写真の整理で出てきた、主人小学校4年生の遠足集合写真。「向ヶ丘遊園地」とあります。
神奈川近辺の方ならご存知だと思いますが、小田急線で多摩川を越えたすぐのところ。
昭和2年開園ですから、ものすごく古い…で、平成14年まで営業していました。
もうひとつ、「向ヶ丘」の割と近くに「よみうりランド」という遊園地ができたのが確か昭和40年くらい?
向ヶ丘のほうは、今はもうすっかり閉鎖で、駅名や地名に「向ヶ丘遊園」と残っているだけ。
「よみうり」のほうは、時代の変遷に合わせていろいろ努力しているのか、今も存続しています。
私、どっちも行った記憶がありません。主人は中学まで東京だったので、遠足圏内だったのでしょうね。
遠足の記念写真、どこのおたくでもとってあることでしょう。
自分のもの、家族のもの・・・もう何年生でどこへ行ったなんて、すっかり忘れていますけれど…。
最近読んだニュースで、今の子供の遠足は「お菓子の交換はしない」と決められているところが多いとか。
アレルギーの子供が、間違って食べないようにという配慮だそうです。
いじめにつながるからということもある…「誰ちゃんにだけあげない」とかですかね。
またやたらとたくさん持ってくる子もいたりで、「格差」なんてこともあるとかなんとか。
更には、お弁当も持たせない親もいるとかで、お弁当ナシのところもあるそうな。
そういえば、運動会の昼食で、子供たちは教室で、家族は外で・・・というのが聞かれたのは、
ずいぶん前のことですねぇ。
なんだか、今の子供たちって、かわいそうですね。
アレルギーは、そりゃ仕方ないことですが、、給食だって別メニューのはずですから、
子供たちにちゃんと「あげて病気がおきるといけないから」と説明して、
実は「わけっこや交換したい気持ちはあるんだ」ということを、大切にしてあげたいと思うんですがねぇ。
最初から「持ってこない」とか「交換しない」と決めてしまったら、遠足の楽しみ半減しそう。
先生は、一つ一つのお菓子について「これはいい、これはダメ」と、調べるのも大変でしょうから、
「しない」と決めてしまったほうが、簡単なのでしょうね。
昔々のお話ですが、確か4年生くらいのとき、遠足の日の朝が大雨だったかで、これは中止だと判断した親が、
私に普通のお弁当(当時、私の通っていた小学校には給食がありませんでした)を持たせました。
まだ家に固定電話なんてない時代ですから、電話連絡網もありません。
また天気予報も今ほど正確ではありませんでした。
学校へ着いたら、なんとか雨はやみそうだからと、遠足は決行ということになってました。
私と同じように親が「中止」と判断して、遠足のしたくをしてこなかった生徒が3人くらいいたと思います。
みんなは赤や黄色、チェックのリュックや、かわいい水筒持参。私はいつものランドセル。
悲しい気持ちでバスに乗り、行った先は「羽田空港」だったかな。
お昼になると、みんなはお稲荷さんとかおにぎりとか、いかにもの遠足弁当。
私はいつも通りのお弁当…ないわけじゃありませんし、おなかは満たされますけれど、心がねぇ…。
それにお菓子が何もありません。おみやげを買うお小遣いもありません。
ところが、お昼はクラスメイトが「ゆで卵わけようよ」とか「お稲荷さん1コあげる」とか…。
そしてお菓子もみんなが少しずつくれました。お小遣いは先生が貸してくれて、ちゃんとお土産も買えました。
うれしくて楽しくて、帰りのバスの中ではしたくをしてこなかったことなど、すっかり忘れていました。
家に帰ってから母に話すと「ほんま、かんにんなぁ」と困惑していましたっけ。
アレルギーなんていわれない時代でしたし、いまのような陰湿ないじめもない時代です。
今ならケータイですぐに中止や延期の知らせも届くでしょう。
でももし、今の時代にこんなことがあったら…その生徒は遠足に行くでしょうか。
行ったとして、みんなでその子も楽しめるように、何か分けてあげたりしたくても、
アレルギーが…なんていわれたらねぇ。
子供の世界のことは、もうすっかりわからない年代と暮らしです。
ふと、母の話を思い出しました。
母は、親が年取ってからの子供で(祖母42歳のときの子)末っ子。
すぐ上の姉とも6歳離れていましたし、父親(祖父)は、祖母より5歳くらい上だったようです。
母が小学校のときの運動会、両親は必ず来てくれたそうですが、それがいやでたまらなかったと。
当時の祖父はすでに60を越えているわけで、それも今の60とは大違いで、しっかりおじいさんです。
着物を着てそれを尻っぱしょりにし、その下はももひき。カンカン帽をかぶって杖をついてやってくる。
「どこのじーさんやねんってカッコでなぁ、いややったわぁ。そのうしろからおかぁちゃんが、おっきなふろしきに、
重箱の弁当包んでもってきはんねん。そういうときだけは、麦のはいってへんおにぎりやったし、
それはうれしかったんやけどなぁ」…。
当時の小学校の運動会といえば、村のイベントでもあったわけです。
今でも離島などで「村中がそろって運動会」というところはあるそうです。お昼はみんなで輪になって…。
そういう風景は、都会ではもう見られないのでしょうね。
遠足も、どこかの既成のお弁当だったり、お菓子も自分のものだけだったり…。
なんか切なくなりますね。子供のころの思い出って、年をとってもいいものなんですけどねぇ。
難しい時代になりましたわ。
私の遠足の時もこんな感じだったかなあと。。。 後ろに見える遊具がまたれレトロ感一杯。
今は難しい時代になりましたね。
アレルギーにいじめと、子も親も大変。
昔もあったのでしょうが、今とはずいぶん違っていたように思います。
居場所を見つけるのが大変な時代になってしまって。。。
レトロな遊具でしょう?
ジェットコースターとかコーヒーカップのような遊具は、
また別の場所にあり、バラ園などもあったので、
小さい子からお年寄りまで、楽しめたんですよね。
生まれたときから情報の洪水の中で育ち、
ボタンひとつで何でもでき…という世代。
なんか大切なものを、与えてあげられない気がします。
「居場所」、難しいですね。
「違反」はいつもいましたね。
でも先生も「ダメじゃないかー」くらいだった気がしますし、
子供たちも、それをはやし立てても、
そんなに後を引くようなこともなかったし…。
なんか今よりずっとおおらかでしたね。
ゆったりとか、ほんわかとか…、そんな感覚が減って、
言い方悪いけれど、「らしさ」のない子供が
増えている気がします。大人の責任です。
数年前に着物の事でとんぼさんのブログと出会い、ずっと遡って読み続けて最近やっと追いつきました!笑
現役子育て世代の私でも、今の子は楽しみが減ったなぁと思います。
遠足も運動会もお弁当のおかず交換、お菓子交換は禁止。娘の修学旅行では「卵アレルギーの子がクラスにいるから卵を使ったお菓子を持ってくる事を禁止」と言われました。強いアレルギーを持つ子供さんやそのご家族の大変さは想像できますが、学校を一歩出れば自分の身は自分で守る事は本人にも必要な事だろうとは思いますし、学校内でも子供達が教師から強制される事なく自然と友達を気遣う気持ちを養うことが本当は大切なのではと感じます。
今時は家庭科でも布地をお店で買って用意することもなく全ての材料がセットになった「キット」を業者が用意したものを子供達が選ぶのです。昔は「ブロードの生地を何メートル買ってきなさい」とか言われて色柄など好みの物をお店で楽しんで選んだものです。(間違えてビロード持ってくる男子とか居てそれも楽しい思い出です。笑)
学校行事も少なく、モンスターペアレンツ対策や教師の負担軽減の為でしょうか 運動会では騎馬戦も組体操もありません。
すみません、愚痴になってしまいました^_^;
今は技術も進み昔には無かったような 経験も今の子供達にはたぶんあるのでしょうが でも時が経っても大切な事って本質的には変わらないと思うのですが 難しいのでしょうね。
まぁやたらと長いブログを、よくお読みくださいました。
ありがとうございます。
ここ数年は放置ブログになっておりましてすみません。
着物は触っておりますので・・・。
学校から離れて久しいですが、なんだか最近の子供たちは、
「ありすぎて不幸」みたいな気がします。
いつのころだったか「運動会で差がつくといけないからと
みんなでおててつないで一緒にゴールする」などというハナシを聞いたものです。
「差ではなく違いだ」と、とらえられない世の中になりましたね。
勉強だって音楽だって絵だって運動だって、誰しもが得意不得意があり、
できる子もできない子もいるのに。
急に「みんな違って、みんないい」などといい始めて、
それでもあんまり変わってない気がします。
学校はひたすら「何かあったらどうする」で、とにかく先手先手で
カバーすることばかりです。
社会に出たら、誰もかばってなんてくれないのにね、と
私も思います。
人を思いやり、自分の力で考えることは、人としての基本だと思いますねぇ。