えー写真はもう、思いっきり「こじつけ」です。星座シリーズの切手です。
中の一枚「ペガスス」、ホログラムってこれで見るときれいじゃありませんねぇ。
さて、ちょっと前のことになりますが、パソコンをあけてあれこれやっているとき、
テレビから「はやぶさ」という声が聞こえました。
あの「イトカワ」の微粒子を採取し、最後に燃え尽きた「はやぶさ」です。
最後の輝きを放って夜空に消えたあの姿が、パッと思い浮かびました。
番組は、そのプロジェクト・リーダーであった川口氏のインタビューでした。
手を止めて、結局全部見てしまいました。
「はやぶさ」が飛び立ってから、数々のトラブルがあったことは周知の事実ですが、
奇跡的な回復、とか、いろいろ言われました。でもご本人は「常に『これしかない』という選択であった」と。
つまり「どっちにしたらうまくいくか」ではなく、「もうこれしかない」という選択。
それが幸いにもうまくつながっての帰還であったそうです。
もちろんスタッフはあらゆることを想定して、カバーのプログラムを組み入れていたわけですが、
実際には「これは万が一の時の方法」、それを使って、はやぶさは地球にもどってきたのだそうです。
専門的な知識を持たない一般の人にとっては、あのプロジェクトに関わった方々の、
毎日の神経をすり減らす作業等、チリほどもわかりません。
それでも、帰って来られない可能性の方が、うんと高かったのだということはわかります。
「はやぶさ」はメカだけれど、最後の仕事としてしっかりカプセルを切り離し、
自身は星よりも鮮やかな光になって散っていったあの映像を思い出すと、
なぜだかほんとに、今でも目がうるみます。
「彼」が笑って散っていった気がするのはなぜでしょう。
さて「はやぶさ」の感動的な7年間のことは、とりあえず皆様も知るところ、
私が心に止めておきたいと思ったお話はそのあとでした。
元々あの「はやぶさ」計画、つまり衛星を発射して、戻ってこさせる、という話は、
当時は「できるわけない」お話だったそうです。
日本は先進国ではありますが、宇宙関係に関してはアメリカやロシアに四半世紀の遅れをとっている、
そんな中で、川口氏は「彼らを追いかけるよりは、彼らがまだやっていないことに挑戦する」、
そういう趣旨であの計画を立てたのだそうです。ご本人曰く「ハッタリ」で。
なにしろ7年もかかっていますから、最初の頃は「素晴らしいですね」とか「頑張ってますね」と言われても、
その裏には「できっこないよ」が感じられたそうです。誰も生還出来るわけはないと思っていたのですね。
もちろん「ハッタリ」とは言っても、何もないままやっていたわけではないわけですが、
勝算という意味では、本当に不安だらけの実施であったことでしょう。
結局、度重なるトラブルを、信じられないような方法と「運」も呼び込む強さで乗り越え、
「はやぶさ」は、世界で最初の「戻ってきた衛星」になりました。
川口氏は「日本という国は『プロダクション』の国である。
つまり、外国からの、こんなもの作って、というのをきっちりと製造、製作する。(器用で堅実ですからねぇ)
しかしこれからは『クリエィション』の国になるべきだ」と、そういうお話をなさいました。
クリエィション、つまり「創造」ですね。なにもないところから、新しいものを作り出す、そういう力が必要だと。
着物に関わっていると、それは日本の歴史を見るのに近いものがあります。
思えば日本という国は、元々がイースト・エンド、しかも島国で、幸いにもお隣の大陸などの国から、
はげしい侵略も征圧もされないままきました。
陸続きの国だと、それが平和的交流であれ、征圧的変化であれ、文化というものは交錯します。
日本にはそれがありませんでした。
だから、大陸から、そして南蛮貿易が始まってからは西欧のものが、いろいろ入ってこの地にとどまりました。
日本人は繊細で器用で、そして勤勉です。また芸術的感性にも優れています。
だからこそ「入ってきたもの」を見て、それを真似するところから始まり、
やがては日本に合ったものに形を変えて、更には「そうなったから必要になったもの」を
新しく作り出し、それを「日本の文化」として伝えてきました。
始まりは、よそのマネっこでも、別の新しいものを作り出す力もあったということです。
もちろん、頼まれたものをきっちり作ること、既成のものを改良していくことも大切なことです。
それでも、作り出すことの魅力はとても大きいと思います。
でも、着物に関して言えば、どこか「新しいものの作り方」が違う気がします。
たしかに、インクジェットなどの新しい技術が取り込まれ、今振袖さえもインクジェットがあります。
しかし、それはどこか新しくする目的がズレている気がするのです。
大量にできる、安くなる、そうなれば売れる…。そればっかりみたいで…。
先日の勘三郎さんのご逝去には、ほんとにがっかりしましたが、
あの方や、先代猿之助さんが、その芸の形は違っても絶大な人気を得たのは、
「古いもの」を大切にした上で、新しいものを積み上げる、
伝統の基本をしっかり身につけたうえで、新しいものを取り入れる、作り上げる…
そういうことを地道になさったからだと思います。
「はやぶさ」計画は、ご本人おっしゃるとろのハッタリではじまったかもしれませんが、
基礎的なものが何もなかったわけではありません。
ポーンと打ち上げりゃナントカなるだろう、なんてことはないわけで、遅れているというものの、
天文学や宇宙開発の知識はちゃんと基礎を持っていたわけです。
あるだけの知識も技術も全部駆使して、更に学びつつ、推し進めた計画ですね。
今、着物に限らず、日本の職人さんがどんどん減ったり、廃業したりしています。
食べていくためには、意に沿わない仕事もしなければならなかったり、
そちらを副業にして、ほかの仕事で食べていかなければならなかったり…。
「何かを大事にする」ということ、「何を大事にするか」ということ、
今の時代、なんだか忘れている気がします。
もっとと言えば、若いうちにちゃんと勉強しておけば(x_x)
後悔していてもしかたないので、今日は少々お勉強しました。
何かほんの少しでも、役立つ人間になりたいから(#^_^#)
ハッタリ、と洒落た言葉で苦労や努力をさり気なく謙遜出来るって憧れます。
私もきっと何か見つけます、見つけられますように(*^▽^*)
空気読めないコメントでごめんなさい!!
今、それを出してみると「手描き」でも「型染め」でもなく印刷のような気がします。
当時は、シルクスクリーン印刷ではなかったかと思うのですが、いわゆる”プリントごっこ”の布印刷みたいなものではないかと。。。
そこで、最近、
手描き→型染め→シルクスクリーン→インクジェット
の変化は、時代の流れじゃないの?の答えがみつからない状態でした。
今、パソコンがコンパクトで安価なのも「プリント配線板」など印刷技術の活躍の賜物で、これは大変ありがたいと思っています。
なぜ、着物はパソコンのようにありがたい変化と思えないのか。
でも、今日の”クリエイション”のお話が、ヒントをくれました。
インクジェット着物が多く出回っても、型染めや手描きは残ると思います。(シルクスクリーンは既に型染めの範疇かも)
それが、クリエイションの魂が込められていれば。。。
勘三郎さんの追悼番組で
「僕の座右の銘はね、子供電話相談室で無着成恭先生がね、『型があるから型破りが出来るんだよ。型がなければ型なしだ』っておっしゃったんだよ。」
という話をしておられて、なるほど!!そのとおり!!
と納得しました。
とんぼさんの365日伝え続けておられる「昔から続いてきた着物の知恵、暮らし」も伝えていきたい「型」ですね。
私も一生懸命ここで勉強して「型」なしではなく、「型」破れるくらいのクリエイションを目指したいです。
いつも、コメント長文でごめんなさい。
あまり気負いをもたれますな、ゆるゆるいきなさいまし。
若いうちに、とおもうのは誰しも同じだと思います。
若い年代の感性で学ぶことはできなくても、
今の年齢の感性で学ぶことは可能です。
私も夢があります。けっこういろいろ…。
ずっと人生現役で、何か見つけられたら、形にできたらと
その思いを持つことだけは、続けたいと思っています。
できるかどうかより、プロセスが大事なんだと思うから。
娘が着物をあつらえるようになった頃、若い人向けの良く聞くお店で、目を引く振袖がありました。思わず娘と駆け寄ってみれば、とんでもなくお安くて、よくよく見ればエンボス加工で立体感(--) もう 思いっきりずっこけましたよ。
その後行きつけのお店を作ったのですが、帯でも着物でもお安いものが沢山。でも姑の着物で見る目がそれなりにできていた娘には、とてもとても不満足(笑)
結局二人して、眼が行くものは手が出ないほどのお値段ばかり(爆) 一度作家さんから「その柄 描きましょうよ」と言われましたけど、それはとても恐ろしいお話ですからご遠慮申し上げました(^^;;; そんな贅沢はできません。 早蕨を散らしたかったのですけどね。
私が結婚するときにあつらえた訪問着は、おばのツテで職人さんが描いてくださりました。東京下町のお仕事場にお伺いしたことがあるのですが、「この蝶は、なかなか良くできました」とおっしゃったので、今でも大事にしております。 もっとも保管が悪くて、ちょっと着れない状態なのですが(--)
ひなびたお部屋でうつむいて、一心に筆を載せているお姿は、真摯で気高く、神聖なもののように思いましたよ。そうしたお仕事をなさる職人さんが、少なくなっているのは、本当に寂しいことです。
着物が生活の中から姿を消し始めて、自分で縫うとかメンテナンスをする、ということもなくなりました。
安い着物でなければ、とてもじゃかじゃか着られません。
だから古着でもポリでも、インクジェットでも、それはそれで気楽に着るための工夫として、
私はいいと思っています。
そのかわり「選択」するだけの力を持ってほしいと思うわけです。
作るほうも安けりゃいいだろうではなくて「目的によってお買いわけください」の
立ち位置を間違えないでほしいのです。
以前、伊勢型紙を使う本格江戸小紋の職人さんが、デジタル処理の江戸小紋が、
機械であっというまに何メートルも染められるのを見て、唖然としましたが、
その機械染めの会社の人が「しょせん機械ですよ」といいました。
ちゃんとホンモノをわかっていらっしゃる。これが大事だと思うのです。
ぺらぺらの外国製の京友禅振袖を、お安いですよと売る…。
実は原価考えたら逆に「高い」のに。
こんな商売がなくなることを祈っています。
京友禅の半分が「中国産京友禅」…なぁんて情報を見ると、
根底から壊れてるわ、と思います。
着物が着られなくなって、町の呉服屋さんの「ピンきり」がなくなって、
どこも高級呉服ばかり。ほんとに高級でないから困る。
洋服については目が鍛えられてる現代、目的や予算や好みで、選ぶ基準がわかります。
着物はうまく選べません。だから「安い」という点だけに固執して、
本来の着物の概念からすれば低レベルなもので、振袖など作ろうとする…。
買う側も賢くありたいと思うのです。
ブログ左のブックマークにある「京町家染工房 遊」さん、
野菜で言えば?産直なので、お安く染めてくださいます。
いい仕事ぶりです。ずっとがんばって続けてほしいです。