ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

いよいよ春が・・

2006-03-25 23:22:11 | つれづれ

珍しくも花の写真です。今年の写真じゃなくてすみません。
これは息子の通っていた学校の中庭にある「桃」の木。
狭いところに数本あるのですが、奥まっている上に高い校舎の間に挟まれ
校門近くやグランドの「桜」ほどさわがれなくてかわいそうな状況でした。
毎年桜に先駆けて咲くので、今年ももうたっぷり咲いていることでしょう。
こちらは今日の午後に写した二軒先のお宅にある「辛夷」、
てっぺんから咲き始めました。二階よりまだ上、せいたかのっぽですが、
電線のために妙な形に切られてしまっています。写ってますねぇ、無粋な電線も。



こちらは、我が家の鉢植え。もう少し「赤紫」のヴィオラです。
どアップなので大きく見えますが、実は小さいです。




よく「桜はパッと咲いてパッと散る」、潔い花だ、という表現があります。
でも私は、花ってみんな「潔い」のではないかと思ってます。
人に作られる花、山野に自生する花、それぞれみんな与えられた条件の中で
その条件内での最大の努力をして生きています。
たとえば、温室で作られる花たちは、与えられた温度や肥料に合わせて、
真冬でもちゃんと花を咲かせます。また、切花用の花たちは、
どんなにきれいに咲いても、結実することはありません。
建物や部屋の中で、虫や鳥にも風にも助けてもらえず、受粉できなくても、
「だったらいーや」と花を咲かせないなんてことは、ありません。

三島地方は、有名な「電照菊」の産地です。
菊の花は、昼と夜の時間の長さを感知するセンサーを持っているそうで、
そろそろ昼間の時間が短くなってくると、つぼみをつけ花を開くのだそうですが、
電照菊は、その性質を利用して、日が落ちてもこうこうと明かりをつけ、
まだ昼のほうが長いぞ・・と思わせて花を開かせずにいるわけです。

アマゾンの奥地の非常に厳しい条件の水辺に生育するある花は、
花をとにかくたくさんつけて、虫の来るのを待って「受粉」しますが、
あまりに厳しい環境のため、年によっては虫が思うようにきてくれないことも
あるのだそうです。子孫を残すためには、どうしてもつけた花の
何パーセントかの確立で種子を残さねばなりません。
そこで、いよいよ花の季節も終わりに近づき、
もうこれ以上は「虫」に頼ることはできないとなると、
その花は、通常ならありえない、自分の中での受粉をするのだそうです。
つまり「近親相姦」というわけですが・・。これは「良質の種子」を
残す確立は低くなります。しかしそれでも「ないよりはいい」と
究極の選択をするわけです。

私たちは花について好みを言い、素朴な花が好きだ、いや豪華な蘭がいい、
ゆりは匂いがきつくていやだ、いやあの香りが絶品なのだ・・・と
好き勝手をいっていますね。タンポポだって、シチュエーションによって
「かわいい」といったり、逆に咲いていても見向きもしなかったり・・。
人間なんて、かってなものですが、実は花たちは野生だろうが栽培だろうが
そんなことにはまったく関係なく、この世に花として生まれたということで
その本能に従って生きています。雨が降らず水が枯れて、
それ以上育つことができなければ、そんな土地に根付いたのが身の不運。
それでも精一杯がんばって、与えられた環境の中で努力し続けるわけです。
それで不運にも枯れてしまったり、或いは子供の遊びに巻き込まれて
摘まれて捨てられたりしても、それで文句を言うことはありません。
結実できずに散ってしまったらまた土に還り、次の世代の栄養となります。

特別小難しくりくつをこねるつもりはないんですが、
毎年春が来て、桜前線に一喜一憂し、そうこうするうちに
ご近所であちこち花が咲き始める・・そういう時期になると、
ふと、怠惰で文句ばかり思い浮かぶ自分を、ちょっと恥ずかしく思うのです。
植物や、ほかの動物にはない「おおいなる知恵」というものを手に入れた人間は、
はたしてそれに見合った「自分たちのするべきこと」を
ちゃんとやっているのだろうか、本能だけで生きることをやめた代わりに、
手に入れたものを、本当に大切にしているのだろうか。
どこまで知恵がつこうとも、人は人でしかなく、自然の一部です。
地球という星の「人間」というピースにすぎません。

温室で花を育てる人も、電気を照らして菊を育てる人も、
自分を花の征服者だとは思っていないでしょう。
毎日花の育ちに心を砕き、丈夫に育てよ、きれいに咲けよ、
世に出たらたくさんの人のこころを和ませて、眼を楽しませて
かわいがってもらえよ・・と、そう思って育てているとしたら、
それは「おごり」ではないはずです。

相手が植物であれ、動物であれ、同種の人間であれ、
ともに生きていくのに必要なのは「おごり」ではなく感謝だと思います。
たくさんの人を一度にだましてお金儲けをする、
自分の欲望だけで、自分より弱いものを標的にして痛めつける、
自分は特別の人間だなどと思い上がって「勝ち組」だの「負け組」だのと
つけても意味のないランクをつける・・。
余計な欲も持たない代わりに、咲けるときがきたら必ず咲く、
一輪の花の潔さを、春先はちょっといつもより強く意識するとんぼです。









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5 コメント

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なんだか、身につまされます。 (ぶり)
2006-03-26 00:02:57
SF漫画で、こんなのありました。



ある日、神様が、地球上の皆に語りかけた。

「皆の望みをひとつだけ聴こう。○月○日○時に申せ。」

さて、それから、毎日、地球上のあちこちで、あーでもない、こーでもないの議論が、果てしなく続く。。。

で、その日その時が、やってきたら、地球上から、人間が、すべて姿を消した。

おちは、地球上の人間以外の生物の望みが、「人間よ、いなくなれ」だった。



返信する
ちと恐過ぎたかしらネ。。。 (ぶり)
2006-03-26 14:04:33
いろんなことに感謝しながら生きるって、大事かしら~と、最近、思ってまーす♪
返信する
Unknown (陽花)
2006-03-26 15:00:06
とんぼ様



私も花は大好きです。

狭い玄関先に植木鉢を置いていますが

宿根草が多いです。

冬の間何も無かったのに少し暖かく

なったとたんシランの芽が出てきました。

手入れもちゃんとしていないのに、こうして

芽を出してくれるといとおしく思います。
返信する
いやぁ・・身につまされますわ (とんぼ)
2006-03-26 15:13:56
ぶりねぇ様

怖いSFですが「そんな状態になったら、

ありえる・・」という気がします。

感謝っていうと、なんとなくシラケる感じが

するんですけれど、ありがたい、と思う気持ちって

いつもなんかしらあると思うんですよ。

私は息子が赤ちゃんのころ、もんのすごい虚弱で、

2歳くらいまでは、毎朝となりに寝ている息子が

息をしているかどうかを確かめるのが、

朝一番のシゴト・・という暮らしでしたから、

朝、機嫌よくおきてくれただけで「ありがたい」と

思うんです。今日もご飯がおいしい、ありがたい、

洗濯がたくさんできた、お天気ありがたい、

車ででかけた、何事もなかった、ありがたい・・

いちいち口に出して言うことはないけれど、

何事もないことが、実はありがたいことなのだ・・と

そんな風に思うのです。

返信する
花はいいですね (とんぼ)
2006-03-26 15:37:34
陽花様

宿根草は丈夫でいいですね。

シラン、私もほったらかしていたのに

今年も芽を出してくれてます。

なんかほんとに、いとおしいですよね。

昨日は、更にほったらかしてあきらめていた

「クリスマスローズ」がたった一輪

咲いてくれたんです。びっくりして思わず

「よくきたね」って、どっから来たの?・・・

花が終わったら、ちょっと手入れしてやろうと

思っています。
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