防災用のリュックです。
テントつきのものにしてあります。まだ入れたりないものもあったりします。
幸いなことに、生まれてこのかた「大災害」というものには、遭遇しておりません。
本当にありがたいことだと思います。
私の実父は明治の終わりの生まれでしたから、大正12年の関東大震災も経験ずみ。
それがよかったかというとそうでもなくて…。
まだ子供のころの記憶はただ「怖い」だったのでしょうね、
母の話によれば、父は当然のように地震が大嫌いだったそうです。
私が生まれてまもなくに割りと大きな地震があったのだそうですが、
父は真っ先に外に飛び出し、早く出ろと手招きするばかり。
母は「火」が怖いからと、私を抱いて逃げるか、火鉢に水をかけるか…
おろおろしていたそうです。
「あれ以来、地震の時には役に立たんヒトやと覚悟したんや」と言ってました。大笑い。
その実父の両親、つまり祖父母ですが、祖父は宮大工のくせに新しモン好きで、
家に黒くて大きな扇風機があったそうな。
なんたってまわすとガーラガーラとうるさくて、かえって暑苦しかったとか…。
でも祖母は、扇風機の前にすわっていて倒れてきたタンスがその扇風機にぶつかり、
支えになってくれたおかげで命が助かったのだとか…。
うちもでかい扇風機買うか…(そうではないぞっ)。
扇風機はフツーサイズですが、とりあえず防災リュックは備えてあるんですけどね。
水、あ…買ってないわ…。以前賞味期限が切れてしまい、
全部掃除と植木の水遣りに使っちまってから忘れてる…。
今、高齢者だけの家とか、そのどちらかが体が動かせないとか、
中には二人とも認知症とか、一人暮らしとか、それもまた病気とか…
とにかくそういう所帯が都会ほど多いのが実情です。
何か起きたとき、ほんとに全部がちゃんと機能するのでしょうか。
以前テレビで、町内あげてお年寄りや一人暮らしの人の「見逃し」がないように、
さまざまな工夫をしている地域のリポートを見ました。
本来はあれを「当たり前」にしないと、だめなんだと思います。
なんたって「150歳」なんて人が何人もいる国ですしぃ…?!
我が家は障害と病気をもつ息子がいますし、避難所では暮らせない状況です。
それだけに「もしも」に備えていろいろ考えてはいますが…。
町内から「情報収集」として「もしも」の時には…という書類がきましたが、
一応全部書きこみましたけど、受け取りました、だけで、
だからこうしますという話は一切ありません。
たとえ「避難所に行かない」としていても、それならそれで…という、
「きめの細かさ」って必要だと思うんですよね。
この地域には、我が家を含めて、私の知っているだけでも、
片手で足りない人数の車いすの人がいます。
車いすって、避難にはほんとに向かないんです。
イマドキ砂利道はない…ではありますが、例えばアスファルトでも、
家やブロック塀などが壊れて、道にはみ出したりふさいだりしていたら、
それだけでもう通れなくなります。
また状況から行くと、実家もまったく同じでして、
母はもう一人では立つこともできません。
食べ物も、今は息子と同じでミキサーにかけたものです。
毎日時間を決めてのまなければならない薬もあります。
避難所にいっておにぎりやパンをもらっても、食べることはできません。
父は「いよいよの時は、この家でばーちゃんと一緒に死ぬから」
なんてなことを申しますが、そりゃ困ります。
そのため我が家では、お互いもし無事だったら、家が壊れてもそこ、
もしくはその近辺にいる、ということにしてあります。
阪神大震災のような火事が出たら、そのときは避難所へ…です。
オットは勤め先から戻れば、我が家の方が近いので、
まず我が家へ、そのあと実家へ…ということになっています。
とりあえず、もし家がつぶれても火が出なかったら庭にテントを張って…。
そんなシミュレーションを、考える日にしています。
このリュック、一生使わずに済ませられたら、それが一番ですね。
いいかげんうんざりの「夏空」、でもきれいだなと思ってしまうのです。
こちらは東から北にちょっと向いての景色
クリックして暑い空を眺めてください。
テントつきのものにしてあります。まだ入れたりないものもあったりします。
幸いなことに、生まれてこのかた「大災害」というものには、遭遇しておりません。
本当にありがたいことだと思います。
私の実父は明治の終わりの生まれでしたから、大正12年の関東大震災も経験ずみ。
それがよかったかというとそうでもなくて…。
まだ子供のころの記憶はただ「怖い」だったのでしょうね、
母の話によれば、父は当然のように地震が大嫌いだったそうです。
私が生まれてまもなくに割りと大きな地震があったのだそうですが、
父は真っ先に外に飛び出し、早く出ろと手招きするばかり。
母は「火」が怖いからと、私を抱いて逃げるか、火鉢に水をかけるか…
おろおろしていたそうです。
「あれ以来、地震の時には役に立たんヒトやと覚悟したんや」と言ってました。大笑い。
その実父の両親、つまり祖父母ですが、祖父は宮大工のくせに新しモン好きで、
家に黒くて大きな扇風機があったそうな。
なんたってまわすとガーラガーラとうるさくて、かえって暑苦しかったとか…。
でも祖母は、扇風機の前にすわっていて倒れてきたタンスがその扇風機にぶつかり、
支えになってくれたおかげで命が助かったのだとか…。
うちもでかい扇風機買うか…(そうではないぞっ)。
扇風機はフツーサイズですが、とりあえず防災リュックは備えてあるんですけどね。
水、あ…買ってないわ…。以前賞味期限が切れてしまい、
全部掃除と植木の水遣りに使っちまってから忘れてる…。
今、高齢者だけの家とか、そのどちらかが体が動かせないとか、
中には二人とも認知症とか、一人暮らしとか、それもまた病気とか…
とにかくそういう所帯が都会ほど多いのが実情です。
何か起きたとき、ほんとに全部がちゃんと機能するのでしょうか。
以前テレビで、町内あげてお年寄りや一人暮らしの人の「見逃し」がないように、
さまざまな工夫をしている地域のリポートを見ました。
本来はあれを「当たり前」にしないと、だめなんだと思います。
なんたって「150歳」なんて人が何人もいる国ですしぃ…?!
我が家は障害と病気をもつ息子がいますし、避難所では暮らせない状況です。
それだけに「もしも」に備えていろいろ考えてはいますが…。
町内から「情報収集」として「もしも」の時には…という書類がきましたが、
一応全部書きこみましたけど、受け取りました、だけで、
だからこうしますという話は一切ありません。
たとえ「避難所に行かない」としていても、それならそれで…という、
「きめの細かさ」って必要だと思うんですよね。
この地域には、我が家を含めて、私の知っているだけでも、
片手で足りない人数の車いすの人がいます。
車いすって、避難にはほんとに向かないんです。
イマドキ砂利道はない…ではありますが、例えばアスファルトでも、
家やブロック塀などが壊れて、道にはみ出したりふさいだりしていたら、
それだけでもう通れなくなります。
また状況から行くと、実家もまったく同じでして、
母はもう一人では立つこともできません。
食べ物も、今は息子と同じでミキサーにかけたものです。
毎日時間を決めてのまなければならない薬もあります。
避難所にいっておにぎりやパンをもらっても、食べることはできません。
父は「いよいよの時は、この家でばーちゃんと一緒に死ぬから」
なんてなことを申しますが、そりゃ困ります。
そのため我が家では、お互いもし無事だったら、家が壊れてもそこ、
もしくはその近辺にいる、ということにしてあります。
阪神大震災のような火事が出たら、そのときは避難所へ…です。
オットは勤め先から戻れば、我が家の方が近いので、
まず我が家へ、そのあと実家へ…ということになっています。
とりあえず、もし家がつぶれても火が出なかったら庭にテントを張って…。
そんなシミュレーションを、考える日にしています。
このリュック、一生使わずに済ませられたら、それが一番ですね。
いいかげんうんざりの「夏空」、でもきれいだなと思ってしまうのです。
こちらは東から北にちょっと向いての景色
クリックして暑い空を眺めてください。
経験はありません。
備えあれば憂いなしとは言いますが、阪神
淡路の地震の時、揺れがきつくてすぐには
動けませんでした。
毎日のように地震が起きているし、集中豪雨
で警報が出たり、不安な事ばかりですね。
準備するんだろうと発言していたことがあります。
国はどうせなにもできないんだろうし、そこで食料や飲み水があっても
暴動になるだけだと。
そんな時にとんぼさんのような方々を先にと言える、行動できる社会であってほしいと思います。
我が家も阪神の震災のとき、京都の身内、
大阪の身内とぜんぜん連絡がとれず、
たいがい心配しました。
「備えあれば」といいますが、
これでカンペキ…はないですよね。
何事もありませんように…と祈るばかりです。
外国で大災害が起きたときと比べると、
外国からの救助隊は、日本人の秩序に
驚くそうです。ちゃんと並ぶ、
店を開けて、売るどころか配る…。
そういう国民なのですから、
きちんとよく話し合って決めておいたら、
きっといい結果につながると思うんですけどね。