まことに相すみませぬ。無関係画像「今年のりんご」です。
毎年頼んでいまして、手前のはおまけの姫りんご。
「落款」はありませんが?正真正銘「青森は弘前の完熟りんご」です。
今年は異常気象でしたから、ちっと形がいびつだったりしていますが味はかわらず、甘くてじゅーしーでした。
さて…「落款」は、「落成款識(らくせいかんし)」の略で、
本来書家や画家が、自分の作品の最後に署名して押すもの。
「これは私の書いた(描いた)ものです」という証明であり、責任でもあります。
これが「染物」にも使われるようになりました。
でも私はずーっと「それでいいのかな」と思ってきました。
「落款」つきの着物や帯は「作家もの」と呼ばれて、名前の分、高くなったりします。
ずっと前から、私は手描き友禅とか江戸小紋とかで落款入のものを見ると、釈然としないものを感じていました。
その後「加賀友禅」のことを知って、あぁそれなら納得できる…と思いました。
よく対比されるのが「加賀友禅」と「京友禅」ですが、
どちらにも証紙もあり、有名作家と言われる人は「落款」を持っています。
ただし、全く違うところがあります。
加賀友禅の落款を作るには、例によって「協会」が関わります。
まず、加賀友禅の工房に入り、弟子として修行をします。最低5年だったか7年だったか…。
そして、そろそろ落款をとらせてもいいかなとなったら、師匠ともうひとり協会の人だったかが
申請書を提出し、認可されればその弟子が「落款」を持つことが許される…。
そのとき「これが私の落款」というデザインも申請し登録します。
今はネットで「落款デザイン」の検索もできますから、形だけで言うなら自分でも調べられます。
京友禅にも落款入りがありますが、ものすごく高い友禅でも、落款がないものも珍しくありません。
落款の登録制度もありません。なぜでしょう。
私が一番最初に「落款」とか署名ってヘンだと思ったのは「江戸小紋」でした。
江戸小紋の染では小宮康孝氏が有名で、無形文化財に指定もされています。
でもねぇ、あの江戸小紋の細かい柄の凄さって、本当は「伊勢型紙」にあるわけです。
もちろん、それをきれいに染出す小宮氏の腕もものすごいですが、
染柄の反物を作るのに、型紙がなければ染物はできません。
これは型紙の彫師と、染の小宮氏の二大巨匠とでも言うべき人たちの合作であるわけです。
でも江戸小紋には、どちらか一人の名前が多いです。「なんで連名じゃないのよ」と思ったわけです。
ただし連名のものもあります。型紙師と染師のふたつ。でも、全部じゃないし…。
それで考えると…なんですが、
実は「加賀友禅」は、その制作工程のほとんどを作家がひとりで行います。
だから「一人の人の作品」と言ってもおかしくないわけで、落款も納得できます。
そのかわりさすがに刺繍だの絞りだのまでは、ムリ…というわけで、それが逆に染だけの加賀の特徴なんですね。
でも京友禅は、たくさんの工程があり、その工程によって分業しているのです。
図案師もいれば、下絵描きもいれば、刺繍や箔、絞りなど、それぞれ専門職がいて、みんなの合作です。
そういう場合って「作家」って誰よ…です。単なる代表者としての名前を入れるなら「工房の名前」が落款でしょう。
このことについて、とてもおもしろい記述をずっと前にみつけて、資料としてとってありました。
こちらです。続きものですので、前のページもお読みください。なるほどな、です。
つまり…「ありがたがる」からいけないのですね。
着物の落款、アヤシイ魅力?はんこひとつで、なんかすごくいいものに見える?
日本画家に頼んで、一品を描いてもらおうなんてことならともかく、
ごく当たり前のレベルで着物を仕立てるなら、落款があるかないかより、
「好きな色柄か、似合う色柄か、長く着られるか、子供に譲れるか」、
そんなことがまず基本…なんですよね。
作家ものです 落款がありますでしょ なんて言うけれど
誰のだか判らない落款があるだけで高くなるなんて 冗談じゃない
気にいった帯の垂れ部分に落款があっので
邪魔で どうにかして欲しい 切ろうかと思った事があります
それにしても
好きな色柄か、似合う色柄か、長く着られるか、子供に譲れるか・・・
好きで揃えた着物の色が 黒・茶なので 年と共に似合わなくなってきた様な
世の中作家さんが溢れているような感じですね。
落款があればいいというようなものではないと思うのですがねえ~~
ただ買う時はそう言われると弱いのも判るなあ。
何んとなく高いのも無理ないか、なんて自分を納得されるんでしょうねえ(笑い)。
これではまんまと呉服屋さんの策略に引っ掛かってますね!
高かったものって、なかなかざんざに着られ
なくて・・・着て行く場所もないし・・・
落款が無くても好きな色柄の着物の方が
着やすいです。
京友禅は分業制と知っていましたが、加賀友禅は
分業ではなかったんですね。
ついてるでしょーなんて見せたくて出してるわけではないのに、
いやですよね。
デザインのひとつと思えるようなときはまだいいんですが。
黒や茶の着物は歳相応…だから帯とじゅばんを派手にする、ですよ。
本当に落款が価値を持つものもないわけではありませんから、
そのあたりを呉服屋さん自身が、ちゃんとわかっていてほしいのに、
「売るためには」が先、ということが多いんです。
呉服屋さんとしっかり長く付き合うと、お互いわかるんですけどねぇ。
私も、それだけで何割か高い…と思うと、別になくても…です。
ザカザカ着られるのが一番ですよね。
加賀友禅は、一人で全部です。なので、一人前になるには、
もっと長くやらないといけないんじゃない?なんて意見もあったりします。
自分が好きなら何でもいいのになぁとおもいます。
正確に言いますと、「ほぼ一人で作っている」ですが、作家さんによって携わる工程が違いますのでそれぞれです。
基本的なところで、最低、図案と彩色は作家さんが行います。
糸目糊(柄の周りの白い輪郭線)は、作家さんが描いた下絵線にそって、糊屋さんに依頼する人が多いです。(私も含めて自分で糊を引く人もいます)
地染め(地色の染め)はほとんどが染屋さんです。
作家が指定した色に染めていただきます。
だから、生地端に貼る加賀友禅の証紙には、作家名・糊屋名・染屋名が記されています。
一人で全部できればいいのですが、ある程度は専門的な方に依頼する方が染め上がりが綺麗なので。
でも、弁解させていただければ、どの工程においても、自分の制作意図などはできる限り伝えて関わっていますので・・・。
実際になさっておられるかたからのコメント、貴重なお話ありがとうございます。
こんな言い方はこれまたいい加減なのですが、細かく細かくお話すると、
いろーんな事例がありますよね。
「ほとんど」という言葉を使わなかったのは、反省しております。
シロウトが全部知ろうとするのは土台無理なことで、私が思うのは、
「一番大事なところ」、つまり「誰がこれを最初に作ったか」ということ。「創造」という部分でしょうか。
作家さんの頭の中、心の中にあるものを、できるだけ自分の力で
あらわしていることが大事…といいますかしら。
以前「加賀友禅師にも不器用はいるよ」なんてお話を聞いたことがあります。
美しいもの、いいものを作るためには、お助けマンの力も借りる」なんて、
楽しい言い方をなさってましたが、それはそれでちっともかまわないことです。
それと反の端には、いろいろ書かれていたり貼ってあったりして、
よくよく見れば、というより「読み解く力があれば」、それがどんな産まれのものか、
わかるはずなのですが、買う側はあの「落款」に惹かれてしまうのです。
そんな立場からこういう記事になりました。
お題をいただいたと思っております。京友禅とて、好きでそれを染めている方は、
たとえ何工程にわかれようとも、「伝えたい」ことを描いているはずなんです。
だからこそ「落款」ばかり見てるとねぇなんです。
そんなことも綴ってみようと思います。
弁解どころか、私の素人の立ち位置で、失礼なことを書いたかと、
申し訳なく思っております。
ありがとうございました。
きちんとお仕事をなさっている方もいれば、ごまかしのものを売る人もいます。
だからこそ「惑わされないように」と思うわけなんです。
しょせん私たちはシロウトなのですから、