今年は山形から、届けてもらいました。
「初桜」という名前ですが、いわゆる「啓翁桜」です。
啓翁桜は、久留米の人が交配の苦労を重ねて作られたとか。「啓」はその方の名前の1字だそうです。
ヒガンザクラ系ですね。
以前、富山の友人が年末に送ってくれて、初めてこんな桜があることを知りました。
桜の花としては小さいし、色も少し濃いですが、とにかく花持ちはいいし、なにより丈夫。
そしてこの花には、ちょっと切ない思い出があります。
初めていただいたときからファンになって、年末になるとこの桜を頼んでいました。
数本を母に持って行きました。当時母は、すでに毎日ベッドで暮らしている状況でした。
ベッドのテーブルに置くと「ええなぁ、かいらし(かわいらしい)桜やなぁ」と、
とても喜んでくれました。
翌年の10月、母は余命宣告され、翌年の春の桜は見られないだろうと思われました。
それで、その年も啓翁桜を頼み、せめて少し早いお花見を…と思っていたのに、
桜が届く直前に、母は旅立ってしまいました。
仏前に飾り「見えてるかぁ、かいらしやろぉ」と、呟きました。
花と木と緑が大好きな母でしたからねぇ。今年も届いたので、お正月用の花はちゃんと買って
すでに飾ったのですが、これは桜だけでもうひとつ飾るつもりです。
今、水揚げをしつつ、まだ暖かいところにはおかずにいます。
暖房のきいた部屋に入れると、あっというまに満開になるんです。
今月の1日に七回忌を済ませましたが、えぇっもうそんなに?と思う気持ちと、
まだいつもそばにいてくれる感じで、あまり時間を感じない気持ちと…不思議ですね。
とりあえず、最近、昔のものが懐かしかったり、ほしいなと思ったりするのは、
結局「昔、母が使ってた」「母からいつも聞かされてた」…そういうことにつながる気がします。
毎年昨日、28日は「お飾りする日」でした。今年はボケて30日です。
いつも28日は朝から忙しく、神棚仏壇を掃除し、お供えを並べて、部屋ごとに輪飾りをさげ、
門柱に松飾をつけ、玄関にお飾りを下げて…。
横浜へ来たころは、まだ餅を実家の餅つき機で搗いていましたので、手作りの小さなお供え餅を、
届けてくれていました。それから、母に息子を預けて、父と二人で駅前の露店まで、
お飾りを買いに行く…小さなテント張りの露店でお飾りを数間違えないように買う…。
うらじろ、ゆずり葉、小さなだいだい…戻って実家と分けて「明日は朝からやねぇ」といって見送りましたっけ。
田舎からのお米もとどかなくなり、親も年を取り…いつごろから「生協さん」のものになったんだか。
プラのお供えを見るたび「なんや味気ないなぁ」といいつつ、中に入っているのがパックのお餅になって
「こりゃ便利やは…」ははは、そんなもんです。
もっと昔は、暮れになるとお米屋さんがのしもちとお供えを届けてくれたものでした。
少しでも柔らかいうちに、と、母がまな板の上でダイコンを横に置いて、えいやっとばかり包丁を入れ、
四角いお餅に切っていきましたっけ。
その時は必ず「全部終わったらはじっこを食べさせてもらえる」と決まっていたので、
母が切ったお餅をいっしょうけんめい、容器にきっちり並べて入れるお手伝いをしたものです。
今でこそ「磯辺巻き」が一番好きな私ですが、当時は「お醤油にお砂糖」でした。
端っこの三角だかなんだかわからない形のを、火鉢で焼いて…はふはふ食べましたっけ。
お正月を迎える支度は、大人になるにしたがって「気忙しい、忙しい、めんどくさい」になりましたが、
それでも一つずつ片付いていくと、なんだか気持ち的にさっぱりしますね。
ごみも忘れずに出さないと…で、もういくつ寝ると…と口ずさみながら、ちっとは動きましょう。
お母さまとの記憶。。切なくも素敵。
昔?は、ほんと、年末もお正月も気分がそれっぽく?ありましたが。。お年玉楽しみだったし~^^
今は、
元旦からお店も開いてるし。。
店内のBGMだけが、お正月を語ってるようなw
一夜飾りはいけないとか、
29日はダメとか色々言われますが。。
大みそかに慌ててお正月の飾りを買いに行ったりしてます。。。>_<
今年は早めに。。って。。
もうすでに29日ですね( *´艸`)
私はそれが大好きだったのですか、小学校に上がったのを機に母がそれをピタリと封印してしまい、情緒不安定になったことがありました。
(あとで聞けば、成長を願っての封印だったけどおかあさんも寂しかった、とのことでしたが。)
「かいらし」という言葉に込められた思いは、いま全世界を駆け巡る「kawaii」とは別モノだなぁと、この忙しい年の瀬にしみじみと考え込んでしまいました。
サボってないで働けっちゅうの (*^ω^*)
餅つき機もあるの。正月に関係なくついてます。
蕎麦も昔は自分でうってたのよ。
でも、腰痛めてね。
買出しとかすんでたけど、御節が手抜き。
以来、止めました。買ってきます。
こねるのが大変なんですよ。
お餅は子供の頃はご近所さんと同時に頼んでいました。
持ちつきやさんにね。
道路で蒸して、杵でついて。
みんなしてお餅丸めるの。(そのせいか上手よ私)
何軒分だったかしらね。にぎやかでした。
としのせいでしょうか、昔がやたら懐かしい(笑)
のんびりした年の瀬です。
良いお年を。
この桜を年末に買うことが、恒例になりました。
小さな花がびっしり咲くので、かわいいですよ。
お正月らしさ、はどんどん薄れて、
お正月の晴れ着も、凧揚げも何もなくなりました。
お年玉だけが健在?
おせちも昔とは全然違う、パーティー料理みたいだし。
いろんなことがかわっていくことが、
便利でそっちへと自分も流されつつ、
妙に懐かしくて、忘れがたいことも多くなりました。
「かいらし」という言葉は、ほんとに「かわいいんだー」って
そんな感じしますよね。
おっさんがアイス食べてるのを見て
「やだぁかわ・い・いぃ」なんてのとは、まったく違うし。
世界で流行っている「Kawaii」とも、違いますねぇ。
母の言葉も懐かしいもののひとつになりました。
あと2日、さぼってないで、がんばりまっしょい!
我が家も、お米屋さんに頼む前は、
町内で餅つきやってました。
いろんなことがどんどん変わっていった頃が
子供時代でしたから、それだけ思い出の数も多いのかななんて思っています。
父が元旦に国旗を出すところから始まったお正月、
なんか空気まで違った気がしたものです。
あれこれ変わっても、年が変わることには変わりなし。
もうすぐですね。お体気を付けて。
今年3度目の入院をした母、に、かこつけて
何もしない我が家ですが
形だけでもと玄関のお飾りだけは今日中に終えました。
小さい頃お母ちゃんは「こんなんしてくれた」とか
「あんなんしてたなぁ」とか今更ながらに思い出します。
ええかげんな娘がちゃんと出来るようになるまで
見といてほしいなと思う年の瀬です。
よいお年をお迎えください。
まぁそうでしたか。
いろいろたいへんな年末になりましたね。
「母」というものは、不思議なものですね。
若いころは感じなかった、つながりの深さを思います。
お母様のご回復、お祈りいたしております。
どうぞ佳いお年をお迎えください。