ちょっと週の中休み?で着物から離れて…。
写真はご近所の「皇帝ダリア」、ちとこぶり…。
言霊、というのは「言葉にはチカラがある」という意味だそうです。
またぐさっと突き刺すほどのひどいものではなくても、
針でちくっとさす程度でも、トゲのある言葉はある種「暴力」です。
時には相手によって場合によって「ガツン」と一発というのが
必要なときはあります。でもそういう時は、たいがい「相手を思ってのこと」、
例えば親の言葉しかり、親友の言葉しかり…。
今日、8時半にゴミを捨てに行ったら、ご近所の奥さんに出会いました。
そしてひとこと「あらぁ、今日は早起きなのねぇ」と言われましたぁ。
我が家は坂道てっぺんのはじっこですから、あちこちからよく見えます。
そこのオタクからは、我が家の雨戸が見えるわけですね。
我が家は息子中心のくらしですから、
体調が日替わりの息子の寝ている部屋は、起きるまで雨戸あけません。
昨年夏に体調を崩してから、ずっとまともなペースにもどっていない息子は、
今でも生活パターンが一定しませんで、時々いつ寝るやら起きるやらになります。
直接心臓の状態が悪くなっているわけではないのですが、超虚弱?
施設が融通を利かせてくれて、「ゆっくり時間」の送迎をしてくださるので、
今はよくお昼少し前に、迎えに来ていただいてます。
雨戸のあく時間は、息子の生活リズムに連動するわけで、
そのかたは毎日見ていたんでしょうね。おっ、今日は9時10分だ、とか?
雨戸が締まっていても、私も一緒に寝ているわけじゃないんですけどねぇ。
別にわかってもらおうとも思わないので、いいわけも文句もいいませんが、
だらだらとなまけて朝寝坊しているわけではないのに、
「今日は早起きね」と、それもほかの奥さんたちもいるところで
そんなふうにいわれたら「ヒザカックン」されたみたいな気持ち!
そのかたは、ゆっくり家庭のお話しなどしたこともないのに、
なぜかウチが高給取りだと思っているらしく(私が外で働いてないからでしょう)
「いいわねぇ、すきなようにできて」(いやツライこともありまっせ)
私が息子のめちゃくちゃペースにつきあって徹夜明けのボロボロで、
それでも時間がないから走ってゴミ捨てに行っても
「いつも元気ねぇ若いからできるのよね」(いえ、もーすぐカンレキでっせ)
「おにいちゃん(息子のこと)も最近は元気でしょう。
いいわよねぇ、お母さんも介護ラクになったでしょー」
(外に出られない息子の健康状態が何でわかるの?ラクって何?)
そして、我が家のオット用にかりている駐車場を里帰りのお子さんのために
一日貸してほしいというのでお貸ししたら、菓子折りを持ってきて、
「本当はお金のほうがよかったかしら」ですと。
言葉ってほんとに大切なものだと思います。
かくいう私もおしゃべりですから、なんかのひょうしに知らずに相手を
きずつけていることもあるかもしれません。
だからお互い様だと思って、何かチクンとさされた感じがしても、
あぁ、私もどこかでやっているかもしれない、と思って、
よほどのことがない限り「あんたねぇ」とはやりません。
それでも、朝早くからの「ヒザカックン」は、ちょっと悲しかったです。
そのかたも、悪気があってのことではなく、
そういう性格なのだろうと思っています。
でも「会いたくないなぁ」と思う自分がいやです。
心底からさらりとかわせない自分が情けないです。
気にしなきゃいい、と思っても、言われるたびに
チクリと傷みを感じてしまう自分の心のちっささがいやです。
こうやって書いてしまったら、スッキリしてる自分が…笑えます。
聞かされた方、ご迷惑かけてすみませーん。
言霊というのはチカラがある…よい言葉を言えばよいことが起き、
悪い言葉を言えば悪いことが起きる…。
そう信じられていた太古の昔は、
祝詞や誓詞などは決して間違えてはいけないものだったそうです。
また「言挙げ」と言って、自分の考えていること、やろうとしていることを
言葉に出して言うことは、自分の意思によって、そのとおりにするということで、
それが間違ったことであれば、必ず天罰が下るとか…。
古事記などでも、よく主人公が「これはきっとこういうことに違いない、
では私はこれについてはこうしよう」などと、小学生の劇みたいに、
これからすることを、わざわざ言葉に出してしゃべる場面があります。
それが正しければよい結果になり、悪いことであればうまくは行かない、
というのがたいがいの結末です。
昔の人は「言葉」というものを大切にしていたのですね。
もしかしたら「早起きねぇ」と言ってもらって、
私は明日からほんとに毎日ちゃんと、
朝早くから雨戸を開ける暮らしになれるのかもしれません。
「よき言葉」をいただいたものと思って感謝しましょう!
写真はご近所の「皇帝ダリア」、ちとこぶり…。
言霊、というのは「言葉にはチカラがある」という意味だそうです。
またぐさっと突き刺すほどのひどいものではなくても、
針でちくっとさす程度でも、トゲのある言葉はある種「暴力」です。
時には相手によって場合によって「ガツン」と一発というのが
必要なときはあります。でもそういう時は、たいがい「相手を思ってのこと」、
例えば親の言葉しかり、親友の言葉しかり…。
今日、8時半にゴミを捨てに行ったら、ご近所の奥さんに出会いました。
そしてひとこと「あらぁ、今日は早起きなのねぇ」と言われましたぁ。
我が家は坂道てっぺんのはじっこですから、あちこちからよく見えます。
そこのオタクからは、我が家の雨戸が見えるわけですね。
我が家は息子中心のくらしですから、
体調が日替わりの息子の寝ている部屋は、起きるまで雨戸あけません。
昨年夏に体調を崩してから、ずっとまともなペースにもどっていない息子は、
今でも生活パターンが一定しませんで、時々いつ寝るやら起きるやらになります。
直接心臓の状態が悪くなっているわけではないのですが、超虚弱?
施設が融通を利かせてくれて、「ゆっくり時間」の送迎をしてくださるので、
今はよくお昼少し前に、迎えに来ていただいてます。
雨戸のあく時間は、息子の生活リズムに連動するわけで、
そのかたは毎日見ていたんでしょうね。おっ、今日は9時10分だ、とか?
雨戸が締まっていても、私も一緒に寝ているわけじゃないんですけどねぇ。
別にわかってもらおうとも思わないので、いいわけも文句もいいませんが、
だらだらとなまけて朝寝坊しているわけではないのに、
「今日は早起きね」と、それもほかの奥さんたちもいるところで
そんなふうにいわれたら「ヒザカックン」されたみたいな気持ち!
そのかたは、ゆっくり家庭のお話しなどしたこともないのに、
なぜかウチが高給取りだと思っているらしく(私が外で働いてないからでしょう)
「いいわねぇ、すきなようにできて」(いやツライこともありまっせ)
私が息子のめちゃくちゃペースにつきあって徹夜明けのボロボロで、
それでも時間がないから走ってゴミ捨てに行っても
「いつも元気ねぇ若いからできるのよね」(いえ、もーすぐカンレキでっせ)
「おにいちゃん(息子のこと)も最近は元気でしょう。
いいわよねぇ、お母さんも介護ラクになったでしょー」
(外に出られない息子の健康状態が何でわかるの?ラクって何?)
そして、我が家のオット用にかりている駐車場を里帰りのお子さんのために
一日貸してほしいというのでお貸ししたら、菓子折りを持ってきて、
「本当はお金のほうがよかったかしら」ですと。
言葉ってほんとに大切なものだと思います。
かくいう私もおしゃべりですから、なんかのひょうしに知らずに相手を
きずつけていることもあるかもしれません。
だからお互い様だと思って、何かチクンとさされた感じがしても、
あぁ、私もどこかでやっているかもしれない、と思って、
よほどのことがない限り「あんたねぇ」とはやりません。
それでも、朝早くからの「ヒザカックン」は、ちょっと悲しかったです。
そのかたも、悪気があってのことではなく、
そういう性格なのだろうと思っています。
でも「会いたくないなぁ」と思う自分がいやです。
心底からさらりとかわせない自分が情けないです。
気にしなきゃいい、と思っても、言われるたびに
チクリと傷みを感じてしまう自分の心のちっささがいやです。
こうやって書いてしまったら、スッキリしてる自分が…笑えます。
聞かされた方、ご迷惑かけてすみませーん。
言霊というのはチカラがある…よい言葉を言えばよいことが起き、
悪い言葉を言えば悪いことが起きる…。
そう信じられていた太古の昔は、
祝詞や誓詞などは決して間違えてはいけないものだったそうです。
また「言挙げ」と言って、自分の考えていること、やろうとしていることを
言葉に出して言うことは、自分の意思によって、そのとおりにするということで、
それが間違ったことであれば、必ず天罰が下るとか…。
古事記などでも、よく主人公が「これはきっとこういうことに違いない、
では私はこれについてはこうしよう」などと、小学生の劇みたいに、
これからすることを、わざわざ言葉に出してしゃべる場面があります。
それが正しければよい結果になり、悪いことであればうまくは行かない、
というのがたいがいの結末です。
昔の人は「言葉」というものを大切にしていたのですね。
もしかしたら「早起きねぇ」と言ってもらって、
私は明日からほんとに毎日ちゃんと、
朝早くから雨戸を開ける暮らしになれるのかもしれません。
「よき言葉」をいただいたものと思って感謝しましょう!
以前会社勤めをしていた時に本当は会社にあったらまずい文具を私が、持っててめっちゃ怒られた事がありましたが・・・そない頭ごなしにおこらんでも。と思いました。その人にしたら当然なんでしょうけど、かれこれ6年ほどたちますけど、いまだにたまに思い出しちゃあブルーになりますぅ。蛇年だからシツコイんです、私。
後、そのときの心理状態にもよりますよね。
息子さんの調子があまりよくないときにそういう事を言われると、いつまでも心に刺さります。あまり気にしないようになさってくださいね。
(辞書に載っている意味すら理解せず使う人も・・・)
その何気ない言葉に含まれた棘に気付くことが出来ない人は、自分が逆の立場の時にも何も感じないのかもしれません。
「自分の心のちっささがいや」と感じられるとんぼさんの気持ちは私にも痛いほど良く分かります。
でも、痛みを感じるのも避けたいと思うのも普通の人の普通の心の反応です。決して悪いことではないし、我慢しあくてはいけないことでもありません。(あ、言った相手を攻撃するっていう意味じゃないですよ~)
嫌なものを嫌と思い、そしてどこかで憂さ晴らしをして気持ちを切り替えることも、心を健康に保つための大切な儀式だと思います。
どうぞお気にやまれませんように。
青空に揺れる皇帝ダリヤ、綺麗ですね。
先日、昭和記念公園で見た皇帝ダリヤは小山のように大きくて立派でした。
あれだけのものを咲かせるのには、きっと細やかな人の手がかかっているのでしょうね。
言葉によって慰められたり怒ったり・・・
でも、度々チクッとくるような言葉を言う人は
心の貧しい人なのかもしれません。
人の口に戸は立てられぬとよく言いますが、
事情も知らずに言ってほしくはないですね。
いい言葉を聴いた日は一日が楽しくなりますが
逆に傷つくような言葉を聴いた日は本当に
ブルーな気分になりますよね。
そういうものの言い方しか出来ない人だと
思っていないとストレスがたまりますよ。
気にしないようにしてくださいね。
ちょっとした一言で傷ついたり、不快な思いをしたとき、私は相手に悪意があるのかないのか、少し冷静に考えます。悪気はなかったのにそういう言い方になっちゃったんだな、と分かれば相手のことも許せるし、自分のへこんだ気持ちも晴れるから。軽率な私、知らないうちに人様を傷つけてしまった時は、悪気なかったから許してほしい、って思いますもん。
でも、明らかに、悪意があっての言葉なら・・・・
そういう人には、シャッターガラガラです(笑)
私も経験がありますが、こういうことに出くわすと、
相手方の思惑はどんなものか分からないまま、
一人で一方的にブルーになってしまう自分がいます。
とっさに
「失敬じゃないか、君!」
と言い返すことが出来たら何ぼかすっきりしたろうに・・・
と、茶碗を洗いながらうじうじ考えたり。(笑)
でも、人が傷ついたかどうかなど何も気付かないで言い放つだけの人間側でなくて良かった、と思うことにしましょうね~~!!(笑)
きっとふだんでも、無意識にそうやって
周囲を不快におとしいれているのかも…とか思ってしまいました。
せめて、そのひとのようにはなりたくないと
願うばかりです。
言葉にはミラー効果というのがあって
こういったひどい言葉にこもった力が
そのまま放った相手に返るのだそうです。
ひどい言葉を投げつけたひとは、そのぶん人生の運も
捨てているのだそうですから
やったことの帳尻はあうようにできているのでしょう。
とんぼさん、ふぁいと!です。
ファイト!です。ほんと。
その方は とんぼさまのご苦労を知らないのだと思います。別に生活レベルが違うとかそういう意味ではなくて、お近くにそのようなご苦労をされている方がいらっさらないか、いらしても見たくないから見てないか、です。
心がなければ 気にも留めず、我が身にも思い返さず、他人をも思いやれませんもの。
言霊 本当に意味が深いです。学生にも 否定的な言葉を避けてアドバイスするようにしています。
悪気が無いとは言え・・・・
なんとなく最近感じることがあるのですけど、言葉に対してとても無神経な人が増えているような気がします。
言葉の使い方を知らないとでも言いましょうか。
でも、ネット上などの文字だけのお付き合いと、現実に顔を合わせたお付き合いとではまた違うとも思うんですけど。
でも、こういう人って往々にして自分が言われたりすると結構敏感だったりするんですよね~。
そっか・・・言葉に対してと言うことではなく、自分の言動に対して無神経なのか・・・・
他人の振り見て我が振り直せ、自戒もこめて・・・・
ありがとうございます。
たまにこっちも虫の居所がわるかったりして、
なんでもないことがカチンときたりしますね。
ゆったりしないと、流されます。
気をつけなくちゃと思っています。
はい、人間らしく、ちと落ち込んでみても、
こうして皆様にお声をかけていただいて、
浮上していけることのありがたさを思います。
自分がアチラ側にならないように、
暮らしていきたいものですね。
ありがとうございました。