(なんてヒネリもなにもないタイトルなんだ…)
トップ写真は、我が家の風呂敷の一部です。
昨日の朝のことですが、パッとテレビをつけたら、見たことない番組でして、
えーと「歌うコンシェルジュ」だったかな。なんかNHKの「番宣」番組のようです。
つけたとたんに「美の壺」と聞こえたので見ていましたら、
先日亡くなった「谷啓さん」の追悼として、谷さんが案内人のころの「美の壺」のお話で、
過去の放送分から「風呂敷」についての回を放送してくれました。
思わず、手にしていたものをおいて座り込んで見てしまいました。
古くて大きい生粋の日本家屋と庭園に、普段着物の谷さんは
ほんとに自然にそこにおられました。ぴったりでしたね。
毎回のテーマも楽しみでしたが、谷さんの「えっ?これってそんなに古いの?」と
クビをかしげてみせたりするお茶目さも、番組によくあった雰囲気でした。
「谷さん」のあの飄々とした話し振りや、絶妙な「間」、
ちょっと「笑い」の要素も入ってますから、時々クスッと…。
芸達者な方々が、次々逝ってしまわれて私の年代はほんと寂しいです。
さて、では今日は風呂敷のお話…なんですが、
いつもこういうお話をするとき、どのあたりまでまとめるかなぁと迷うのですが…。
例えば「江戸時代は…」といっても、270年あります。
一口に言ってしまうのは、ほんとに「大雑把すぎる」わけです。
実際「湯屋」ひとつとっても、270年の間にはいろいろ変わっているわけです。
またこれは「江戸では」と言うと、じゃ、江戸じゃないところは、ということになります。
ほんとに、歴史のお話しをすると、広がりすぎて、私のおツムリでは
なかなかうまくまとめられないのですが…とりあえず、ちょっとずつお話しします。
まず元々「風呂敷」は、身分の高い人が入浴の際着替えを包んだもの、
またその包みを開いて敷いたもの、が始まりとされています。
そのころはモノを包むものは「平包」と呼ばれていました。
その後、庶民にそれがくだった…というのが一般的なお話しですが、
じゃあそれまで、布でモノを包むことはなかったのかというと、そうではありません。
むしろモノを包むという文化はもっと古く、正倉院の御物の中にもあるくらい。
「包みの文化」と一くくりで言うなら、日本ほど美しく「包み」を考えた国は、
ないんじゃないかと思うほど、細かい「包み」があります。
それは布に限らず「和紙」だったりもするわけですが、慶弔に合わせたり、
相手に合わせたり、「包む中身」にあわせたり、そりゃぁもうこまごまと…。
さまざまな「包み方」については、きちんとした礼法として「結び方」とともに、
確かに伝承されてきています。
その今でも日常のものとして残っている代表的なものが「祝儀袋」でしょう。
「包む」ということで言うなら、風呂で使うものを包むことは、
「たくさんの『包みの文化』の中の『衣類を包む場面での使われ方』」、で、
それが江戸時代の「風呂文化」の中で、そう呼ばれたことが、
今度は逆に「モノを包む」布の全体をまとめて「風呂敷」とよぶようになった…
というような流れによるもの、ややこしいですが…。
最初のころの風呂敷、は、当時は蒸し風呂ですから
室(むろ)の中に着て入るのも「麻」、これが湯帷子(ゆかたびら)で
ゆかたの名称の元とされていますが、その湯帷子を包んだり、
また風呂の中、つまり湯気モウモウの室の中で、す0るために敷くものとしての布も麻、
通気性良くてすぐ乾きますから。
風呂が湯をためる式に変わっていって、ただ「包むもの」になってくると
身分の高い人には絹も使われ、庶民はもちろん「木綿」になっていくわけです。
この今の風呂敷と変わらない使われ方をするようになってからの風呂敷も、
いいものは、裕福な人が家紋や柄を染めさせたりしたわけですが、
庶民はもっぱら「古布の繰り回し」でした。反物は便利なもので、
二枚並べて幅と同じだけの丈があればそれでもう「四角い布」になりましたから。
ちょっと横道にそれまして「日本人の入浴」、これはもう、
地方地域によっても違うわけです。例えば基本的には、農家だったら井戸もあるし、
周りが江戸の街中のように建て込んでいるわけではないから、
各家庭で内風呂を持っていてもフシギはありませんが、
実際にはよほど豪農でもなければなかったわけです。
ひとつには、いくら水に恵まれた国であっても、
どこを掘ってもザブザブと水が湧くわけではありません。
水に恵まれない地域もあって、ひとつの井戸を数軒で使うというところもありましたし、
江戸の町は最初から地下に上水、つまり水道を引いて、そこへ向かって井戸を掘りました。
日本であっても水はとても貴重だったわけです。
また、水はあっても、今度はそれを沸かすのに「薪」がいります。
飯盒炊爨(読めますかねぇこんな古い字、はんごうすいさん、です)などを
やったことのある方は、ひとつの飯盒でごはんを炊くのに、薪が1本や2本では
とても足りないことはお分かりかと思います。
かまどのように熱効率よく作った中でも、人一人が入るだけの風呂の水を沸かし、
何人もがはいるのに、ずっと温度をあげておくには、かなりの薪がかかります。
この「薪」がバカにならなかったわけです。
江戸市中の大店(おおだな)といえども内風呂を持たなかったのは、
一つには「火事」を恐れたこともありますが、
この「水を運び、大量に薪を使う不経済さ}を避けた結果でもあります。
その代わり、大店では家族と奉公人全部の風呂代を月払いでまとめて払い、
みんなを湯屋に通わせるなどの方法を取っていたところもあります。
江戸っ子は毎日入る、江戸っ子は朝夕二回入る、といわれていますが、
全員がそれをやっていたわけではありません。
余裕のない人は「行水」などをしていました。
もうひとつ江戸の人はともかく、元々今の暮らしの感覚で考えれば、
「お風呂に毎日入るのはアタリマエ」ですが、それは生活が便利になってからの観念。
昔は風呂に入ること、つまり「清潔感、衛生観念」は、今よりずっと低かったわけです。
貧しければ貧しいほど、風呂に入るなんてめったにないことで、
夏は川がちかければ沐浴とか、井戸水で行水とかその程度。
といってもこれもまた例えば温泉などが近ければ、農閑期に当時などにも行くとか…。
つまり「いろいろ」だったわけですが、少なくとも今のように毎日お風呂、
毎朝シャンプー、汗かいたらシャワーなんてことは、ないわけで、
今の感覚で「やだぁ汚ーい」といっても、そりゃ無理なことなわけですね。
また、江戸時代の八丁堀の湯屋では、八丁堀七不思議のひとつといわれた
「女湯の刀掛け」がありました。
元々湯屋には武士も来ますから、刀掛けはありましたが、それは湯屋の二階、
いわば「ご近所サロン」とも言うべき場所にありました。ここは女性は入りません。
ところが八丁堀には女湯に刀掛けがある…。
これは八丁堀の同心が朝湯に入るのに、一般客のいる男湯を嫌って、
女湯に入ったから…といわれていますが、時代小説などのお話しでは、
朝は人のいない女湯に入って、隣の男湯から聞こえてくる「男たちの世間話」から、
街の情報をえるため…とも言われています。
今、エコ・ブームで、風呂敷が見直されています。いいことですねぇ。
今までにない色柄のものが出ていますし、若い方や今の暮らしにもあうような
「バッグ」とか「リュック」などの作り方も紹介されています。
それはそれでとても楽しくてステキなことだと思いますが、
古いこともわすれないでほしいですね。
それは単に「包み方」というだけでなく、心遣い、ということです。
元々風呂敷は、その色柄、素材によって、婚礼などの冠婚葬祭から、
普段の暮らしや仕事ままでも使える便利なものです。
何かのお祝い事のお届けものとか、お礼とか、そんなときはきちんと衣服を整えて、
それなりの格の風呂敷に包んだものを持っていく。
そういう時はぶら下げるようなことはしません。(お酒の一升瓶などは別ですが)
品物を結び目のない包み方で胸に抱えて行きます。
今じゃデパートの紙袋でぶら下げて、その袋ごと…なんてのが普通になっていますが、
相手様の玄関先やお部屋で、きちんと作法の形で風呂敷を広げてお渡しする、
そんな心遣いや思いもなくなってほしくないな…と思うのです。
包みについての過去記事 よろしかったらご覧ください。
包みのこと1
包みのこと2
トップ写真の説明ですが、一番左のグリーンのは
「ペットボトル」のリサイクル…だそうです。お安かったのですー。
で、こんな感じの楽しい柄なので…
こんな作り帯にしたら普段にいいかなーと、二枚買ってあります。
形になるのは、あぁいつのことやら…。
トップ写真は、我が家の風呂敷の一部です。
昨日の朝のことですが、パッとテレビをつけたら、見たことない番組でして、
えーと「歌うコンシェルジュ」だったかな。なんかNHKの「番宣」番組のようです。
つけたとたんに「美の壺」と聞こえたので見ていましたら、
先日亡くなった「谷啓さん」の追悼として、谷さんが案内人のころの「美の壺」のお話で、
過去の放送分から「風呂敷」についての回を放送してくれました。
思わず、手にしていたものをおいて座り込んで見てしまいました。
古くて大きい生粋の日本家屋と庭園に、普段着物の谷さんは
ほんとに自然にそこにおられました。ぴったりでしたね。
毎回のテーマも楽しみでしたが、谷さんの「えっ?これってそんなに古いの?」と
クビをかしげてみせたりするお茶目さも、番組によくあった雰囲気でした。
「谷さん」のあの飄々とした話し振りや、絶妙な「間」、
ちょっと「笑い」の要素も入ってますから、時々クスッと…。
芸達者な方々が、次々逝ってしまわれて私の年代はほんと寂しいです。
さて、では今日は風呂敷のお話…なんですが、
いつもこういうお話をするとき、どのあたりまでまとめるかなぁと迷うのですが…。
例えば「江戸時代は…」といっても、270年あります。
一口に言ってしまうのは、ほんとに「大雑把すぎる」わけです。
実際「湯屋」ひとつとっても、270年の間にはいろいろ変わっているわけです。
またこれは「江戸では」と言うと、じゃ、江戸じゃないところは、ということになります。
ほんとに、歴史のお話しをすると、広がりすぎて、私のおツムリでは
なかなかうまくまとめられないのですが…とりあえず、ちょっとずつお話しします。
まず元々「風呂敷」は、身分の高い人が入浴の際着替えを包んだもの、
またその包みを開いて敷いたもの、が始まりとされています。
そのころはモノを包むものは「平包」と呼ばれていました。
その後、庶民にそれがくだった…というのが一般的なお話しですが、
じゃあそれまで、布でモノを包むことはなかったのかというと、そうではありません。
むしろモノを包むという文化はもっと古く、正倉院の御物の中にもあるくらい。
「包みの文化」と一くくりで言うなら、日本ほど美しく「包み」を考えた国は、
ないんじゃないかと思うほど、細かい「包み」があります。
それは布に限らず「和紙」だったりもするわけですが、慶弔に合わせたり、
相手に合わせたり、「包む中身」にあわせたり、そりゃぁもうこまごまと…。
さまざまな「包み方」については、きちんとした礼法として「結び方」とともに、
確かに伝承されてきています。
その今でも日常のものとして残っている代表的なものが「祝儀袋」でしょう。
「包む」ということで言うなら、風呂で使うものを包むことは、
「たくさんの『包みの文化』の中の『衣類を包む場面での使われ方』」、で、
それが江戸時代の「風呂文化」の中で、そう呼ばれたことが、
今度は逆に「モノを包む」布の全体をまとめて「風呂敷」とよぶようになった…
というような流れによるもの、ややこしいですが…。
最初のころの風呂敷、は、当時は蒸し風呂ですから
室(むろ)の中に着て入るのも「麻」、これが湯帷子(ゆかたびら)で
ゆかたの名称の元とされていますが、その湯帷子を包んだり、
また風呂の中、つまり湯気モウモウの室の中で、す0るために敷くものとしての布も麻、
通気性良くてすぐ乾きますから。
風呂が湯をためる式に変わっていって、ただ「包むもの」になってくると
身分の高い人には絹も使われ、庶民はもちろん「木綿」になっていくわけです。
この今の風呂敷と変わらない使われ方をするようになってからの風呂敷も、
いいものは、裕福な人が家紋や柄を染めさせたりしたわけですが、
庶民はもっぱら「古布の繰り回し」でした。反物は便利なもので、
二枚並べて幅と同じだけの丈があればそれでもう「四角い布」になりましたから。
ちょっと横道にそれまして「日本人の入浴」、これはもう、
地方地域によっても違うわけです。例えば基本的には、農家だったら井戸もあるし、
周りが江戸の街中のように建て込んでいるわけではないから、
各家庭で内風呂を持っていてもフシギはありませんが、
実際にはよほど豪農でもなければなかったわけです。
ひとつには、いくら水に恵まれた国であっても、
どこを掘ってもザブザブと水が湧くわけではありません。
水に恵まれない地域もあって、ひとつの井戸を数軒で使うというところもありましたし、
江戸の町は最初から地下に上水、つまり水道を引いて、そこへ向かって井戸を掘りました。
日本であっても水はとても貴重だったわけです。
また、水はあっても、今度はそれを沸かすのに「薪」がいります。
飯盒炊爨(読めますかねぇこんな古い字、はんごうすいさん、です)などを
やったことのある方は、ひとつの飯盒でごはんを炊くのに、薪が1本や2本では
とても足りないことはお分かりかと思います。
かまどのように熱効率よく作った中でも、人一人が入るだけの風呂の水を沸かし、
何人もがはいるのに、ずっと温度をあげておくには、かなりの薪がかかります。
この「薪」がバカにならなかったわけです。
江戸市中の大店(おおだな)といえども内風呂を持たなかったのは、
一つには「火事」を恐れたこともありますが、
この「水を運び、大量に薪を使う不経済さ}を避けた結果でもあります。
その代わり、大店では家族と奉公人全部の風呂代を月払いでまとめて払い、
みんなを湯屋に通わせるなどの方法を取っていたところもあります。
江戸っ子は毎日入る、江戸っ子は朝夕二回入る、といわれていますが、
全員がそれをやっていたわけではありません。
余裕のない人は「行水」などをしていました。
もうひとつ江戸の人はともかく、元々今の暮らしの感覚で考えれば、
「お風呂に毎日入るのはアタリマエ」ですが、それは生活が便利になってからの観念。
昔は風呂に入ること、つまり「清潔感、衛生観念」は、今よりずっと低かったわけです。
貧しければ貧しいほど、風呂に入るなんてめったにないことで、
夏は川がちかければ沐浴とか、井戸水で行水とかその程度。
といってもこれもまた例えば温泉などが近ければ、農閑期に当時などにも行くとか…。
つまり「いろいろ」だったわけですが、少なくとも今のように毎日お風呂、
毎朝シャンプー、汗かいたらシャワーなんてことは、ないわけで、
今の感覚で「やだぁ汚ーい」といっても、そりゃ無理なことなわけですね。
また、江戸時代の八丁堀の湯屋では、八丁堀七不思議のひとつといわれた
「女湯の刀掛け」がありました。
元々湯屋には武士も来ますから、刀掛けはありましたが、それは湯屋の二階、
いわば「ご近所サロン」とも言うべき場所にありました。ここは女性は入りません。
ところが八丁堀には女湯に刀掛けがある…。
これは八丁堀の同心が朝湯に入るのに、一般客のいる男湯を嫌って、
女湯に入ったから…といわれていますが、時代小説などのお話しでは、
朝は人のいない女湯に入って、隣の男湯から聞こえてくる「男たちの世間話」から、
街の情報をえるため…とも言われています。
今、エコ・ブームで、風呂敷が見直されています。いいことですねぇ。
今までにない色柄のものが出ていますし、若い方や今の暮らしにもあうような
「バッグ」とか「リュック」などの作り方も紹介されています。
それはそれでとても楽しくてステキなことだと思いますが、
古いこともわすれないでほしいですね。
それは単に「包み方」というだけでなく、心遣い、ということです。
元々風呂敷は、その色柄、素材によって、婚礼などの冠婚葬祭から、
普段の暮らしや仕事ままでも使える便利なものです。
何かのお祝い事のお届けものとか、お礼とか、そんなときはきちんと衣服を整えて、
それなりの格の風呂敷に包んだものを持っていく。
そういう時はぶら下げるようなことはしません。(お酒の一升瓶などは別ですが)
品物を結び目のない包み方で胸に抱えて行きます。
今じゃデパートの紙袋でぶら下げて、その袋ごと…なんてのが普通になっていますが、
相手様の玄関先やお部屋で、きちんと作法の形で風呂敷を広げてお渡しする、
そんな心遣いや思いもなくなってほしくないな…と思うのです。
包みについての過去記事 よろしかったらご覧ください。
包みのこと1
包みのこと2
トップ写真の説明ですが、一番左のグリーンのは
「ペットボトル」のリサイクル…だそうです。お安かったのですー。
で、こんな感じの楽しい柄なので…
こんな作り帯にしたら普段にいいかなーと、二枚買ってあります。
形になるのは、あぁいつのことやら…。
がありました。薄暗い電球に五衛門風呂、当然
ひとりお風呂に入る度「お加減はどうですか」
と聞きに行っていました。
風呂敷のお話なのに・・・
今は影も形も無くなった昔のお風呂を懐かしく思い出しました。
こちらでもちょこっと風呂敷は出始めたりしていますが、ありきたりの友禅柄ばっかりなんです。
まぁ、それがこちらでは受けるからってことなんでしょうけれど・・・・
私も昔の銭湯などを懐かしく思い出していました。
伯母のところは五右衛門風呂で、
入るのが怖かったです。
今のおふろってゼータクですよね。
おもしろい柄でしょう。
ペットボトルのリサイクルなので、
手触りも思い切り化繊ですけれど、
厚みはそこそこでハリもあります。
柄をきれいに出すのに、切り貼りになりますが、
けっこう面白い帯になると思います。
ふろしきやさんのモノですが、まだあります。
値段を見て、あっ私のときは、
なにかのキャンペーン中だったかで安かったわと
思い出しました。こちらです。
http://item.rakuten.co.jp/furoshikiya/c/0000000521/