ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

今日は1月17日

2019-01-17 23:03:39 | つれづれ

 

朝、ふと新聞の日付を見て、あ、17日だ、と気づきました。

時間はすでに7時を回っていましたので、あの日なら、すでにもう地震が起きたあとです。

あの日からもう24年です。はやいものです。震災直後に生まれていても、すでにハタチを越えています。

そして東北震災は2011年、こちらもすでに8年です。

阪神大震災で、防災のことが言われましたが、まぁ人間なんて「忘れる」生き物。

でも10数年の時を経て起きた東北震災では、さすがに「日本は地震が起きる国なんだ」と、再認識しました。

阪神のときは、地震と「火」、そして東北のときは地震と「水」でした。あわせて「原発」。

地震も大変な大きさだったけれど、火が出なければ、津波がこなければ…。

少しは被害が少なくなっただろうと思います。

 

あれこれというのはやめますが、とにかく「備えること」「伝えること」。

風化が一番恐ろしい、というのはよく耳にします。

忘れないこと、学ぶこと、伝えること。どちらの地震も直接大きな被害にあわなかったこのあたりですが、

明日はわが身かもということを、誰も否定は出来ません。

今日はちとカゼ気味で鼻がグシュグシュ…ぼーっと一日すごしてしまいましたが、

24年目になっても、まだロウソクの炎に手を合わせている人の、こぼれる涙は忘れずにいようと思います。

 

どちらの地震も「平成」でした。

次の元号は、まだ発表されていませんが「○○の大震災」なんて言葉が、

残らないでほしいもの、と思っています。

明日はまたちょこっと防災用品のチェックをしましょう。


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2 コメント

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こんにちは。 (あけ)
2019-01-18 12:55:50
阪神淡路大震災…当時、私は、新婚で、中古の家を、須磨区に買ってました。豪音と共に、ベッドから、落とされ、主人は、気を失って、主人を、引きずりながら、何とか、玄関先へ、余震が来ないうちに、上着と靴下と、貴重品を、鞄に詰めて、外にでると、家が、半分、傾いてました。主人の、独り暮らしの、叔父は、長田区で、火災で、亡くなりました。今でも、寝る前は、パジャマは、着ないで、厚着をして、水を、あちこちに、貯めて、非常食は、切らしてません。あの息のつまる、避難所生活…二度と経験したくありませんね、あの大災害を経験した方々は、あの震災を、風化していないでしょうね。
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Unknown (とんぼ)
2019-01-18 22:29:02
あけ様

さきほどまた地震がありました。
3程度かな、でしたが、夜は特にイヤですね。

たいへんなご経験をなさったのですね。
命が助かれば…は、あたりまえのことですが、
それでも避難所生活は、映像でみているだけで、
こちらまで疲労する気がします。
経験した人は、風化していくことに不安があると聞きます。
戦争も原爆もそうですけれど、忘れてはいけないのですよ。
戦争はとめられる可能性がありますが、
災害は止めようもないのですから、よけいに
「忘れず」「備えて」が必要だと思っています。
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