写真は手持ちの辞書。
小さいほうは、私が嫁に来るとき持ってきたものです。
ちょうど発行年のところが破れていましてはっきりしませんが、たぶん私が20代半ばくらいのもの。
大きいほうは、平成14年に買ったもの。
頻繁に使う方は、出版社ごとのものとか、版が新しくなるごとに…とかあるのでしょうが、
私のようにさほど頻繁でもないものは、これで十分…ではあるのですが…。
とにかく字が小さい…これが年を取ってくると難題になります。大型ルーペがないと「辞書の読書」はできません。
パソコンの検索も便利ではありますが、パソコンを使い始めて、なんでも検索していたら、
辞書の引き方に時間がかかるようになってしまって…。
アタマもかたくなってきますし、面倒でも辞書はやっぱ見なきゃ…と思っています。
最近は、いろんな面白い辞書も出ていて「四文字熟語」とか「逆引き」とか…。
買ってみようと思いつつ…これまた何年。
もう一冊、ちょっとかわったものがあります。ちょっと説明するのが難しいのですが…
「当て字当て読み表現辞典」というもの。
写真を貼り付けようとしたのですが、時々起る「やっかいなgooブログのポカ」、
どうしても記事中に写真がはいりませんのでご勘弁ください。
この辞書で、たとえば「あいつ」という言葉をひきますと…
「彼奴」が一般的に使われる表記、つまり「あやつ」から転じたもの。
ところがこの辞書にはそのほかに「彼個」「彼漢」「友人」「親友」「奴」「彼女」(犯人」「自分」…
どれもフリガナは「アイツ」です。これって「文章中に使われている読み方」なんですね。
たとえば「彼女」をアイツと読ませているのはTOKIOの「彼女(アイツ)によろしく」…だとか、
「犯人(アイツ)」は「あれは犯人(アイツ)があらかじめ録音しておいたテープを…」これは「金田一少年の事件簿」、
といった具合に、その状況や話す人によって、同じ言葉がいろいろにあてられている…という例。
また「あけび」は本来の「木通」のほかに「通草」とか「山女」と書くことがある説明とか…。
うまく説明できないのですが、要するに「こうやって当てているよ」「こんな当て方もされているよ」という感じ。
ただ読んでいても結構おもしろいものです。日本語の「豊かさ」を実感します。
パソコンをやっていると書かなくなる…というのは確実ですが、紙に書かれた文字も読まなくなります。
紙だろうがモニターだろうが、書いてあることは同じ…ではあるのですが、
私は本を開くという動作や、紙をめくるという作業が好きです。
電子辞書もどんどん増えています。確かに重い本を持ち歩くより、字の細かい文庫を苦労して読むより、
タブレット一個持って、指先ですーいすーいとページをめくる方がラクかもしれません。
場所はとるし、ほっときゃカビが生えたりへんな匂いがついたり…手間もかかりますけれど、
やっぱり「本」というものは捨てがたいです。
辞書は、本でもありますから、目的なしにめくったところを1ページ読んでも、けっこう発見があったりします。
「舟を編む」の映画の中で「辞書に使う紙はめくりやすくないとダメ」と、紙質までこだわっていてビックリ。
そういえば、この古い辞書、今でもするりと1ページめくれる…。
この「するんという指先に伝わる感覚と、その時のひそやかな音」、タブレットにゃぁないやねぇ。
というわけで、整理しても辞書はこのまま現役でがんばってもらいます。
あー昨日、一箱分の本を処分したのに、押し入れの奥に突っ込んであった箱…夫の雑誌。
だまって捨てたろっと…。
右側の辞書 あります。
そして 母の持ち物の中にも 様々な辞書がありました。
すぐ手の届く所に置いて 拡大鏡と共に
利用していたようです。
現在の辞書の落ち着き先
リビングボードに鎮座してます
実家には広辞苑と、ほかに私が使っていた
英和とか和英とかも置いてあるはずです。
一度ぜんぶこっちへ…と思っています。
母も拡大鏡と一緒においてましたね。
私もそうありたいと思いつつ…ですが。
仕事で文章を書くことがあった頃は、同じ言葉が続くと嫌になるので結構お世話になってました。
類語もおもしろいですね。
日本語って、ほんとにすごい言語なのだと、
つくづく思います。