風船かずらの花が咲きました。矢印のところ。説明はオシマイのほうで…。
さて「しつらい」という言葉ですが、一般的に使われる字は「室礼」。
ほかにもあるようですが、コレが一番意味がわかりやすいかなと思います。
本来は、例によって「宮中」のしきたりから出た言葉。
儀式や暦に合わせて、部屋の中を決まりごとに則ってととのえることを言います。
平安時代は、建物そのものが今とは作り方も違いますし、
調度品が違えば暮らし方も違う…で、今の時代にはない「しつらい」です。
今でも歳時記に則って、季節のいろいろを表したり楽しんだりすることとして
講座があったりします。
べつにそんなに堅苦しいことでなくても、単純に季節の移ろいに合わせて、
それを楽しんだり迎えたり、そういう気持ちがあれば、
テーブルセンターひとつ変えても、それはりっぱな「しつらい」だと思います。
母はそういうことの大好きな人でしたから、学校から帰るといきなりカーテンから
座布団カバーから、ごっそり変わってるなんてこともよくありました。
お茶碗がぼってりした厚地のものから薄手のものに変わると、
あぁもう冬も終わりかぁと思い、ガラスの食器が多くなると夏だなぁと思い…。
当時は家も部屋も手狭で、お雛様などをゆったり飾れるスペースがありませんでしたから、
せめて、とそれらしき柄の手ぬぐいが飾られたりもしました。
季節外れのお話で申し訳ありませんが、
実父が生きていたころ、クリスマスは毎年父が飾ってくれていました。
古いセットだったけど、モールやガラス玉などを毎年吊るしてくれて…。
ひょろ長い足のサンタ人形は、赤が褪めてオレンジになってましたっけ。
父がなくなってからは、母は暮らしをささえるのにたいへんで、
それを飾るゆとりがなかなかもてませんでした。
当日外から帰った母が、バタバタと当時のおいしくないバタークリームのケーキを出し、
クリスマスだよ…と言われた年もあります。
中学生にもなると、別にそれがなくても不満ではありませんでしたが、
何年目の年の暮でしたか、突然母が大きな工作用紙を買ってきまして、
なにやら「工作」を始めました。
元々製図をやっていた人でしたから、器用にコンパスを使い、ジョキジョキとハサミを使い
セロテープも糊も総動員、洗濯バサミであちこち挟んだりして…
直径が15㎝くらい、高さ30センチくらいでしたか、三角錐ができあがりました。
次に、置いてあった袋から取り出したのは「緑色のモール」。
今はみんな化繊できれいですが、当時のものはブラシみたいな感じの
ぼそぼそしたもの、これをテッペンから糊をつけながらクルクルと巻きつけ始めました。
そこまできてようやく「ツリーか」と気がつきました。
つけおわると更に袋から出てきたのは、直系が2センチくらいのガラスの飾り玉。
赤やら緑やら…これを器用に糸でところどころにとめつけました。
テッペンの星だけはなかったようで、かわりにこれも金色のガラス玉をとめて出来上がり。
我が家には何年ぶりかで「クリスマス・ツリー」が飾られました。
押入れの奥には、あの古いツリーのセットが入っているはずでしたが、
母は、父が飾る姿を思い出したくなかったのかもしれません。
少しずつ落ち着いてきて、母はまた季節のしつらいを大事にするようになりました。
一緒に買い物に行って「あら、もうチューリップの季節やねぇ」と花屋で足が止まる。
何本か買って必ず母が言うのは「花買ぅたしな、今夜はメザシやでぇ」。
(おかずより花かいっ!)といつも思っていましたし、
実際メザシになるわけではありませんでしたからどうでもいいことでしたが、
結婚してやりくりというものをするようになったとき、
あぁ花を飾るゆとりってものを忘れるなということだったのか、と思いました。
一時期「しつらい」どころではないときもありましたが、
年をとるにしたがって、四季の移ろいがある日本のよさを感じます。
暑いのも寒いのもイヤだけど、春待つこころ、秋待つ思い、夏の暑さに冬の冷え、
毎年めぐってくる、その時期その時期を感じなきゃもったいないなと思います。
最近は毎日が「何々の日」になってますね。
まぁ着物好きとしては「5月29日」の呉服の日は嫌いじゃありませんが、
なんだかわけのわからないこじ付けで「ナントカの日」と言われてもねぇ…
と思うことがよくあります。
夏が近づいて息子のじんべさんも出しました。
すでに成長が止まった息子は、数年前につくったものがまだまだ着られるのですが、
今年は一枚縫うかな…と、夏前の仕事を増やす気になりました。
母の所へは、先日父がひとりで面会に行ったとき、
「のうぜんかずら」を持って行って見せてやったそうです。
アケビも今年は順調だから、早く帰って見てくれよ、といったらうなずいていたとか。
花好きの母にとっては何よりのものだったと思います。
これが風船かずらの花です。ワタシのカメラではこれで精一杯。
ほんっとに小さいんですよね。それでも咲くと白いので「あっみーっけ」なのですが、
花が散って小さな三角の風船になると、緑色なので同化してみつけられません。
マッチの頭もないくらいですから。そうやって、ちゃんとタネができるまで、
食べられたりしないように守っているのでしょうね。
自然ってすごいですね。ポツリポツリと花が咲き始めました。
風船になるのが楽しみです。
さて「しつらい」という言葉ですが、一般的に使われる字は「室礼」。
ほかにもあるようですが、コレが一番意味がわかりやすいかなと思います。
本来は、例によって「宮中」のしきたりから出た言葉。
儀式や暦に合わせて、部屋の中を決まりごとに則ってととのえることを言います。
平安時代は、建物そのものが今とは作り方も違いますし、
調度品が違えば暮らし方も違う…で、今の時代にはない「しつらい」です。
今でも歳時記に則って、季節のいろいろを表したり楽しんだりすることとして
講座があったりします。
べつにそんなに堅苦しいことでなくても、単純に季節の移ろいに合わせて、
それを楽しんだり迎えたり、そういう気持ちがあれば、
テーブルセンターひとつ変えても、それはりっぱな「しつらい」だと思います。
母はそういうことの大好きな人でしたから、学校から帰るといきなりカーテンから
座布団カバーから、ごっそり変わってるなんてこともよくありました。
お茶碗がぼってりした厚地のものから薄手のものに変わると、
あぁもう冬も終わりかぁと思い、ガラスの食器が多くなると夏だなぁと思い…。
当時は家も部屋も手狭で、お雛様などをゆったり飾れるスペースがありませんでしたから、
せめて、とそれらしき柄の手ぬぐいが飾られたりもしました。
季節外れのお話で申し訳ありませんが、
実父が生きていたころ、クリスマスは毎年父が飾ってくれていました。
古いセットだったけど、モールやガラス玉などを毎年吊るしてくれて…。
ひょろ長い足のサンタ人形は、赤が褪めてオレンジになってましたっけ。
父がなくなってからは、母は暮らしをささえるのにたいへんで、
それを飾るゆとりがなかなかもてませんでした。
当日外から帰った母が、バタバタと当時のおいしくないバタークリームのケーキを出し、
クリスマスだよ…と言われた年もあります。
中学生にもなると、別にそれがなくても不満ではありませんでしたが、
何年目の年の暮でしたか、突然母が大きな工作用紙を買ってきまして、
なにやら「工作」を始めました。
元々製図をやっていた人でしたから、器用にコンパスを使い、ジョキジョキとハサミを使い
セロテープも糊も総動員、洗濯バサミであちこち挟んだりして…
直径が15㎝くらい、高さ30センチくらいでしたか、三角錐ができあがりました。
次に、置いてあった袋から取り出したのは「緑色のモール」。
今はみんな化繊できれいですが、当時のものはブラシみたいな感じの
ぼそぼそしたもの、これをテッペンから糊をつけながらクルクルと巻きつけ始めました。
そこまできてようやく「ツリーか」と気がつきました。
つけおわると更に袋から出てきたのは、直系が2センチくらいのガラスの飾り玉。
赤やら緑やら…これを器用に糸でところどころにとめつけました。
テッペンの星だけはなかったようで、かわりにこれも金色のガラス玉をとめて出来上がり。
我が家には何年ぶりかで「クリスマス・ツリー」が飾られました。
押入れの奥には、あの古いツリーのセットが入っているはずでしたが、
母は、父が飾る姿を思い出したくなかったのかもしれません。
少しずつ落ち着いてきて、母はまた季節のしつらいを大事にするようになりました。
一緒に買い物に行って「あら、もうチューリップの季節やねぇ」と花屋で足が止まる。
何本か買って必ず母が言うのは「花買ぅたしな、今夜はメザシやでぇ」。
(おかずより花かいっ!)といつも思っていましたし、
実際メザシになるわけではありませんでしたからどうでもいいことでしたが、
結婚してやりくりというものをするようになったとき、
あぁ花を飾るゆとりってものを忘れるなということだったのか、と思いました。
一時期「しつらい」どころではないときもありましたが、
年をとるにしたがって、四季の移ろいがある日本のよさを感じます。
暑いのも寒いのもイヤだけど、春待つこころ、秋待つ思い、夏の暑さに冬の冷え、
毎年めぐってくる、その時期その時期を感じなきゃもったいないなと思います。
最近は毎日が「何々の日」になってますね。
まぁ着物好きとしては「5月29日」の呉服の日は嫌いじゃありませんが、
なんだかわけのわからないこじ付けで「ナントカの日」と言われてもねぇ…
と思うことがよくあります。
夏が近づいて息子のじんべさんも出しました。
すでに成長が止まった息子は、数年前につくったものがまだまだ着られるのですが、
今年は一枚縫うかな…と、夏前の仕事を増やす気になりました。
母の所へは、先日父がひとりで面会に行ったとき、
「のうぜんかずら」を持って行って見せてやったそうです。
アケビも今年は順調だから、早く帰って見てくれよ、といったらうなずいていたとか。
花好きの母にとっては何よりのものだったと思います。
これが風船かずらの花です。ワタシのカメラではこれで精一杯。
ほんっとに小さいんですよね。それでも咲くと白いので「あっみーっけ」なのですが、
花が散って小さな三角の風船になると、緑色なので同化してみつけられません。
マッチの頭もないくらいですから。そうやって、ちゃんとタネができるまで、
食べられたりしないように守っているのでしょうね。
自然ってすごいですね。ポツリポツリと花が咲き始めました。
風船になるのが楽しみです。
お母様は滋賀のご出身でしたか。
私は琵琶湖も好きです。
なかなかいかれませんが、滋賀でいきたいところが
たくさんあるんですー。
京都というのは「盆地」だからというわけでも
ないのでしょうが、いろんなものが
底溜りになって、大切に育まれているような
そんな気がします。
やはり「四神相応」のおくにですねぇ。
昔は京都が日本の中心でしたから、
京都の言葉といえば、京都の言葉ですね。
風船かずらは、花が咲いてからが楽しみですから、
花の数を数えては、風船の数に直して?
ぷらぷらとぶら下がる姿を待っています。
タネをとっておいても発芽しにくいんですけどね。
良かったら、タネの予約、受付けまっせ。
先の長い話でしすが。
昔ながらの「部屋の衣更え」ですね。
温暖化で、昔より暑くなっているとは思いますが、
本当はクーラーって、良くないですよね。
でも、我が家もないと困ります。
昔の家は軒が深くて、家にはいったとたんに
気温が下がるのがわかりましたっけ。
田んぼの上を渡ってくる風の涼しさとか、
夕立の後の涼しさとか…ありませんねぇ今は。
風船かずらの花って、ほんとに小さくて
見落としそうですよね。
早くふわふわとさがるのを見たいですね。
お母様が京都の人だと良く分かるエピソードです。
我が母は滋賀県の田舎の料理旅館の娘、女八人の八番目、その下がやっと生まれた男の子でした。
しかし、京都の直ぐ側だと言うのに京都のしつらいはまるでペケ。
一人で旅館を切り盛りしていたと言うのに。
今思うと、ちょっと離れるだけでこれだけ違うのが京都の奥行の深さだと思います。
「しつらい」の語源は、勉強になりました。
京都弁だとずっと思っていました。
それと風船かずらの花が可愛いですね。名前通り風船になるのが楽しみです。UPして下さいね。
その代わり夏のしつらいで、通風建具
に替えています。
都会と違ってお隣との距離があるのと、
クーラー熱が無いのと通り庭で何とか
しのいでいるようです。
クーラーに慣れている我が身はきついですが。
風船かずら、うちも小さな花を咲かせて
くれました。