ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

今年もまた…

2014-08-06 01:39:58 | つれづれ

 

先日、かの「エノラ・ゲイ」に搭乗していた最後の一人が亡くなりました。

広島に原爆投下した飛行機の搭乗員は、全部で12名ですが、

これで誰もいなくなったわけです。

彼は最後まで、原爆投下に関しては「誇りに思う」という立場を貫きました。

 

先夜、去年の再放送ですが、オリバー・ストーン監督が広島にきたときのドキュメンタリーが放映されたので、

それを見ました。 

監督は「オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史」というドキュメンタリー映画を作りました。

「原爆投下のまちがい」を検証する映画です。

アメリカの人は「原爆のおかげで戦争が終わった。大量殺りくが回避された。正しいことだった」と、

そういう考えが多いそうです。というより「そう教えられる」のだと。

そんな中でも原爆を投下したことに対する疑問を持ち、するべきではなかったという少数派も、

もちろんいるわけで、監督もそのひとりです。

 

彼は「文明というものは記憶によって伝えられていく。だから正しい記憶をつたえなければならない」

そういいます。だから「事実」を映画にしたわけです。

 

エノラ・ゲイ最後の一人となった人は、個人としては一瞬にして14万ともいえる人命を奪ったことについて、

「そうしなければならなかったことは残念に思っている」と言ったそうです。

彼のいう「そうしなければならなかった」というのは、アメリカが原爆を使用することになった、

という意味で、もう少し突っ込むと、そうさせたのは日本だ、ということです。

もし、やらなければ、いずれアメリカは本土に侵攻し、もっとたくさんの日本人も、

アメリカ人もなくなったであろうから、それを阻止したのだ…という論理。

だから「戦争を終わらせた原爆は間違っていない」なのですね。

これはそのまま、アメリカの「歴史認識」です。

実際には「戦争を操る本の一握りの人たちの都合と考え」によって、決行されたものである…

監督はそういうことを言ってるわけです。

 

原爆の使用については、「本当はソ連が侵攻して日本を落とそうとしていたから、

その前に降伏させたかったのだ」とか、「あの時の選択肢は原爆投下以外にもあった」という説もあります。

そしてドキュメンタリーの中で、長崎の被爆者が言いました。

「戦争をやめさせるのが目的なら、なぜ長崎はプルトニウム爆弾であったか」

広島に落とされたのは「ウラン爆弾」です。長崎に落とされたのは「プルトニウム爆弾」です。

ウランとプルトニウムの大きな違いは、ウランは「ウラン鉱」から取り出されるもの、

プルトニウムは、人工的に作られるもの、です。

つまり、長崎は「人工的に作り出した爆弾の威力を確認する実験台にされたのだ」というわけです。

 

番組では、アメリカや他国の大学生がたくさんきて、英語ぺらぺらの語り部の老婦人から、

「あの日」の話を聞き、涙していました。「知らなかった」という人が多いのです。

監督との対話会では、ある学生が「なぜアメリカでは、こういう本当のことをきちんと教えないのか。

大学に入ってから知るなんて時間の無駄だと思う」と言いました。 

 

日本は実は5月にはもう「降伏」を考えていた…とも言われています。

残念ながら、当時の日本は「大本営発表」という、いまどきのドッキリカメラよりひどい

大嘘っぱちの報道しかしませんでした。最後まで「勝つ」と信じていた人もいたわけですから。

だから今を生きる私たちは、ちゃんと考えていかなければならないわけです。 

監督の言う「正しい記憶を持たなければ、正しく文明は伝わっていかない」のです。

 

私たちの親、祖父母の時代は、実際に戦争を経験した年代です。

でも、私もですが、およそちゃんと戦争の話を聞いたことがありません。無理もないと思います。

目の前で家族が殺されたり、自分もまた人を殺した話など、したくはないでしょう。

でも、彼らが高齢者と言われる年代に入った時、ポツリポツリと話し始めました。

伝えていくことの大切さを感じたからです。

被爆者の子どもや孫は、話を聞いていない人が多く、今になって親は祖父母は、

そんな苦労をしたのかと改めて思うことが多いのだそうです。

 

そして、別番組では「遺品」を取り上げていました。

自分の家だったところで、発見した父親の遺骨をはこぶために使った「ヤカン」。

家族だんらんの火鉢に、いつもかかっていたものかもしれません。

姉が最後の時に着ていたお気に入りの絹のブラウス。

白だったのに、半分ピンクに染まっているのは「血」だそうです。

それを資料館に納めにきた婦人は、帰りかけて「最後にもう一度」と、かけよって、

ブラウスをいとおしそうに触りました。

その人にとって、それはまさしく「お姉さん」との、二度目の別れだったのでしょう。

 

私は高校の修学旅行で、長崎の原爆資料館に行っています。

はいはい資料館ね…と、めんどくさい気持ちで入ったけれど、ガーンと衝撃を受けました。

ひんまがったアルミの弁当箱の中には、真っ黒に炭化したご飯が残っていました。

食べるもののない時代です。おそらくは麦飯だったことでしょう。おかずもタクアンていどだったかもしれません。

でも、それを抱えて、もしかしたら軍需工場に、もしかしたら父親がいない家族を食べさせるための仕事に、

もしかしたら勉強なんかやらなくなっている学校にいくために…それを抱えて歩いていて被爆してしまった…。

必死で生きることを続けていたはずのひとが、確かにそこにいたのです。

すでに被爆者も残りはどんどん少なくなり、不謹慎ですが、あと20年たったら赤ちゃんだった被爆者も、

いなくなります。「人間はいなくなるけど、遺品はいつまでも残るから」と、預けた人が言いました。

「残されたものから何を学ぶか」「それをどう伝えるか」、託されているのは私たちです。

正しく認識し、正しく伝えねばなりません。

 

私自身は、戦後の生まれですが、戦争が終わった後に生まれた幸せを感じるからこそ、

次の世代にも、その次の世代にも、幸せを約束するために、

戦争も原爆も、あってはならないものなのだということを、伝えていくべきだと思っています。 


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5 コメント

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心が痛む… (fiona)
2014-08-06 08:31:01
今年も黙とうをささげました。

結局、戦争という人間が作り出した狂気の犠牲になるのは、弱い立場の何の悪もない人達。

今でも世界のどこかで人が人の命を奪うということが繰り返されている現実は本当に心が痛みます。

本当に、正しく伝えることが真の歴史を綴っていくのだと思います。

阿部総理が推進している政策は、時代を逆行しているとしか思えず、将来への不安が大きくなってきます。

友人で、自衛隊好きの家族がいるのですが、子供さんのピアノの発表会に全身迷彩柄の戦闘服を着て演奏資する光景をfacebookに投稿しているのを見て、物凄く違和感と不快感を覚えました。

人それぞれの考え方は様々です、でも、私はまっすぐ前を向いて平和を願いたいと思います。
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不穏な感じ (ジュンママ)
2014-08-06 17:54:54
パレスチナガザ地区、クロアチアなど、世界で戦争状態がなくなることはないようです。

集団的自衛権に危うさを感じてならないです。
日本はどこに向かっているのでしょうか。

戦争のない世界は理想なのでしょうか。
子や孫たちが武器を握ることは考えたくありません。
アメリカに押し付けられたという平和憲法を、唯一の原爆投下国として全世界に広めていくことはできないでしょうか。
返信する
訂正 (ジュンママ)
2014-08-06 18:11:20
原爆投下国ではなく、原爆投下された国です。
返信する
Unknown (とんぼ)
2014-08-07 02:12:45
fiona様

今年は雨の式典になりましたね。

戦争なんて、終わって検証すれば、
誰か一握りの人たちの、欲や見栄だったりします。
愚かしいことです。
おっしゃる通り、人の考えはそれぞれですが、
それをきちんと発言できないような、
そんな国であってはならないと思っています。
返信する
Unknown (とんぼ)
2014-08-07 02:18:24
ジュンママ様

ダブっていたので、ひとつ削除させていただきました。

連日報道される外国の爆撃や、病院に担ぎ込まれる
子どもたちの映像などを見ていると、
どうしてこういうことが平気でできるのだろうと、
腹立たしい思いです。
平和ボケと言われる日本、
時代を担う人たちに、何を遺せるのかと、
そんなことを思います。
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