ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

やっと見つけました

2010-10-12 18:34:37 | 昔の道具・暮らし
ずっと前から探していたんです。「蚕カゴ」…。
以前から何個も見つけていたのですが、状態が悪かったのと、ほとんどが「カゴ」のみ…。
以前、何か紙が貼ってあるのを見た記憶がありましたので、
できればそれがほしいと思い、ずっと買わずにきました。
やっと見つけたのでゲットしたのですが…。

実は…この「紙が貼ってある」ということは、養蚕を続けていたのなら
「ありえない」形…ではないかと思い始めたのは、
紙貼りのカゴを探し始めいろいろ調べていてきがついたこと…。

説明しますと、まず「蚕カゴ」というのは、丸型と角型があります。
私が母の田舎でみたものや、骨董市などで見たものは「丸型」ばっかり。
「丸座」「角座」と呼ばれたり、また地方によって独特の呼び方もされています。
いずれにしても、このカゴの中に蚕をいれ、更にこのカゴを
蚕棚に並べるわけですけれど、それを考えると角型のほうが効率がいいですよね。

とりあえず、このカゴに桑を敷き、蚕を入れて育てるわけですが、
先日の「絹」の記事でも書きましたように、蚕は毎日「きれい」にしなければなりません。
そこで「桑給台」一般には「桑ふり台」と呼ばれる折り畳みの台に、
一カゴずつ蚕棚からこの丸カゴあるいは角カゴを運んできて乗せて、
桑の取替えやフンの掃除などをしたわけです。
そこでいろいろ調べてみましたら「紙ごと取り替える」のが普通…。
つまり、私が見た「紙を貼ったもの」では、紙が汚れても取り替えられません。
いつもの呉服屋さんが、昔近所で養蚕もやっていたと言っていたので、聞いてみました。
ご本人「虫」が嫌いで「あれがあるから私は田舎をでたのよ…」そーだったんだー。
いえ、それはともかく、お話しによれば「そこまで見ていなかったなぁ」
(というより気持ち悪くてよく見られなかった)
ただ、カゴに筵をしいていたのを見たと…。

また別のサイトでは「専用の紙」を敷くとありました。これは現代の話です。
茶色い洋紙だそうです。これはある程度生活向上が成されてからのことで、
時代によって新聞紙なども使われたそうです。
元々蚕は人が作り出したものゆえに、自然界の虫たちよりはるかに「虚弱」。
病気にも弱いので、常に清潔を心がけるわけです。
たとえば、養蚕のサイクルが一度終わり、繭を出荷してしまうと、
使った道具をきれいに洗い、天日干しをして殺菌する。
そうしないと、雑菌が繁殖したりして、次の蚕が病気になるのだとか。

やっぱり紙貼っちゃったらまずいんでないの?…なんですが、
実は、このカゴも、別の「編み方」のカゴがあります。
それはこんなに粗くなくて、ちょうど敷物のようにぴっちりと隙間なく
シートのように編んであるもの。
で、毎日のお掃除、なんですがどうやるか…お蚕さんの習性を利用するんですねぇ。
なんたって、必死で桑を食べている「齢」のお蚕さんは、ダイエット志向はもちろんゼロ、
そして「グルメ」…ですから、まず掃除してカゴの中の桑を新しいものにすると、
更にその上に網をかけておきます。
そして、次に敷きもののお取替えの時には、網の上に新しい桑を振りかけてのせる…、
するとお蚕さんは「新しいほうがおいしいじゃーん」と、網の目をくぐって上にあがってくる。
よっしゃとそこで網ごと移動させ、下のカゴの古い桑や、フンの始末をし、
新しい紙や筵を敷いて、お蚕さんにおもどりいただくわけ。

こうして考えてみると、別にカゴに紙が貼ってあっても、
それはきっちり組んであるカゴと同じわけで、その上に別の筵や紙を敷けばいいわけですよね。

まぁ養蚕のなんたるかを「文章とと写真」でしか知らない私ですから、
あくまで想像なのですが、蚕カゴそのものが、ものすごく目が粗いということは、
通気性や洗うときの手間や乾燥などを考えてのことと思いますし、
結局更に上にモノを敷くのですから、粗くてもよかったんでだと思います。
ただ、いずれにしても全部終わったら、きれいに洗わねばなりませんから、
これはきっとどこかの農家の「最後の養蚕」のあと、そのまま残ったのかな…と。
あるいは新しいカゴを買ったので、これは桑の葉を広げる道具にしたのかもしれません。
結局正しいことは分からないのですが、考え付いたのはここまででした。
ご存知のかた、紙貼りっぱ…のこのカゴについて教えてください。

ちなみに貼ってあるこの和紙なんですが、達筆すぎて読めません…。


   


カゴの表から貼ってあるので「網目」がジャマして読みにくいし、
貼り合わせてある向きもばらばらだし…、そこで裏向きにひっくり返して鏡で写してみました。
まぁ達筆なのは変わらないので読めませんが、ところどころ読めました。
「帳簿」のようです。反故になった「大福帳」でしょうねぇ。
「反故(ほご)」はいらなくなった手紙や大福帳などのこと。
約束をホゴにする…などの言い回しはここからきています。
江戸時代は、この「反故紙」を集めるシゴトがあって、
集められた反故紙は、漉きなおして「トイレ用」などの紙に使われました。
いろいろ書いてあるんですよ、これは「白キャラコ」のようです。足袋のことですかね。


        


こちらは右から「パナマ帽・手拭い・手拭い・コンタビ」次がわかりませんで最後は「クツ下」と読めます。


      


これは「シャツ・風呂敷・コール十文」、でしょうか。
コール十文というのは、もしかしたら「コール天足袋十文(ともん・昔の足袋のサイズ)」ではないかと。
ちなみに「十文」は、24センチサイズ、私は大人になってからはいつも「九・三」
つまり九文三分で、22センチでした。この「文」というのは「一文銭」を並べた長さと言われています。


      


名前をひとつ見つけました。加藤長四郎様…どんな人だったんでしょうねぇ。


       


私は、ただ普通に着物を着るだけだった暮らしから、
こんな風に古着や古布を手にするようになって、
着物だけでなく「古いもの」がいとおしく思えるようになりました。
元々古道具などは好きでしたが、ただカッコいい、とかおもしろいとか
「こんなの使ってたんだー」という物珍しさだけでした。
今はひとつの道具を見ると「どんな人が、どこで使っていたのかな」と、
もう戻れない古い時間の、どこかわからない空間に旅をするのが楽しくなりました。
骨董として高値がつくようなものは何ひとつありませんが、
これを使って暮らしてきた人たちのおかげで今の私たちがいる…と、
時間はずっとつながっていることを感じでいます。
このカゴ、うまく小さな一輪挿しなどを取り付けられたら、
階段の踊場の壁に飾りたいなぁと…思ってるだけですー。

    

コメント (14)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« きものばなし素材その2「木綿」 | トップ | きものばなし素材の3「麻」 »
最新の画像もっと見る

14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (陽花)
2010-10-12 19:56:03
子供の頃、伊吹山の麓の伯母が蚕を
飼っていたんですけど、あの頃は
気持ちの悪い虫だと思っていました。
桑の葉をあげるお手伝いとかしたんです
けど、興味がなかったんでしょうね。
どんな道具を使っていたのかまったく
覚えていません。

足のサイズ、よく文数で覚えておられますね。
わたし、もう忘れてしまいましたわ。
返信する
蚕のカゴ (おつう)
2010-10-12 22:25:53
兵庫県で養蚕をされていたお家の方にお話しお聞きした時も、上に新しい桑の葉を乗せた網や籠を乗せればそちらへ移る・・・とおっしゃってました。
残った籠には古い葉と糞が残りますし、それらは良い肥料になるとのこと。
一番下の籠は糞などが落ちないように紙を張っていたのかしらと想像しました・・・。

それぞれのお家でやり方もあったでしょうし、これが正解とは難しいことですねえ;;

状態の良い籠ですね!
わたしも欲しいです~
年に一度でも、お蚕さんと暮らせたら・・・とずっと夢見ていますが、まだ先になりそうです^^;
返信する
お蚕さま (Sari)
2010-10-13 02:57:14
お役に立つことは何もないのですが、
実家ではアパートを一軒持っていて、蚕糸試験場にお勤めの姉妹が住んでいました。
子供だった私と妹に、夏休みの勉強になるかもと、たーくさんのお蚕さんをくれました。
桑の葉も運んできてくれて、四角くて平らなお菓子の空き缶数個で育てました。

夜中に枕元で、サワサワサワサワと桑を食む音が聞こえ、一生懸命に生きているのが感じられ、とても愛しかったです。

骨だけにした団扇などにも繭を作ってもらい、
きれいな真綿団扇にしようとしましたが、
なかなか(笑
お蚕さんて新幹線のような顔、じゃないんですが顔のあたりがそう見えて可愛く、触るとヒンヤリしているんです。

蛾も蝶も苦手どころか怖いのですが、蚕蛾だけは怖くなかったです。
蛹は祖母や母が茹で(臭いがきつい)、佃煮にしたりすりつぶしてカプセルに入れて飲んでましたが、
私は悲しくてとても・・・

勉強のためと少し残した蚕は、蛾になっても飛ぶことは出来ず、真っ白で小さな体で交尾して、卵を産み付けていました。
本当に人間のためだけに改良された体なんですね。

糞や潰れると、桑の葉しか食べないので、きれいな緑色で(糞は時間がたつと黒くなりましたが)
葉緑素の塊だから昔は歯磨き粉に入れたものだと祖母が言ってました。

その後、蚕糸試験場はつくば(?)に移転し、跡は公園と小学校になりました。
東京育ちなのに、いい経験させて頂いたと思います。
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-10-13 18:51:12
陽花様

母も子供のころに、だれのいえだったか
おぼえてないけど手伝ったと…。
私が子供のころは、まだ「お手伝い」って
いろんなことさせられましたよね。
記憶の中にそういうことがあるのは
ステキだなと思います。
私はもっぱら「障子貼り」とか、そっちですー。

文数は、母と私が同じだったので、
足袋に印を付けておかないと
どちらかわからなくなる…それで
「おんなじキューサンやし、ややこしわ」と
年中いわれていたので、覚えているんです。
いつの間にからんちになりましたねぇ。
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-10-13 18:53:23
おつう様

ひとつの仕事には、聞かなきゃわからないことが
たくさんありますね。
もしかしたら、一番下のものだったかもです。

本当は合掌造りのような建物で使われた、
すっかり黒くなったものがほしいのですが
なかなかでませんねぇ。
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-10-13 18:56:10
Sari様

とてもいいお話を聞かせていただきました。
何によらず「本当に経験したこと」というのは
勉強になります。
珍しいエピソードもまた、蚕のことを
知ることができました。ありがとうございます。
いつも「天蚕」は桑以外の葉を食べて
緑色になるのに、なんで蚕はあれだけ桑を食べても
緑色にならないのだろうと、
フシギに思っています。
自然のマジックですねぇ。
返信する
Unknown (さえ)
2010-10-13 19:58:59
小さい頃繭を干してある家が一軒だけあって、帰り道に良く見ていました。
なつかしい・・・・
まさにこの篭で干してたんですが、干すときって紙貼ってたっけ。。。。
繭は白くてかわいくて好きだったんですが、大量にゆでた蛹が干してある時があって、その時はアンラッキーな気分になりましたねえ苦笑
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-10-15 00:47:34
さえ様

蚕そのものは白くてころんとしててかわいいですけれど、
中身がねぇ…。
ゆでて…やっぱり飼料かな。
子供のころ、家のそばにごく小さ~~な
牧場があって、ヤギのお乳をもらってたんです。
家畜のいるにおいとか、手作りの柵とか…
思い出の中にそういうものがあるのって、
なんかトクした気分ですね。
返信する
Unknown (さえ)
2010-10-15 18:33:27
なるほど飼料ですか。。。
と思ってはっと思いだしました。
釣りの餌にするさなぎ粉の写真。
まさに蚕のさなぎだったような。。。

やぎの乳は独特のにおいがあると聞いたのですが、ハイジとか見るとすっごくおいしそうですよね。
私はチーズなら食べたことがありますが、どうもだめでした><
やっぱり慣れるとくせになりますか?
バターだって「バタ臭い」って最初は受け入れられなかったですよね。
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-10-16 11:49:14
さえ様

釣り餌…そうかもです!
高級蛋白源ですからねぇ。

ヤギのお乳の味、おぼえてないんです。
元々牛乳が嫌いだったので、母が
お砂糖を入れて飲ませてくれたはずなんですが。
いまや、腰に手を当てて一気飲みです。

私がその家に越して数年で、
牧場をやめてしまったんですよ。
遠くの野原っぽい景色と、そこにいたヤギさんと
納屋みたいな建物、おなべ持って友達とたっている自分…
記憶は断片的なんですが、
牛乳が嫌いでなくなったということは、
ヤギさんお乳が、クセがあっても、
おいしかったんじゃないかと思っています。
返信する

コメントを投稿

昔の道具・暮らし」カテゴリの最新記事