朝日新聞が、長い間書き続けてきた「従軍慰安婦・吉田証言」の記事について、
虚偽であったことを認めました。まぁまだまだ言い訳タラタラだという批判もありますが…。
私はこの報道についてあれこれは言いません。
ただ、実際に軍隊に付いて前線を歩きまわった「慰安婦」がいたということは事実です。
それが強制連行であったにせよ、なかったにせよ、身を売る商売をせねばならない女性は、
本当につらいことであったと思います。もちろん日本人も多くいたわけです。
慰安婦になった人たちのなかには、江戸の昔と同じように、家族を助けるために、
身を売らねばならない人もたくさんいました。
昨今は、ブランド物を買うだの、遊ぶだの、そういうことのために、何の苦労もなさそうな女子高生などが、
簡単に下着を売ったり、男性の目に自分をさらしたり、最終的にホテルまで同行したりと、
全く嘆かわしいことです。自身の体も心も大切にする気持ちが欠けているとしか思えません。
戦争が激しい時期は、女性たちも軍と一緒に移動し、万が一の時は自分たちも戦った、
という話も聞きます。事実かどうかはわかりませんが、そこで死んだ場合は、
日本の女性とわからないよう、中国の服を着させられて放置されたのだそうです。
生きて終戦を迎えても、それなら晴れて祖国へ、家族の元へ帰れるかと言ったら、
そんなことはありません。戻れば卑しいとさげすまれ、家では世間体が悪いと居場所がない…。
私が着物を送る先の「かにた後援会」というところ、最初の立ち上げ目的は、
この行き場所のなくなった従軍慰安婦に終の棲家を与える…だったそうです。
すでに年月がたち、元従軍慰安婦…という人は、ほとんどなくなったようですが、
親に売られ、終戦でも国に帰れず、やっと帰っても居場所がなく、また海外に流れて身を売り…
そんなことを繰り返して病気になり、野垂死ぬしかないような…
そんな人たちの住まいとして、できた施設です。
病気は当然性病でしょう。梅毒は脳にまで影響する病気です。
そんな人たちは、いったい何のために、誰のために、つらい思いをしたのでしょう。
今、海外でも争いは絶えません。たくさんの女学生が誘拐され、宗旨替えをされ…という事件は
まだ解決を見ていません。別の民族紛争でも、女性がたくさん犠牲になりました。
とりあえず平和な日本では、レイプ事件が起きれば「とんでもない卑劣な人間」として裁かれますが、
戦争という狂気の中では、女性の体も戦利品になってしまったりするわけです。
かの大戦でも「アメリカが上陸したら、女はみんな辱めを受ける」と、自殺した女性もたくさんいます。
鉄砲持ってドンパチやるだけが戦争ではありません。
現在の「かにた村」には、たとえば天涯孤独で認知症を患っていたりとか、
知的障害がある人が親に死なれたりとか、そんな境遇の、居場所も行く先もない人たちが、
残りの人生を少しでも心豊かに、穏やかに暮らすための施設になっているそうです。
私たちだって、もっと早くに生まれていたら、もしかしたら戦争というものに飲み込まれ、
身も心もボロボロで死んでいったかもしれません。
平和であることは、ただものが豊かだということではありません。
人が人として、当たり前に、まっとうに生きていかれる、それが平和です。
今年は、広島の平和式典に黙祷しようとテレビをつけたら、珍しくも雨の式典になっていました。
いつも真っ青な空の下、暑い日差しの中で行われているのに、ちょっと意外な光景。
なんだかこの先を暗示しているような…「お願いだから平和を守って」という、
たくさんの犠牲者の思いのような気もしてしまいました。
どうか、戦禍という人間が起こす災いが、少しでも減りますように、
この国にとっては永久に無縁のものでありますように。
私もとんぼさんと同じく、漠然とした不安を感じました。
あれから69年、ずっと戦争無しで続けてきた平和をそう簡単に手放さないで欲しいと思います。
強制であったか無かったか、という点にとてもこだわっていますが、
私はとんぼさんと同じように思ってます。
形式は強制ではなかったとしても、
本人にとっては同じことだった・・・・
戦争になってしまえば、ルールもあってなきがごとし・・・
だから戦争はいやなんですが、
今の人たちの議論は空論が多くて辛い思いをします。
何とも理不尽なものが戦争だと思います。
その中身って、どういうものなのかという事があまりに伝わっていないと感じます。
今は故人となった知り合いが二人でお酒を飲みながら「突っ込んでいったのは若い連中だったよなあ~」としみじみ語っていたことが印象に残っています。
夏休みでしたので早めですが
千鳥ケ淵に行きました。
戦争に行った伯父の遺骨が
眠っているかもしれないので。
伯父の遺骨は今だに戻っていません。
戦争のない日本は良いですよね。
まぁ、私も含め悩み事やらイロイロありますけど。
前に母から空襲の話やボートピープル、
ポルポト派の粛正から逃げた人や
プラハの春の話を聞いたりしました。
何はともあれ戦争がない事に感謝をしないと
いけないと改めて思いました。
聞いたりしました。
私もそう思うのですが、今って、
平和ボケといいますか、平和であることを、
ちゃんと考えてない感じがして…。
なくしてからじゃ、遅いですからねぇ。
誰の責任とか、認めたとか認めないとか…。
まだ生存しておられる当事者にしてみれば、
それもちゃんとしてほしいところだとは思いますが、
なんか視点がズレてることも多く、
ほんとにしなきゃならないこととか、
考えなきゃならないことが不鮮明ですね。
義父は3度も召集されて、シベリア抑留されましたが、
一言も話さず、ただ戦友会にだけ行き、
慰霊祭に出ていました。
現実に前線にいた人たちは、
ペンや金槌やクワを持った手で、
人を殺したのでしょうから、
話したくはなかったと思います。
命を守るってなんなんだと、そんなことを思います。
伯父様のご遺骨は、まだ戻られていないのですね。
つらいことですね。
今こうしている間も、また異国で、
女学生大量誘拐なんてニュースが流れました。
人としての心って、何かに取りつかれると、
ほかが見えなくなるのですね。
ため息ばかりです。