どうみたってオモチャ・・ハイその通りです。
これは昨年手に入れたもので、昔の「おままごと」のセットです。
おくどさん、つまり「かまど」ですね。
お釜、鍋、一番右はお湯を沸かすためのもので、
かまどの中に隠れている部分はどんと大きいです。
下にはいかにも薪がストックされているように、
薄く輪切りにされた木が貼り付けてあります。
どんな女の子がこれでおままごとをしたのでしょう。
いまやかまどなんてものは、めったに見られるものではなくなりましたが、
それでも、イマドキのこぎれいなおもちゃの「キッチンセット」より
ずっとリアルで手になじむ気がするのは、トシのせい?
母の実家は京都の片田舎で、わらぶき屋根の農家でした。
その薄暗い土間の家も覚えているのですが、それ以上に記憶にあって
なおかつ懐かしいと思うのは、叔母の家です。
叔母の家は瓦屋根でした。玄関を入ると右手に薄暗い階段があって
それを降りると、大きな土間の一部屋、というより空間・・ですね。
左手はいわゆる「納屋」兼「物置」。不要なもの、季節の道具、
それにまじってあめ色をした古い大きな竹かごや、みがきたてた鍬などが
雑然と置かれていました。階段の右手が台所で、真ん中に大きなかまどが
ありました。すでに使われておらず、ほこりをかぶってはおりましたが
とてつもない存在感がありました。ガスはきていたものの、
伯母は豆を炊いたり、煮物をするときは、このかまどの前に置いた
大きな火鉢と七輪を使っており、鍋のフタをあけるといかにも「コトコト」と
音を立てているような・・。匂いまで思い出します。
薪、炭、たどん・・もう耳にしても「それなぁに」と言われてしまいそうな
名前ですが、かつて日々の暮らしにかかせなかったものたち。
かまどがガスレンジにかわり、火鉢が石油ストーブにかわり、
コトコト煮るより「レンジでチーン」、いやいや「煮たもの」を買う時代。
薪を燃やし、火吹き竹で火力をあげ、炭をおこし鍋をのせて・・。
そんな手間とともに、なくしてしまったものについてやっぱり語り伝えたい。
なんのために・・・えっと・・それがあっての「今」だから。
私は料理が好きで、週のうち3~4日は炊事当番を引き受けるのですが、偶の趣味ではなく、日々の生活としての台所仕事は、後の始末や手入れまでを含みますので、やはり只昔を懐かしんでばかりもおれないというのは男のクセになんとなく分かります。油物で汚れたレンジ周りの掃除を、食事が終わってからやらねばならないと考えると、揚げ物はそうそうできませんし、魚は落ちた油が燃える煙で燻されると旨いということは知っていても、後のことを考えると焼き網ではなくグリルがあってよかったなあとか思ってしまいますよね。おっと、夢いっぱいのブログでいきなり所帯じみたはなしになって申し訳ありません。
先程夜の散歩から帰ったのですが、今夜はまだ月が出ておらず、星空を眺めながらのウォーキングが楽しめました。そろそろ虫の声もか細くなり、季節はまた一歩次のステップを踏み出したように思えます。お体に気をつけて、また楽しいお話を読ませてください。
おいでいただいてありがとうございます。
代々木で薪割り、石炭とは驚きです。
そういえば、東京の地名「角筈」なんてぇ
粋な名前もあっという間になくなったって
落語家さんでしたか、言ってました。
すごいスピードで変化していったんですね。
お料理お好きとは!出張お願いします?!
「料理は片づけまでが料理」といいますが、
ほんとにそうなんですよね。
レンジと換気扇の掃除はホントに面倒!
外で七輪置いて煙ボーボー立てながら
サンマ焼いてみたいものです。
七輪は関西では「かんてき」でしたっけ?
またお越し下さい。