写真は「言葉」にまつわる本、無理やり関連付けてますなー。
右は「歳時記・夏編」左は「衣のことば」
「衣のことば」は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」など、
服飾に関わる言葉とその意味を並べています。
「雪駄の土用干し」なんて言葉も載ってますが、
いまや「雪駄」も「土用干し」もわからない人が多いでしょうね。
ちなみに「雪駄の土用干し」とは「そっくり返って威張ってる人」のこと。
雪駄ってそれでなくとも履いてるうちにそりますからね。
裏返して日に当てたところは、ほんとそっくり返ってる…うまいこと言います。
昨日のCMのお話から、ちょっと「言葉」ということで思いつきました。
あの宮沢りえさんの「お茶」のCM、評判はおおむねいいようですが、
「京都弁がねぇ」という意見が多いのだそうです。
これはネットでもでているのですが、不自然だ…と。
実際、私が聞いても「ちょっとチガウんだよねぇ」と思います。
いいCMだけに惜しいのですが、言葉ばかりはねぇ。
私はチャッキンチャッキンのハマっ子ですが(こんな言い方ってあるのか…)
母が京都なので、かなり染まっております。
といいましても、その母も京都にいたのは結婚まで、ですから、
今はもうこちらで暮らした長さのほうが、4倍近いのですが、抜けませんねぇ。
というより、年をとればとるほど「関東言葉」のほうが抜けています。
母の話では…、こちらにきたばかりのころ、つまり戦後すぐのころですが、
買い物に行って何か買おうとしても、お店の人にケンカを売られているようで、
とても怖かったそうです。「刺身」がわからず「おつくり」といって
「んなもんねぇよ」と言われたり、かぼちゃを「おかぼ」と言って
「なーにきどってんのよー」と言われたり…。
その後、実父が亡くなり、今の父(今ジサマと呼んでる人)と
再婚するまで、必死で私を育ててくれたわけですが、
女は強ぉすなぁ、京都弁とハマ弁を使い分けてたくましく生きてきたわけで…。
よそさまのサイトでもちょっとお話ししたのですが、
母の話によれば、どうやら母は「実父」には「イメージ」にほれたらしい?!
戦後すぐ、実父は横浜で勤めていてその関係で、京都の母が勤めていた会社に、
エンジニアとして出向のような形で行ったらしいです。
当時は今のように情報もラジオくらいのもの、しかも母のいたのは
京都でも田舎のほうですから「標準語」に免疫がナイ…。
周りの男性がみんな「そやんけぇ」だの「あかんなー」だのと、
ほのぼのしてるところへ「君、これ頼む」とか「こうしてくれたまえ」とか
「よかったら、どこかお寺に案内してくれませんか」ってなことを言われて、
ぽょょ~んとなったみたいで…。「いっつも真っ白な手袋してはってなぁ」
(ばーちゃんそりゃ図面よごさないためだべ…)「カッコよかってーん」
(こりゃアカン)というわけで、手袋と「…たまえ」で、
横浜まで付いてきちまったというラブ・すとーりー。
焼け野原の横浜についたとき「なんでやねーん」と思ったそーな。おそいねんて。
まぁそんなわけで、母はそのあと横浜を離れることなく、
60年の歳月をすごしてきたわけですが、外では一生懸命「標準語」を使うも、
その反動は家の中で発散され、私はいつも「京都弁」で叱られておりました。
「なにしてんてねん、この子はもぅほんまにぃ!」と。
中学高校になりますと、逆に説教のときだけ「標準語」になる…。
「あんたねぇ、何考えてんのよ、毎日学校行ってて何勉強してんの!」
いや、毎日行きゃいいってもんでもないと思うんですけど…。
そんなこんなで、言葉はちゃんぽん、性格はどうみても「江戸っ子」、
みかけは「あいの子」といわれたほどのハーフ顔、という
わけわからんオバハンは、私が高校のとき今の父と再婚しました。
ジサマは生まれは東京、育ちは横浜、なのですが、
母は標準語と白い手袋に憧れた年からは、はるかに「スレ」ておりましたゆえ、
ジサマの標準語になじもうとすることもなく現在に至っております。
むしろ、ジサマのほうがときどき「ホンマホンマ」なんて染まってますねぇ。
最初に一回りも年上の人と結婚し、今度は一回りも年下の人と再婚し、
どっちにしても「言葉も性格も」維持し続けた母は、やっぱ偉大というべきか。
その偉大なバサマと、染まっちゃった?ジサマ、旅先のツーショットです。
バサマ、いばっとりまっしゃろ…?
前においてあるモコモコは、バサマお気に入りの「くりんくりん毛皮のリュック」
なんだかんだいっても仲いいです。
何の話をしたかったんか…あっ方言の話しです。
私はそんなわけで、京都に一度もくらしたことがありませんが、
70パーセントくらいは、正確な京都弁(ただし、長岡京地域限定)を
しゃべることができます。その私がきいても、こりゃちっと違うな、
というのが「ドラマやCM」の京都弁なわけです。
もちろん、ドラマなどでは、全く現地の言葉にしてしまったら、
通じなくなってしまう場合もありますから、そこそこ感じが出るあたり、で、
とめている場合もありますが、地方の方は「へただなぁ」と思いながら、
ドラマなどごらんになっている場合も、あるのでしょうね。
友人が、北国の親戚の揃った席で全く言葉がわからず、
何か言われてただ微笑んでいたら、なにやらみんなで大笑い。
後でご主人に聞いたら「おまえのことを座敷ブタと言ってたんだ」といわれて
あとから怒りまくった、という話しを聞きました。
わからないって不安ですよねぇ。
そうは言っても、方言はなくならないでいてほしいもののひとつです。
情報が過多になり、最近京都で、イントネーションはむこうであるものの、
語尾が「~どすか」ではなく「~ですか」になっているのを聞くと、
ちょっとさびしいです。もちろん、そういうかたも、家や仲間内では
バリバリの京都弁なのだとは思いますが…。
今はもう熱帯のような夏はダメでして、めったに夏の京都はいきませんが、
昔「五条坂」のせともの市(毎年8月のアタマだったと思います)に、
友人と二人で行ったことがあります。ものすごい暑さの中、
あるお店に入りましたら、きちんと木綿着物を着たおばさんに
「ようおこし、きょうはまた暑ぉすなぁ」と言われて、
なんかすーっと汗がひきました。言葉だけでも凉しおしたわ~。
横浜の言葉は、おしまいに「じゃん」がつく「じゃんじゃん言葉」と
言われておりますが、横浜でうまれそだった私にも、
特別よくつくようには思いません。
とりあえず、黒船がいらしたあのころは、
「横浜村」というひなびた漁村だったところです。
威勢のいいのがとりえかな?
私の住む町、もとは漁村から始まって、今はこんな山の近くまでヨコハマ市です。
大山のひだり、富士山ですよー。
んじゃ、今日はこれから天気悪くなるっつーし、
写真取りまくって仕事しなきゃなんないから、ここまでねー。
暑いじゃーん、きをつけなよー、水分とってさぁ熱中症にならないよーに。
気いつけてやぁ…(まざっとるがな)
右は「歳時記・夏編」左は「衣のことば」
「衣のことば」は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」など、
服飾に関わる言葉とその意味を並べています。
「雪駄の土用干し」なんて言葉も載ってますが、
いまや「雪駄」も「土用干し」もわからない人が多いでしょうね。
ちなみに「雪駄の土用干し」とは「そっくり返って威張ってる人」のこと。
雪駄ってそれでなくとも履いてるうちにそりますからね。
裏返して日に当てたところは、ほんとそっくり返ってる…うまいこと言います。
昨日のCMのお話から、ちょっと「言葉」ということで思いつきました。
あの宮沢りえさんの「お茶」のCM、評判はおおむねいいようですが、
「京都弁がねぇ」という意見が多いのだそうです。
これはネットでもでているのですが、不自然だ…と。
実際、私が聞いても「ちょっとチガウんだよねぇ」と思います。
いいCMだけに惜しいのですが、言葉ばかりはねぇ。
私はチャッキンチャッキンのハマっ子ですが(こんな言い方ってあるのか…)
母が京都なので、かなり染まっております。
といいましても、その母も京都にいたのは結婚まで、ですから、
今はもうこちらで暮らした長さのほうが、4倍近いのですが、抜けませんねぇ。
というより、年をとればとるほど「関東言葉」のほうが抜けています。
母の話では…、こちらにきたばかりのころ、つまり戦後すぐのころですが、
買い物に行って何か買おうとしても、お店の人にケンカを売られているようで、
とても怖かったそうです。「刺身」がわからず「おつくり」といって
「んなもんねぇよ」と言われたり、かぼちゃを「おかぼ」と言って
「なーにきどってんのよー」と言われたり…。
その後、実父が亡くなり、今の父(今ジサマと呼んでる人)と
再婚するまで、必死で私を育ててくれたわけですが、
女は強ぉすなぁ、京都弁とハマ弁を使い分けてたくましく生きてきたわけで…。
よそさまのサイトでもちょっとお話ししたのですが、
母の話によれば、どうやら母は「実父」には「イメージ」にほれたらしい?!
戦後すぐ、実父は横浜で勤めていてその関係で、京都の母が勤めていた会社に、
エンジニアとして出向のような形で行ったらしいです。
当時は今のように情報もラジオくらいのもの、しかも母のいたのは
京都でも田舎のほうですから「標準語」に免疫がナイ…。
周りの男性がみんな「そやんけぇ」だの「あかんなー」だのと、
ほのぼのしてるところへ「君、これ頼む」とか「こうしてくれたまえ」とか
「よかったら、どこかお寺に案内してくれませんか」ってなことを言われて、
ぽょょ~んとなったみたいで…。「いっつも真っ白な手袋してはってなぁ」
(ばーちゃんそりゃ図面よごさないためだべ…)「カッコよかってーん」
(こりゃアカン)というわけで、手袋と「…たまえ」で、
横浜まで付いてきちまったというラブ・すとーりー。
焼け野原の横浜についたとき「なんでやねーん」と思ったそーな。おそいねんて。
まぁそんなわけで、母はそのあと横浜を離れることなく、
60年の歳月をすごしてきたわけですが、外では一生懸命「標準語」を使うも、
その反動は家の中で発散され、私はいつも「京都弁」で叱られておりました。
「なにしてんてねん、この子はもぅほんまにぃ!」と。
中学高校になりますと、逆に説教のときだけ「標準語」になる…。
「あんたねぇ、何考えてんのよ、毎日学校行ってて何勉強してんの!」
いや、毎日行きゃいいってもんでもないと思うんですけど…。
そんなこんなで、言葉はちゃんぽん、性格はどうみても「江戸っ子」、
みかけは「あいの子」といわれたほどのハーフ顔、という
わけわからんオバハンは、私が高校のとき今の父と再婚しました。
ジサマは生まれは東京、育ちは横浜、なのですが、
母は標準語と白い手袋に憧れた年からは、はるかに「スレ」ておりましたゆえ、
ジサマの標準語になじもうとすることもなく現在に至っております。
むしろ、ジサマのほうがときどき「ホンマホンマ」なんて染まってますねぇ。
最初に一回りも年上の人と結婚し、今度は一回りも年下の人と再婚し、
どっちにしても「言葉も性格も」維持し続けた母は、やっぱ偉大というべきか。
その偉大なバサマと、染まっちゃった?ジサマ、旅先のツーショットです。
バサマ、いばっとりまっしゃろ…?
前においてあるモコモコは、バサマお気に入りの「くりんくりん毛皮のリュック」
なんだかんだいっても仲いいです。
何の話をしたかったんか…あっ方言の話しです。
私はそんなわけで、京都に一度もくらしたことがありませんが、
70パーセントくらいは、正確な京都弁(ただし、長岡京地域限定)を
しゃべることができます。その私がきいても、こりゃちっと違うな、
というのが「ドラマやCM」の京都弁なわけです。
もちろん、ドラマなどでは、全く現地の言葉にしてしまったら、
通じなくなってしまう場合もありますから、そこそこ感じが出るあたり、で、
とめている場合もありますが、地方の方は「へただなぁ」と思いながら、
ドラマなどごらんになっている場合も、あるのでしょうね。
友人が、北国の親戚の揃った席で全く言葉がわからず、
何か言われてただ微笑んでいたら、なにやらみんなで大笑い。
後でご主人に聞いたら「おまえのことを座敷ブタと言ってたんだ」といわれて
あとから怒りまくった、という話しを聞きました。
わからないって不安ですよねぇ。
そうは言っても、方言はなくならないでいてほしいもののひとつです。
情報が過多になり、最近京都で、イントネーションはむこうであるものの、
語尾が「~どすか」ではなく「~ですか」になっているのを聞くと、
ちょっとさびしいです。もちろん、そういうかたも、家や仲間内では
バリバリの京都弁なのだとは思いますが…。
今はもう熱帯のような夏はダメでして、めったに夏の京都はいきませんが、
昔「五条坂」のせともの市(毎年8月のアタマだったと思います)に、
友人と二人で行ったことがあります。ものすごい暑さの中、
あるお店に入りましたら、きちんと木綿着物を着たおばさんに
「ようおこし、きょうはまた暑ぉすなぁ」と言われて、
なんかすーっと汗がひきました。言葉だけでも凉しおしたわ~。
横浜の言葉は、おしまいに「じゃん」がつく「じゃんじゃん言葉」と
言われておりますが、横浜でうまれそだった私にも、
特別よくつくようには思いません。
とりあえず、黒船がいらしたあのころは、
「横浜村」というひなびた漁村だったところです。
威勢のいいのがとりえかな?
私の住む町、もとは漁村から始まって、今はこんな山の近くまでヨコハマ市です。
大山のひだり、富士山ですよー。
んじゃ、今日はこれから天気悪くなるっつーし、
写真取りまくって仕事しなきゃなんないから、ここまでねー。
暑いじゃーん、きをつけなよー、水分とってさぁ熱中症にならないよーに。
気いつけてやぁ…(まざっとるがな)
いますが、以前テレビで東北の方が
方言で話しておられるのを聞いていて
外国語を聞いているようでチンプンカンプン
でした。おかしなもので、気を張らずに
話している時は方言が出ていますから他府県の
方は分からないかもしれませんね。
今、方言ってどうなんでしょう?
関西の言葉はかなりしっかり残っていると思いますけど、東北なんかだと変わってきているんでは無いでしょうか?
それにしてもお母様、いつ拝見しても思うのですが、姿の美しい方ですねぇ。
この椅子のかけ方なんか女優さんみたいです。
お母様の人生も 物語そのものですね。
まだまだ 聞漏らしがありそうですね。
私も楽しみにしています。
すでに。
我が家の両親は東北で、父親はコテコテに東北弁を話します。
いまだに言語疎通ができていない夫婦と親子です(爆笑)
ですので
東北弁の出るドラマで不自然なイントネーションだと
違和感がすごくて^^ゞ見なくなった事もありますが
「おしん」の泉ピン子さんと小林綾子さんのは脚本の力もあるのか
違和感がなかったです。
まだ宮沢りえさんのCMは拝見していないのですが
あえてそうしていることで印象づけているんでは?などと
深読みしてます。
宮沢りえさんは達者すぎてリアル感がなくなっちゃうというか
周囲が力を入れすぎて伝わりにくくさせてしまうものが
あるみたいで^^ゞ
京都弁のイマイチさをしのばせたつもりで
悪めだち…の巻かなぁ、なんて
思っています。(監督が悪い!)
そして名古屋に○×年ぶりに行ってみて、今の名古屋弁ってこんなんだとびっくりしたり。その時代、その場所の言葉というものがあるのでしょうか。
それにしても御母様、美しく見える座り方をご存じです♪お靴までおされです。
芸妓、舞妓さんでも他府県生まれだと何か違和感があります。
しかし、同級正の中でも、良家の子女はわざと標準語を使っていました。
京都弁は女性のものですね。
男が京都弁らしいイントネーションで喋ると「おかま」になってしまいます。
単語としての京言葉は今でも使いますが、着物関係者、特に室町問屋に一番残っている様です。
その代わり、悪習慣、因習、差別も一番最後まで残っていた様です。
家内は鹿児島ですが、ご存知の様に薩摩弁は人造語。
他国に意味を悟られないために作られたとか。
事実先の大戦の時にも臨時の暗号として使われました。
その言葉の中には京都の宮中言葉が多く使われたと聞いています。
自然に変わって行く言葉もあれば、強制的に変えられる言葉もある不思議の世界です。
私も関西弁だとなんとかわかるのですが、
沖縄へ行ったときは「ゼッタイ外国語だ」と
思いましたよ。
同じ日本なのに、おもしろいものですね。
りら様
伊豆のお生まれですか。
何度も行きましたわ「河津七滝」「浄蓮の滝」
雲見に土肥に堂ヶ島、
伊豆っていいところですねぇ。
京都でも町と田舎で違いますし、
男女でちがったりします。
「そうでしょう」が、田舎のおばたちは
「そうやんかぁ」で、おじたちはなぜか
「しやんけぇ」…どこの言葉やねん。
テレビなどの影響で若い人なんて、
聞かないと出身地、わかりませんよね。
差がなくなってきているかもしれません。
母のこと、お褒めいただいて恐縮です。
母はほんっとーに「オシャレ好き」なんです。
写真はもう80近いので、相当ヨレてますが、
70すぎまでピンヒール履いてました。
穴熊の女房様
とくに母の年代は「戦争」というのが、
いろんな意味で激流を作ってますね。
まだまだエピソードはいろいろあるんですけど
笑い話ばっかしで…。
えみこ様
顔はねぇ…すでにしわの影に
眼があったりするんですー。
老いってわびしいですわ、
ドモ○ルンなんとやらも使ってませんしー!?
東北弁は、なんかあったかい気がします。
ぜんっぜんわかりませんけど。
やっぱり地の人が聞くと「へん」って
おもうことあるでしょうね。
りえさん、あのお茶に関して言えば、
作りすぎ?作られすぎ?
演技力はあるひとですからねぇ、
やっぱ監督か…。
zizi様
昔、それほど行き来のなかった時代は、
ほんとにもっと言葉も細かく
分かれていたのではないかと思います。
なんか山ひとつ越えたら違う、なんて
きいたことがあります。
ひろがってまざって、差がなくなって
いくのでしょうね。
母のこと、ありがとうございます。
靴は、いちいち服に合わせて買う人でしたから
これペタンコでほんとは気に入ってないはず。
ほんとにもらっても困る靴ばっかしなんです。
いっそ「サイズがちがえばいいのに」と…。
書いているうちにおこしになられたようで、
遅れてすみません。
言葉というものは、本当に不思議なものだと
思います。今日言葉はみやび、といいますが、
おじの言葉なんぞ聴いているとすごいですし。
薩摩弁はそういういきさつがあったのですね。
同じ言葉でも家族間とか仕事用語とか、
いろいろあるわけですから、
いつの間にかかわっていくものだったり
確実に残ったり…。
でも、今の若い人の言葉は…ねぇ。
コメントを投稿