花魁の写真がなくて…先日使った写真の使い回しです。
mixiのお話を、お題にさせていただきます。
ヤフー知恵袋で「結婚式に花魁をやります。」というお話。
それであのかんざしの入手方法を質問したわけなのですが、
当然のように「その前に『結婚式に花魁?』」と、ヒナンされてまして…。
ただ、この人の場合「釣り」ですか?といわれていました。
「釣り」というのは、こういったところでの一種の荒らしみたいなもので、
うそを書いて、そのコメントを書く人が白熱するのを楽しむ…というようなものです。
確かに「結婚式に花魁をやるんですが…」という書き方、
本人がそれで挙式するのか、友達の披露宴に着るのか、披露宴の余興なのか、
まったくわかりません、そのあたりが怪しいですね。
でも、もうひとつの別の方の「質問」は、事実ということだったのですが、
そちらは「友人の披露宴に行ったら花魁衣装の人がきていた」と。
新婦側の友人のようでしたが、みんなアゼンボーゼンだったそうです。
彼女は「式場の人はこれをとめられないのでしょうか」とか、
「おいらんのかっこうは、はやっているのですか」というような質問をしていました。
先日も「花火大会でゆかたのおいらん」を見た…とコメントをいただきましたね。
また成人式では、テレビで実際二人写っていました。(見ちゃったよ…でした)
「さくらん」という映画の影響もある…ということのようですが…。
フシギですよね、日本画でも浮世絵でも「花魁」の絵は昔から山ほどあるのに、
今までそれをかっこいいと着物の着方に取り入れることはありませんでした。
映画の影響ってすごいなぁ…(だから気をつけて作ってくれっての)。
上の最初の「釣り?」という質問には、皆さんが「結婚式にやめなはれ」でした。
私もそう思います。それは花魁という仕事が、いかに華やかでも「売春婦」であるから。
おひとり「私はお金くれたらダレとでも寝ますよ」と言っているようなものだ、と。
また「最近はAV女優にあこがれる人もいますからねぇ」という意見も。
私は、答えろといわれたら、もちろん「NO」です。
確かに、それは身を売る商売の人の衣装であるからして、
花嫁さんは言うに及ばず、お客としても失礼であろう…と思うからです。
ただ、もうひとつ思うことは…
「これは売春婦の衣装である、そんな衣装を着るなんて」というよりも、
私は「花魁」にも失礼だ…という気持ちがあるのです。
これは花魁の衣装に限りません。
「決められたもの」というものには意味があります。
例えば外国で「漢字」がかっこいいからと、Tシャツの背中にロゴとしていれる…
というのがあります。「侍」とか「魂」とか「特攻」とか…
中にゃ「台所」とか「愛人」なんてのもあったりしますが…。
彼らにしてみれば「漢字」は字ではなくデザインです。
日本人のアイデンティティが!なんてことまでは申しませんが、
「知らずに使われること」には抵抗もあったり、逆に笑っちゃったりすることがあります。
私たちがエジプトのヒエログリフをステキだと思い、これがステキ…と
自分でデザインして何かに使ったら、クフ王のカルトゥーシュだった…とか
逆に「魔」を意味するものだった…なんてのと同じですよね。
この前「ジャポニカ」というお話をしました。
その文化を深く理解していない人が、その人の目線で「美」を感じる…ということです。
「花魁ルック」を晴れ着として着ようというのは、
まさしくジャポニカであると思うわけです。
最近は「ファッション」といえばなんでもアリ、になっています。
花魁衣装も、華やか、きれい、目立つ、かっこいい…だけで、ウケているのでしょう。
「さくらん」を見なくても、花魁がどんな職業か、ほとんどの人は知っています。
それでも「華麗さ」をとって着たいというひとは、
「私ほんとに体売ってるわけじゃないもん。きれいだから着てるんだもん」なのでしょう。
でも、実際に身を売っているかどうかよりも、かつてその衣装は
どういう意味を持っていたか…です。
「売春は女性のもっとも古い職業」と言われています。
「花魁」関西では「太夫」、イタリアでは「コルティジャーネ」
フランスでは「クルチザンヌ」…彼女たちは「高級娼婦」といわれます。
庶民なんぞには手の届かない豪奢な衣装や宝石を身に着けたり、
花魁や太夫は、大名のお相手ができるほど、茶の湯や和歌俳句にも長けていました。
みんな、その衣装を身に着けるまでには、たいへんな努力があり、
持って生まれた美貌や才能に、必死で磨きをかけて掴み取ったのです。
確かに、女郎は「女郎風情」と、一段下に見られたことも確かです。
でも逆に、だからこその「線引き」をきちんとして、
「領分を侵さない」という礼も、お互い守りましたし、よいものは認めました。
江戸時代のファッションリーダーは「芸者・役者・花魁」と言われています。
彼女たちが使う化粧水や紅は、一般の女性たちにも人気がありました。
それは、しごととして美しくあるために肌を整えたり化粧をしたりしている
そういう職業の人の実力を認めていたからです。
でも、髪型や着物の着方はマネませんでした。
それは彼女たちのユニフォームであり、素人玄人の線引きでもあったからです。
お互いに認め合うところは認め合う。それはそれぞれの誇りでもあり
矜持にもつながったのだと思います。
結婚のとき、オットの和服のために「黒より紺足袋のほうが色がいいな」と言ったら、
母に「紺は職人の履く色や。大工でもないのに職人さんに失礼やで」といわれました。
いえ、オットはエンジニアで「モノ作ってる」人なんですけど…。
今の時代、お小遣い稼ぎに「援交(死語ですかね)」と称して、
女子高生が行きずりの男性に身を売ったり、
下着や制服がお金になるからとそれを売り、それでブランドものを買ったり…。
時代が違う…では済まされない、意識や矜持の陥落だと思います。
売春が許されていた時代、それを職業とするヒトには、それなりの理由がありました。
そのほとんどが、一人で生きるため、あるいは家族を助けるための「身売り」であり、
軽い気持ちや楽しい気持ちでその世界に入る人は、数少なかったはずです。
だからこそ「苦界」と言われたのですから。
それでもその世界で生きていかなければならなかったのですから、
自らをなお貶めるようなことはしなかった人も多くいたと思います。
つらいからこそ「これが自分の仕事だ」と、矜持を捨てなかった女たちが、
その世界での地位を築けたのだと思います。
今日のニュースで「遅刻しそうになったので、自転車盗んだ」という警官がいました。
おかしなことに、その自転車はあるコンビニの店員のもので、
その店員はその直前にコンビニにきていたその警官を見ていたわけです。
コンビニに寄ってる時間があったら、職場まで走れってば。
自分の仕事も立場も誇りをもてないのでしょうか、
遅刻して叱られることより、間に合うための泥棒を選ぶ…
ヒトとしてのプライドもないのでしょうか。
衣装ひとつでも、それが今の形を成していることには、
たくさんの時間の積み重ねと人の思いの積み重ねがあります。
きれいだから、かっこいいからと、ファッションという言葉を便利に使うことは、
結局、自分を一番おとしめることになるのではないかと思います。
自国の文化くらい、きちんと知って「選ぶ眼」を養ってほしいと思うのです。
mixiのお話を、お題にさせていただきます。
ヤフー知恵袋で「結婚式に花魁をやります。」というお話。
それであのかんざしの入手方法を質問したわけなのですが、
当然のように「その前に『結婚式に花魁?』」と、ヒナンされてまして…。
ただ、この人の場合「釣り」ですか?といわれていました。
「釣り」というのは、こういったところでの一種の荒らしみたいなもので、
うそを書いて、そのコメントを書く人が白熱するのを楽しむ…というようなものです。
確かに「結婚式に花魁をやるんですが…」という書き方、
本人がそれで挙式するのか、友達の披露宴に着るのか、披露宴の余興なのか、
まったくわかりません、そのあたりが怪しいですね。
でも、もうひとつの別の方の「質問」は、事実ということだったのですが、
そちらは「友人の披露宴に行ったら花魁衣装の人がきていた」と。
新婦側の友人のようでしたが、みんなアゼンボーゼンだったそうです。
彼女は「式場の人はこれをとめられないのでしょうか」とか、
「おいらんのかっこうは、はやっているのですか」というような質問をしていました。
先日も「花火大会でゆかたのおいらん」を見た…とコメントをいただきましたね。
また成人式では、テレビで実際二人写っていました。(見ちゃったよ…でした)
「さくらん」という映画の影響もある…ということのようですが…。
フシギですよね、日本画でも浮世絵でも「花魁」の絵は昔から山ほどあるのに、
今までそれをかっこいいと着物の着方に取り入れることはありませんでした。
映画の影響ってすごいなぁ…(だから気をつけて作ってくれっての)。
上の最初の「釣り?」という質問には、皆さんが「結婚式にやめなはれ」でした。
私もそう思います。それは花魁という仕事が、いかに華やかでも「売春婦」であるから。
おひとり「私はお金くれたらダレとでも寝ますよ」と言っているようなものだ、と。
また「最近はAV女優にあこがれる人もいますからねぇ」という意見も。
私は、答えろといわれたら、もちろん「NO」です。
確かに、それは身を売る商売の人の衣装であるからして、
花嫁さんは言うに及ばず、お客としても失礼であろう…と思うからです。
ただ、もうひとつ思うことは…
「これは売春婦の衣装である、そんな衣装を着るなんて」というよりも、
私は「花魁」にも失礼だ…という気持ちがあるのです。
これは花魁の衣装に限りません。
「決められたもの」というものには意味があります。
例えば外国で「漢字」がかっこいいからと、Tシャツの背中にロゴとしていれる…
というのがあります。「侍」とか「魂」とか「特攻」とか…
中にゃ「台所」とか「愛人」なんてのもあったりしますが…。
彼らにしてみれば「漢字」は字ではなくデザインです。
日本人のアイデンティティが!なんてことまでは申しませんが、
「知らずに使われること」には抵抗もあったり、逆に笑っちゃったりすることがあります。
私たちがエジプトのヒエログリフをステキだと思い、これがステキ…と
自分でデザインして何かに使ったら、クフ王のカルトゥーシュだった…とか
逆に「魔」を意味するものだった…なんてのと同じですよね。
この前「ジャポニカ」というお話をしました。
その文化を深く理解していない人が、その人の目線で「美」を感じる…ということです。
「花魁ルック」を晴れ着として着ようというのは、
まさしくジャポニカであると思うわけです。
最近は「ファッション」といえばなんでもアリ、になっています。
花魁衣装も、華やか、きれい、目立つ、かっこいい…だけで、ウケているのでしょう。
「さくらん」を見なくても、花魁がどんな職業か、ほとんどの人は知っています。
それでも「華麗さ」をとって着たいというひとは、
「私ほんとに体売ってるわけじゃないもん。きれいだから着てるんだもん」なのでしょう。
でも、実際に身を売っているかどうかよりも、かつてその衣装は
どういう意味を持っていたか…です。
「売春は女性のもっとも古い職業」と言われています。
「花魁」関西では「太夫」、イタリアでは「コルティジャーネ」
フランスでは「クルチザンヌ」…彼女たちは「高級娼婦」といわれます。
庶民なんぞには手の届かない豪奢な衣装や宝石を身に着けたり、
花魁や太夫は、大名のお相手ができるほど、茶の湯や和歌俳句にも長けていました。
みんな、その衣装を身に着けるまでには、たいへんな努力があり、
持って生まれた美貌や才能に、必死で磨きをかけて掴み取ったのです。
確かに、女郎は「女郎風情」と、一段下に見られたことも確かです。
でも逆に、だからこその「線引き」をきちんとして、
「領分を侵さない」という礼も、お互い守りましたし、よいものは認めました。
江戸時代のファッションリーダーは「芸者・役者・花魁」と言われています。
彼女たちが使う化粧水や紅は、一般の女性たちにも人気がありました。
それは、しごととして美しくあるために肌を整えたり化粧をしたりしている
そういう職業の人の実力を認めていたからです。
でも、髪型や着物の着方はマネませんでした。
それは彼女たちのユニフォームであり、素人玄人の線引きでもあったからです。
お互いに認め合うところは認め合う。それはそれぞれの誇りでもあり
矜持にもつながったのだと思います。
結婚のとき、オットの和服のために「黒より紺足袋のほうが色がいいな」と言ったら、
母に「紺は職人の履く色や。大工でもないのに職人さんに失礼やで」といわれました。
いえ、オットはエンジニアで「モノ作ってる」人なんですけど…。
今の時代、お小遣い稼ぎに「援交(死語ですかね)」と称して、
女子高生が行きずりの男性に身を売ったり、
下着や制服がお金になるからとそれを売り、それでブランドものを買ったり…。
時代が違う…では済まされない、意識や矜持の陥落だと思います。
売春が許されていた時代、それを職業とするヒトには、それなりの理由がありました。
そのほとんどが、一人で生きるため、あるいは家族を助けるための「身売り」であり、
軽い気持ちや楽しい気持ちでその世界に入る人は、数少なかったはずです。
だからこそ「苦界」と言われたのですから。
それでもその世界で生きていかなければならなかったのですから、
自らをなお貶めるようなことはしなかった人も多くいたと思います。
つらいからこそ「これが自分の仕事だ」と、矜持を捨てなかった女たちが、
その世界での地位を築けたのだと思います。
今日のニュースで「遅刻しそうになったので、自転車盗んだ」という警官がいました。
おかしなことに、その自転車はあるコンビニの店員のもので、
その店員はその直前にコンビニにきていたその警官を見ていたわけです。
コンビニに寄ってる時間があったら、職場まで走れってば。
自分の仕事も立場も誇りをもてないのでしょうか、
遅刻して叱られることより、間に合うための泥棒を選ぶ…
ヒトとしてのプライドもないのでしょうか。
衣装ひとつでも、それが今の形を成していることには、
たくさんの時間の積み重ねと人の思いの積み重ねがあります。
きれいだから、かっこいいからと、ファッションという言葉を便利に使うことは、
結局、自分を一番おとしめることになるのではないかと思います。
自国の文化くらい、きちんと知って「選ぶ眼」を養ってほしいと思うのです。
を随分前にテレビで見た事があります。
目立ちたいのか人と違う個性を強調したい
のか・・・結婚式に花魁の格好でと考える
事自体理解できませんけど・・・
いまどきはTPOって言わないんですかね。
(おそらく美容室?)
「披露宴で花魁は絶対やめなはれ!」と誰も止めないのが不思議で。
披露宴に呼ばれたら服装には頭を悩ませるほど苦笑、気を使うのが普通かなと思っていたので
こういう感覚は理解できません・・・。
小さい時から芸能関係に囲まれて育った影響もあると思います。
道中や舞以外にも女優として舞台に立ったり、小さなクラブも経営したり。
花魁を始めた時は周りからブーイングがありました。
売春婦の真似事は止めてくれと。
しかし、花魁という伝統文化が廃れようとしているのを防ぐのはお茶や舞を勉強した自分の責任だと周りを説得しました。
ここまでの意志が無いのに斬新と錯覚して花魁の格好は馬鹿である事を宣伝する様なものです。
ましてや、正式な場である結婚式に花魁の格好は花嫁花婿に失礼の極み。
花魁が何であったのか全く知らないからこんな事に。
無知は罪ですね。
ヒトと違うことが…ってよくいいますけど、
だからといって何でもいいとは
おもいませんけどね。
TPOなんて「いいじゃないそんなの」
なんでしょうか。
どうにも「自由」の勘違いとしか
思えません。かなしいですねぇ。
美容師さんも「日本髪」というよりは、
「ハヤリの○○」という感じなんですかね。
去年の「ミスユニバース」の衣装の時も
そうでしたけれど、これが新しいんだよ、
とでもいうような…そんな感じなんでしょうか。
あれこれ言うと「だから古いって言うんだ」と
否定されるのでしょうかね。
このお嬢さんの親の顔と、美容師の顔が見てみたい…。
文化、という捉え方をすれば、
花魁も太夫もすばらしいものです。
衣装やその踊りなどのワザ、
一流ですからね。
妙な映画のおかげで…と、私は思っています。
ストーリーはしりませんが、
ポスターの写真など見ても、とても品性知性を
うりものにする花魁とはみえませんでした。
「吉原炎上」の名取裕子のほうがまだ「らしかった」です。
おっしゃるとおり、表だけしかみない無知は、
モンダイですねぇ。
花魁つくってる先生のブログ、貼ります。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ayakopupy/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%B2%D6%B3%A1&sk=1
どんな経緯でのお支度かはわかりません。
婚礼の流れも好みも日々変わってるのでしょうね。
ここは娘の成人式前に見つけたのですが、花魁は別として
熱心なチャレンジャー先生・と思いました。
蒔 糊美様、でコメントいただいておりますよ。
チャレンジャーではあると私も思います。
正直、こういうものはとめてもとめようが
ないのであろうとも思います。
淘汰がきちんとされていけば、
残るものは残る…とも思っていますが、
今の日本は、着物に限らず、
なんだかいっぱいダイジなものが、
壊れていますからねぇ。