ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

新幹線なら2時間とちょっと・・・。

2006-03-28 20:46:22 | 着物・古布

なかなかいい絵です。東海道の松並木、茶店が一軒、立てかけられた看板には
「名物とろろ」とあります。鞠子の宿の名物ですね。
これは男物の襦袢、背中の柄部分です。背中いっぱいに、松並木と街道の図柄、
それから腰の下辺りには「宿場」の名前があります。
下の写真がそれです。




あれ?「三島がふたつもある」そうなんです。実はこれ、傷みがひどい・・・。
三島の片方は、裏から「継ぎ当て」されたものです。
裏から見るとこんなふう。



この襦袢には、こういうツギアテが何箇所もあります。また、傷みが激しくて
たて糸だけ残ってすだれみたいになってしまっているところがあったり、
ツギの上から更にツギがあたっていたり・・。
本当に大事に大事に着ていたのだなぁと思います。

さて「五十三ツギ」、あっ違った「五十三次」、今ならタイトルどおり
2時間ちょっとでついてしまいますが、歩いていくと??
約2週間、といわれています。500キロですから、普通の旅でも、
一日35キロくらい歩いたわけです。平均的に時速4キロくらいとして
9時間くらい歩いたわけですが、平らな道ばかりではないし、
天気も毎日晴れて「旅日和」の日ばかりではありません。
毎日お日様と一緒に起き出して出発し、行ける日はいけるところまでいく・・
だったのでしょうね。
ところで、この2週間の道のりを、飛脚は3~4日で行ったといいます。
ただし一人ではなく、定められた場所まで走って次につなげる、
つまり「駅伝」ですが、それにしても500キロを4日というと、
一日100キロ以上走ったわけで、たとえ一人ずつでなかったとしても
やっぱりすごかったんですね。

もともと「手紙」を運ぶというのは、律令時代から制度的にはありました。
やり方としては基本的にあまり変化はなく、要するに「駅・宿」を
決めておいて、乗り継いでゆく方式です。その頃は「馬で行く」方法。
だから「駅」という字は「馬に尺」なのですね。
簡単に言うと、京都が中心だったころは「都」を中心に周囲の街道に駅をおき、
やがて、鎌倉に幕府が置かれると「京ー鎌倉」間に駅・宿が設けられました。
しかし戦国の頃になると、一時期ばらばらになり、
最終的に江戸時代に入って世情が安定し、五街道や関所が整備されると、
さまざまな「飛脚」が始まったわけです。

農業国日本では、古い時代から「年貢」という形で「税」を納めていました。
さまざまな「お定め」だの「おふれ」だのがお上から知らされましたし、
また土地の広さだの、取れる石高だの、税の比率だのと計算もあり、
農民といえども、ある程度「村の統制」にかかわるような立場の人間は、
読み書きそろばんは、必要だったわけです。
更に江戸に入って寺子屋(江戸では「手習所」)がどんどん普及し、
識字率が高くなりました。また字のかけないものにとっては、
「代書屋」という職業もありましたから、それまで公用とか商いのためが
ほとんどであった飛脚が、民間でも必要になってきたわけです。
それでさまざまな「飛脚」が生まれました。
江戸の飛脚は馬を使わず、人が走りました。

継飛脚(つぎびきゃく)というのは公儀の飛脚。定められた箱に書状などを入れ、
二人一組で宿ごとに「駅伝」で引き継ぎながら行きました。
大名飛脚は、各藩ごとに、自前で国許と江戸藩邸を結んで走らせた飛脚。
上に書いた飛脚は、あくまで公用でしたから、一般庶民や身分の低い武士は
利用できませんでした。そこで生まれたのが町飛脚。
この「町飛脚」の中にもいろいろあって、やはり「料金」でさまざま・・。
いわゆる「普通便」は、一番安い代わりに、いつ着くかわからない?!。
昼間しか走らないし、駅での「継ぎ」も、早い飛脚優先、
つまり、各駅停車がどこかの駅で「特急電車通過マチ」をするようなもので
あいてるときに宿に入り・・みたいなことですね。まぁ優に一ヶ月は
かかったようです。自分でいった方が早い・・・?!
それでは困る、ある程度きちんと限ってくれ・・というのでできたのが
「定(じょう)飛脚」、これは必ず6日で行くことから「定六(じょうろく)」と
呼ばれました。月に三度でることから「三度飛脚」とも呼ばれました。
実は、この「三度飛脚」がかぶっていた笠を「三度笠」というのだそうです。

さてさて、明治に入り郵便制度が確立されて「飛脚屋」は失業しました。
そこで飛脚屋たちは、今度は「運送業」に変わっていったのです。
飛脚として走っていた人たちは、足を生かして「人力車」の車夫などに
商売がえをしたそうで・・・。いやたくましいものですね。

いまや「江戸」と「都」も新幹線であっという間、
宅配便は、一日で届き、手紙にいたってはメールなら瞬時・・・。
平安の世にメールがあったなら、文(ふみ)もチャチャチャと送り放題。
「でもさぁ、○○の君ってば、やたら絵文字使うのよねぇ、
あれってちょっとムカつくー」・・・あ~~、じょーちょないわ・・・。



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4 コメント

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どちらかというと・・ (とんぼ)
2006-03-29 23:04:12
桃尻というよりは「どてかぼちゃ尻」ですが・・。

おもたいっす・・。
返信する
最後の2行、 (ぶり)
2006-03-29 22:57:37
橋本治の桃尻っぽい、、、 うふふ
返信する
私も手紙好き (とんぼ)
2006-03-29 22:40:03
蜆子様

ワードやメールをやっていると「字」を忘れるのと、

下手な字がよけいに下手になる・・と気づき、

今でも手紙は書くようにしています。

幸い?PCもケータイメールもだめ・・という

友人が何人かいますので、ときどきハガキ書いては

ポストにポン・・。

一人は必ず返事をくれます。うれしいものですよね。

返信する
待つ楽しみ (蜆子)
2006-03-29 22:19:40
手紙、高校生のときには手紙のやりとりが色んな交換手段、電話なんて滅多にかけるものではなかった

手紙を出して、返事がくるかこないかどきどきしながら待った日々、今にして思えば「町飛脚」の「普通便」てなもんかも

いつ来るか、さてもこないか、あのどきどき感と、手紙に載せる文章の工夫、それなりに楽しかった、便箋13枚も書いて、結局なにを書こうとしてたっけ?になったこともあり、

あの手紙で鍛えられたというか、今でも手紙は好き、

便箋や絵葉書を色々持ってつかいわけています。



のったりした手紙のやり取り、気持ちのたゆたい、情緒あったというべきかも。
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