着物ブログだし(一応)、世の中のいやなことはあんまり…なのですが、
今回の「16歳の殺人」は、状況が少しずつ明らかになってきて、もうなんともいえないキモチです。
たった16で体を売り、なにやら月に何十万とか稼いでいたような…。
そして男の取り合い、お金のトラブル、リンチ、殺人、死体遺棄…。
ニュース報道をどこまで信頼できるか…ということはありますが、
殺してしばらくたって遺体の状況を見に行って、余りのひどさに動揺し、母親に打ち明けたとか。
この事件、ありとあらゆる現代の病巣をかかえているようで、何にどう怒ればいいのか…。
自分の娘が、何をやって稼いでいたのか、親は…と、つい思います。
そして、彼女が警察に行く気になったのは、殺したからではなく「遺体がひどくなっていたから」。
じゃ殺して傷だらけ血だらけの時には、なんともおもわなかったのでしょうか。
さして計画的な犯行でもなし、すぐにわかるようなことなのに、一応「裏切ってごめん」だの、
ウソの供述だの…それでトモダチをかばっているつもり、またかばうことが友情とでも思ってる?
ラインで悪口を書いた、怒ったというのもほんとにコドモのやること。
ケータイのやり取りがでましたが「殺すぞ!」と、ケンカを売り、「やってみろ」と答える、
なんだかやくざのやりとりのようです。
そうやって大人ぶって啖呵を切ることが、かっこいいと思ったのでしょうか。
荒野の決闘みたいな、ドラマの中の1シーンのようなことを想像していたのでしょうか。
ラインで他の人に「殺すから見に来い」とか、そんなことも話していたとか。
で、引っ込みつかなくなって呼び出して、集団暴行…。
命の重さなんて何も感じていないし、もしかして「リセットボタン」でもあるとでも思っていたのでしょうか。
今になってその「ライン」をみていた子供たちが「こんなこと書いてきた」とか「こう言ってきた」とか、話しています。
そういうときに「こんなことを言ってる人がいるんだ、おかしい」と、大人に話すこともない…。
大人は自分の子供の「ケータイの世界」を知らない…。
ニュース報道では、名前が出せないために「この友人が」とか「友人の自供では」といいますが、
友人でもなんでもない、ただの犯罪者です。
この前の「美輪さん」の本の中で、日本のマスコミはハッキリ言わない、別の言葉を使ったりぼかしたり、
だから聞くほうが「危機感」を持たない、と言ってました。「いじめ」は「脅迫」、「セクハラ」は「強姦未遂」…。
今回のことも「接客業」ではなく「売春」、「友人」ではなく「容疑者」、一緒にやった仲間は「共犯者」。
運転した男性だけが、成人だったため名前が出ました。
被害者はまだ特定されていませんが、これではっきりしたら、被害者の名前だけはでるのでしょうか。
この少女は死刑になることはないわけで、30年後50年後に、自分のしたこと、自分の過去を、
どれだけ真摯に考えるのでしょうか。一生背負うものの大きさと、それを背負っていく覚悟は、
ちゃんとできるのでしょうか。
怖いねぇとかやだねぇとか、そうやって「知らない世界のこと」などと、思ってはいけないのでしょう。
たまーにでかけて、久しぶりに喫茶店などに入ると、一つのテーブルに3~4人のお客。
座ったとたんに、それぞれがスマホを取り出して、夢中になっていじっています。
たまに二人でもそういうときがあり、片方がスマホやりながら、合間に相手ともしゃべる…。
今、目の前にいる人と、なぜ時間を共有しないのでしょう。
顔が見えないといいたいことが言いやすい…ひっくり返して言えば「人と話せない」でしょう。
昔々母が「夜書いた手紙は、朝もう一度読み直してから出せ」と言いました。
夜という時間は、静かで、自分だけの世界になれて、つい感情的になったり、妙にロマンチックになったり、
相手が見えないから勝手に想像して、自分も相手に見えないから大胆になって…。
そんなことがあるものだと。お日様の下でちゃんと読み直して「恥ずかしくなければ出しなさい」と言いました。
ラブ・レターでそれやってどーするよ…なんて思っていましたが、文字を使ってコミュニケーションするということは、
直で話すより気を使わねばならないことなのだと、私は思っています。
気楽に話せる、ということがどういうことなのか、少なくとも「何を言ってもいい」ということではないと…。
「ライン」というものを使わなければ、この二人は、直で話してどなりあって引っつかみあいのケンカして、
それで別の方向に流れたかもしれません。
呼ばれたからついていき、初対面の相手を言われたから殴る…とどまるチャンスはなかったのでしょうか。
日本最初の携帯電話は、ベントウ箱くらいありました。肩からバッグみたいに提げて持ち歩いたのです。
だんだん小さくなり、薄くなり、いまやカードみたいです。
でも「スマホの薄さはココロの薄さ、人間関係の薄さ」になってはいけないのだと思うのです。
最近は理不尽な事件ばかりで「またか」と、顔をしかめて終わり…なのですが、
今回の事件は、余りにもいろんなことを含んでいて、つかまって終わりではないことに、
暗澹としています。
ホントに理解できない事件ですね・・・
私は自分がつらい思いをしたくない
愉快に楽しく暮らしたい
…と思ってます(誰もそう思ってるでしょうけど)
だけど、自分の傍にいる人も同じように心地良くなければ居心地悪いんです、だから周りの人(夫、子ども、孫)も心地良くなければ…、自分の家族だけでもダメ、ご近所も、住んでる町・市・県・国・・・世界中が平和でなければ・・・
言うだけで大きな事は行動できませんが、考えること、想像することは出来ます
回りに思いやりや心遣いで、挨拶で笑顔を広げる事は出来ます
人それぞれ考えは違って当たり前、意見の食い違いは気分はよくないけれど、手をあげてしまえばそこで御終い、話し合って・・・お互い歩み寄れるところから、折り合いつけながら・・・時間がかかっても・・・
何か自分の短絡的な思いを押し付けるだけで、意見をしっかりと言う力・聞く力・反対意見への意見力が無いのでしょうか・・・
あ、まとまらなくなってしまいました・・・m(_ _)m
取りあえず明日の選挙で自分の意思表示をしっかりしてきます
えぇ そうでしたね。
一人で夜更けに日記や手紙を書いていると
ありとあらゆる事が 大きく広がって
朝読み返すと
気恥かしくなったりなど致しました。
勿論 若い頃{の事です/cat_7/}
今回の事件
なんだかもう おどろおどろしくて
気分が滅入っております。
・・・
あまりにも軽薄過ぎる
回るような事だけはするなと厳しく言われ
ましたよね。
ご近所さんも結構目を光らせていて、今でいう
お節介ですぐ親に告げられ叱られました。
私なんかのする悪さは台所のザルを持って
魚掴みに行ったり木のぼりをしたりでしたが、
今回のこういう事をわずか16歳ですること
自体が考えられない事です。
後悔先に立たずとはこの事ですね。
ほんとに理解しがたい事件です。
「自分が楽しく暮らすには、人も楽しく暮らしてほしい」
それは基本的なことだと思うのですが…。
昨日のニュースでは、共犯の3人は、
事件への反省の言葉はなく、自分たちのこの先を
心配していたそうです。つまり刑期のことですよね。
なんと勝手なことでしょう。
余りにもいろんなことについて「軽い、薄い」です。
なんでもゲーム感覚、といいますが、
ゲームだって、やるときは真剣でしょう。
死ねといわれた…コレもよく聞きますが、
「死」の意味をわかっていないから、
簡単に口に出すのでしょう。
哀しい時代です。
言われましたよね、手紙。
確かに、やたら感傷的になっていて、きざなことが
書いてあったりして、いやちょっと書き直そ…なんて。
人の痛みに対してもも命の価値も、みんな軽すぎます。
自殺も後を絶ちませんが、そのたびガッコの先生は、
「命の大切さを話し…」なんていいますけどね。
それが響いていたら、こんなことしませんよ。
どこかがみんな壊れている…そんな気がします。
全部が全部、こんな子供たちではないと思いますが、
なんで自分の子供に「いいこと悪いこと」を
ちゃんと教えられないのでしょう。
おっしゃるとおり、昔は人の目がたくさんあって、
親も「人に迷惑をかけるな」とうるさく言ったし…。
今になってそれが「親や大人の守り」だったのだと、
よくわかります。
接待業なんていいますが、接待される大人がいるのも、
恥ずかしいことです。
いやな事件ですねぇ。
20年くらい前からぼつぼつ、のような気がします。
もしかしたら、もっと前からあったのかもしれませんが。
大人の方も、節度がなくなってきたのはいつ頃からか…。
事件自体については、色々思いますが、最近はこういう訳のわからない事件、途中経過を逐一追うのはしんどくなってきました。
手紙、私は「下書きして、ちゃんと清書して」って言われました。
祖父母への手紙でも、言われました。
そうなると、夜は清書できないんですよ。
清書、と思うとやっぱりちゃんとした字でないといけないような気がするんですが、夜遅いと字が整わない感じになってしまって。
手紙とか、書いたものは相手の手元にずっと残って読み返されたりすることもあるので、怖いですよね。
今の人たちが、メールをもらったら何分以内に返すとか、不思議です。
「了解しました」くらいならいいけど、数分以内にそれ以上の何が返せるのかなあと思います。
わたくし でございます
毎度の事ながら 粗忽者で申し訳ございません
まさか 16歳にもなって
死んでも 生き返ると思っている訳では無いですよね。
生きているうちは 何度もリセットが効くけれど
死んだら リセットは効かない
・・・