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写真の説明は、ラストの方で…。私物です。
私は、アナログ人間なもんで、ケータイがあるのなんのと言われても、腕時計派です。
まぁ最近は、約束の時間を気にする暮らしではないので、時計を持ち歩くことも減りましたが…。
持つなら「腕時計」、しかもデジタルはダメ、針がついてるタイプで、さらにできることならネジ巻式…
だったのですが、最近は、出かけてから「あっ時計忘れた」が多いので、
ついにこれを買って、バッグにつけてます。これは「ナース・ウォッチ」。
どこにでも止められるのと、ひょいと持ち上げたときにすぐ見えるように、
文字盤がさかさまについているので、ひっくり返す手間がなくてわかりやすいです。
とまぁこんな暮らしですが、着物の時は腕時計はしませんし、持ちません。
質問コーナーなどでも、時々「着物で腕時計はしてもいいかどうか」なんていう質問も見かけます。
これもまた、時代の流れもあるのですから「○」か「×」か、で即座に決められることではないと思います。
ただ、元々が着物には、今様のアクセサリーはつけないのが原則…と言われます。
なぜでしょう。
日本の服飾文化の中には「宝石や貴石などによる服飾品の文化」というものが少ないです。
正確に言うと、平安以前はありました。いわゆる耳飾り、首飾り等…。
高価なメノウやヒスイなどは当然、身分高きひとのものであり、またどちらかというと、
装飾というよりは呪術的な意味が強く、装飾品のほかの、鏡や銅鐸など、
そういったものと、同じような扱いであったと思われています。
平安時代に、いわゆる耳飾りだの首飾りだのというものが、なぜ廃れたのかは、
まだ確たる説がありません。政治経済、社会情勢、さまざまな影響による…とされて、
いろいろ説がありますが、私は「着物が栄えた」という説を押したいです。
つまり、着物、織物染物が発達し、美しい織物染物は宝石に匹敵する…というわけ。
また、男性の場合は、美しいものが刀剣や鎧兜等、そういったほうに進んだと言われています。
また、さらには「美」が「香」とか「文字」「絵」というものに重きを置く風潮も生まれました。
日本人って、元々「ヒカリモノ」はお好みではなかったのですねぇ。
やがて外国との交易がはじまり、いろいろ美しいものが入ってきましたが、
それは当然のようにごくごく一部の人の手にしかわたりませんでしたし、
外国の服飾品は、そのまま日本人が身に着けるということは、生活習慣も違いましたし、
広く流通するということがありませんでした。
昔話で宝物というと「金・銀・サンゴ、綾錦」です。サンゴは海洋国ならではの産物、
そして綾錦は、絹織物とその技術ですね。
さて、そんなわけで、着物の歴史の中で、着物の変化と同時に進んできた服飾品は、
櫛、簪、笄、てがら、帯留、根付…など。
今は、日本髪を結わなくなったので、せいぜい平打ちを一本挿すとか、
若い方がコサージュ様のものを付ける程度になりました。
代わりにピアスやブレスレッド、そして腕時計…。
それが着物に合うかどうか…と言われると、これは何十年かたたないと、
答えは出ないと思います。
派手にキラキラユラユラというようなピアスや、首の回りに目立つネックレスなどは、
せっかくの着物の美しい衿元を、壊してしまうと私は思っています。
そんなものつけなくても、着物の衿元はそれだけで美しく麗しいものなのだよと。
細いネックレスでもおかしい…というのは実は「見慣れていない」という面もあると思います。
私は着物でネックレスは、やはりすっきりした首元に、わざわざ余分なラインを入れることはない、
という思いからしませんが、若い御嬢さんが、着物と同じ色目の粒の小さいピアスなどしていると、
かわいいなぁと思います。まぁ若い方は、何もしなくても、若いというだけで、
十分魅力的だと思いますが、それは年をとってからわかることなんですけどね。
とりあえず、私は、昔、南蛮貿易が始まったことで、いろんな服飾文化の変化があったことを思うと、
現代は現代なりの変化はあって当然と思います。
ただ、残念なことに「積み上げてきたものがある」ということを無視して、上乗せされることについては、
「ただの流行ファッション」で、いいものを消しててしまうことになる危惧もあると思っています。
さて、そこで「腕時計」ですが、私はおすすめしません。もしつけるなら、小さいブレス感覚のものくらい。
それと、よく式場や式典など、礼装の時に時計をすると「終わる時間」を気にしていると思われる…
これは、そんなことを思う人が、実際にいる、ということではなく、
たとえば、お通夜には「急を聞いて取るものもとりあえず、参りました」の気持ちの表れとして、
全身真っ黒にはしない…という事と同じで、日本人特有の奥ゆかしさ、気遣い、ということ。
心の文化…とでもいうことでしょうか。そのために、時計はしない…というのは、素敵な心遣いだと思います。
また、実践的なことですが、いろいろでこぼこのある装飾品が、着物に向かないのは、
着物には「ひっかかる」ということが多いからです。
ポリや市販の浴衣などは別として、手縫いがほとんどである着物は、
ミシン目より縫い目に隙間がありますから、ちょっとしたものでも引っかかります。
また帯や着物によっては、刺繍があったり織りの柄があったりして、自分のものだけでなく、
人のものまで引っかける恐れがあります。
なので、宝石で、とげとげデコボコのあるアクセサリーは、キケンなもの…になります。
指輪も結婚指輪のようなつるんとしたものならいいのですが、
華やかな宝飾デザインのものは「つけたらきをつける」です。
腕時計は、自分の着物の袖が犠牲になることがあります。
なので、懐中時計がいいとされるわけですが、これは帯の間に挟んで使います。
しゃれた根付を引っ張って、七宝のフタ飾りのものなどをさりげなく帯から抜いて、
パチンとフタをあけるしぐさは、なかなかいいものです。
いろんな変化はあって当然、と書きましたが、それは「いずれ何でもアリになる」ではなく、
ちゃんと淘汰されていって残るもの、と考えたいのです。
目立ちたいだけで、鳥の巣重ねたような金髪アタマが、いつまでもはやるとは思っていません。
落ち着くべきところに落ち着いたもの、それが残っていくと思います。
そのためには、腕時計もしてみて、もし改良できるなら、その是非はおのずと決まっていくでしょうし、
もしかしたらめだたず、着物にも優しい腕時計がうまれるかもしれません。
おしまいになりましたが、トップ写真の説明です。500円玉は大きさ比較。
私物の懐中時計。左は母から譲られたもの、右はタイマイはたいて自分の誕生日に買ったもの。
母からのものは「石の断面もよう」。右は反対側は「雷神さま」です。
両方とも女性が持つには、ちと大きいです。母のものは、まだなんとか…。
実は市販の女性用懐中時計は、おしゃれ感覚ばかりが優先で、字が小さくて見えづらい…のです。
母も遠視からの老眼で、早くからメガネでしたし、私も乱視のために見えづらいのです。
そしてデジタルは、滲んでみえてしまう私には「6」か「8」かわからない…。
ので、慣れ親しんだ文字盤だと、数字はボケても、針の位置で時間がわかるというわけです。
そんなわけで、ちと大きめのこれを使っていましたが、長く使わずに来たので、電池がない…。
だーかーら、私はネジ巻き巻きが好きなのですよぉ。
日常持ち歩く時計は電池も長持ちですが、
使わずに引き出しに入れておくと使いたい
時には電池切れになっています。
なので、まさかの間に合わないという事が
度々です。
もう15~16年前に買ったものだと思うのですが、
思いっきり落として、実は七宝に割れがあります。
時計の電池交換って、懐中電灯みたいに、
ささっとできませんから、止まっちゃうと
めんどくさいですよねぇ。
私の手元には、止まったままの時計が、
三個も四個もあります。
何回か引っ掛けて、今の時計はまだ引っ掛かったことがないので紬の時なんかは付けてますが。
古道具の鍵で巻く懐中時計を買ったのですが、古すぎてゼンマイが巻き切れてしまい、現在修理待ちというか、腕時計でどうしようもなくなったら出そう、と思ってます。
時計の電池交換は私も苦手、だんだん電池の持ちも悪くなるし。
今の腕時計は、光りで充電するとかで蛍光灯でもなんでも光が当たるように置いておけばずっと動いているので便利です。
私も紬でそのへん、とかその程度だと、
ついそのまま…もありましたが、
今はもう普段からしないので、よけいに
したいと思いませんねぇ。
時計はあの耳を近づけると、チッチッチッと、
音がするのが好きです。
最近は時計修理も、古いところでないと、
頼めませんから、私もいずれ・・・が二つあります。
もう40年ものですわ。
今は なかなか無いですね
消費税が上がる前に
電池の取替えをしておきましょう と思ったものの
つい忘れ・・・
懐中時計を始めとして 動いていない腕時計が数個
これを一度に電池の入れ替えをすると
同じ様な時期に また入れ替える事になるのですよね
骨董品扱いでしょうねぇ。
電池切れたのは、もうほったらかし。
服に合わせて時計をかえる…なんてことも
なくなりましたし…。
とりあえず、イチキュッパのナースウォッチ、
便利してます。