ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

嫁入り道具、自分のときは…

2006-12-03 21:34:01 | 昔の道具・暮らし

これは「仙台開府四百年記念特別展」の図録です。
タイトルは「大名家の婚礼」サブタイトル「お姫さまの嫁入り道具」
仙台市美術館の発行、平成12年です。

仙台といえば「伊達家」、かつての武家同士の婚姻は、
当然「政略結婚」が多いわけですが、戦国時代は勢力拡大、領地拡大、
家康が天下を取ってからは、お家の安泰が第一。
当時の「藩」と言うのは、今の「県」とは違って「ひとつの国」でしたから、
それぞれの国で産業を奨励し、国としての財政を安定させるのが、
領主の務めでもあったわけです。そのために、藩同士のつながりを強めたり、
時にはけん制しあったりしたわけですね。婚姻もそれに利用されもしたわけで…。
「伊達家」は、大名の中でもとくに大きい地位でしたから、
藩主夫人には、将軍家や公家からも縁付いています。
この本によれば、特に将軍家からのお輿入れについては、
屋敷から新築して向かえるという一大事業だったとあります。

お輿入れ、つまり嫁に行く場合のしたくというのは、
通常「嫁側」の仕事で、確かに結納というものはありますが、
そのとき婿側から渡されるのは「御帯料」という名目。
昔は実際に帯地や白絹が届けられたわけですが、
今や「お金」になり、さらに「婚約指輪、月収三か月分」がつくわけで…。
で、お大名の姫君の場合はといいますと、
この本には「身分の高い姫君」の輿入れの際は、諸大名に
その支度を分担させたとあります。要するに「祝いとして家財道具よこせ」?!
なんかセコい話ですが、それだけ膨大な「嫁入り道具」が必要だった、
しかもどれをとっても一流品、でなければならなかったわけです。

いよいよ「お嫁入り道具」なのですが、
この図録は平成12年のもの、書籍ではないためか「転載禁止」の文字が
みあたりません。しかし、さまざまな美術館や資料館、或いは
個人の持ち物を集めての展示でありまして、更に説明はさまざまな
論文や資料が使われております。当然著作権も発生すると思われます。
従いまして、一応写真をお借りすることを記載致します。
著作権等は、全てこの図録の作成者にございます。
何か問題がありました場合は、ご一報くださいませ。

さて、一時代前の現代の嫁入り道具といえば「箪笥・長持」で、
昔は庶民であっても「家同士」の結婚が多かったわけで、
嫁が相手の家に入る、ということです。
したがって生活基盤はあるわけですから、衣食住のうちの「衣」に重きを置き
箪笥と長持の中に必要な着物一切を納めて持たせたわけです。
現代はどうかといいますと、結婚は個人で、大体は別居、
だから「ハシと茶碗」から必要で、実際私も台所の道具一切をもってきました。
では、大名のお嫁さんは、どんなものを持っていったのでしょう。
当然普通の人間が持っていくような着物などはもちろんですが、
家紋の入った食器も一式、お化粧道具は特に美しいものがありますが、
それにあわせて「耳盥(みみだらい)」、これは朝おきて顔を洗うためのもの、
つまり洗面器ですね。そして鏡は昔は今のドレッサーのような
大きな鏡はありませんでしたから、まずは鏡を乗せてて置くための台、
それに美しいふたつきの器におさめられた鏡、これで一式。
この辺りは、まぁ金持ちの娘ならこのくらい…なのですが、
このほかに「人形」というのがあります。
以前、桃の節句で書きましたが、娘の嫁入りには「お雛様」を持たせる、
貝桶を持たせるというのは当然のことでした。これは夫婦円満の象徴ですね。
大名家の婚姻では、これに更に「天児(あまかつ)」という
非常に簡素な人形を持たせました。これは飾ったり遊んだりするものではなく、
この図録にもいくつか載っていますが、テルテル坊主に
棒の手足をくっつけたような人形です。これはその後「這子(はいご)」という
これも簡素な形の人形になりますが、いずれもちゃんと着物を着せられ、
膳も備えられたとあります。要するに「いざというときの身代わり」人形です。
平安の昔から、人は「形代(かたしろ)」というものに、災厄や罪を移して
川に流すとか焚き上げる…ということをしてきました。
この人形も、そういう意味合いのもので、子供が生まれるとつくり、
男の子は、成人後にお焚き上げなどしましたが、
女の子は一生持ち続けたそうです。
当時、身分の高い女性が結婚後にする仕事は「跡継ぎ」を生むこと。
妊娠と出産は、いつの時代も命がけの重労働です。
しかも、乳幼児の死亡率の高かった昔は、とにかくまずは「子を孕む」、
やれめでたや、のあとは無事な出産、そしてその子の無事な成長を祈るわけです。
そのため「病気や災厄」の身代わりを引き受けてくれるように…と、
持たされたのでしょうね。
そのほか、将棋盤や琴、はたまたすごろくなどの趣味的なものも載ってました。
平安の昔は女性も「囲碁」をやったそうですが、
武家の奥方様は将棋をしたんでしょうかねぇ。

ひとつ、たいへんびっくりするものを見つけました。
なんと「伸子張りの道具」です。みごとに「黒漆に金蒔絵」…。
こんなもので、穴だらけの紬だのシミだらけの小紋だの、
洗い張りしたらバチあたりそーですわ。
こちらがその写真です。


   


身分の高い婦人ほど、家事労働はしませんし、
着物などはそれを作る専門職がいるはずです。
いかにお嫁入りのときからそばについている…といっても、
おつきの人が、洗い張りだの伸子張りだのをしたのだろうか…と
疑問に思ったのですが、実は婚礼の行列において、この伸子張りの
「張り木」と「伸子」は、重要な道具だったそうで、
しきたりどおりの花嫁行列では花嫁の前を行く輿の最初の輿には、
その姫様のおつきであった女性が、この道具を前において乗るのだそうです。
どういう意味があるのか、そこまでは書いてありませんで知りたいですー。

というわけで、今日は腰の痛いのもありまして(痛いというより重いです)、
届いたばかりのこの図録を眺めてすごしました。
洗濯を一日休んだので、明日はたーいへん!
ついでに洗いたいハギレもあります。
明日はハギレのお話かなー。
ラスト一枚は裏表紙のもの、見事な「貝桶」の片割れです。


      




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5 コメント

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Unknown (とんぼ)
2006-12-05 20:51:05
恵様
おめでとうございまーす!!
それにしても、いろいろたいへんのようですね。
早くご一緒に暮らせるようになりますように!
私も最初がアパートでしたから、大きな家具は
もって行きませんでした。ほんとにタンスだけ。
堅実に少しずつ…というのが一番ですね。
お嬢様、お幸せに!
返信する
どさくさにまぎれ ()
2006-12-05 01:24:55
ご報告いたします。
12月2日に娘が結婚しました。
式を挙げたものの社宅が決まらず
式の翌日から別居です。
平民の我が家は、結納時は婚約指輪のみ
(お金は人身売買されている様で嫌だとの事で取り止め)
お返しは半返し程度の(3分の1位かな)時計。
家具等は住む所がはっきりしてから二人で揃えるとの事。
後は引き出物などの持ち寄りと買い置きの物でしのぐらしい。
なかなかしっかりしている昨今の若人です。
返信する
Unknown (とんぼ)
2006-12-04 23:44:12
私は一人娘だもんで、バサマが「あれもこれも」と
そりゃあもうこってりと…。
ごみのビニール袋まで「こりゃ3年分かい」と
思うくらい…、親はありがたいものですが、
せまいアパート暮らしからの出発だったので、
しまうところに一苦労しました。

蜆子様
お大名の嫁入り道具なんかは、使わないものも
たくさんあったのでしょうね。
いえ使わなかったというより、元から使う予定がない
といいますか、要は「格式」のための道具。
おかげで、今の時代でも「完品」が見られるわけで、
私もいつかぜひ、見に行きたいと思います。
返信する
嫁入り道具 (蜆子)
2006-12-04 09:57:07
嫁入り道具の圧巻は、徳川美術館にある初音の調度、二代将軍の姫君ではなかったかな、3歳で婚約、嫁入り道具を作り出し、実際は嫁入りのずっとあとに届けられたとか!、国宝のはずでした。それを見たいばっかりに何度も足を運びました。

娘の嫁入り道具、本人のいうままに取り揃えたはず、なのにマンションから一戸建てに、サイズ、色があわないとこれもあれもいらない、私ぶんむくれています。「あんたがいいといったんじゃろうが!」これから揃えられるかた、半永久的なんて思わないで、取りあえずで取り揃えられることをおすすめします。
返信する
Unknown (陽花)
2006-12-04 09:15:09
親と同居か新所帯かで、お嫁入りに持っていく
物も変わりますよね。私は同居だったのでその点
助かりました。今の新所帯は、持ち寄りで・・・
ていうことも聞きます。時代が変わればお嫁入り
道具も様々ですね。
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