先日、萬屋千兵衛様のブログで、超愛妻家の千さまが、
昨年の奥様へのプレゼントにターシャの本をお贈りになった…との記事で、
久しぶりに私も彼女のことを思いだしまして…。
ターシャについては、ご存知の方も多いと思いますが、一応カンタンに。
ターシャ・テューダーは、今年93歳、ボストンの生まれです。
父親が飛行機などの設計技師、母親は肖像画家、
小さい頃からガーデニングに興味を持ち、9歳で両親が離婚、
15歳で農業の道に進みました。結婚し、四人の子供を育てながら、
絵本作家としてシゴトをしていましたが、46歳で離婚。
子育てが終わり、57歳で自分の夢であった「昔ながらの暮らし」を実現。
アメリカ北部バーモント州の片田舎で、最低限の文明の利器(水道・電気)のみ、
あとは昔の道具を使い、手作りの暮らしを今も続けています。
絵本作家の仕事は当然現役、そして彼女のガーデニングも世界中に紹介されて、
NHKでは、特番が放送されました。こちらがそのDVDです。
ちょっと光っててすみません。後ろがDVD、左は一緒に入っている写真集、
右がケースです。
詳細については、左のメニュー下のほう「とんぼのおすすめ」からどうぞ。
えーと、実は私、彼女のお庭にはあまり興味がありません。
もちろん彼女の住んでいる土地柄、家や暮らしぶり、すべての雰囲気には、
とてもとてもピッタリの庭だと思います。山奥の広大な森林の中の、
広い広い庭、そこではコジャレたフランス庭園よりも、和式の詫び寂びよりも、
イギリス式の源流みたいな「雑然の中の統一」、といったような、
あの庭は本当に彼女らしい庭だと思います。単に好みのモンダイですわ。
というより、我が家のハムスターの額のような庭からしたら、
まるでゾウの背中くらいある彼女の庭に嫉妬してるだけかもー。
ともあれ、私がいいなぁと思ったのは、彼女の生き方です。
DVDでは90歳ですが、すでにちょっと背中も丸まり、
足元もサッサッというわけではありません。そして彼女の住む場所は、
こちらで言えば北国、一年の半分は雪に閉ざされます。
そんな中で、彼女は秋のおわりに100個以上のチューリップの球根を植えます。
じべたに座り込んで、しわがれた手で土をかきわけ…。
私思いました、彼女は「来年」を気にしていない、と。
いえ、来年のことを考えていないというのではありません。
どちらかといえばその逆です。普通90にもなったら、
しかも近くに息子がいるとはいえ、半年雪に閉ざされる土地で一人暮らしです。
球根を植えながら「来年私はこの花が咲くのを、見られるのだろうか」と、
不安になるのではないかと思うのです。
でも、彼女にはそんな様子は微塵も見えません。
飄々として「球根には大雪が降ったほうがいいのよ…」なんて説明してる。
それって「そのときはそのとき、その瞬間まで思いはかわらない」ってことです。
実はこれって、とても大切なことだと思うのです。
私がターシャを知ったのは、恥ずかしながら最近ですが、
当時の私と似たような年で「さぁいよいよ長年の夢をかなえなきゃ」と、
山奥の古い暮らしを始めたわけです。こうでなくっちゃ!
今、私が一番辛いのは、母が生きる意欲をなくしていることです。
面倒掛けたくないとか、こんなになってまで、とか、
その思いは分からなくはないのですが、ここ10年の母は、
私が何を言っても勧めても「もうこの年になって」とか、
「めんどくさい」とか…、あれほどこまめにしていた縫い物や編み物から、
どんどん遠ざかっていきました。数年前に自営のシゴトをやめたとき
「これでもうホンモノのご隠居さんなんだから、
あとは縫ったり編んだり出かけたり、好きなことをしてのんびり暮らせば?」
と言ったら「まだウチになんかせぇというのんか」と、食って掛かられました。
母が生きることを楽しむということを放棄してしまってから、
病も進んだ気がします。とても残念ですが、当時の私には、
ガンコな母を説き伏せるチカラも時間もありませんでした。
自分のことで精一杯、だったと思います。
幸い、このところ腰の痛みが消えたそうで、行っても「はよ死にたい」とは、
言わなくなりました。今となっては、季節もいいことだし、
父がなにかと手入れしている庭の花をめでながら、
のんびり暮らしてほしいと思うばかりです。
さて、また脱線してしまいました。
私はターシャと言う人の暮らしぶり、気取らないところかまわないところが好き!
普通、世界的に有名な絵本作家で、ガーデニングは見物客がくるほど、
それなら少しは気取りもあろうかというところですが、実に自然体です。
たとえば収穫したリンゴで料理の下ごしらえをするのに、
お気に入りのポーチの古びたテーブルの上でするのですが、
ざくざく切ったリンゴもそのままテーブルの上に並べ、それをナベに入れると、
残った切り落としの残骸を、肩にかけた古いショールのはしで、
ザーッと下に払い落とす…。ゴーカイですわぁ。
息子や孫たちが来て楽しむお茶のカップは、中に茶渋が見えました。
イマドキの「なんでも抗菌」ママさんたちなら、ゼッタイ飲めない!
彼女自身のカップも14歳から使っているもので、ひびやら欠けだらけ。
まちがっても「金継ぎ」なんてこたぁありません。
部屋の中も整理されているよーないないよーな…。
それがまたミリョクですね。
冬支度を手伝ってくれた御礼にと、息子と孫夫婦にローストチキンを
暖炉で何時間もかかって作ります。切り分けて暖炉の前でみんなで食べる、
チキンのほかにはお茶だけです。とてもごちそう…。
私はゼータク人間ですから、年をとったら古い家で暮らしたいという夢でも、
冷暖房、シャワーつきトイレ完備の古民家、なんていう俗っぽい夢ですが、
彼女のように「いらん見得は、はらんとこ」と思います。
したいと思うことをみつけ、それがかなうように努力と辛抱をする、
実は一番あたりまえでシンプルなことです。
それがあるだけで幸せだとそんな風に思います。
だから、いつもその夢をかなえるための、かなえつつある途中だから、
「来年はこの花の咲くのを見られるのかしら」なんて心配は、
ハナっからしなくて当たり前なんですよね。
いつも一生懸命であれば、それをシアワセと感じられたら、
志半ばであろうと、来年の花が見られなかろうと、
きっと最後までシアワセでいられると思うのです。
さて、千さまの記事に触発されて(単にすぐ感化されるだけなんですが)
今まで持っていなかったターシャの絵本を一冊買いました。
それがトップ写真の「コーギビルの村まつり」です。
絵を見ていて、手持ちの本の中で外国のお話しのものを出して見ました。
左は「わすれられないおくりもの」右は「郵便局員ネコ」
「郵便局員ネコ」は、イギリスのお話しですが、
1800年代のイギリスでは、郵便物をネズミが齧ってしまう被害が、
大問題だったそうで、各郵便局にネコを飼って被害をくいとめるようになった…、
このネコちゃんたちが正式に「局員」として認められ、
お給料(エサ代ですね)が、ちゃんと支給されたのだそうです。
外国、とくにヨーロッパの絵本、いや私は全部知ってるわけじゃありませんが、
動物を擬人化するとき、けっこうリアルですよね。
ピーターラビットにしてもブランベリーヘッジにしても。
日本の擬人化ってなんとなくマンガチックでしょ。
いもとようこさんとか黒井健さんとか…。
それはそれでまたとってもかわいくて、私は大好きなんですが、
リアルならリアルで、うんとリアルがいい!
日本では「いわむらかずお」さんですねー!と勝手に決めています。
シリーズの中の「私?も登場」の一冊「14ひきのとんぼ池」です。
近頃バタバタして、ゆっくり童話や絵本をパラパラとめくる楽しみから
ちょっと遠ざかっていました。
ターシャのまねをして、夕方4時になったらお茶を入れ、
花壇のかわりに古い着物さんたちに囲まれて、
絵本をパラパラめくることにしましょう。
ただし私のお茶は、お砂糖の入った紅茶ではなく、
静岡産の深蒸茶…、あーやっぱ小花模様のドレスより絣のモンペだわぁ。
昨年の奥様へのプレゼントにターシャの本をお贈りになった…との記事で、
久しぶりに私も彼女のことを思いだしまして…。
ターシャについては、ご存知の方も多いと思いますが、一応カンタンに。
ターシャ・テューダーは、今年93歳、ボストンの生まれです。
父親が飛行機などの設計技師、母親は肖像画家、
小さい頃からガーデニングに興味を持ち、9歳で両親が離婚、
15歳で農業の道に進みました。結婚し、四人の子供を育てながら、
絵本作家としてシゴトをしていましたが、46歳で離婚。
子育てが終わり、57歳で自分の夢であった「昔ながらの暮らし」を実現。
アメリカ北部バーモント州の片田舎で、最低限の文明の利器(水道・電気)のみ、
あとは昔の道具を使い、手作りの暮らしを今も続けています。
絵本作家の仕事は当然現役、そして彼女のガーデニングも世界中に紹介されて、
NHKでは、特番が放送されました。こちらがそのDVDです。
ちょっと光っててすみません。後ろがDVD、左は一緒に入っている写真集、
右がケースです。
詳細については、左のメニュー下のほう「とんぼのおすすめ」からどうぞ。
えーと、実は私、彼女のお庭にはあまり興味がありません。
もちろん彼女の住んでいる土地柄、家や暮らしぶり、すべての雰囲気には、
とてもとてもピッタリの庭だと思います。山奥の広大な森林の中の、
広い広い庭、そこではコジャレたフランス庭園よりも、和式の詫び寂びよりも、
イギリス式の源流みたいな「雑然の中の統一」、といったような、
あの庭は本当に彼女らしい庭だと思います。単に好みのモンダイですわ。
というより、我が家のハムスターの額のような庭からしたら、
まるでゾウの背中くらいある彼女の庭に嫉妬してるだけかもー。
ともあれ、私がいいなぁと思ったのは、彼女の生き方です。
DVDでは90歳ですが、すでにちょっと背中も丸まり、
足元もサッサッというわけではありません。そして彼女の住む場所は、
こちらで言えば北国、一年の半分は雪に閉ざされます。
そんな中で、彼女は秋のおわりに100個以上のチューリップの球根を植えます。
じべたに座り込んで、しわがれた手で土をかきわけ…。
私思いました、彼女は「来年」を気にしていない、と。
いえ、来年のことを考えていないというのではありません。
どちらかといえばその逆です。普通90にもなったら、
しかも近くに息子がいるとはいえ、半年雪に閉ざされる土地で一人暮らしです。
球根を植えながら「来年私はこの花が咲くのを、見られるのだろうか」と、
不安になるのではないかと思うのです。
でも、彼女にはそんな様子は微塵も見えません。
飄々として「球根には大雪が降ったほうがいいのよ…」なんて説明してる。
それって「そのときはそのとき、その瞬間まで思いはかわらない」ってことです。
実はこれって、とても大切なことだと思うのです。
私がターシャを知ったのは、恥ずかしながら最近ですが、
当時の私と似たような年で「さぁいよいよ長年の夢をかなえなきゃ」と、
山奥の古い暮らしを始めたわけです。こうでなくっちゃ!
今、私が一番辛いのは、母が生きる意欲をなくしていることです。
面倒掛けたくないとか、こんなになってまで、とか、
その思いは分からなくはないのですが、ここ10年の母は、
私が何を言っても勧めても「もうこの年になって」とか、
「めんどくさい」とか…、あれほどこまめにしていた縫い物や編み物から、
どんどん遠ざかっていきました。数年前に自営のシゴトをやめたとき
「これでもうホンモノのご隠居さんなんだから、
あとは縫ったり編んだり出かけたり、好きなことをしてのんびり暮らせば?」
と言ったら「まだウチになんかせぇというのんか」と、食って掛かられました。
母が生きることを楽しむということを放棄してしまってから、
病も進んだ気がします。とても残念ですが、当時の私には、
ガンコな母を説き伏せるチカラも時間もありませんでした。
自分のことで精一杯、だったと思います。
幸い、このところ腰の痛みが消えたそうで、行っても「はよ死にたい」とは、
言わなくなりました。今となっては、季節もいいことだし、
父がなにかと手入れしている庭の花をめでながら、
のんびり暮らしてほしいと思うばかりです。
さて、また脱線してしまいました。
私はターシャと言う人の暮らしぶり、気取らないところかまわないところが好き!
普通、世界的に有名な絵本作家で、ガーデニングは見物客がくるほど、
それなら少しは気取りもあろうかというところですが、実に自然体です。
たとえば収穫したリンゴで料理の下ごしらえをするのに、
お気に入りのポーチの古びたテーブルの上でするのですが、
ざくざく切ったリンゴもそのままテーブルの上に並べ、それをナベに入れると、
残った切り落としの残骸を、肩にかけた古いショールのはしで、
ザーッと下に払い落とす…。ゴーカイですわぁ。
息子や孫たちが来て楽しむお茶のカップは、中に茶渋が見えました。
イマドキの「なんでも抗菌」ママさんたちなら、ゼッタイ飲めない!
彼女自身のカップも14歳から使っているもので、ひびやら欠けだらけ。
まちがっても「金継ぎ」なんてこたぁありません。
部屋の中も整理されているよーないないよーな…。
それがまたミリョクですね。
冬支度を手伝ってくれた御礼にと、息子と孫夫婦にローストチキンを
暖炉で何時間もかかって作ります。切り分けて暖炉の前でみんなで食べる、
チキンのほかにはお茶だけです。とてもごちそう…。
私はゼータク人間ですから、年をとったら古い家で暮らしたいという夢でも、
冷暖房、シャワーつきトイレ完備の古民家、なんていう俗っぽい夢ですが、
彼女のように「いらん見得は、はらんとこ」と思います。
したいと思うことをみつけ、それがかなうように努力と辛抱をする、
実は一番あたりまえでシンプルなことです。
それがあるだけで幸せだとそんな風に思います。
だから、いつもその夢をかなえるための、かなえつつある途中だから、
「来年はこの花の咲くのを見られるのかしら」なんて心配は、
ハナっからしなくて当たり前なんですよね。
いつも一生懸命であれば、それをシアワセと感じられたら、
志半ばであろうと、来年の花が見られなかろうと、
きっと最後までシアワセでいられると思うのです。
さて、千さまの記事に触発されて(単にすぐ感化されるだけなんですが)
今まで持っていなかったターシャの絵本を一冊買いました。
それがトップ写真の「コーギビルの村まつり」です。
絵を見ていて、手持ちの本の中で外国のお話しのものを出して見ました。
左は「わすれられないおくりもの」右は「郵便局員ネコ」
「郵便局員ネコ」は、イギリスのお話しですが、
1800年代のイギリスでは、郵便物をネズミが齧ってしまう被害が、
大問題だったそうで、各郵便局にネコを飼って被害をくいとめるようになった…、
このネコちゃんたちが正式に「局員」として認められ、
お給料(エサ代ですね)が、ちゃんと支給されたのだそうです。
外国、とくにヨーロッパの絵本、いや私は全部知ってるわけじゃありませんが、
動物を擬人化するとき、けっこうリアルですよね。
ピーターラビットにしてもブランベリーヘッジにしても。
日本の擬人化ってなんとなくマンガチックでしょ。
いもとようこさんとか黒井健さんとか…。
それはそれでまたとってもかわいくて、私は大好きなんですが、
リアルならリアルで、うんとリアルがいい!
日本では「いわむらかずお」さんですねー!と勝手に決めています。
シリーズの中の「私?も登場」の一冊「14ひきのとんぼ池」です。
近頃バタバタして、ゆっくり童話や絵本をパラパラとめくる楽しみから
ちょっと遠ざかっていました。
ターシャのまねをして、夕方4時になったらお茶を入れ、
花壇のかわりに古い着物さんたちに囲まれて、
絵本をパラパラめくることにしましょう。
ただし私のお茶は、お砂糖の入った紅茶ではなく、
静岡産の深蒸茶…、あーやっぱ小花模様のドレスより絣のモンペだわぁ。
嫁いで、子どもを育て、両家の父母と主人を見送りました
後、私の心は自分のこれからの生き方が定まらず、何も手につかず
毎日が過ぎていくのがたまらなくい淋しく、あの何年かは
思いだせないほどです。主人の7回忌に友人が油絵で
大きな肖像画を描いてくださり、
リビングにドンとかまえてくれてからは心が落ち着きました。
その頃、本屋さんでターシャデューダーと出会い、慰められた
ものでした。
今はマンション住まいですが広いベランダがありますので
季節の草花や、ハーブ、葉ものなどを育てています。
周りは里山ですので自然は多いですが、あの奥行きのある
ターシャの庭には人生が感じられてときどき本を広げて
眺めています。
今、ひとり暮らしをしていて、月に何度か訪れてくれる
娘や大阪に住む息子たちの心づかいに感謝しながらも
自分らしい生き方を探し出すまでは大分もがいたものです。
ようやく、心騒ぐことのない日々が送れるようになりました。
ご両親のこと、ご自分たちのこと、お忙しく動かれている
様子が目に浮かびます。 気をつけて頑張ってくださいね。
ターシャテューダーですよね。デューダーとしてしまいました。
NHKでは何回か放送されていて、そのたびに
楽しんでいましたが、以前、新聞?だったか、
このお庭を訪ねるツワーが紹介されているのに
チョッと心動かされましたが...。
失礼しました。 アッ!と思っても訂正がきかないのですね。
でも…結局は一通り…あるがままを・・・
ですか?とんぼさん!?
一息入れて、暫くぶりの訪問です、お元気よう。
自分と違う事を奇異に感ずるのが普通でしょう…
気持ちがざわついて居ても・落ち着いて居ても…
耐えられている状態ならば、
他人がとやかく言う事では無いように感じます…
清算が付かなくて苦しんで居るなら、
助けてあげられればいいのですが・・・難しいですネ。
こんな自分に素直な生き方素敵ですね!!!
広い素敵な庭を見て感心しました。
何年も掛けてコツコツとされたお花畑は
見事でした。
愛情を込めて育てれば何でも答えてくれる
ものなんですね。
いま、小さな畑を作っていてつくづく思います。
なんという力持ちだろう!
折れそうな身体で運んでいるものを見れば
軽々だけど実際重いよ、アレは!
というようなもの・・・・
私も庭を掘ってゴミ埋めて苗植えてってしますが
大変な力がいることを身体で知っています。
あのばっさまただ者ではありませんね。
農作業が好きで、好きなことに邁進するために
頑固に意志を貫いている。
好きなことをするお金を稼ぐ為に
一生懸命絵本書いて、自分の番組作って働いている。
長生きするのにも強い意志と力がいる。
人生の前半が我慢の連続だったので
後半でそれを取り返したんですね。
私の庭はこれで10年。
あと20年すればミニチューダー園ができる?
また気を取り直して庭仕事しましょうか。
とんぼさんもあとまだあと30年、
スゴイもの(布の園?)ができますね!
近々死ぬよと言い
自分より重病人はいないと放言した後から
誕生日の市からの定期検診でどこも異常がないのと
ためいきをつく^^;でもって
もうすぐ死ぬわが始まります。
ほんとうのコミニュケーションができない状態で
すれちがい続けて…お察しします。
終末医療を在宅でできるようにケアしている医師の番組で
患者自身がおぼえていないような小さなお願いに気がつき
それがきっかけでみるみるうちに生き生きとなって
最期のときまでそれが失われなかったのを見て
模索の繰り返しなのかな、と思うときがありました。
その瞬間があると信じてみたいです。
とんぼさんもお体ご自愛くださいね。
ポツンと取り残されたような…だったのですね。
お寂しい思いをなさったことと思います。
絵との出会い本との出会い、それが支えとなる、
とても暖かいお話しです。
元気をもらうって嬉しいですね。
私も、皆様からたくさんの元気をいただいてます。
楽しくがんばりますからねぇ。
maymayman様
「あるがまま」、だと思います。
かえられること、かえられないこと、
できること、できないこと、
こころがざわついても、それで精一杯なら、
それでいこうと思います。
陽花様
植物はほんとに正直ですよね。
きちんと対せばきちんと答えてくれる…。
いつも拝見する畑の緑、とっても心なごむ色です。
春になって収穫も種まきも忙しくなりますね。
うまこ様
私も「重さ」わかります。
タダモンじゃありまへんでぇ、ホンマに。
あの貫くチカラと意志、すごいですね。
まだあと30年、がんばりまっしょ!お互いに。
えみこ様
ほんとに一場面一場面、とまどいます。
それでもそうやって摩擦をもっていけば、
少しずつなにかしら、見えてくるものもあるかしらと
そんな思いで接しています。
父と三人四脚でがんばります。