ほんとに片付けというものはキリのないものです。
いや、日ごろえーかげんだからこうなるのですが・・。
現在休業中のHPを立ち上げた頃、手持ちだけではたりなくて、
オークションや骨董市などで古着をいろいろ漁っていました。
それを聞きつけた友人や、その友人の知り合い・・などからも、
「要らないから使って」「捨てようと思ってたの」と、あれこれ集まりました。
そういう中に「これはウチでは使わない」と言うものもあるわけで・・。
そんなものがまとめて出てきました。
写真はその一部です。これは三つとも「洗い張り済」のもの、
いずれも染屋さんの「タグ」つきです。
昔の人は縫うのは自分でやりましたから、こういう状態にしてしまっておいて、
仕立て直したり、またリフォームしたり大事に使ったんでしょうね。
左のカマ柄のは、大島風に見せた紬、真ん中はまだ状態のいいお召し、
右は、もうどうしようかと思うほど古いこれもお召し・・だと思います。
いずれも糸で綴じてありましたが、撮影のためはずしてみました。
カマ柄はほんとに大きい柄です。
花のようにも見えるし、鏡柄のようにも見えます。
宝相華っぽくもみえるのですが、どうもよくわかりません。
いずれにしても、この大きさでこの「赤」ですから、地色は黒ですが、
比較的若い人の着物だったと思います。いやーそれにしても大きい・・。
まだ全部広げて検品していないのですが、コレはまだ着物として着られそうです。
そして右はしの「お召」だと思うというもの、なにしろあまりの傷みようで、
よれよれなんです。表はさほどわからないのですが、裏を見ると・・・、
これがどこを開いても・・状態です。よくぞここまでと感心します。
それに、これもちゃんと呉服屋さんのタグ(油紙のこより)が付いていたのです。
つまり、こういう状態でもちゃんと洗い張りしてくれたんですね。
ツギのあたっているところや、布端のほうはほんとにもう布力はないのですが、
真ん中へんや場所によっては、まだ使えます。
布団側とか、そういうものに使うつもりだったのでしょうね。すごいものです。
もうひとつは「着物」、確か「お姑」さんのものだったと聞いたのですが、
シブ好みのとんぼとしては、嫌いな色柄じゃありません。
グレー地に赤紫で「線」を使った細かい柄の小紋。
実物はもう少し紫っぽく、色が全体に濃く見えます。
柄がわかりづらいのでアップを一枚。
細かい柄が一模様ずつ、結局「横段」模様を作っているんですね。
まだ新しいほうだし、もったいないのですが・・実はすんごく重いんです。
しぼの細かいちりめんなので、一越や梨地全盛の今では珍しいのですが、
これ着たらたぶん着ただけで疲れそう???どうしたものかと思案中です。
お次は「染め見本」、更紗柄の小紋の染め見本です。
染め見本はそのままなら着物になって着られる、ということがありませんので、
まぁ手垢で汚れることはあっても水を通ることはありません。
見本なので、まぁまぁのちりめんが使われます。
染め見本はだいたい6mくらい、つまり普通の反物の半分くらいで、
系統だったもの、たとえば写真のように「更紗」だけの見本、とか
花なら「菊柄」ばかり集めたものとか、抽象的に「秋風」とか「まほろば」とか
名前がついていて、そのイメージにあった柄行のものを集めたものとか、
さまざまな見本があります。オークションではけっこうお高くなります。
呉服屋さんでは毎年「染め見本」は染屋さんからきますから、
古いものはいらなくなるわけで、古着でこの「染め見本」で作ったじゅばん、
というのがけっこう出ます。カラフルですが、未使用の反物で作るわけですから
「お得」だったわけです。何もムダにしなかったんですね。
この更紗は、一模様が約30cm前後ずつずーっとつながっていました。
小物作りにと思い、柄ひとつ分ずつ切り離したものです。
こんな柄のじゅばん、男物みたいだけどほしいなぁと思ってるとんぼです。
さておしまいは、これが何になる予定だったのか私にもわかりません。
ちょっとわかりにくいのですが、図柄は「雪洞のような形の行灯の灯りを頼りに
手紙を書いている日本髪の女性」です。
地布は黒繻子、横幅は30cm長さは40cmくらいです。
たぶん帯皮の残りかと・・・。そこに赤・ピンクの濃淡で刺繍がしてあります。
まだ途中なのかとも思ったのですが、こうして少し離れた感じで見ると、
行灯の光のあたっている部分を刺繍して、あとは「影」の部分で輪郭だけ、
というように見えますね。なかなか上手です。
これを何にするつもりだったのでしょうか。袱紗でしょうか・・。
額に入れて飾る?それもいいかもしれませんね。
さて、まだまだいろいろ出てきております。
今日は雨で洗濯も部屋干し・・古いものとイマドキものとに埋もれて、
とんぼの日曜日は過ぎてゆくのでありますー。
「古いものを生かす」ということ、少しでもできたらな・・と思っているのですが、先人の知恵を借りてもくらしぶりそのものがかわっていると、なかなか難しいところもあります。それでも、古い布に触っていると、なんだかホッとするんですよ、フシギですね。
Fjjipi様
ホントに「よくぞここまで・・」というもの繻子の帯などは解こうとしたらツーッとさけてしまったりなんてものもあります。よくがんばってここまできたねぇ・・と思わず言ってしまうんです。それでもまだ捨てないんですよ。そぉーっと裂いたたものは「裂き織り」の材料になります。私はやりませんが、近隣の作業所で裂き織りの商品製作をやっていますので、彼らの最後の花道としてそこへ送ります。そのほか詰め物や、何かを包むなど「溶けてなくなるまで」使いたいとおもっています。
なんだかじ~んときてしまうFujipiでした
生地の声に耳をすまし、それぞれの言い分をまた形にしていらっしゃる、いろんな生地をみせてもらいながら、生地の声がこちらにも伝わってくる気がしています。
かたづけっていうと、いらないものをほかすことと解釈し勝ちですが、言い分を聞いて再生、これってかたずけというより、生まれるという語感に近いかもしれません。
日々楽しませてもらいつつ、感心しております。
再生頑張って下さい。
昔の布たちは、しあわせだったかもしれませんね。擬人化するのはおかしいかもしれませんが「こんなにきちんとつくろってもらったんだから、もうひとがんばりするよっ、だいじょーぶ」と、布が答えているような気がするんです。こういうものを見てしまうと、ほんとに「ハギレ」が捨てられません。
私の伸子張りは、ただの汚れ落としで糊付けもしないのですが、やっていると、かなりお年を召したかたから「何をしているのですか」と声を掛けられることがあります。日常の風景の中に「伸子張り」や「張り板」が絶えて久しいのですね。
継ぎのあたったきれを見るのわたし好きです。継ぎの当て方にもそれぞれこだわりがあるようでとても面白いです。 「こうしておけば、いつでも何にでもできるから」ってほんとそうなんでしょうねえ。明治生まれの方から聞きましたが、「着なくなった着物をそのままの形で置いておくことはだらしないことで、すぐに洗い張りをしてきれの状態にしておくと汚れ落ちもよいし生地も長持ちをする。」ておっしゃってました。こんな風に世話をされたきれはこちらまでいとおしいような気になりますね。昭和30年代まではまだ町内に一軒ぐらい洗い張りやさんがあったように聞いていますが、現在では洗張りに出すことがとても大げさなことになっています。
この洗い張りトリオは、ほかにも洗い張りの状態のものや、山ほどの各種ハギレと一緒にダンボール一箱で家にきたものなんですが、一緒に現代もののジミーーな絞りの羽織などもありました。お年寄りがずっとしまっていたものだと思います。昔のヒトは「こうしておけば、いつでも何にでもできるから」という思いだったのでしょうね。オークションに出てくるこのタイプのものは、どこかの蔵やお屋敷「総ざらえ」ってのが古着屋さん通して出てくることが多いですね。
このお召しを解いて洗い張りした時期、
戦後かな~と、漠然と思っていたのですが、
戦前、戦中のもの、大事にとってあれば、
古布として、出回っているんですね~♪
江戸ちりめんと同様、相当に古い布地、
あるものなのですね~
ほんとに、懐かしがったり、調べ始めちゃったり
しゃがみこんじゃうことのほうが多いですよね。
それでも楽しんでるんですけど!
ぶりねぇ様
40年代は、ぎりぎり新古に入るんじゃないかと
思います。このテは柄や織りからいっても
戦中かそれ以前と思われます。
さわっただけで崩れそう??
このお召しの洗い張り、東京方面のものであれば、
たぶん、昭和40年代までのものでしょうか。
確か、昭和50年代になると、くりまわしするより、
新調の時代だったように記憶しています。
「あら!こんなものがあったわ」なんて
見ていると余計片付けが遅れてしまうし
むやみやたらに仕分けするわけにもいかないし
なかなか片付かないのよくわかります。
それにしてもピンクのお召しの裏を見て
昔の人はほんとに物を粗末にしなかった
ということがよくわかりますね。