写真はターシャの足元どころか、スカートの裾にさえかすりもしない
「我が家の収穫」、何個目かのイチゴです。あったかくなったのに、
外にも出さずにいたのでお日様不足、実家のはもっと大きかったのに。
下に敷いてあるのは、大きさ比較の絵葉書です。ちっさいでしょう?
ターシャは、いろいろなものを手作りして暮らしています。
糸を紡いで布まで作ります。服も人形もお手の物。
たくさん採れるさまざまなくだものから、ジャムやジュースを作ります。
ミツバチの蜜からとった蜜蝋で、冬中使うろうそくを作ります。
私はたとえ夢がかなって古民家に暮らしても、そこまではとてもとても。
日本のターシャ的暮らし方、もったいぶった言い方になってしまいましたが、
皆さんは日本テレビ(関東)の、「鉄腕DASH」という番組をご存知ですか?
若い人向きの番組ですが…。
出演者はメインが「TOKIO」の5人、あとはさまざま。
週によっていくつかの企画ローテーションがあります。
ソーラーカーで日本一周とか、一日で○○を何回できるか、とか…。
その中の企画のひとつが「DASH村」運営です。
こちらがその「DASH村」HPです。もう8年目の村づくりです。
東北のある場所に「地図に載る村」を作る、というのが当初からの目的で、
視聴者の協力を得て実現しました。
実際にある村のいわゆる「里山」に、まずは私のあこがれの「古民家」の移築、
そこから始まりました。移築作業はもちろんプロの方がメインですが、
彼らもちゃんと参加して、移築させました。おっきな家です。
スケジュールの都合でメンバー全員が揃うことは
なかなかありませんが、そのつど企画ごとにリーダーが決まり、
リーダーを中心にみんなで協力して、小さなDASH村を運営しています。
桜の咲く時期や、強力な助っ人「地元のホンモノ農家の人」の言葉などから、
かなり北のほうだと思いますが、そこでは基本的に全て
昔ながらの方法で暮らすのが原則。
もちろん5人がずっと暮らすわけにはいきませんから「常駐」に一人置き、
あとはスタッフがカメラをまわし続けます。
この暮らしというのが、つまりは農業の暮らしなわけですが、
ほっておかれたたんぼを開墾しなおしてお米をつくるところから始まり、
アイガモ農法、無農薬でお米を何種類も作り、野菜や果物も。
そして、作業に使う道具はなるべく昔のままのもの。
更には足りない道具なども作るところから、全て「一から」やるのです。
かまどもおふろも自作です。例えば村で食事をするのに使う食器を作るため、
まずは「窯」から作る…、材料も村近辺の土探しからはじめる本格派です。
水車も作り水を引き、養蜂もし、そして里山の自然環境を探索し…。
何かあると村人が手伝いに来てくれます。
テレビの番組ですから、たとえば器作りといえば陶芸家が、
ガラスの窓板を作るといえばガラス作家が、水車だおふろだといえば、
昔のそういうものを作ることのできる大工の棟梁が…、と、
いずれもその道のプロが指導・協力してくれるわけですが、
最終的には自分たちで全部やるわけです。
私はいくら古民家に住みたいとは言っても、そこまでの暮らしをすることは、
ゼーッタイムリです。だから参考にするとかナントカはないのですが、
毎度さまざまなものを作ったり使ったりするたびに、
これはこうして作るものなのか、とか、これはこれからできているんだ、とか、
発見がたくさんあります。更には器はともかく、食料の保存法とか、
昔の便利な道具だとか、そういうものを見ると人間の知恵に驚きます。
そて何より驚くのは、彼らが収穫したもので何かを作るとき、
山ほどの材料から、気の遠くなるほどの手間隙をかけて出来上がるものが
本当に量的に少ないことです。
着物だってそうですね、繭の種類やその生地の厚さや織り方など、
条件によりますが、だいたい2000個から5000個くらいの繭がいります。
よく見るタイプの繭を、ひょいとすくって手のひらに乗せると、
まぁ10個くらいでょうか、それを200回すくったもので、一反です。
種をまくところから、或いは卵や雛から育てるところから、
実際に人の役に立つものになるまで、ほんとうに手間と時間が
たーっぷりとかかるものなのですよね。
この番組を見ていると「営々と」という言葉がよく浮かびます。
ターシャも毎年、球根を植えながら「リスに齧られないかしら」と心配し、
「雪の量が少ないと植物の育ちに影響する」と心配しながら冬を越す…。
だから「春は毎年奇跡なのよ」、と言うのです。
自然の中で、自然と折り合いながら、自然を大切にし、自然からの惠を受ける、
昔ながらの暮らしを見ていると、失ったものが見えてくる気がします。
今更電気のない暮らしは、私には到底できないけれど、
これ以上失くすものが少しでも少なくていいように、とそんなことを思うのです。
別に昔の暮らしだけがすばらしいと言うのではないのですが、
昔は「うまく」くらしていたと思うのです。
今は「便利」に暮らしている…便利というのは欲が出ます。
洗濯機ができたおかげで、たらいと洗濯板から解放された、
次は「それなら絞るほうも」、そこでとまらず「じゃ全部いっぺんに」…。
それが全部悪いことだとは思いませんが(実際ありがたいですし)、
「欲」は、際限のないものです。
「便利」と言う耳に心地よい言葉に負けて、二酸化炭素増やしたり、
ゴミ増やしたりしているのは、やっぱり「欲」が「強欲」になっていないかと。
それもおそろしいことに「知らないうちに」です。
着物をいじっていると、その究極のリサイクルに感心します。
一反の反物を着物にし、汚れ傷みが生じたらそこだけよけて作り直し、
時には染め替え、さらに小さいもの別のものに作り変え、
ハギレになれば寄せ集め、或いは裂き織りし、ついにモノとしての
役に立たなくなったらかまどにくべて灰にする、まだまだ、
その灰は灰汁として使われたり、江戸では「灰買い」がおりました。
以前も書きましたが、絹も麻も木綿も、自然の命をいただいて、
「糸」「布」という新しい命を人間が与えたわけです。
だからこそ、その新しい命を最後まで大切にまっとうさせる、
それが自然に対しての礼儀であり感謝だと…。
使い捨てや始末に困るゴミを増やしている今の暮らしは、
やっぱり大切なことを忘れている気がします。
ターシャの暮らしやDASH村の暮らしがただ素晴らしいとか、見習えとか、
そういうわけではありません。彼らの暮らしの中に、今でも使える
知恵や思いや工夫が、たくさん見えている、ということです。
えーマジメなお話しばかりで…。ちと閑話休題。
昨日から今日にかけての、萬屋千兵衛様のブログコメント欄をご覧のかた、
とんでもないお話しに笑っておられると思いますが…。
とんぼは5回も離婚しているのか?というナゾ。わっはっは。
以前、よそ様のブログコメントで「5回」と書いたことを、
千さまが離婚と結びつけられたわけで、真実は?と言うお話しです。
真実は、5回苗字が変わっている、です。
5回離婚と並ぶ珍しさだと言われますが…。
実の父が亡くなったとき、ある都合で私は母方の姓になりました。当時12歳。
これでまず一回、姓は二つです。その後18歳のとき、
母が私を連れ子して再婚しましたので、養父の籍に入りこれで2回目姓は三つ、
21歳で一度結婚したので、変更3回目、姓は四つ。
そして離婚しましたので変更4回目、名前は養父の姓にもどりました。
そして28歳で再婚、今のとーちゃんです。これで変更5回、姓も五つ。
と言うわけなんですよ。本人は別にどーってこともないんですが、
やはり人には驚かれます。どんなじんせー送ってきたのかと…。
離婚については、そりゃぁ楽しいものではありませんけれど、
とても若かったですしまだ子供もいませんでしたし、あとになってみれば
面白ーい経験もたくさんさせてもらったので、今となっては「全ては糧」です。
そのときがあっての今ですからねぇ。
でもって困ること、なにしろちょうどキリよく、中学から、高校卒業してから、
というぐあいなので、クラス会なんかだといろんな名前で呼ばれるんです。
クラス会の出欠ハガキに「女性は旧姓も記入」なんてあると、
えーとどれ書きゃいーんだっけ?どちらかというとこっちより相手が迷ったり、
しまいに「今なんて呼べばいいの?」なんて確認されたり。
一度、偶然に出会った同級生が、私の姓が変わったのは覚えていたけど、
覚えるのに、例えば地名でいうなら「飛騨高山」と覚えていたわけです。
それで実際には「飛騨さんだったか高山さんだったか」ってことになって、
「えーと飛騨さん?高山さん?」…これ以上名前増やさんといてくれぇ。
下の名前がありきたりなもんで、養父の姓で就職したときには
「ポルノ女優みたいな名前だ」といわれ、今のオットと結婚したときは
「売れない演歌歌手みたいだ」と言われ…、
しまいに名前とイメージがあわない…それはあたしのせーじゃないです。
思うに「とんぼ」というのが、一番あってる気がします。
もし本が書けたら、のペンネームは考えてあるのですが、
そうなるとそれで七つ、戒名までいくつ名前がふえるんだろー。
「我が家の収穫」、何個目かのイチゴです。あったかくなったのに、
外にも出さずにいたのでお日様不足、実家のはもっと大きかったのに。
下に敷いてあるのは、大きさ比較の絵葉書です。ちっさいでしょう?
ターシャは、いろいろなものを手作りして暮らしています。
糸を紡いで布まで作ります。服も人形もお手の物。
たくさん採れるさまざまなくだものから、ジャムやジュースを作ります。
ミツバチの蜜からとった蜜蝋で、冬中使うろうそくを作ります。
私はたとえ夢がかなって古民家に暮らしても、そこまではとてもとても。
日本のターシャ的暮らし方、もったいぶった言い方になってしまいましたが、
皆さんは日本テレビ(関東)の、「鉄腕DASH」という番組をご存知ですか?
若い人向きの番組ですが…。
出演者はメインが「TOKIO」の5人、あとはさまざま。
週によっていくつかの企画ローテーションがあります。
ソーラーカーで日本一周とか、一日で○○を何回できるか、とか…。
その中の企画のひとつが「DASH村」運営です。
こちらがその「DASH村」HPです。もう8年目の村づくりです。
東北のある場所に「地図に載る村」を作る、というのが当初からの目的で、
視聴者の協力を得て実現しました。
実際にある村のいわゆる「里山」に、まずは私のあこがれの「古民家」の移築、
そこから始まりました。移築作業はもちろんプロの方がメインですが、
彼らもちゃんと参加して、移築させました。おっきな家です。
スケジュールの都合でメンバー全員が揃うことは
なかなかありませんが、そのつど企画ごとにリーダーが決まり、
リーダーを中心にみんなで協力して、小さなDASH村を運営しています。
桜の咲く時期や、強力な助っ人「地元のホンモノ農家の人」の言葉などから、
かなり北のほうだと思いますが、そこでは基本的に全て
昔ながらの方法で暮らすのが原則。
もちろん5人がずっと暮らすわけにはいきませんから「常駐」に一人置き、
あとはスタッフがカメラをまわし続けます。
この暮らしというのが、つまりは農業の暮らしなわけですが、
ほっておかれたたんぼを開墾しなおしてお米をつくるところから始まり、
アイガモ農法、無農薬でお米を何種類も作り、野菜や果物も。
そして、作業に使う道具はなるべく昔のままのもの。
更には足りない道具なども作るところから、全て「一から」やるのです。
かまどもおふろも自作です。例えば村で食事をするのに使う食器を作るため、
まずは「窯」から作る…、材料も村近辺の土探しからはじめる本格派です。
水車も作り水を引き、養蜂もし、そして里山の自然環境を探索し…。
何かあると村人が手伝いに来てくれます。
テレビの番組ですから、たとえば器作りといえば陶芸家が、
ガラスの窓板を作るといえばガラス作家が、水車だおふろだといえば、
昔のそういうものを作ることのできる大工の棟梁が…、と、
いずれもその道のプロが指導・協力してくれるわけですが、
最終的には自分たちで全部やるわけです。
私はいくら古民家に住みたいとは言っても、そこまでの暮らしをすることは、
ゼーッタイムリです。だから参考にするとかナントカはないのですが、
毎度さまざまなものを作ったり使ったりするたびに、
これはこうして作るものなのか、とか、これはこれからできているんだ、とか、
発見がたくさんあります。更には器はともかく、食料の保存法とか、
昔の便利な道具だとか、そういうものを見ると人間の知恵に驚きます。
そて何より驚くのは、彼らが収穫したもので何かを作るとき、
山ほどの材料から、気の遠くなるほどの手間隙をかけて出来上がるものが
本当に量的に少ないことです。
着物だってそうですね、繭の種類やその生地の厚さや織り方など、
条件によりますが、だいたい2000個から5000個くらいの繭がいります。
よく見るタイプの繭を、ひょいとすくって手のひらに乗せると、
まぁ10個くらいでょうか、それを200回すくったもので、一反です。
種をまくところから、或いは卵や雛から育てるところから、
実際に人の役に立つものになるまで、ほんとうに手間と時間が
たーっぷりとかかるものなのですよね。
この番組を見ていると「営々と」という言葉がよく浮かびます。
ターシャも毎年、球根を植えながら「リスに齧られないかしら」と心配し、
「雪の量が少ないと植物の育ちに影響する」と心配しながら冬を越す…。
だから「春は毎年奇跡なのよ」、と言うのです。
自然の中で、自然と折り合いながら、自然を大切にし、自然からの惠を受ける、
昔ながらの暮らしを見ていると、失ったものが見えてくる気がします。
今更電気のない暮らしは、私には到底できないけれど、
これ以上失くすものが少しでも少なくていいように、とそんなことを思うのです。
別に昔の暮らしだけがすばらしいと言うのではないのですが、
昔は「うまく」くらしていたと思うのです。
今は「便利」に暮らしている…便利というのは欲が出ます。
洗濯機ができたおかげで、たらいと洗濯板から解放された、
次は「それなら絞るほうも」、そこでとまらず「じゃ全部いっぺんに」…。
それが全部悪いことだとは思いませんが(実際ありがたいですし)、
「欲」は、際限のないものです。
「便利」と言う耳に心地よい言葉に負けて、二酸化炭素増やしたり、
ゴミ増やしたりしているのは、やっぱり「欲」が「強欲」になっていないかと。
それもおそろしいことに「知らないうちに」です。
着物をいじっていると、その究極のリサイクルに感心します。
一反の反物を着物にし、汚れ傷みが生じたらそこだけよけて作り直し、
時には染め替え、さらに小さいもの別のものに作り変え、
ハギレになれば寄せ集め、或いは裂き織りし、ついにモノとしての
役に立たなくなったらかまどにくべて灰にする、まだまだ、
その灰は灰汁として使われたり、江戸では「灰買い」がおりました。
以前も書きましたが、絹も麻も木綿も、自然の命をいただいて、
「糸」「布」という新しい命を人間が与えたわけです。
だからこそ、その新しい命を最後まで大切にまっとうさせる、
それが自然に対しての礼儀であり感謝だと…。
使い捨てや始末に困るゴミを増やしている今の暮らしは、
やっぱり大切なことを忘れている気がします。
ターシャの暮らしやDASH村の暮らしがただ素晴らしいとか、見習えとか、
そういうわけではありません。彼らの暮らしの中に、今でも使える
知恵や思いや工夫が、たくさん見えている、ということです。
えーマジメなお話しばかりで…。ちと閑話休題。
昨日から今日にかけての、萬屋千兵衛様のブログコメント欄をご覧のかた、
とんでもないお話しに笑っておられると思いますが…。
とんぼは5回も離婚しているのか?というナゾ。わっはっは。
以前、よそ様のブログコメントで「5回」と書いたことを、
千さまが離婚と結びつけられたわけで、真実は?と言うお話しです。
真実は、5回苗字が変わっている、です。
5回離婚と並ぶ珍しさだと言われますが…。
実の父が亡くなったとき、ある都合で私は母方の姓になりました。当時12歳。
これでまず一回、姓は二つです。その後18歳のとき、
母が私を連れ子して再婚しましたので、養父の籍に入りこれで2回目姓は三つ、
21歳で一度結婚したので、変更3回目、姓は四つ。
そして離婚しましたので変更4回目、名前は養父の姓にもどりました。
そして28歳で再婚、今のとーちゃんです。これで変更5回、姓も五つ。
と言うわけなんですよ。本人は別にどーってこともないんですが、
やはり人には驚かれます。どんなじんせー送ってきたのかと…。
離婚については、そりゃぁ楽しいものではありませんけれど、
とても若かったですしまだ子供もいませんでしたし、あとになってみれば
面白ーい経験もたくさんさせてもらったので、今となっては「全ては糧」です。
そのときがあっての今ですからねぇ。
でもって困ること、なにしろちょうどキリよく、中学から、高校卒業してから、
というぐあいなので、クラス会なんかだといろんな名前で呼ばれるんです。
クラス会の出欠ハガキに「女性は旧姓も記入」なんてあると、
えーとどれ書きゃいーんだっけ?どちらかというとこっちより相手が迷ったり、
しまいに「今なんて呼べばいいの?」なんて確認されたり。
一度、偶然に出会った同級生が、私の姓が変わったのは覚えていたけど、
覚えるのに、例えば地名でいうなら「飛騨高山」と覚えていたわけです。
それで実際には「飛騨さんだったか高山さんだったか」ってことになって、
「えーと飛騨さん?高山さん?」…これ以上名前増やさんといてくれぇ。
下の名前がありきたりなもんで、養父の姓で就職したときには
「ポルノ女優みたいな名前だ」といわれ、今のオットと結婚したときは
「売れない演歌歌手みたいだ」と言われ…、
しまいに名前とイメージがあわない…それはあたしのせーじゃないです。
思うに「とんぼ」というのが、一番あってる気がします。
もし本が書けたら、のペンネームは考えてあるのですが、
そうなるとそれで七つ、戒名までいくつ名前がふえるんだろー。
ようこそ!
せっせと書くばかりのブログですが、
お楽しみいただけたら嬉しいです。
続けて書けるだけ書いていくつもりですので、
よ呂しくお願い致します。
あらぁ私は挨拶の例文みたいに
なっちゃいましたよぉ。
懲りずにきてくださーい。
陽花様
私もしばらく見なかったんですよ。
どうせ一時の企画だろうと思って…。
ところがずっと続いているのでびっくりです。
彼らは起用不器用いろいろですけれど、
真剣によくやりますよね。感心します。
5回、やっぱ多いですよねぇ。
えみこ様
おっしゃるとおりだと思います。
今の時代は、なんだかヒトのことばかり気にして
横並びで安心する…乗り遅れることがこわいのですね
感謝と謙虚という、当たり前のことを忘れなければ、
みんな身のうちにあるはずの「ターシャ」に
気づくと思うんですけどね。
お体、つらいですか?
お時間あったら、一度メールでもください。
zizi様
5回となると、芸名みたいな感覚?
ワンピース、がんばってくださいね。
私のように、おんなじ身頃二枚つくらないよーに!
NHKおされ工房3月号のターシャ風ワンピース。
果敢にも無謀にも挑戦いたしますです。
ゆとりある生活にはほど遠い納品日と授業に追われる日々ですがTT
以来ごぶさたです。みんながんばっているんですね。
人間の手でなにかを生み出すのは今も昔も変わらないと思います。
それは,とんぼさんがHPを作られる、介護される、生活されている
とんぼさんご自身が生きておられるかぎりにおいて
ターシャさんでさえ得られない,とんぼさんでしか得られない
かけがえのない空間があるのではと思います。
自給自足が上等な人間を作るというより
よりゆたかになる人間になるとは思いますが
現代社会では,そのゆたかさは邪魔であり不要なものになる。
若い人たちがメール口調でしゃべるのを聞くとそう思います。
最初から携帯電話やパソコン口調の人間のほうが
「乗り遅れないで」いられると信じ込まされているからですね。
自分は今わけありで,つきそいなしでは外出できないんですが
不安に反して^^花瓶の花に感謝して,フードプロセッサでパンを
焼いている自分に感謝できること
それを楽しんでいるのなら,誰でもターシャではないのでしょうか。
長くなってすいません^^ゞ
以前はよく見ていました。
人の良さそうなおじさんに色々教えて
もらって何でも手作り、自給自足ですね。
TOKIOのメンバーも若いのに面倒がらずに
器用になんでもするのを感心します。
昔の暮らしの知恵をこれだけ知っていたら
文明の利器がなくても大丈夫ですね。
えぇ~5回ですか、初めて知りました。
今日も明日も幸せだーっ、私らしく頑張るぞう!・・と思っても、ちからがわいてこないときは、とんぼさんのとこでうろうろしてみます。きれいなもの、めずらしいもの、みせていただけてうれしいです。これからもずっとつづいてほしいです。なんかこどもの作文みたいになっちゃった。