いつもどおりのネットサーフィンならぬ「ネットいぬかき」で、みつけた質問。
「色無地に黒繻子の掛け衿をしたいが」…というご質問。
「粋にさらっと着たい」というようなことを書いておられました。
お答えは数名の方で、やはり「今の時代にはそぐわない」「ワル目立ちするのでは」
「色無地にはねぇ」…といったようなお答え。私も大体はおんなじような考え方ではあるのですが、
だからと言って「江戸時代のことだから、今はやらないほうがいい」とは言い切れない思いがあります。
お答えの中にもあったのですが、衿に黒繻子をかけた時代は、まず「大きな髷を結っていた」ということ。
つまり「上下のバランス」のモンダイです。
これは以前にも書きましたが、安土桃山をすぎて、女性が再び髪を結い始め、
着物の形と、なにより帯の巾が変わりました。大きな髷には対丈の着物と細帯では、どうにもアンバランス。
で、だんだん下の方もハデになっていったわけです。
また江戸時代は着物の着方も違います、半衿を大きく出し、髷のために衿も大きく抜きました。
それでもなお、びんつけ油たっぷりの髪が擦れたりすることの「汚れ防止」に、掛け衿をしたわけです。
あ、すみません、今更ですが、掛け衿は「共衿」で、こちらの方が使われるみたいですが
私は「掛け衿」と言ってきましたので「掛け衿」でお話を進めます。
「汚れ」は、髪油だけではありませんが、それでなくとも今のように衣服を次々買える時代でもないし、
また気楽に洗濯機にポン、という時代でもありません。
ツギを当てたり、傷みを中に折り込んだり、いろいろ繰り回したりして着た大切な着物ですから、
汚れを防げるところは、念入りに防いだわけです。
つまり、黒繻子をかけるような着物というのは、庶民の普段着であり、江戸時代も後期になれば、
素材は木綿か麻、柄は縞柄格子柄、色は茶だの紺だのと、ジミ目にするようにと決められていた時代です。
一昨日の「茶系のはぎれ」、ちょうどあんな感じの着物を老いも若きも着ていたわけです。
あれに黒の繻子衿をかけても、さほど違和感はないと思いますが、派手な小紋とかだと浮きますね。
「色無地に」と書いてあったのですが、おそらく時代劇の商家のおかみさんのイメージ?
確かに、裕福な商家の女性は、家の中ではシブい「いわれ小紋」なんかを着ていたのかもしれませんが、
時代劇には、たくさんウソがありますからねぇ。
色無地はかつての武家の着物、元々が黒衿をかけるものではありません。
せいぜい紋なしの江戸小紋どまりでしょう。
では、ちょっと渋めの例えば細い縞柄とか、鳶八丈などの着物に黒衿かけたら…。
それでも目立つ…それはつまり「見慣れないから」なんですね。
今ドキ黒の掛け衿なんて…と思いますか?でも、今でもちょっと昔仕立ての「綿入れ半天」は、
みんな黒のビロードの衿、ついてますよね。あれは逆にないとなんかヘン…ってなりませんか?
ニンゲンの感覚なんて、そんなもんなんです。
洋装は毎日見慣れていて、その変化も目の当たりにしつつ暮らします。
たとえば「ミュール」、あれを初めて見たときは「なんてだらしない履物だろう」と。
その感覚は今でもかわっていませんが、靴ともサンダルともつかないあの形、
歩くとペッタラペッタラ、季節はずれの餅つきのような…はたまたカコーンカコーンと、
ヘタな鍛冶屋の相槌のような…あれは今でも「なんとかならないものか」と思っていますが、
若い方には好評で、あっというまに広まり、なんだかイブニングドレスのようなものにまでアレだったり。
それとても見慣れてしまえば「ああいうものなのね」と、別に珍しくもなんともありません。
でも、着物はというと、それでなくとも「着物そのものが珍しい」時代です。
そこにいきなり黒衿掛けた着物で、銀座でお買い物したら…目立つでしょうし、ある程度知っている人は
「ありゃ明治までのカッコだよ。黒髪を島田に結いあげて衿を大きくぬくからいいんだ、アレは」なんて、
きっと言ったりするでしょう。
つらいとこですねぇ。
ではちょっとお絵かきイタズラしてみましょう。
トップの着物は、頂き物の紬です。もう一度出します。年齢問いませんが、少し明るい目の青なので、
お若い方の方があうと思います。
これに紺の掛け衿してみたら…こんな感じ。右は少しジミ目の青地。
小紋ではどうでしょう。
これが…
こうなりました。やっぱり「仕事着」って感じでしょ。
ワルノリで、やってみました。細い縞の小紋です。
とたんに、ついさっきまで「長火鉢の向こうで、キセル片手にそろばんやってました」みたいな…。
着物ってフシギですね。セーターやブラウスにスカーフするのとはわけが違うんですね。
私は、色の掛け衿は悪いものではないと思っています。
やっていませんけどね、要するに綿入れ半天のビロード衿と同じ感覚です。
元々着物の衿というものは、まず反物を広げ、袖と身頃という「反幅」を使う部分をはかり、
残りの部分を「おくみ」「衿」の分として、半幅にカットしたところから使うものです。
片側はおくみに、そして残りから衿と掛け衿になります。
では、この掛け衿はなにか、というと、黒繻子衿とおなじもの。つまり汚れ防止です。
掛け衿は、はずして洗えますから、汚れたらはずして洗う…でも、コレばかり洗えば、
当然色も少しずつ落ちましょうし、なにより衿のあの薄黒い汚れ、体にピッタリついているわけではないのに、
どうしてあそこだけ汚れますかねぇ。しかも日に当たるところですから、ヤマの部分は色褪せするし。
というわけで、掛け衿は、いろいろ工夫してももう使えないわというときは、替えます。
実は、身丈の長さをガマンすれば、掛け衿は二枚取れます。つまり「揚げ」をあきらめる…です。
ただしイマドキの長身のお嬢さんは無理だと思いますが。
そうやれば、掛け衿は二枚取れて、この二枚を使う、そしていよいよ二枚目もダメになったときは、
元々の本衿を使う…というわけです。
もうひとつは、傷んでいないきれいな本衿をはずし、そこから掛け衿分をカットして、
残った本衿の先に、汚れがおちなくなった掛け衿をつなぎます。
このときつなぐのは、着たときに中側に先に入る右側に。
こうすると、きれいな掛け衿がまたとれるというわけ。
いまどきはそんなにしてまで着ませんから、古着の工夫ということになりましょうか。
ともあれ、こんな風に、昔の人が着物を長く着るための工夫、掛け衿は今もあっていいと思っています。
ただ、質問の方は、とりあえず「見た目のカッコよさ」を考えておられたようで、
「粋にさらりと」…それは保障しかねます。
映画やテレビからの情報で「かっこいい」と思うことは、別にかまいませんが、
いつもいうとおり、そうなるにはそうなる理由がある…なんか最近CMでやってますね、白いワンコが。
意味をよく知れば、本当の「粋」というものも、感じがつかめるのではないかと思うのですが。
例えば私、いずれ着物暮らしをしたいと思ってますが、普段ザカザカ着るなら袖は船底の方がラクだし、
黒とまでいかなくても、例えば一昨日のあんな感じの茶色の着物なら、
茶色系の無地で掛け衿をするとか、それもおしゃれかな、と思っているわけです。
昔々の近所のおばちゃん、おばあちゃんのウールや木綿の着物には、いつも衿に手ぬぐいや、
「ネッカチーフ」と呼ばれた、ちょっと洋風の生地がかけてありました。あれでもいいんですけど、
ちょっとババくさいんですよねぇ。こめかみに梅干貼ったり、割烹着かけたくなったり…しそうです。
なので、色の掛け衿をかけて、前垂れですごしたいもの、なんて思っているわけです。
今の時代にないものでも、便利だったりステキだったりすることは使ってもいいと思います。
ただし、ただのマネッコでは本当の「ステキ」は、わからないと思うし、
浴衣に伊達衿をするのも、単純に「キレイ、カワイイ(イマドキの人はこの二つしか知らんのでしょうか)」で、
暑苦しく重ねれば、それは単なる「アクセントカラー」にしかなりません。
十二単の理由や、襲の色目を覚えよとは申しませんが、少なくとも「使うべきところに使うべきものを」
「使うべき色を使うべき色に」と、それをすっとできるくらいのセンスは、
洋装で慣れている人には、難しいことではないと思うのですが…。
さて、帳場に戻ってそろばんを…って、私やってませんてば。
さすがに、銀座でお買い物にそれはないだろう、と思って。
理由はトンボさんの書いておられるのと同じような感覚なんですが、あまり長々とも掛けないし、うまく伝わったかどうか。
後からゆっくり考えると、縞や格子の紬やお召しなら似合いそう、というくらい書けたらよかったかなあと思います。
それでもどうかなとは思いますが、今お出掛けで着る着物で似合いそうなものってその位かなあと思うので。
でも、お召しの縞とか、見かけませんねえ。
黒の掛け襟かけると、どれも働き者っぽく見えますよね。
私のイメージも、小さなお店とか長屋のおかみさんでかいがいしくつましく暮らしている、って感じなんです。
着物は藍木綿の縞や格子で。
粋とはほど遠いイメージです…。
ところで、女性の「粋(いき)」ってどんなのでしょうね。
男性の粋のイメージはありますが、唄だと「辰巳芸者」とか?
江戸時代(の江戸)にいう地の女には、粋はなかったんでしょうかね。
帯も裏?の黒い部分を折って見せて着るのって、かっこいいって思ったのですが、これも、今の時代ににやったら変なんでしょうね。
近い将来 やってみたいなと
やるなら 家庭着
となると 木綿やウール
紬
黒は少し強過ぎるかな
・・・
働いてます って感じで良いじゃない?
長い前掛けも一緒に欲しいな
なんて いつも通り 実行には移さず(移せず)
一人で考えていただけ
祖母は 髪を梳く時には手拭いを肩に掛け
また 普段着には衿には手拭いが掛けられ
人が来ると さっと外していたような・・・
と言う事で 私の中での 色掛け襟は
手拭い同様で 家庭着 働き着の域を出ないのですが。
流行らないかなぁと思っているのです。
新婚時代は着物を着て、買い物も割烹着を
して行っていました。
世間がそうだったから・・・
今は着物を着ていると お出掛け?と聞かれ
ます。
衿に黒をつける…洋装でなにかトリミングをする感覚?
アクセントカラーじゃないんですけどね。
小紋の縞とかなら、色柄的には合うと思いますが、
どう見ても「よくはたらく人」のイメージですね。
それをイメージとして捉えられないのは、
やはり着物のことがしられていないから…でしょうか。
「粋」は辰巳芸者の…というのがひとつの説ですが、
いわゆる「小股の切れ上がった」というイメージが、
先行しますかねぇ。
大まかな言い方で「江戸の女は粋だよ」とか、
んな風にもいいます。
地の女でも粋はあったと思いますよ。
江戸育ち、ちょいと地黒で小またの切れ上がったいい女…なんて。
元々「粋」というのは、言葉ではあらわしにくいものです。
顔がおたふくでも、ださいカッコでも、言うことがシャレていたり、
やることがスマートだったりすると「粋だねぇ」と思いますし。
私の「女性の粋」もそんなイメージです。
投票啓蒙、お疲れ様です。
私はいきましたので。
時代風俗というのは、取り入れ方を気をつけないとですね。
例えばマリー・アントワネットの髪型がステキと思っても、
今そのままアレを結って、普通にスーツきてもねぇ…です。
取り入れるには、まずその対象をよく知ることと、
アレンジですね。
帯を黒い部分折り返すことについては、今日の記事で書きました。
掛け衿よりは、応用きくと思いますよ。
どこまでいっても「普段の汚れ防止」ですね。
私も前垂れは持っていますが、
木綿の厚手で作りたいと思っています。
母も、神を梳く時は、肩にてぬぐいでしたね。
あのころはいろんなところからてぬぐいをもらったものですね。
おうち着物では、ぜひやろうと思っています。
実際選りだけ洗えたら、いいですよね。
それにしても、どうしてあんなに汚れるものなんでしょうね。
私もけっこんしてしばらく着物で買い物なんかしてました。
割烹着だったり、冬はひっぱりや半天で。
着物の人はあまりいませんでしたが、
いまみたいに振り返ってまで見る人なんてのは、
いなかったですよね。もっと着てほしいものです。