火鉢の歴史は古く、あの枕草子にも「火など急ぎおこして 炭もて渡るも …」という文の中に、
「火桶」という表現で出てきます。火鉢ではなく火桶と呼ばれていたんですね。
これは桶という名の通り、外側は木製で、中に金属の器が入っているもの。
この部分を「落とし」といって、ここに灰を入れて使いました。
当時の形はシンプルなものであったと思います。
先日「クール・ジャパン」という番組で、外国人から見ると
「日本の家は総じて寒い。なぜ全体を暖めるというつくりが進んでいないのか」なんてことを言ってました。
あの「荒俣先生」が、ひとつには、押しなべて裕福ではなかったから、たくさん燃料を使うことが難しかったし、
国が狭いので材料となる木材も、大切にしなければならなかったし、夏の暑さの対策の方を優先したから…
と答えていらっしゃいました。
まぁ各家庭が暖炉みたいなもの作って、それで炭や薪をガンガン燃やしたら、そりゃ足りなくもなりますね。
元々日本は高温多湿の気候です。石造りの家にしたら、確かに中に入れば気温はさがるかもですが、
通風ということを考えれば、窓を大きくとれない石の家は日本には向いていません。
とにかく壁を少なくし、開け放って風通しを良くすることが一番大事だったわけです。
更には、寒さはボロでもなんでも着ることでカバーできますが、
日本の夏の蒸し暑さは、裸になってそれ以上脱げないところまで行っても暑いです。
それで自然と「夏基準」の暮らしとなり、「家全体を暖めるという寒さ対策」は、あまり進まなかったのですね。
そこで火鉢や、足を暖めるあんか、こたつ、という部分暖房の道具が発達したわけです。
手あぶりというのは、そのまんま「手」だけをあぶるような小さな火鉢を言います。
写真の火鉢は、柄が珍しい「カルタ」の絵。こんな図柄なんですが…あまりに達筆で…読めまへん。
地は貫入、私けっこう好きです。貫入は細かいヒビのように見えるものですが、
これは素地と釉薬の収縮率の違いから生まれるもの。高温で焼き上げた焼き物を自然に冷ますとき、
釉薬にはガラス成分がありますから、素地のほうが縮むのにおいつけないと割れるわけですね。
ただ、パカーンと割れたりするわけではありません。そこまでいったら不良品…。
ただし、どんなに細くてもヒビと同じようなものですから、
例えばカップなどは、コーヒーなど色の濃いものを入れて使っていると、
だんだんその色がしみて貫入の色が濃くなっていきます。
またそれを楽しむという人もいて、コーヒーはこのカップ…なんて決めてたりするそうな。
これは火鉢ですから、液体を入れることはありませんし、ずっとこのままでしょうね。
左右に小さなでっぱりがあったので、よくよく見たら何かを通せる穴が開いていました。
向こう側まで貫通しています。
たぶん金属か、「つる」のようなものを通して、バケツみたいにぶら下げて持ち運んだのでしょうね。
こちらは現代もののお遊び火鉢、実際の使用は可能ですが、このサイズだと…「指あぶり火鉢?」
炭の大きいこと…。
火鉢には炭が使われるわけですが、炭そのものは奈良時代から使われていたそうです。
「まき」や「たきぎ」を燃やすと煙も煤も出ます。さらに火持ちの時間が長くありません。
炭は炎を上げて、強い暖かさを提供することには特化しませんが、ゆるゆると長く温めてくれます。
子供のころ実家にあったのは、青くて大きい…言ってみればよくあるタイプのこんなの。
側面にこんないい模様は入ってませんでしたけど。
いつも鉄瓶とかヤカンとか鍋とか乗っていて、お湯がシュンシユン沸いていたり、煮豆のにおいがしていたり…。
お正月にはお餅を焼いて、家族はだれも飲めないくせにスルメだけは好きでこれも焼いてましたね。
学校へ行く前には、母がシワシワのリボンをヤカンの横腹をアイロン代わりにして伸ばしてくれました。
いつごろから使わなくなったのか…記憶がありません。あの火鉢はまだあると思います。
火鉢暮らしのお道具、五徳、灰ならし、十能、火箸。全部わかったら私と同じ年代ですねぇ。
今は「炭」に火をつける方法も、効率よく燃やす方法も、ついでに長く持たせる方法も、
みんな忘れられているのでしょうねぇ。
今の暮らしは、大きな火鉢をおくスペースもないし、ちと危ない状況ですが、
いつか火鉢の横で、シュンシユンいう音を聞きながら、針仕事などしてみたいものだと思っています。
トップの写真の手あぶりは、ボディのカルタ柄が気に入って、鉢植えのカバーにと思ったのですが、
見ていたら「やっぱり火鉢として使いたいなぁ」と思い直し、そのままになっています。
気が付けば年の瀬、火鉢で黒豆を炊く…なぁんて母の真似事はできませんが、
ちょっとくらいお煮しめとか、たたきゴボウくらいは…と、準備をしています。
次の日曜日はもう元旦ですねぇ…。
何度かオジャマしてすっかりファンになりました。
ためになるお話や懐かしいものでいっぱい、コレクションもステキですね♪
ほとんど同世代なのに、生活センスがゼンゼン違う。゚(゚´Д`゚)゚。
お手本にさせていただきます(^ ^)
はじめまして。コメントありがとうございます。
何度もおいでいただいて、重ねて感謝申し上げます。
ここ数年、いろいろなことが続き、毎日更新、着物ブログ…
のはずが、とんでもない状態になっております。
過去記事で何かお楽しみいただけるものがあるなら、
私もうれしいです。
生活センス…自宅にいらっしゃったら「なんなのこのゴチャゴチャ」と、
イメージとのあまりの格差に驚かれると思います。
おはずかしいぃぃです。
これ。。欲しい~~
早速、捜索の旅に出ます←ヤ○オ▽という名の??( *´艸`)
七輪よりオシャレですしね^^
火鉢に炭を入れて暖を取り。。お餅を焼いたり~
お湯を沸かしたり~
なんていうのやってみたかったんですよw
ストーブでもできないことないけれど、
そのストーブさえ。。置き場所がなく^^;←どんな家じゃ^^;
このくらいの大きさなら、何とか置くことも可能ではないかと??
日本の夏。。。
ほんとトンボさんの言う通り、冬は襤褸を着ても何とかやり過ごせますが、
あの蒸し暑さと来た日には( *´艸`)
自前ラードが。。液体化するのだから、序に、
汗と一緒に体外に排出してくれれば。。我慢もするものを。。。
寒くなると、ちゃんと固形化しますからね('◇')ゞ
たしか数があった記憶があるので昔は使ったのでしょうねえ~
火鉢も大小、色々ありました。
北海道での暖房、と考えると昔の生活は本当に大変だったろうなあと思います。
今はありがたいですね~
北国に住んでいると冬の暖かさが何よりのご馳走と思います。
座敷で七輪はねぇ…ちとさみしいですよね。
手あぶりもいろいろサイズがあります。
置いておくだけでも、いい感じのも。
ぜひ探してみてください。
自前ラード、切実ですよねぇ。
なんとか「溶け出て」くれないものかと…。
しっかり固形化するのが?不思議です。
昔、祖父母の法要で行ったお寺の本堂に、
ものすごく大きい火鉢があって、
私はお餅焼くのにこんなに大きな火鉢用のがあるんだろうかと、
アホな心配をしておりましたっけ。
昔はほんとに大変だったと思います。
関東のこんなところでも、冬場、家の中で
モコモコに厚着したり、綿入れ半天きこんだり
していましたもの。北国の方はさぞかしと思います。
いい時代になりましたね。
体調を崩された様ですが、回復されましたでしょうか?
火鉢は懐かしいですね。
何処のお家でもありました。
木屋町辺りのお宅へ伺った時は古風なものがあった事を思い出しています。
加齢と共に昔の事をよく思い出す様になりました。
得意げに話すと家族から馬鹿にされますが。
身体のあちこちの傷みも増加中、気持だけは前向きにと思っています。
急に気温も下がってきました。
どうぞご自愛下さいませ。
佳いお年を。
内側に銅か何かの入れ物(外の形に合わせて円筒形とか、四角いのとか)が入っていて、その中に灰が入ってました。
木製の器の中に、金属の器がはめ込まれている感じ、木で覆われているので外側は熱くありませんでした。
陶器ができるようになる前は、火鉢ではなくてこういうものだったんだろうなあと思って見た覚えがあります。
その後ネットなどで、升のように組んだものも、丸太をくりぬいたようなものも見かけましたよ。
こちらこそご無沙汰しております。
疲れが取れるのも回復するのも、
何かと時間がかかるようになりました。
年なんて考えたくはありませんが、
感じてしまうものですね。
火鉢、京都の家にはよく似合いますよね。
また骨董市で見つけたいものです。
こちらも妙に暖かい日があったりで、
おかしな冬の入りです。
otyukun様も、くれぐれもお体気を付けて、
佳いお年をお迎えください。
呼び方のことで、いつまで火桶と呼ばれていたのか
細かいことはわかりませんが、
瀬戸物が出てきたのは近代に入ってからです。
長火鉢も木製ですから、木製でも、
火鉢と呼んでいたのではないかと思いますよ。
ちなみに今でも火桶スタイルの火鉢は売られています。