まず写真は「第30回国際福祉機器展」の総合カタログです。
今年はたしか33回目だと思いますが、毎年「東京ビッグサイト」で
9月に開催されます。福祉機器には用のない人が見に行っても
興味深く見られます。このカタログは郵送で購入することもできます。
長くなったので3回に分けました。今夜が第3部??
明日は「着物」に戻る予定です。もう一日おつきあいを・・。
福祉先進国と日本の「障害福祉」についての基本的な考え方、捉え方の
大きな違いについて、私なりの思いがあります。
先日のコメントのお返事にも書いたのですが、障害者にとって必要なのは
「保護・庇護」ではなく「援助・助成」です。
最近、バリアフリーということばがよく聞かれます。
直訳すれば「障壁除去」という意味ですが、
本来の根本的な意味はもっと深いものです。
バリアフリーというと、スロープを作ったり、段差をなくしたりして、
車イスも通れるようにすることなど、その「形態や工夫」そのものを指すように
言われていますが、本当は「そういうさまざまな工夫によって、
障害者が健常者と同じ行動がとれる」という『結果』そのもののことです。
つまり、バリアフリーの本来の意味は障壁をなくして「共生する」です。
何の区別も差別もなく、共に同じ土俵で暮らしていかれるようにすること、です。
ハンデがあるということは、ない人と同じようにはできない、
そのできない部分をできるように助けるのが「福祉」であり「人の思い」です。
たとえば、健常者Aさんと、片足が不自由だが杖をつけば一人で歩けるBさん、
このAさんとBさんが、○地点からX地点まで「せーの」で歩いたとします。
Aさんは3分で着き、Bさんは5分で着きました。2分余分にかかったわけです。
さて、これをどういう言い方であらわすか・・・、
「AさんとBさんは、歩く早さに差があるので2分という違いが出た」ですか?
そうではなくて「AさんとBさんは『健常者と障害者』という『違い』があるから
2分という『差』がでた」なのです。
人の間に「差」はありません。「違い」があるだけです。
「違い」から生じるのが「差」です。
「健常者と障害者」「老人と子供」「男と女」「日本人と外国人」
「先生と生徒」「上司と部下」それらの間にあるものは全部「違い」であって
「差」はないのです。違いから生じるのが「差」であって、
それを埋めたり補ったりするのが、愛情だったり信頼だったり思いやりだったり。
その形にならないものを形にして、障害者をカバーするのが「福祉」です。
たとえば上の「AさんBさん」の場合で2分の「差」を縮めるなら、
先進国だとしたら、その方法として「杖を2本使ったらどうか」とか
「足を安定させる補装具はどうだろう」とか「道を少しでも平らに整備する」とか
そういう方向に考えます。今の日本では「普通に歩けないのだから
スタート地点を前にしてあげたら」とか「負ぶってあげればいい」とか
しまいには「歩くのタイヘンなんだから歩かなくていいですよ」・・・とか。
そういうことは、つまり「この人たちには差があるから、たいへんだから」
という「思い違い」から出発してしまうから・・・。
これがつまり「援助と保護」の基本的な違いです。
もっとも問題なのは、保護することが「いいことしてる」という意識から
でているということ。保護ということはとても嫌な言い方ですが、
相手を下に見ているということです。
障害者に必要なのは、レベルアップのための援助です。
言葉だけは「支援」とか「助成」といっていても、
根底が「保護」から始まっている福祉は、いい方向には進まないのです。
「差」と「違い」、この言葉をじっくり考えることが、
本当のバリアフリーにつながることだと思うのです。
アメリカでは1990年に「ADA法」という障害者法が制定されています。
この法律で、全ての交通機関には障害者も普通に利用できる整備が
されていなければならない、とか公共の施設(レストランなども含みます)も
同じように障害者が普通に利用できるようにしなければならない、などと
定められました。そうでないと「公共交通機関として認められない、
営業できない」・・ということになります。もちろん、実施までに猶予期間も
与えました。つまり何年かかけてそうすることを認めたわけです。
どこのレストランでも多目的トイレを作ることになったわけですが、
元々すでにできあがったところに新しいトイレをつけるのはタイヘンです。
ではスペースのないところはどうしたか・・ごくカンタンなことです。
今までの「一般用男女トイレのスペース」を壊して、
『多目的トイレをひとつ作った』です。
つまり、普通のトイレだとハンデのある人は入れないけれど、
多目的トイレなら「誰でも」入れるからです。これが本来のバリアフリーです。
この発想が、今の日本の福祉にはないのです。
基本的に違うといってもいいでしょう。国だけでなく人もまた・・。
今も活動なさっておられるかどうか調べていないのですが、
障害者のスポーツについてのお仕事をしている若者がおりました。
彼はアメリカに高校留学していて交通事故にあい、脊椎損傷、
いわゆる「脊損患者」になりました。下半身マヒになったわけです。
確かバスケットボールをしていたと思うのですが・・・。
そういう状態になった彼に、医師はこう言ったそうです。
「君は何ひとつ夢の実現をあきらめる必要はない。ただ、その方法が
今までとはちょっとかわるだけだ。我々はその君をバックアップするためにいる」
彼は大学にも行きました。その大学では、本来、構内の移動に「車使用」は
禁止でしたが、移動が不自由な彼には車による移動を許可するなど
彼にとっていわゆるバリアフリー状態に整えてくれたわけです。
そして、そのとき大学側の言った言葉は「これで君にハンデはなくなった。
一般学生となんらかわりなく学業ができるはずだ」です。
私はなにもかもアメリカがいい、といっているわけではありません。
そもそもADA法がなぜ作られたか・・アメリカも日本と同じ、
障害者にはかたっぱしから「年金」を配ってそれを「福祉」としていたのです。
しかし、その金額は莫大です。障害者の中には、道さえ整備されていれば、
ビルの玄関にスロープがあれば、誰か移動だけでも人がついてくれれば、
「労働」することで収入を得ることができる・・という障害者も数多くいます。
アメリカは、毎年莫大な年金をずっと払い続けるなら、
いっそ彼らが外に出てシゴトができるようにすれば、支払う年金は減り、
さらには彼らは「納税者」になる・・・と考えたのです。
ただただ「車イスの人はかわいそうだから、スロープを作ってあげよう」
ではなかったのです。いかにもアメリカらしい合理的でクールな考え方です。
だから「これで君にハンデはなくなった」なのです。
そしてハンデをなくすためにいろいろ工夫するのは、
手を差し伸べて抱えて守ってあげるためではなく、肩を並べるためなのです。
アメリカには、日本にはない「肌の色の違いによる差別」というのが、
まだまだあるそうです。あれだけ広い国ですから、
地域での気質の違いもあるでしょう。障害者に対しても、全てのところで
うまくいっているということではないと思います。
でも、少なくとも「出発点」が「本来のバリアフリー」を目的とすることが
はっきりしている分、本当にするべきことも見えてくると思います。
「やってあげる、だしてあげる」の出発点から始まったこの国の福祉は、
だからこんなに小さな国なのに、ちっともまとまらないのです。
今年はたしか33回目だと思いますが、毎年「東京ビッグサイト」で
9月に開催されます。福祉機器には用のない人が見に行っても
興味深く見られます。このカタログは郵送で購入することもできます。
長くなったので3回に分けました。今夜が第3部??
明日は「着物」に戻る予定です。もう一日おつきあいを・・。
福祉先進国と日本の「障害福祉」についての基本的な考え方、捉え方の
大きな違いについて、私なりの思いがあります。
先日のコメントのお返事にも書いたのですが、障害者にとって必要なのは
「保護・庇護」ではなく「援助・助成」です。
最近、バリアフリーということばがよく聞かれます。
直訳すれば「障壁除去」という意味ですが、
本来の根本的な意味はもっと深いものです。
バリアフリーというと、スロープを作ったり、段差をなくしたりして、
車イスも通れるようにすることなど、その「形態や工夫」そのものを指すように
言われていますが、本当は「そういうさまざまな工夫によって、
障害者が健常者と同じ行動がとれる」という『結果』そのもののことです。
つまり、バリアフリーの本来の意味は障壁をなくして「共生する」です。
何の区別も差別もなく、共に同じ土俵で暮らしていかれるようにすること、です。
ハンデがあるということは、ない人と同じようにはできない、
そのできない部分をできるように助けるのが「福祉」であり「人の思い」です。
たとえば、健常者Aさんと、片足が不自由だが杖をつけば一人で歩けるBさん、
このAさんとBさんが、○地点からX地点まで「せーの」で歩いたとします。
Aさんは3分で着き、Bさんは5分で着きました。2分余分にかかったわけです。
さて、これをどういう言い方であらわすか・・・、
「AさんとBさんは、歩く早さに差があるので2分という違いが出た」ですか?
そうではなくて「AさんとBさんは『健常者と障害者』という『違い』があるから
2分という『差』がでた」なのです。
人の間に「差」はありません。「違い」があるだけです。
「違い」から生じるのが「差」です。
「健常者と障害者」「老人と子供」「男と女」「日本人と外国人」
「先生と生徒」「上司と部下」それらの間にあるものは全部「違い」であって
「差」はないのです。違いから生じるのが「差」であって、
それを埋めたり補ったりするのが、愛情だったり信頼だったり思いやりだったり。
その形にならないものを形にして、障害者をカバーするのが「福祉」です。
たとえば上の「AさんBさん」の場合で2分の「差」を縮めるなら、
先進国だとしたら、その方法として「杖を2本使ったらどうか」とか
「足を安定させる補装具はどうだろう」とか「道を少しでも平らに整備する」とか
そういう方向に考えます。今の日本では「普通に歩けないのだから
スタート地点を前にしてあげたら」とか「負ぶってあげればいい」とか
しまいには「歩くのタイヘンなんだから歩かなくていいですよ」・・・とか。
そういうことは、つまり「この人たちには差があるから、たいへんだから」
という「思い違い」から出発してしまうから・・・。
これがつまり「援助と保護」の基本的な違いです。
もっとも問題なのは、保護することが「いいことしてる」という意識から
でているということ。保護ということはとても嫌な言い方ですが、
相手を下に見ているということです。
障害者に必要なのは、レベルアップのための援助です。
言葉だけは「支援」とか「助成」といっていても、
根底が「保護」から始まっている福祉は、いい方向には進まないのです。
「差」と「違い」、この言葉をじっくり考えることが、
本当のバリアフリーにつながることだと思うのです。
アメリカでは1990年に「ADA法」という障害者法が制定されています。
この法律で、全ての交通機関には障害者も普通に利用できる整備が
されていなければならない、とか公共の施設(レストランなども含みます)も
同じように障害者が普通に利用できるようにしなければならない、などと
定められました。そうでないと「公共交通機関として認められない、
営業できない」・・ということになります。もちろん、実施までに猶予期間も
与えました。つまり何年かかけてそうすることを認めたわけです。
どこのレストランでも多目的トイレを作ることになったわけですが、
元々すでにできあがったところに新しいトイレをつけるのはタイヘンです。
ではスペースのないところはどうしたか・・ごくカンタンなことです。
今までの「一般用男女トイレのスペース」を壊して、
『多目的トイレをひとつ作った』です。
つまり、普通のトイレだとハンデのある人は入れないけれど、
多目的トイレなら「誰でも」入れるからです。これが本来のバリアフリーです。
この発想が、今の日本の福祉にはないのです。
基本的に違うといってもいいでしょう。国だけでなく人もまた・・。
今も活動なさっておられるかどうか調べていないのですが、
障害者のスポーツについてのお仕事をしている若者がおりました。
彼はアメリカに高校留学していて交通事故にあい、脊椎損傷、
いわゆる「脊損患者」になりました。下半身マヒになったわけです。
確かバスケットボールをしていたと思うのですが・・・。
そういう状態になった彼に、医師はこう言ったそうです。
「君は何ひとつ夢の実現をあきらめる必要はない。ただ、その方法が
今までとはちょっとかわるだけだ。我々はその君をバックアップするためにいる」
彼は大学にも行きました。その大学では、本来、構内の移動に「車使用」は
禁止でしたが、移動が不自由な彼には車による移動を許可するなど
彼にとっていわゆるバリアフリー状態に整えてくれたわけです。
そして、そのとき大学側の言った言葉は「これで君にハンデはなくなった。
一般学生となんらかわりなく学業ができるはずだ」です。
私はなにもかもアメリカがいい、といっているわけではありません。
そもそもADA法がなぜ作られたか・・アメリカも日本と同じ、
障害者にはかたっぱしから「年金」を配ってそれを「福祉」としていたのです。
しかし、その金額は莫大です。障害者の中には、道さえ整備されていれば、
ビルの玄関にスロープがあれば、誰か移動だけでも人がついてくれれば、
「労働」することで収入を得ることができる・・という障害者も数多くいます。
アメリカは、毎年莫大な年金をずっと払い続けるなら、
いっそ彼らが外に出てシゴトができるようにすれば、支払う年金は減り、
さらには彼らは「納税者」になる・・・と考えたのです。
ただただ「車イスの人はかわいそうだから、スロープを作ってあげよう」
ではなかったのです。いかにもアメリカらしい合理的でクールな考え方です。
だから「これで君にハンデはなくなった」なのです。
そしてハンデをなくすためにいろいろ工夫するのは、
手を差し伸べて抱えて守ってあげるためではなく、肩を並べるためなのです。
アメリカには、日本にはない「肌の色の違いによる差別」というのが、
まだまだあるそうです。あれだけ広い国ですから、
地域での気質の違いもあるでしょう。障害者に対しても、全てのところで
うまくいっているということではないと思います。
でも、少なくとも「出発点」が「本来のバリアフリー」を目的とすることが
はっきりしている分、本当にするべきことも見えてくると思います。
「やってあげる、だしてあげる」の出発点から始まったこの国の福祉は、
だからこんなに小さな国なのに、ちっともまとまらないのです。
アメリカのドライな部分と言うのは、ほんとに小気味いいとは思うのですが、ちょっとズレると「キメの荒さ」につながっちゃうところがありますから、本当は両方の「いいトコ取り」ができればいいんですけどネェ。でも理想は高く持たねば!
陽花様
成人した障害者の行く先は、本当に限定されます。障害者自立支援、というなら、まず「就職」できるようにしてほしいです。自立ってそういうことですものね。
千兵衛様
千様は、本当におやさしいのですね。私も「あのときああしてあげたら」というの、何度もあります。でもまずは、それを感じることができるということが必要だと思うんです。「ゆとりの時間」がちっともゆとりになってなくて、ボランティアすると点数に入って・・なんて、ヘンな国になっちゃいました。千様のお子様は、ちゃんと千様の背中を見て育っておられます。私はそう思っています。とんぼもがんばりますから!
結論から先に言っちゃうと、このままの状態で、この5年や十年で日本の行政が、身体障害者への基本的な考え方を変える事をできるとは思えないけど、これが、今の小学生、中学生、高校生への教育として指導されたなら、十数年後には、ずいぶんと変われる気もしないではないと思うな。
つまり、逆に言えば、今の行政府では大きな変化とか、とんぼちゃんが言うような基本的な考え方の違いについて反省してくれるとは思えないからなんだけど。
今は、結構、若者が身体障害者の介護をしながら、散歩などをして歩いているのを見る事が多いから、そういう意味では、若い人達も考えてる人がいるんだとも思っていたんだけど、とんぼちゃんが言ってる事は、それ以前の話なんだよね?
昔の小中学校では、特殊学級というのがありました。
いわゆる「差別」の為の学級です。
今、思うに、この特殊学級は、何の為の学級だったのか考えさせられます。
むしろ差別化を助長する為の学級であった訳で、子供心の私は、近づいてはならないクラスみたいな印象を持っており、その当時の我々も、あえて、その学級の生徒とは仲良くしようと思いもしませんでしたが、今、思うに、もう少し教師が我々に教え給うて、普通の人と人の交わりの場を作ってくれたなら、違う思いで接する事ができたのではないかとも思っております。
だいぶ昔の話ですが、私の所属する「お囃子の会」の教え子のようなYチャンという子供がおりました。
その子にはダウン症の妹がおりまして、極、稀に逢う機会もあったのですが、ダウン症という事もあり、特に名前も聞かずでおりました。
ある日、私は薬を買う為にハックという薬などの大型専門店で買い物をして、レジの買い物客の列に並び順番を待っていたのです。
そんな時に、そのダウン症の子が一人で入ってきて、順番に並んでいる私たちの横を通り過ぎて行ったのです。
私は、一瞬「こんにちわ!」と言おうかと脳裏に浮かんだのですが、その反面、声をかけたはいいけど、無視されたら恥ずかしいとの思いもして、結局知らんぷりすることにしました。
そして、彼女は私に気がつかぬように私の前を通り過ぎようとしていたのですが、その時に、一瞬、私の方を見て、「こんにちわ!」と、言ったのです。
私は、慌てて、今気がついたように「あ、こんにちわ!」と言い返したのですが、もう、私の心は悔と恥ずかしさで一杯になっておりました。
私は、私が健常者で、彼女は身体障害者である事を、最初から決めていたのです。
私は上位者であり、彼女は頭の悪い下位であると、無意識に断定していたのです。
それを、彼女の方から言われたものですから、その衝撃と言いますか、ショック状態に陥りまして、しばらくは心の暗い日々を過ごした事を覚えております。
何故、私から声をかけられなかったのか?何故、笑顔で瞳を見てあげられなかったのか?もう、20年近く昔の話ですが、今も心の底に淀んでいる私の恥部であり、今でも疑問の言葉が行きつ戻りつしています。
話が脱線してしまいまして、ゴメンナサイ。
この国の、抜本的な身体障害者への福祉は、小、中学校生の生徒の時代から、徹底的に教え混まなければ、今の行政改革程度では、それこそ焼けたアスファルトに打ち水をする程度にしかならないと思います。
己の懺悔の気持ちをも含めまして、私も微力ながら、子供達へのそのような心を伝えていく事を誓いたいと思います。人は何故、差別という言葉を生んだのでしょうかね?
障害があるから手取り足取りしなければ
いけないとかじゃなく障害があっても
障害に応じて働ける場所があれば自立も
社会参加も出来る人は沢山いるはずなのに
もっとそういうところを作ってほしいですね。
でも、このまとめを読んでとても嬉しく感じました。私がニューヨークで心地よく感じることはここで繰り返すことは止めますが、まさに、とんぼさんが書いているこの肩を並べるためのドライな精神です。ハンディーを援助して肩を並べようという感覚は年齢、性別、身体状況、能力状況、家族状況、職業状況、色んな所で感じます。
しかし実のところ、ドライに頑張るというのは、結構エネルギーのいることでもあります。日本でなかなかドライに割り切れないのはこのエネルギーがまだ不足しているのかも知れません。皆忙しくてすり減っていますが、ドライでクールな考え方が啓蒙され、後ろめたさを感じなくても良くなれば、そのすり減ることもまたちょっと緩和されると思うんですけど、少しずつ良くなっていくことを願っています。