選択なんていうと大げさかもしれませんけれど、人はみんな毎日、朝、目が覚めてから、夜、眠るまで、
いろんなことを選択して暮らしています。
朝ごはんのメニュー、その日着るもの、何をするか、どこへ行くか…。
最初から決まっていることであっても、それを決めたときは「そっちにすること」をそこで選択しているわけです。
進学や就職、結婚、出産…人生の節目となる場合の選択ほど、人は一生懸命考えますね。
そうやって、人は生きているわけです。
自由に選択することが許されなかった時代があります。生きる自由さえ奪われた時代があります。
自由ということは「勝手」とは違います。
何かをするとき、何かを言うとき、きちんと考えて「選択する」、
今、そういうことがおろそかになって、信じられないことがいろいろ起きている気がします。
ネットという新しい社会が、急激に広がって、それはそれで便利になりましたが、
アイスケースに入って写真を撮ったり、迷惑行為を堂々とアップしたり、
そういうことをすることが、人に対してどれだけ失礼か、迷惑か、そしてそういうことをネットでやったら
どういうことが起きるか…ちょっと考えたらわかりそうなものなのに…。
やってしまってから「ノリ」でやったとか、「おもしろそうだったから」とか。
そんなバカな選択をしてしまったことを、後になって悔やんでも遅いのです。
実はそれとても「別にあんくらい…いーじゃん、ジョーダンだったのに」なんて、思っていないでしょうね。
選択をするということは、自分をとりまくものをちゃんと考えられるということです。
ただ「好きなものを選ぶ」ことではありません。そこから先の時間も含めて大切に考えるということです。
食べることも着ることも、なんの制限もなく自由に暮らせる私たち。
数少ない服を、体ごと戦火に焼かれて逝った多くの人たちの「選択できなかった日々」の上に、
私たちの今の暮らしがあるのだということを、忘れてはならないと、そう思います。
今日はヒロシマの日、黙祷。
常識の範囲を超えてしまっている事が
多くて、どうなってしまうんだろうと不安に
なります。
便利なものも弊害になると取り締まる、そういう
いたちごっこにならなければいいですけどね。
そんなことしたら後がどうなる…って、考えられないんでしょうか。
ほんとに不思議です。不安ですね。
ネットは特に「いたちごっこ」が進んでいく気がしています。
まずは「人の心」を育てなきゃ、なんて簡単に口に出してますけど、
難しいことですよね。
何名かの友人が書くblogやツィッターには
「ご近所さんのここだけの話」とか「電車の中での盗写」が頻繁に載せられます。
ネットの世界にここだけの話はないとおもうんですが間違ってるでしょうか?
みんないい大人…嫁もいるし、なかには孫がいる人もいるんですけどね。
あっやっぱりアイスのケースやパンの上に寝そべるのと変わらへんか…
熱中症に気をつけてお過ごしくださいね。
こちらも急に厚くなりました。引きこもってます!
ああいうことするひと、緊張感も危機感もありませんね。
名前も顔も出ないから…なんていったって、
近所でネットやってる人はいくらでもいます。
過去のひどいイジメだのなんだの、そういう事件の
被疑者は、未成年だろうがなんだろうが、
あっという間に実名も写真も出ます。
だいたい「わからなきゃいい」と思うところからして、
すでに「いい大人が」ですよね。