トップの「おバカ写真」は、10数年前、息子の学校行事で着たときのもの、行事終って気が抜けて、
ついでにお太鼓もぐずってる…でへへ。頂き物の色無地ですが、八掛が柄入りです。
着物を着ているとなにかいわれる…これは地域にもよりけりだと思いますが…。
よそ様のブログで「着物を着ていると…」というお話しがありました。
その人を知っている人たちは何も言わないのだけれど、着物に興味のない人は「ナニ張り切ってるの」だったり、
ある「人の集まる会」で、遠まわしに「(洋装の)私たちがお付きみたいだ」というようなことを言われたそうです。
その方は、あぁ迷惑だったのかとか、不快に感じる人もいるのだ…そのように感じられたらしいのですが…。
ちなみにその時は「紬」だったと。
これって年齢にもよるのでしょうね。
私が20代のころ、友人と会うのに着物で行くと、確かに「あら着物ぉ…?」みたいなことは言われましたが、
私が着物を一人で着られるのはみな知っていましたし、たとえ「えぇっ」と言っても、
それはどちらかといえば反感もってではなく、「いいねぇ」「とんぼは自分で着られるもんねぇ」の方で、
決して「なに一人できどってんのよ」ではありませんでした。
それというのも、40年前は着物について、たとえ着られなくとも着なくとも、今よりもう少し着物は身近だったし、
着物っていいよね、着られたら着たいね…という気持ちも素直にあったからではないかと思います。
あの時代から、更に着物が遠のき、着てると必ず振り返られる…となりました。
そうなると「反感」を持つ人も出てくるのでしょうね。
そういう人にとって「着物は特別なもの」なのだろうし、ナニを気取ってわざわざ着物など…なのかもしれないし、
心のどこかで「うらやましい」という気持ちもあるのかも。
それが紬だろうが訪問着だろうが、着物というだけで「きどっちゃって」とか「着物着られるからって」とか、
自分にできないことをしていたり、自分が持っていないものを持っていたり…それに対しての
やっかみのような気持ちもあるのではないかなーとも思います。
若いときって、素直に「わぁいいねぇ」がいえないことってありますからねぇ。
あるかたは、嫁入り前から着物に親しんでいたので、嫁いだあと、普段にウールや木綿着物など着たところ、
お姑さんから「昼ひなかから着物なんか着て、ご近所にあそこの嫁は遊んでると思われる」といわれたそうです。
お姑さんが、私より年下ですから、着物ナシ世代なのでしょうね。
こういう「特別な目で見られる」というのも、今の着物にとっては受難時代なのだと思います。
がんばって着てほしいです。目に慣れてしまえば、別にどうということもなくなるのですよ。
かのブログのお若い方も「迷惑だったのか」なんて思うことはありません。
その時の「場」にあった着物なら別に問題もありませんし、何か言われても気にしないでほしいものです。
着物が好きなら、人のために着ているわけじゃなし、着られることを自慢するために着ているわけじゃなし、
歌手みたいにドハデな振袖を着ていたというわけではないんですから、
洋装の自分たちがお付きみたいじゃない、というのは、その人が洋装をしていることに引け目があるからか、
着物のことを知らないがための偏見があるからでしょう。着物はおおげさだ…とか。
そんなマチガイは、あちらさまがオキノドクなかた、というだけのことです。
私は元々なんでも「母仕込み」ですから、人が見ようと、指差して何か言おうと、全く気にしないほうです。
母はいつも言ってました「コッチの着ているものに対して、上から下までねめつけるように見てはるのは
けなるいねんやと思うといたらええ」と。「けなるい」とは「うらやましい」のことです。
つまり「こっちをじろじろ嘗め回すように見ているのは、うらやましいからだと思っておけ」です。
少し大人になってからは「だからこそ、みっともない着方はするな、色合いや柄あわせを考えよ」と。
仕立て下ろしを着るのに、しつけの糸が1センチでも取り忘れて残っていたら、
「オマエは、表を裸で歩くのも平気なんか」と、眉間に縦ジワ寄せて怒りました。
しつけ糸の取り残しは、下着が見えているとか、スカートの裾が糸がほつれて垂れているとか、
そのレベル以上の恥ずかしさだ、という認識なんですね。そう、タビの余計なシワも。
それとともに、色柄素材も「アタマを使え」と言いました。
季節感や年齢、それを着ていく場所や場合などにあわせて、恥をかかないようにしっかり考えよ、と。
そういうことを折りに触れて、言葉で教えてくれました。
私にとっていつも着物は自分の暮らしの中の「着るもの」の中に一緒くたに入っていましたから、
特別なものではない…それが今の人にはないわけですから、イチから知らねばならなかったり、
どうしても「特別なもの」に見えてしまったりするのは、本当にオキノドクなことと思います。
自分にとって「当たり前の着るもの」になってしまえば、着物を着た人を見る目が変わる…
「あれポリだ」とか?ありゃりゃ、そりゃまたよけいごとですが。
私が50に近くになると、母もいい加減おばーちゃんになってましたから、益々「毒舌」に磨きがかかり、
着物着ていて、ジロジロと無遠慮に見られたりすると
「フンっ、悔しかったらアンタも着たらええやん」なんてボソッとつぶやく。もちろん聞こえないようにですけれど。
母は、言葉に棘を持つ人でしたから、優しい教え方はしませんでしたが、
「なんも遠慮することも恥ずかしぃて思うこともない。その人に買ぅてもろたわけでもない。
自分の所帯(勘定)で買うてんねん。着物は衣装や、どうせやったら『くやしいけど、えぇなぁ』と思わせる方が勝ちや。
そやから外に出るときは気ぃ抜いて着たらあかん」と、帯が低すぎるの、半衿の色があってないの、
なんでその着物にその帯なんだのと、そりゃうるさかったです。
結婚してから、主人の長期出張中に家族で旅行しようということになって、私が「この紬にする」と、
いわゆる「ジミ・セット」にしたところ、母が「ほなウチは洋服にするわ」と言いました。
「オマエがそんなジミな紬着たら、ウチは着る着物があらへん」というのが理由でした。
しかたなく大嫌いなピンク系の紬にしましたが、今にして思えば「若いうちにしか着られない色がある」ということ、
連れがいたときは連れの着るものにもココロを砕け…ということであったのだと思います。
その時の「キライ・ピンク・ツムギ」、母は紺地にチェックの裂取り風の紬。
以前このお話をしているので、写真は再出、まだスキャンできなかったのでボケてます。
着物はタダの「着るもの」です。人から見て特別に思われてしまうのは、今の時代、ちょっと悲しいことですが、
だからこそ自信もって着ていただきたいと思います。
今また「ジミ・ハデ」について書き始めています。もう少しお待ち下さいね。
見られて楽しく、見て楽しく、着て楽しく、着られて楽しい…女にとって装うということは、
いつも楽しくなきゃね…なんですね。
派手めな着物を着ていたわけでもなく、髪を綺麗ににセットしていたわけでもありません。
一度は、紺色の大島にえんじ色の縮緬帯だったかな?二度めは、同じ大島に、白地に椿柄の帯でした。
電車で隣に座ったおじさん(少々酔ってました)に馴れ馴れしくされ、かなり不快な思いをしたことも…。
ですね。確かに着物を着ておられる姿を
見かけるとつい、見てしまいますが、素敵ねぇと思っては見ますが、気取ってと思うなんて・・・寂しい人もいるんですね。
数年前のOB会、着物は私だけでしたが他の方は
いいなぁ、着物を着てくればよかったと言って
くれました。
綺麗な緑色系の着物はありそうでないですね。
お友達は綺麗な洋服、私は千円くらいで落札した銘仙に八寸帯だっと思うのですが、
ホテルでランチを食べに行った時にレストランのギャルソン?の方が着物ということで色々と気遣って下さり、
たとえ安い普段着物でも特別視されるのだなあと思ってしまいました。
友達は子供の頃からの付き合いなので全く気にしていませんでしたが、
相手によっては「なんで着物だけ・・・」な気分にさせてしまうかもなあ、
相手によっては洋服にした方が良いかななんて色々と考えました。
でも信号の無い交通量の多い横断歩道でいつもはなかなか渡れないのに
着物を着た時はダンプカーがガガーっと停まってくれまして、
(運転手さんがどうぞ渡って下さいと手でアクション)
その時は着物パワー凄いわあと思いました笑。
それでは、一発ギャグを(・ω・)ノ
…「仲居さん」にまちがえられたこと、あります。
ああ。
「自分の所帯」ってステキだ。
私もあのブログ、気になってたのでその内書こうと思ってました。
最近の人(40歳未満)って、親も着物を知らない世代だし、好きで着物みちに入り込んだ人は結構苦労してるみたいですね。。。
思うに、洋服もファストファッション、何もかもお手軽でお安いところに、自分たちと大きくかけ離れた(と感じる)着物の人がいると、居心地悪いのでしょう。ファストファッションは安くて便利でみんなが着てるのが売りなんだから。
やっかみだと思いますよ。
問題はこの人たちがやっかんでるのに気がついてないってことで。
自分の正義を振りかざしたりするの。
その心根の方が問題だと思います。
着物を着ることに関しては、とんぼ様の意見に大賛成!お母様のお言葉にチカラが湧きます!
たかが着るもの。好きなものを上手に着てこそなんぼですよね~!!!
ところで。。。着物を着て仲居さんに見えたんだとしたら、その着物はちょっと老けて似合ってないのかも。義妹が私の着物を着ると、仲居に見えます。
ちなみに私が義妹の着物を着ると、岡場所の女郎に見えます(ーー;)悲しい。
自分と違う物に対して「あらぁ・・・」という視線を投げかける方はいるものです。
おおむね「嫉妬」と解釈しております。
そういう視線を感じたら「どお?いいでしょお?」と
優越感をにじませて微笑みかけるのが大好きです。
「悔しかったら、着てごらん!ま、あんたにゃ無理でしょうけどね」
この「上から目線」だけには自信ありますっ。
私が、時々着物を着るので、娘たちもまんまと着物好きに・・
で、あるとき、某世界遺産に家族みんなきものを着て出かけたら、まあ、目立つこと目立つこと。
勝手に子供にカメラを向けられ身体を張って防御したり、
修学旅行の女生徒に『なにあれ?』と思いっきりにらまれたり。
下の娘はすっかり萎縮してしまいました。
上の娘は、『だからどうしてん』と開き直ってましたが。
もちろん好意的な声もたくさん聞かせていただきました。
『可愛いわねえ』『まあ、良いわねえ』
『BEAUTIFUL!』
外国の方は、素直に誉めてくださるので嬉しいです。
否応なく、『見られてしまう』からこそ、『恥ずかしくないように』着る。
お母様やとんぼさんの言葉に勇気づけられました。
秋になったらまた、家族で出かけてやる!
素敵な色のお着物ですね。さっと着物をお召しになれるとんぼさんが羨ましいです。
私は着物を着ようと思うと大仕事になってしまいます。。。
なんとかそれを克服すべく頑張ろう(笑い)。
なんだかこと着物となると日本人の頭の中って変なものがわくんですよねぇ。
着物ってものすごく「特別」なものという感じになってしまって。
これ、見る方もなんですけど、着る方側にも「着物買える、着物着られる、特別なワタクシ」って意識があるような気がします。
初めての中学校の運動会だったんですよ^^;
目立つだろうなあとか、舐めるように見る人もいるだろうなあ、と思いつつもほったらかしです。
我ながら図々しくなりました;;
色々考えてもしょうがないですもんね。
ただの木綿の着物姿でも、目にする側で色んな思惑があるようですが、こちらではどうしようもありません・・・。
子供たち(主に男子)からは概ね好評です(笑)
とんぼさんの色無地姿、格好いいです!!^^
やーらかもんを自分らしく着られるのって憧れます。