら、困るのは私なんですけどねぇ。
人はやっぱり、人と関わるべきだと思います。
今高齢化社会で、一人暮らしが多いですが、
地域の人が関わろうとしても、
今更…というのも多いようです。
父も、今はまだ動けていますし、ボケてもいませんが、
この先を考えると…です。
両親を含めてご年配の方をみていると、ほどほどの人間関係を保っていらっしゃる方は若いしお元気なように思います。
他人と関係を持てるというのは本当に大事なことだと実感させられますね。
最近軽い脳こうそくで入院され、退院後は心配で同居
する事になりました。
途中からの同居で心配もしましたが、にぎやかに
会話をして日々過ごしている内、元気になられたと
聞いてホッとしています。
やはり人との会話は大事な事なんだと思います。
80過ぎてからよくぞ同居を決心してくださったと喜んで
います。
一度患うとずっと気になりますしね。
とんぼ様が心配される気持ち、すごくよく分かります。