「ものの数え方」と言うのは、よく使う「枚」「個」「台」「束」などのほかに、
あまり使われない数え方があります。
最近は、普段の会話などだと、いちいち呼ばない数え方、例えば箪笥、
本来は「一棹」ですが、最近は台とか、私など「整理ダンス、もう一個ほしい」なんてめちゃくちゃです。
なぜ箪笥は「棹」と数えるか…
昔は運搬の方法も限られましたから、大きなものは人手も力もかかってたいへん。
大きな箪笥は上下二段に分かれていますが、昔の箪笥は横に金属を四角く曲げた金具がついてました。
普段は下に向けてありますが、運ぶときにはこの金具を起こして上に向けます。
金具は箪笥の上に出る大きさですから、この金具に「棹」をさしこんで前後を二人で担ぎました。
それで「棹」という数え方をするわけですね。
独特の数え方をするもの、例えばちょうちんや行灯、蝿帳、傘などは、何かを「張る」ので一張り…
ちなみにイカは一杯と数えますが、泳いでいれば一匹、売られるときは一杯、お刺身になると一皿で、スルメは一枚…。
こりゃ余分でした。
やっと「領」のことですが…なんでこんな数え方をするのでしょう。
独特の数え方ですね。領なんて数え方、したことがない…。
今の暮らしではそうですね。領は例えば「鎧」、「お坊さんの袈裟」「襖」…など。
襖は現在ではプロの方、つまり襖を作るかたは、「本」と数えるそうです。
では「領」のつく言葉を思い浮かべてください。
「領収書」「領地」「大統領」「領主」…なんとなく「大切」とか「エライ」とか、そういう感覚がしませんか?
「領」は実は「首」のことです。ひいては「襟」のことになりました。
平安時代の衣装、たとえば水干とか直垂とか狩衣とか…あれを見ると、着物の上に着る上着の襟は、
丸く首の周りを囲っています。
これを「盤領(あげくび)」といい、後年狩衣の襟を中に入れて、着物と同じようにVになるようにしたものを
「垂領(たりくび)」といいます。
こちらのページ、ずっと下がっていくと図や写真があります。
領は検索すると「うなじ」とも出ています。かつて「首」は、戦においては最大の戦利品、でした。
身分高きものにとって「首」をとられることは、最大の恥辱。
だから「もはやこれまで」となると、火を掛けて自分の体ごと燃やしてしまうか、
その火事にまぎれて、家臣が自刃した主君の首を持ちさり、誰にも知られぬよう埋めたわけです。
ちなみに「兜」の方は一般的には「一頭(とう)」と数えますが、「刎(はね)」とも数えます。
「ひと刎ね」…って縁起でもない…首を刎ねられるのは恥辱…なのでこれは元々は敵方の兜を数えるため。
味方の場合は「一頭」と言った…そうです。
話を戻します。
「領」というのは大切なもの、部分、主となるもの、統べるもの…という意味合いがあるわけです。
役職に「頭領」と言うものもありますし、領主や大統領というのも「てっぺん」という意味ですね。
そんなわけで、領と数えるものは「襟」、「頭や首」に関わるもの、更には身分の高い人や高貴な人の使うもの、
それに使われたわけです。
着物も平安貴族の衣装などは「一そろい」を「領」と数えます。「襟首何個分の衣装か…」ですね。
では「襖」はなぜ…。これは寝具の歴史になります。
今のように、寝るのに布団を使うようになったのは、ずいぶん近代に近くなってからです。
昔は「着ているものを掛ける」…のが普通でしたし、身分の高い人は「寝るときに着せ掛ける衣装」として
「衾(ふすま)」というものを使いました。「同衾」の「きん」ですね。つまり「襟」がある…。
この「衾」が、後年部屋のしきりに使われるようになった「襖」と、読み方が同じだったから…という説があります。
布団つながりでわき道へ…母は布団の上下一組を「一流れ」と言っていました。
これはどうも関西特有の呼び方のようです。今まで「一流れ」と言って通じたことがありません。
着物に関する「疋」、は元々お金の数え方、「匹」は元々「一対」。
着物で長着と羽織分あるものを「一疋もの」といいますが、本当は「匹」の方が、意味的には正しいんじゃないかと、
ひそかに思っている私です。今はどちらも使われています。
日本語ほど「数え方」がある言葉は、世界的にもないのではないかと思います。
扇子はとじて1本、もしくは「柄、握」、開くと「一面」、うちわは「一柄」もしくは「一枚」…
いやぁ日本語って…すごいですねぇ…としかいいようがありません。
いちいち全部、正しい数え方なんて今はできませんが、イカや豆腐くらいはちゃんと数えたいですね。
昔は買い物についていくと、母が「このタラコ一腹」とか「イカ一杯」とか…そんな会話もあって、
何をどう数えるか…自然と覚えたように思います。
いまや何でもパック…なんでも「一個」…玄関前を行く女子中学生が
「アタシさ、カッケェTシャツ、いっこあるんだ!」…世も末じゃ…あっヒトのことは言えんわ…。
関西の方だけですか。
胴裏なんかは今でも一疋で買う事が多いです。
領という数え方があるのを初めて知りました。
単位名がこれほどあるのは確かに日本だけ。
普通の人でも使い分けが出来そうにありません。
漢字の意味と感覚が同一にならないと使いこなすのは無理ですね。
領なんて全く知りませんでした。
着物の疋でも時代に寄って長くなっています。
体格に合わせたのでしょうが、こういった単位を明確に教えられた事が無いのが問題だと思います。
深い意味も解れば使い勝手もある筈。
勉強になりました。
烏賊の数え方が思い出せずに困りました。
結局「匹」で打ったものの 送信した途端に思い出して
「杯」の間違いでしたと再送信
「領」全くもって知りませんでした。
領地を 1領とは数えないだろうなぁ・・・
なんてアホな脳みそだと自分に突っ込みを入れました
この頃、年齢を「何個上?」とか「箸、一本」とか言う人、一杯いますよね。
かーなりのご年配さんでもです。
ごく最近ですけど、蝶は一頭二頭って数えると知って私アゲハはびっくりしたんでございます。
こうしてパソコンを使って
文章を書いているときも、
そんな場面になると、
ちょっと立ち止まって
考えてみますね。
日本の言葉は、漢字は、使い方が、
と、よく言われますが、
数えかたひとつとっても
使い分ける文化がとても好きです。
でも<領>は知りませんでした。
昔は父母に厳しく言われましたが、
今は???になりつつも、
できるだけ使い分けをして
漢字からくるイメージを
膨らませながら過ごしたいです。
言葉遊びとは違った、
日本らしい繊細な使い分け、
大切にし心豊かに暮らしたいですね。
よかった、一流れって言いますよね。
こちらでは、私より年上の人でも
「そんな言い方しない」って言うので…。
やっぱり関西の言い方なんですね、きっと。
数え方は知ると面白いですが、
ちゃんと使うのはたいへんですねぇ。
まさしく「漢字」という文化があればこそですね。
それも日本に入ってから更に変化してきた
日本字の文化だと思います。
中国に旅行すると「漢字」でなんとか会話ができる、といいます。
字の形が意味を持つ、おもしろいと思います。
魚関係は、呼び方が多いですよね。
ウニは「壷」と数えるといったら、
若い人が「ドツボ」だぁと大笑いしてました。
だってそーなんだもん…です。
そういえばウニもいまや一個二個ですもんね。
最近は、私もなんでも「一個」が多くなってきますが、
ちゃんといえる、知っているということは、
大切だと思うんですよね。
ハナシが通じなくなる…のが怖いですわ。
蝶々が「頭」というのは、
確か生物先生に教えてもらった記憶が…。
英語では、鳥だったか以外は、みんな同じなのだとか。
ウサギの「一羽」は、いまだに確たることはわからないそうですけれど、
そんなことも含めて、日本語の豊かさ面白さは、
伝わってほしいものだと思っています。
ちなみに羊羹も「一棹」、ご存知でした?
漢字の文化はすごいと思います。
字を見てイメージがわく…というのは、
なかなかない文化ではないかと。
学校では習ったはずなのに、今の人は「書く」「読む」ということが
減っているのでしょうか。
やたら略した言い方とか、ボキャ貧といわれるような会話とか、
もったいないなぁと思います。
「豊か」という意味が、かわってきてしまっているようで…。