台風の置き土産で、まぁなんともんわり暑いこと。
お天気は久しぶりに青空見えてスッキリ。
原爆投下のこと、よく「あの日も天気がよくて…」とヒロシマもナガサキも言われます。
元々周到な計画でしたから、もし天候が悪ければ…という予定も立っていたわけです。
さまざまなことが言われています。天気が悪けりゃ引き返してやり直すだけ…という話もあれば、
最初からいくつかの都市、広島、長崎・小倉・新潟…甲府という説もあります。それを狙っていたとか。
いずれにしても、条件は「目視で照準を定めることができること」でした。
今の時代はその地域が雲の下だろうが、夜中だろうが、精密なレーダーやコンピュータの発達で、
見えなくても確実に「そこに落とす」ことができます。が、当時はまだそこまでの正確さはなかったわけで。
だから天気が良くて、雲がないか少なければ、目視で照準を合わせられる、それで天気が重視されました。
広島も長崎も当日快晴であったことは、最大の不運であったということになります。
かわりにほかが狙われたのか、日をずらしてやっぱり広島長崎だったのかは、私にはわかりませんが、
人類史上最大最悪の「悪魔の仕業」が実行されたことに変わりはないでしょう。
昨日は今でいう「風評被害」がたくさんあったことのリポートがありました。
お国のためにと軍に志願したり、召集されたりして広島長崎にいた人、爆撃後の始末に行かされた人、
そういう人も被ばくしたわけですね。彼らが遠い故郷に帰った時、ピカドンの病気はうつる…といわれ、
集まりに出るなと言われたり、村の中の葬儀に親が行くと「アンタの息子は原爆病だから」と、
ひとりだけ別の部屋で食事をとらされたり、縁談も持ち込まれなくなったり、仕事も断られたり…。
情報がいまよりずっと少ないうえ、さらに国が正しい情報を流しませんでしたから、
彼らの中には故郷を捨てざるを得なかった人もいたそうです。
時を経て福島の風評被害…いくら土はきれいになっている、残留放射能も基準値以下、と言われても、
そこで採れたお米や作物が売れない、海産物が売れない…おかしいですよね。
それでもまぁ、気になると言われれば「万が一を考えて」かな、とも思えますが、
「いじめ」は許せません。親がきちんと教えないから、そんなことが起きるのです。
70年以上前の、まだ何もわからない時代なら、あのご時世の情報なら、
無知であることの罪も、ある種悲しい出来事として理解できないこともありません。
しかし、今の時代です。子供だって正確な知識を持つことができます。
何の罪もないのに、ある日突然「ここは危険だから、住んではいけない」と追い立てられ、
いつ帰れるのか、本当に帰る日が来るのかさえも分からない。
大人でもつらい現実に、まだ小学生中学生の年齢で、親についていくしかない状況。
それを「放射能」といじめるなんて。はい、いつもいいます「親の顔が見たい」。
地震や原発事故は、大人ならだれでも気にするニュースです。
きちんと把握して、子供に話して聞かせる、それは自分の住む地域でなくとも大切なことです。
そしてなにより、広島長崎と、元をただせば同じ放射能というものの恐ろしさを教えるべきです。
戦後すぐの風評被害で故郷を捨てなければならなかった人、住むためにはひたすら隠し通さねばならなかった人、
その人たちと同じことを思わせるような「今のいじめ」は、かつての「情報がなかった時代の恐怖からくる噂」などより
よっぽどタチが悪く、罪深いと思います。
いつの世も、一番怖いのは「人の心」です。戦争を始めたのも人、原爆を落としたのも人、戦争を終わらせたのも人、
傷つけたのも人、傷つけられたのも人、ならば「戦争を永久にしないのも人」なのだということを、
子供たちに、次世代に、伝え、つなげていかなければならないのだと思います。
日記アップが遅くなりましたが、今日もまた鎮魂の日であることにはかわりありません。
福島の時も直ちに健康被害はないという言葉に終始しする始末。そして、
アメリカの核の傘の下にあるため、
本来なら、率先して核兵器禁止条約に批准するべきところを。。。
いじめ問題耳にした時、
私も親の顔を見たい‼
と思いましたよ。
でも、
風評被害と言い、子供のこの心無い言葉と言い。。
もっとキチンと放射線の影響について学ぶべきなんだと思うんですよ。
あの原爆投下や福島の原発事故からせめても学ぶことをきちんと学ばないと。。
まだまだ、原発稼働させようとするのなら。。。
でもまずは、国民が政府を信じれるようになるところから。。ですかね( ゚Д゚)
薄れてきているのでしょうか。
自分が相手の立場だったらと相手を思いやる気持ち
が減ってさらに追い詰める事が何かにつけ多くなって
きていますね。
何も出来なかったらせめて暖かく見守るだけでも・・・
と思います。
震災の後、福島ナンバーの車は他県のコンビニ止めているだけで、いろいろと心ないことを言われたそうです。
明日は我が身だと思うのですが。。。
そうした状況があったということを忘れてはいけないと思います。
これだけの人の命が失われても戦争がなくならないのはどうしてなのといつも考えてしまいます~
敗戦国の悲哀で、批准することができないジレンマ。
だからと言って解決方法など、私などには思いもつきません。
それでも「事実」として被爆国であることの証しを
消さないように、忘れないように…せめてそれだけは、です。
子供のころからやらなきゃだめです。
スポンジのようにいろんなことを吸収していく時期に、
正しい知識を伝えないと…。
もう「話したくない」なんて言ってはいられません。
世知辛い世の中になって、お隣さんとも薄いおつきあいで、
ほんとに義理人情なんて、死語になりそうですね。
かつてケータイやスマホで地図がわかるから迷わない、
というのを見たとき「あぁ人に道を尋ねることもなくなるのだ」と思いました。
知らない人に「ちょっとすみません…なんてこともいわなくなる。
コミュニケーションの大事な「直で」という場面が、
どんどん減っていきます。
一人でいることは気楽だけど、さみしいことなのにねぇ。
それでなくとも人間は「のど元過ぎれば…」なのに、
人との関わりが薄れれば、よけいに忘れていく、考えない思わない…
ということになってしまうのではないかと、気になります。
戦争って、いろんな大義名分も理由もあるけれど、
どちらかが武器を持つから始まるのですよね。
最後まで「言葉」で戦うべきと思います。
ほんとになんで人はいつまでも同じことをするのでしょうね。