「時津風部屋の暴力事件」報道がかまびすしいです。
今の人たちって「しつけ」と「虐待」の線引きができない、
「けいこ」と「暴力」の線引きができない、
鍛錬といじめの線引きができない…そんな気がします。
親方はいい年のはずなんですがねぇ。
相撲のけいこが辛いのは昔からよく聞くことですが、
何の道具も使わず、防具もつけず、こぶしはだめ、髷は持つな、
そういう細かいルールの中で、体ひとつで戦うわけです。
ひたすら力と体力とわざと…だからこそ、
精神も強くまっすぐでなければならない…それを心技体というのでしょう。
今「親方が殴ったか」とか「親方が指示したか」とか、
そればっかり言ってますが、モンダイはもっと根深いと思うのです。
昔は子供たちが年齢に関係なくごちゃごちゃと集まり、
遊んだし、けんかもしたし、にぎやかでした。
でも、そういう中で「してはいけないこと」も「加減」も
自然とおぼえていったものです。
今は「とりあえず自分より弱いもの」もしくは「一人を集団で」
心の加減も力の加減もせずに、とことんやりつくす…。
加減がわからないんですね。
だからケンカで死なせてしまったり、自殺に追い込んだりするわけです。
今回の兄弟子たちがそうだったということではなく、
そういう時代、そういう土壌に育った年代の人たちを指導していくのですから、
昔の徒弟制度みたいにアタマから怒鳴るの、張り倒すので、
うまく育っていくわけはないと思います。
まして親方がビール瓶でなぐってどーするんですか。
すもうは「国技」です。その歴史は平安の昔にさかのぼります。
帝の前で戦う、ということは、当時は「神の前」にも等しく、
選ばれたものはたいへん名誉なことでした。
今でもそうですが、まわし以外のものは何もつけないのは
「武器を隠すところがない」という意味、最初に土俵にあがったとき
そんきょ(股をひらいてしゃがむあのスタイル)の姿勢で、
かしわ手を打ち、その手を左右に大きく広げ、更に手のひらを下に返す、
あれも「ご覧ください、私は何も武器になるようなものを隠し持っておりません。
この体ひとつで、正々堂々戦います」という意思表示と誓い。
きちんと大銀杏を結い、体ひとつで卑怯な手を使わず戦う、
そういう武術・武道です。その稽古の場で、加減もつけないけいこなんて、
集団でバットでたたくなんて、相撲をバカにしていませんか?
精神修養はどこいっちゃったんですか?
だからたった一人の横綱のみょーちきりんなわがままに振り回される…。
あれだって最初は「親方がついていって、遊びあるくことのないように
常時見張る」なんて言ってたはずなのに「場所中でみんな忙しいし」なんて
言い訳にもならないことを並べてて、それが通ると思ってる…。
上に立つものがそんないい加減なことで、下が育つわけがありません。
「ムリへんにゲンコツと書いて『兄弟子』と読む」とは、
相撲界で言われる言葉です。たしかに、格闘技の世界ですから、
鉄拳制裁も「かわいがり」もあるでしょう。
しかし、そこに「心」とか「情」という裏打ちがなくてどうしますか。
お互いにそういう思いがあるから「なにくそ」とがんばれる、
「追って来い」と胸をはれるのでしょう。
角界はずっと昔から「しごき」「いじめ」「八百長」のうわさが消えません。
よくなる努力をしていないからです。
相撲協会の中なんて、私たちには全く見えない世界です。
それでも「国技」であるがゆえ、補助金もらっているんですから。
「親方日の丸」気分と「国技」という名前に、おごっています。
今日はあさっぱらから、これとミャンマーの事件とで、ちょっと疲れました。
ぶちまけちゃってすみません。
今の人たちって「しつけ」と「虐待」の線引きができない、
「けいこ」と「暴力」の線引きができない、
鍛錬といじめの線引きができない…そんな気がします。
親方はいい年のはずなんですがねぇ。
相撲のけいこが辛いのは昔からよく聞くことですが、
何の道具も使わず、防具もつけず、こぶしはだめ、髷は持つな、
そういう細かいルールの中で、体ひとつで戦うわけです。
ひたすら力と体力とわざと…だからこそ、
精神も強くまっすぐでなければならない…それを心技体というのでしょう。
今「親方が殴ったか」とか「親方が指示したか」とか、
そればっかり言ってますが、モンダイはもっと根深いと思うのです。
昔は子供たちが年齢に関係なくごちゃごちゃと集まり、
遊んだし、けんかもしたし、にぎやかでした。
でも、そういう中で「してはいけないこと」も「加減」も
自然とおぼえていったものです。
今は「とりあえず自分より弱いもの」もしくは「一人を集団で」
心の加減も力の加減もせずに、とことんやりつくす…。
加減がわからないんですね。
だからケンカで死なせてしまったり、自殺に追い込んだりするわけです。
今回の兄弟子たちがそうだったということではなく、
そういう時代、そういう土壌に育った年代の人たちを指導していくのですから、
昔の徒弟制度みたいにアタマから怒鳴るの、張り倒すので、
うまく育っていくわけはないと思います。
まして親方がビール瓶でなぐってどーするんですか。
すもうは「国技」です。その歴史は平安の昔にさかのぼります。
帝の前で戦う、ということは、当時は「神の前」にも等しく、
選ばれたものはたいへん名誉なことでした。
今でもそうですが、まわし以外のものは何もつけないのは
「武器を隠すところがない」という意味、最初に土俵にあがったとき
そんきょ(股をひらいてしゃがむあのスタイル)の姿勢で、
かしわ手を打ち、その手を左右に大きく広げ、更に手のひらを下に返す、
あれも「ご覧ください、私は何も武器になるようなものを隠し持っておりません。
この体ひとつで、正々堂々戦います」という意思表示と誓い。
きちんと大銀杏を結い、体ひとつで卑怯な手を使わず戦う、
そういう武術・武道です。その稽古の場で、加減もつけないけいこなんて、
集団でバットでたたくなんて、相撲をバカにしていませんか?
精神修養はどこいっちゃったんですか?
だからたった一人の横綱のみょーちきりんなわがままに振り回される…。
あれだって最初は「親方がついていって、遊びあるくことのないように
常時見張る」なんて言ってたはずなのに「場所中でみんな忙しいし」なんて
言い訳にもならないことを並べてて、それが通ると思ってる…。
上に立つものがそんないい加減なことで、下が育つわけがありません。
「ムリへんにゲンコツと書いて『兄弟子』と読む」とは、
相撲界で言われる言葉です。たしかに、格闘技の世界ですから、
鉄拳制裁も「かわいがり」もあるでしょう。
しかし、そこに「心」とか「情」という裏打ちがなくてどうしますか。
お互いにそういう思いがあるから「なにくそ」とがんばれる、
「追って来い」と胸をはれるのでしょう。
角界はずっと昔から「しごき」「いじめ」「八百長」のうわさが消えません。
よくなる努力をしていないからです。
相撲協会の中なんて、私たちには全く見えない世界です。
それでも「国技」であるがゆえ、補助金もらっているんですから。
「親方日の丸」気分と「国技」という名前に、おごっています。
今日はあさっぱらから、これとミャンマーの事件とで、ちょっと疲れました。
ぶちまけちゃってすみません。
民間の会社と言うところでも憲法が通用しないものがありますが、日本には伝統と言う名の秘密があるように思います。
内実を徹底的に暴いて相撲の部屋の慣例を検証してほしいものです。
厳しいところだとは思っていましたが、
暴力とはね~・・・
昔は手をあげるにしても愛情を持って
だったんですけど、どうなんでしょう???
自分で作った弓矢で蛙を1日に百匹以上殺した事もあったし、食用蛙のオタマジャクシを路上に並べ踏み殺した事もありました。
でも、言い訳するわけではありませんが、そうした中で、私は殺人鬼の性格を養ったわけではなく、むしろ、死への臨界を、かいま見ていたし、大人になってからは、暴力を振るえなくなりました。
小学校、中学校時代は、友人と殴り合いの喧嘩もしてましたが、そんな感情むき出しの中で、喧嘩の臨界をすでに知っておりました。
もう、この一発で相手はかかってこれないと思えば、私の方も、それ以上殴り続ける事はありませんでした。
最近耳にしたりする事件に、レゲエのおじさんを中学生達が、寄ってたかって殴り蹴りして、死に至らしめる事件が多くあります。
これ以上、やったら死ぬだろうという加減が判らないのです。
あるいは、判っていても、徹底的に駆除するみたいな気が働いているのかもしれません。
そうした、ものの考え方が角界にも蔓延していたのかもしれませんね。
きょうのニュースで、埼玉消防署の消防訓練学校生が
熱射病で4人意識不明になり、1人の方は亡くなったそうです。
救命医療に携わる組織の中で、あるいは救命救急師を育てる組織の中で、どうして、こういう事が起きるのですか?
この報道を聞いて、私の次男も2年前、消防学校で夏の訓練を受けており、極端にやせ細った事を想い出しました。
救命救急師を育てる学校でのこの不手際は、絶対に許せるものではありません。
何故なら、救命救急師は、瀕死の重傷者を生還させるのが指命だからです。
時津風部屋の事件は、集団暴行による殺人事件です。
親方を含め、本人達は殺す気は無かったと言うでしょうが、加減を知らぬという意味では、同じ体罰を与えて教えるしかないでしょう!
死への臨界を、己の体を持って十分理解できるまで教えてあげるのが相撲協会のつとめです!
もし、そんな無茶な事はできないと言うのなら、北の海理事長を始めとした親方衆達が身をもって後進の力士の前で、体罰を受けて見せる事です。
その場限りの、おためごかしの言葉だけで、この場をやり過ごそうと考えたなら、相撲の歴史も先が見えてくるでしょう。
いや、実は、問題は相撲なんて狭い世界だけの話ではないところに、今後の日本の先行き不安があるのです。
千兵衛さんのように小さい時に、線引きの体験をしていないことが原因かもしれません。殴り合いの喧嘩ではなく、陰湿ないじめが蔓延していると報道は伝えています。
子供の時分、「言うことを聞かないんだったら、たたつけてやって下さい」:と恐ろしい言葉を、ある親が先生に言っていたのを聞いたことがあります。体罰禁止なんて思ってもいませんでした。それも限界を知る体験だったのでしょう。
今はほとんどの親は殴らないと思いますし、子供自身殴ったことも殴られたこともないと思います。だから殴るなんて経験になると、限界をこえてしまうということになるのかも。死ぬまでやるなんて動物以下ですね。
さらに消防訓練で熱中症を何人も起こさせるなんて、それも限界を知らないから。専門のはずなのにお寒い現状です。
この報道の中で、部屋内での暴力にも唖然としましたが、その「会見」でのマスコミの暴力が私には本当に恐ろしかったのです。
息子を異常な形で失った、身も心もずたずたの父親に集団で食いつく狼のようで、凍りつきました。
一般人で、カメラにも質問攻めにも耐えられるはずがない。辛い生活を送っているから、追っかけてきて欲しくない。だから、今こうして出てきて、分かる範囲で、話せることを伝えると、とつとつと語る姿に、その無念がにじんでいる。あふれている。なのに、マスコミの口調は、その父に「逃げてきた息子をナゼ部屋に帰したんだ」と責めるようなものだった。
日々、一生懸命生きている人になんでこんなことが起こるのか・とてもやりきれないのです。
・・とんぼさん。わたしこそ、「ぶちまけちゃってごめんなさい。」です。
人としてしていいことと悪いことの区別、昔はおとぎ話の中の勧善懲悪を聞かされたり、読むことで知らず知らずのうちに育っていたように思います。
ところがある頃から、話の中身が変化し、ほんわかムードが多くなりました。
子供たちは悪の存在を知らず、自分がしていることが悪であることにも気づかぬようになりました。
善悪の判断基準を持たない人間が増えているのです。
過保護な家庭教育、ちょっと危険だ、何かあると先生の責任になるからと、運動会の種目も変わりました。
痛みを経験し、痛みの程度を知り、加減を知り、その経験から他人の痛みを知り、思いやる。
そんな経験が子供たちの成長過程から奪われています。
野生の動物は、同種同士、仲間同士が戦っても、命を奪う
ところまで痛めつけることは無いそうです。
種の保存という本能がそうさせるのでしょう。
人も、本能的な感性を忘れてはいけませんね。
相撲部屋は、昔からモンダイがあっても闇の中。
それがとうとう噴出したということでしょうね。
重んじなければならない伝統は確かにありますが、
それに名を借りた差別や暴力は
あってはならないことですね。
陽花様
ほんとに、今の時代「躾」とか「教え」というより、
あてつけや八つ当たりなんてのも多いですね。
親からして、しっかり子供を叱れないんですから。
昔は…っていうと古いと言われますが、
大切に残すべきこともたくさんあると思います。
萬屋千兵衛様
「子供のころ」って、そういう経験が
大事なのだと思います。女の子はそんなにあれこれ
命をとったりはしませんでしたが、
花をやたらと取ってきても、母は叱りました。
「せっかく咲いているのに」って。
食べるときに「作ってくれる人に感謝しなさい」とか
「肉や魚があるから、自分たちが生きていかれる」
というような、「命の連鎖」とか「感謝」とか、
そんなに難しい話でなくても、
しょっちゅう聞かされていました。
ゲーム画面の中で、毎日のように何人も殺してる、
そんないまどきの風潮は、少しずつ何か
大切なものを壊しているように思います。
消防訓練校のニュースは、もうあきれかえって
「この先、ナニを信じろというのだよ」と
ため息でました。加減も思いやりも善悪も
自分できっちり考えることができない、
なんかほんとにヘンですね。
蜆子様
今の時代「マニュアル」がないと、しない、できない
間違ったら「マニュアルが悪い」が多いですね。
自分で考えるということが、
とてもヘタになっていると思います。
ゆん様
なんでも写せばいいってもんじゃありませんね。
おまけにインタビューがほんとにヘタです。
「今のお気持ちは」とか、逆に「そう答えてほしい」
と思っていることを「こんなことになって
お辛いし犯人がにくいと思いますが…」なんて
アホかと思うような質問をしたり…。
あげく「報道することはは視聴者が望んでいるから」
とか「報道する義務がある」とか…。
つごうのいい言い訳です。
見る側も、しつかり評価してみなくちゃいけません。
六十路独り言様
何でも横並び、一番とビリの差をつけないために
みんなで手をつないで走りましょう…なんて、
愚の骨頂です。何を以って「教育」というのでしょ。親も自分の子かわいやで、誰それとは一緒に
走らせないでとか、いうそうですね。
子は宝といいますが、磨かなきゃ宝にゃなりません。
他人様から見ても「輝きのあるように」、
時にはザラザラの砂で磨かにゃならん、と思います。
今の子は不幸ですねぇ。
暴行事件のあった部屋の親方は、ほんとうにいい年をして、、、、。最初から、なんだか目つきが頼りなくて、真実を言っていないと、直感していました。
もっともっと、いい伝統のはずの相撲を根本から見直して、反省して欲しいと思います。
でないと、ますますただのスポーツに成り代わり、どんどん日本の精神が薄れていくような気がします。
私は、別に右よりの人間ではないのですが。
とんぼさん、よくぞ言ってくださった!
ほんとに相撲界って、なんか自分たちだけの世界で
どっぷりつかって、胡坐かいてる気がします。
「国技」といったって、どさくさにまぎれて
そうなった程度のものですから、
今「国技」の資格剥奪、なんてことだって
できるわけで、そうなったら「補助金」も
もらえないんですよね。
少し痛い目を見たほうが「相撲界」のためではないかと、そんなことを思います。
いや、もう、全く同感です。
子供のときからの相撲ファンぼん吉としても、今の角界の現状は
いい加減にして欲しいものがありましたから、
その言葉で、ホントに胸がすっとしました。
ある元力士は「相撲は壊し合いなんだから、それだけの覚悟をもって望むべし」
と言ってました。
またとある現役力士は「壊されたのは自分が弱いから悪い」と言ってました。
しかし、たとえ壊し合いとは言えども、相撲のルールが有った上での話。
ルールを逸脱した壊し合いは、既に相撲では有りません。
こんなことを精神論だけでまかり通しちゃってるから、というか、精神論に逃げてるから
今の現状があるように思います。
角界は、まさに剣が峰で爪先立ちの状態。
そこを残す腰は、残念ながら無い様に思います。
とにかく、真剣に考えようよ。相撲協会。