昨年の今日は、リオ五輪の閉会式でした。
今年は今、ロンドンで世界陸上が行われています。
平和のありがたさを思います。
私は戦後の生まれですから、リアルに戦争体験はありませんが、両親から少しだけでも、
「たいへんさ」を耳にしています。もっと聞いておけばよかった…と、最近は特に思います。
平成生まれでさえもうすぐ三十路という今の時代、昭和は遠く…というよりはるか彼方の気がしますね。
でも、どんなに遠くても昔でも、戦争は実際にあり、原爆は実際に落ちたのです。
経験していないものにとっては、想像するよりないことですが、幸いにも話す人がまだ残り、
さまざまな情報があり、それを見聞きすることはできます。
親の代のように、実際の経験を話して聞かせることはできない分、
私たちの代は、見聞きしたことを、ちゃんと伝えることが義務だと思っています。
二度と起こらないように、二度と起こしてしまわないように。
今年は人には避けようのない大雨や台風で、またたくさんの被害が出ています。
天災だろうと戦争だろうと、家族を亡くし、家土地がなくなることの悲しみやつらさに違いはないと思います。
が、天災は避けられなくても、戦争は避ける努力をする余地があります。してはらないことなのです。
8月はいつも「鎮魂の月」であり、普段は忘れている大事なことを思い出す月だと、
そう思って暮らしたいと思います。
今年も、原爆の犠牲者の皆様に哀悼の意をこめて、時間に合わせて香りのいいお香を焚くことにします。
人類の英知?をもってしても避けられない天災と違い戦争は。。
でも、今年から、広島市教育委員会のお偉い人たち?は8月6日を教職員の休日にしたとかで、
それに伴って広島市内の小中学校も8月6日が登校日でなくなるとか。。( ゚Д゚)
私は、8月6日8時15分に全校揃って祈りをささげるという行動に普通の平和教育とは違って、大きな意味があると思うのですけれどね。。
争いが好きなのが人間…それもムダとも思えるような。
登校日でなくなるというのは、なにかしら「今様」を感じます。
息子の学校でも、子供たちのためにとたった1日、
夏休みにイベントを企画をする慣例でしたが、
なかなか教師の協力が得られない…。
しまいには、休みの教師まで動員しなければならない企画はおかしい…
なんてことも言われたりして…。
誰かのために、何かのために、は、結局自分のためにでもある
そんなことが、どんどん薄れていくのですねぇ。
私もですが、身内にも被爆者はいませんので、実際式典に集ったことはありませんが、放送を見る事と投下時間の黙祷はしていました。
以前はその時間、社寺の鐘とか、地域によってはサイレンが鳴らされていましたが、いつのまにか、それもなくなっています。
天災は人為の埒外、どうにもならない事ですが、戦だけは本当に避けてもらいたいものです。
後30年すれば一世紀前に........という昔話になってしまいます。
これは絶対に風化させてはならない負の記憶なんですね。
だれしも嫌な記憶は忘れたいし、話したくないもの…
それが高齢になって初めて、語っておこう、と
お話する方が毎年テレビで見られます。
聞いておくべき、残しておくべき、と思います。
親から聞ける年代も私くらいまでです。
伝えていかねばと思いますね。