皆様 あけまして おめでとうございます。
今年も よろしくお願い致します。
皆様、お正月をいかがおすごしでしょうか。
皆様にはタイトルどおり「春風」を献上するキモチで、元日を迎えましたが、
私自身は「カゼとともに年越し」を致しまして、ティッシュの箱と並んで
「ニューイヤー駅伝」など見ておりました。
それにしてもテレビもつまらなくなりました。
しかしいろいろな番組で使われているお正月の曲、これはちっともかわりません。
「一月一日」・・・「♪としの始めの ためしとて・・」です。
この曲は「いちがついちじつ」と読むのが正しいんだそうです。
二番をご存知でしょうか。私は「ある」というのはなんとなく知っていたのですが
歌詞は知りませんでしたので調べましたところ、二番は「天皇賛歌」なのですね。
初日の光 さし出でて 四方に輝く今朝の空
君が御影に比へつつ 仰ぎ見るこそ 尊けれ
この歌曲ができたのが明治26年、当時の文部省が発行した
「小学校祝日大祭歌詞並楽譜」の中で発表されたものです。
今年83になる母が、ときどきくちずさむ曲の中にも「♪紀元は2600年~」
などという、唱歌としては古めかしく、なにやら「お国賛歌」のような歌詞が
ときどき聞かれますが、当時文部省がこういった「祝日の歌」「天皇賛歌」を
推奨していたのですね。
作詞したのは「千家尊福(せんげたかとみ)」、なんと出雲大社の宮司にして
政治家、まぁ時代が時代ですから、政治家も元の身分が問われるわけで。
このおかたは男爵様、貴族院議員から、東京都知事・・じゃなくて、
当時は「府知事」、そう「東京府」といっていたころのお話なんですね、
それも勤めておられる、まぁエリートですねぇ。
第一次西園寺内閣、といいますから、明治も終わりに近い頃・・のはず・・・、
なにしろ幕末・明治の歴史は一番の苦手でして・・、そのときの司法大臣。
まぁ正月からムズかしいのはやめましょう(と、ニゲル!)。
とにかく、そんな時代にこの尊福さんが作詞なさり「上 真行」さんというかたが
作曲なさっておられます。このかた、あの「鉄道唱歌」の作曲もなさってます。
学校で習ったかなーと、記憶は薄いのですが、
オトナになってテレビで正月番組というとコレ・・で、
当たり前のように歌ってました。そうそう某局「か○し芸大会」の最後は
いつもこれでシメですし・・ただし、毎回一番だけの繰り返し。
いつも「なんでだろ、やっぱり2番はない曲なのかな」と思っていましたが
内容・・だったんですね。
お正月から論争する気なんてありませんので・・。
ただ単純に「これ聴くと、あっやっぱおしょーがつだなー」と感じる、
それだけなんですが、このごろは門松も飾らないお宅が増えました。
まつたけ立てて門ごとに・・ではなくなっていますし、
日本の風物が少しずつなくなっていくのは寂しいですけれど、
中に住まう人々の「新年を祝うキモチ」「家族の幸せ・世の中の平和」を
願うキモチは、いつの世もかわらないことであろうと思います。
今年は少しでも穏やかな年でありますように、心が凍りつくような
事件がおきませんように、戦争がなくなりますように・・。
皆様にとって、平穏で幸せな年でありますように・・(自分トコもっ!)
そんな思いで、初日のブログ、おひらきとさせていただきます。
私の方こそ、知らない世界を教えていただき、新しい楽しみをみつけております。(ハマりすぎないよう!)ありがとうございます。
人はなぜ信仰を持つのか、という質問に「人間は先がわからないから」という答えをみたことがあります。
そして「わからないから生きていられるのだ」とも。
シンプルですが、そうなのだと思います。形ばかりでもよろしいじゃありませんか、手を合わせたとき、たぶん、誰にお願いするつもりがなくても「無事」や「健康」を心に思い浮かべていると思いますもの。守るべきものがあれば、自然とそういう気持ちになる・・それでいいのだと思います。
今年もあれこれ、好き勝手に書きますので、どうぞお越し下さい。よろしくお願い致します。
昼間、散歩を兼ねて女房と二人で初詣というやつに行ってまいりました。私の両親はクリスチャンで、子供の頃は神社だのお寺にはとんと縁が無かったのですが、結婚するなり正月に近くの神社に詣でることになりとまどってしまいました。私は拝み方の一つも教わったことがないので、しきたりもクソもまるでトンチンカンで、行ってもとても居心地の悪い思いを毎年しています。かといって私自身はクリスチャンを継いでいるわけでもなく、信仰というものとはとても距離のあるところに居ることがなんとも不安定な思いをすることがしばしばです。普通の日本人は、特に信心深いわけではなくとも、四季折々の祭事等を通じて、それとはなく神様や仏様(大抵は一緒くたのようですが)とどこかで接点を持ちながら成長するのだと思うのですが、うちの場合は両親が自分達の信仰を、一応は子供達に体験させはしたものの、ある時期になると「後は自分の判断で好きにしなさい・・・」と突き放してくれたおかげで、自分自身は信仰にとらわれることの無い自由人・・・と思いながら、その実ある意味では精神的バックボーンを全く持たない《日本人としても非常に極端な無信心者》という特異な存在となってしまったようです。
ともあれ、そんな私でもとりあえずは正月を愛で、初詣に出かけて形ばかりでも神社に詣でることに慣れてはこれたのも女房のおかげかと思っております。
こちらを訪問すると、いろいろ季節の行事等のいわれなど、知識を仕入れることができるので楽しみでもあり、役立たせていただいております。重ねましてこれからもよろしくお願いします。
今年は着物の着方とか、しきたりとか、
そんなことも書いてみようかと思っております。
今年もよろしくお願い致します。
毎回の楽しい記事、とっても楽しみです♪
今年もよろしくお願いします。
前コメントのタイトル「喪中とのことですが」
としたつもりが、なぜかへんに消してしまったらしく
すみません!
私も、おめでとうございます。
よろしくお願い致します。
千家氏という方は、本当にいろいろ業績のあるかたですね。もちろん、当時は「出自」が重要視されましたが、それでもそれをやりこなしていかれたということは、実際、知性も教養も人望おありになる、名を負うにふさわしい方だったのでしょう。
出雲大社は明治の時代に神社祭式の法律が定められても、自社の参拝法をかえませんでしたので、一拝、祈念、二拝、4拍手、一拝・・だったと思います。4拍手というのもいわば「普段用」で、正式な行事のときは8拍手ではなかったでしょうか。確か「倍なんだ・・」と思った記憶があります。一礼といわず一拝というのも特殊でしょうか。どこの神社でも「礼」と申しますので・・。お辞儀をすることにはかわりませんけれど「拝」の方が手もあわせて・・ということかもしれません。礼法にはとんとうとい私です。
喪中の参詣ですが、神社の場合は「葬」を穢れとしますので、喪中の参拝を控えますが、お寺ならば故人へのご挨拶・・・もあわせて、よろしいのではないかと・・私は思うのですが、実際には「初詣」そのものを控える・・というのが一般的なようです。但し、墓参はむしろするべきである、ということで、私の両親は毎年元日に墓参を致しておりました。「おりました」になってしまったのは、近年、母の足腰が弱り、くわえて墓所がなんとも坂道曲道の多い場所で、ムリになってきたからです。かわりに私がいければいいのでしょうが、これまたムリがあり、親不孝先祖不幸をしております。
このようなところでいかがでしょうか。
めでたさも中ぐらいなり おらが春、
だんだん実感します。中ぐらいってところが。
千家尊福、このかただったんですね。
この名前、明治村でみました。たしか学習院初代の校長もつとめられていたとか、
お茶の先生の家に、このかたの歌掛けがありましてちと思い出せませんが、正月掛け、
玉箒・・・からはじまっていました。
今度たしかめてきます。
出雲大社の宮司さんだったのは知ってました。
出雲大社って、二礼二拍手一礼ではないんですよね。
それから、わがや舅が昨年なくなって喪中、よかろうと真言宗の観音霊場の寺の初詣にいってきたのですが、喪中の場合は・・・というのは決まりごとがあるのでしょうか?