ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

伝えることのむずかしさ

2014-04-13 21:33:49 | つれづれ

 

着物のことを書くためのあれこれは、頭の中にもあるのですが、

今日はそれも含めての、横道へ…。

 

あの「おけいこ」ですが、しばらくお休みになっています。

お互い子供のことやらなにやらで、日時がかみ合わなかったり、

2月には二度の大雪で「やる気」を阻まれましたぁ…。

そんなわけで、あと一回、今月下旬で「シメ」の予定です。

着物についてのことをあれこれ教えながら、逆に私もたくさんのことを教わりました。

そして「教える」という言葉よりも「伝える」という言葉のほうが、気持ちにぴったりくるなぁと

そんなことを思っていました。生徒のMさんも、まだ小さいお嬢さんに「着物のことを教えたい」と

そういってくださいました。親が教えるということは、伝わっていくということですから。

 

さて、タイトルの「「伝えることのむずかしさ」ですが…実はまったく関係なさそうなのですが、

こんな本を入手しました。

 

               

 

元々生協で見て、タイトルのおもしろさに「何がかいてあるんだろ」がありました。

読む必要はあまり感じませんでしたが、ちょっとのぞいてみようか…と、

当然ですが「古本」で入手…著者様、すみません。

で、最初に気になったのは「何が」・「常識」なのか、ということです。

いきなり最初の章が「家事の常識を疑う」、です。

そしてその第一項が「母から受け継いだ家事を疑ってみる」…。

 

たとえば、著者がご自分の講座の折に、出席者に聞いてみたこと。

洗濯の際「予洗い」をするかどうか。

全体の4分の1くらいがしていたそうですが、やり方はそれぞれ、いろいろみんな違う…。

このことに限らず、たとえば白いものと色ものを分けるとか、料理の際のあれこれとか…。

結局それらは、ほとんどが「母親がやっていたから」という意見が多かったとか。

しかし、母親の時代とは、いろいろ違うのだから「母親のやっていたことを疑うこと」から、

家事をラクにする一歩が見えてくるのでは…というお話でした。

 

この本のタイトルと、その中身を読んで、私は意外に思いました。

えっそんなことって、今の人たちは、とっくにやっているんじゃないの?

それよりもなによりも、家事って元々自分で考えるものじゃないの?

 

実は、この記事を書いていたところ、ほんとに偶然にも「池上さん」の番組で、

女性の家事仕事についてのお話が始まりました。あららピッタシの話題ではありませんか。

言ってました。私の親の時代からこっち、急激に家電品が登場してきたと。

この「急激な豊かさ」によって、私が親から伝えてもらったものや「事」が、

役に立たない…ということも出てきたわけです。

たとえば

部屋を掃除するときは、はたきは上から下にかける。(上のホコリを下に落とすため)

部屋の奥から、絞ったお茶ガラや濡れた新聞紙をちぎったものをばらまいて、

畳の目に添ってホウキで掃く…掃除機がでてきたら、この手順は用がなくなりました。

 

こんな風に、暮らし方も道具も、使う状況も、すべてがあっというまにかわり、

更にどんどん進化しています。なにもかも手仕事であった母の時代の手わざが、

今は用のないものになっていることも確かなのです。

そんな中で、親がやっていたから…なんとなく…というのは「疑ってみたら?」というわけですが、

それって、すでにやっているんじゃありませんかねぇ。私だってそれは経験してきました。 

家電品は、日々進化しています。

ここへ来たばかりのころ、洗濯機をまだ入れてなくて、

実家でとってあった、かなり古い二槽式洗濯機を使いました。

なんと脱水機には2キロしかはいりません。

水流も変えることができず、絹物・ウールなど、タイマーダイヤルには書いてあっても、

それは単純に時間を短くするだけ。絹は2分くらいでしたか。

それから比べれば、今の洗濯機は、魔法の道具みたいです。

予洗いが必要かとか、染料の改善で、色移り、色落ちするものが減った今、

しろいものだけ洗う必要はどの程度あるのか…とか。

そんなことって、親がやっていたからではなく、自分の暮らしの「今」を考えて、

どんどん変えていくことじゃないかと思った次第です。

 

そうなると逆に、ジーンズなど一緒に洗いたくないものを分ける、大きなものがある、

その時は二回三回と分けて洗えばいいわけですが、全自動はコースが終わるまではそのままです。

一回目はまだいいけれど、二回目が終わるまでに仕事にでなければならない…

女性が仕事を持つ時代の今、今度はそれが悩みになるのでしょうか。

 

この本で「トイレマットは使わない」というところがあります。

お子さんがいらして「小」の方で汚すので、臭いが大変で洗濯もたいへん…

友人が「マットは使ってない」というのを聞いて、そうかと気が付き、使うのをやめたと。

その分トイレの床そうじをこまめにすればいいし、そのほうが洗濯を気にするよりずっとラク、と。

同じことで、やたらべたべたになったり、何かが固まってガビガビなったりするキッチンマットも使わない。

これは私もわかります。つまり、マットであれなんであれ「それって必要か?」を考えるわけです。

私はずっと以前から、トイレマットって実は用のないものだよね、と思っていました。

昔々、トイレが和式で、しかも水洗でなかった時代、トイレマットって、なかったと思います。

汚れ防止というけれど、結局守れるのはマットの上だけで、周りのホコリは同じです。

 

でもいま、私はトイレマット使っています。それは単純に「見た目」のこと。

トイレは大切な個室です。

私はトイレの個室だけは、部屋では使いたくても使えない壁紙を、と頼んで、

ヨーロッパの女性の部屋のような、白地に青の花が飛んでいるものにしました。

なので、マット洗濯の手間をかけてでも、マットやスリッパをインテリアの道具として、

使いたいと思っているからです。おかげさまで、やたら汚す年代の子もおりませんし。

つまり「必要のないものだけど、自分の好みや思い、で使ってる」です。

かわりにキッチンマットは使いません。

いちいちガビガビを洗うより、毎日床ふきするほうが早いし、手間がかからないからです。

玄関マットは、息子の車いすの足乗せ台がちょうど当たるので、

パンチカーペットを床の傷防止に置いてあります。

 

ふと思いました。半分手仕事、半分機械…の暮らしだった母から教わったことは、

ただ「家事のコツ」ではなく、「変わったら自分も変われ」ということだったのでは…と。

そして、こんなに情報が錯そうする時代だからこそ、伝える側も「こうです」だけでなく、

その前後も、そして「すべて応用編である」ということまでも、伝えていかなければいけないのだなと、

そんなことを思いました。これは着物の着方ということもです。

この本には、今の時代、忙しい女性が読んだら「あぁそうね」はいっぱいあるのかもしれません。 

専業主婦の私には、働く主婦の家事のたいへんさは、全部感じ取ることはできません。

ですから、専業主婦の目で見て…ということになるのですが、

「こうすると家事をカットできる」「こうすると分担できる」「こうすると…」となってくると、

家事ってそんなにイヤなものか?…とも思ってしまいました。

いえいえ、元々が「うまく家事をこなしましょう」の本ですから、それはいいすぎかもですが。

確かに、掃除や洗濯、食事の支度は、好き嫌いのあることですし、時間短縮できれば、

ほかに何かできる時間が増えます。

それでも「カット」することばかりに目が行くほど、家事というものは、たいへんなものなのだろうかと。

池上さんの番組で、まだ洗濯機など電化製品がないころ、

たらいと洗濯板で洗う、ご飯はかまど…の暮らしのころは、

主婦の一日の家事労働時間は11時間、という統計があると言ってました。

ほぼ起きている間中、家事ですね。

今は、4時間くらいだそうです。アメリカはもっと短い…と。

今は、家事は女性だけの負担ではないということも、当然になっていますしね。

 

この本には、私のようなナマクラ主婦でも「あぁなるほどねぇ、こりゃいいわね」と、

そんな風に思えることもありましたし、こういうことって、昔からやってたよ…もありました。

伝えてもらったことを自分でアレンジする…「その知恵を持ちなさい」と、

それが一番大切な「伝えること」ではないのかなと、そんなことを思いながら…まだ読んでます。 

 

追記 なぜかコメント欄がとじられていました。申し訳ありませんでした。


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2 コメント

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Unknown (陽花)
2014-04-14 10:33:04
何事も予定通りにはいかないものですね。
昔習ってしていた事、今はする事も無くですが、
今の時代の様に温室育ちでは無い分多少は
たくましく生きる力はあると思います。
その時々に臨機応変することは必要ですね。
返信する
Unknown (とんぼ)
2014-04-14 20:13:44
陽花様

私もそう思います。
何もないから手仕事としてやっていた…
そのことは、決して無駄になっていないと
そう思います。
なんでも便利道具だと、それがなかったら…。
私もなきゃないなりに、できるだろうと思います。
今の人は幸せなのかなぁと、
かえってそんなことを心配したりして…。
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