これがホンモノだったら・・と、思わずつぶやいた「ハギレ」です。
これもハギレで、50センチくらいしかありません。
しぼのザラザラしたいいちりめんです。縫い目跡や汚れ、褪せの具合から見て、
どうやらじゅばんだったようです。ふちのきれいなところを見ますと、
鮮やかな薄緑色です。ずいぶんとゴーカでハデハデしいじゅばんだったでしよう。
いくら見えないところだといっても、ちょっとイヤミな柄行??
さてこの図柄は・・といろいろ調べてみたのですが、
「拾両後藤」と墨書きで書いてあるので、単純に考えると
「天正大判」とよばれる、秀吉が作った大判・・ということになるのですが
実際のものの写真を見ると、ちょっと違うんですね。もーちょっとジミ・・。
まぁ着物の図柄ですから、ちょっと華やかに・・としたのかもしれません。
タイトルにに書いたのは「花咲爺」の昔話、♪ウラの畑でポチが鳴く・・、
で、このじいさまは、何度も大判小判を手に入れます。
今なら立て続けに「ジャンボ宝くじ」が当たるってところでしょうか・・。
なんかそういう言い方をしてしまうと「ミもフタもない」ですねぇ。
ともあれ、昔話では「善良なおじいさん・おばあさん」には
つづらだのウラのヤマだのから「金銀サンゴ綾錦」がザックザックと現れる、
この金銀が大判小判なわけですが、実際に「小判・大判」というものが
初めて作られたのは、秀吉の時代です。
大判というのは、実際にこれでモノを買う・・ということはなく、
いわば「贈答用」、今なら思いっきりワイロっぽいですが、
当時は、今で言うなら「金の仏像」だの「銀の食器」だのをプレゼントするのと
同じ感覚だったのでしょうね。秀吉の時には「報奨」として、
戦で功績があったものに多く贈られたようです。
大判は、実際に貨幣として流通することがなかったので、
当初は表の「拾両」などの文字は墨書きだったのですが、
墨は消えてしまうため、偽造などを防ぐために「刻印」という形が
とられるようになったのだそうです。
小判のことを調べていたら、おもしろい文献をみつけました。
それによりますと、昔ヨーロッパの人々は絹や香辛料などを手に入れるため、
金をどんどん流出させ、これを中国がどんどん吸収し、
金のなくなったヨーロッパは、物々交換や「奪取」などでまた金を集めたそうで。
この中には「スペイン」による「アメリカ・インディオ」からの金の略奪も
あるわけですが、あんまり多く持ち帰りすぎて、インフレになってしまった・・。
ま、何事も過ぎたるは及ばざるが如し、ほどほどっていうのがいいんですね、って
ウチにはちっとも「過ぎて」こないんですけど。通り過ぎてる??
で、日本の金はどうだったかと申しますと、日本にも「金鉱脈」はあったわけで
金を掘っていたんです。ところが日本の金と銀との交換の際の比率、つまり
交換レートですね、それがあまりに低かったので、外国からどんどん銀が入り
どんどん金がでていっちゃったのだそうです。あー国際社会の波に乗り遅れるって
そういうことなのよねぇ・・・。
今の日本には「金貨」がありません。私たちにとっては「お金」というものは
「モノを買うもの」という感覚ですから、メープルリーフ金貨を買う、
というのはお金でお金を買うって、なんかヘンな感じなんですが、
実は「紙幣」というのは、万が一のことあればただの紙切れ・・、
でも金や銀は、買った時と同じ価格でないかもしれませんが、
とりあえず「クズ」にはならず、そのときの「相場」の価値があるわけです。
昔から外国では財産として「宝石」とか「金細工」「銀食器」などを
大切にし、親から子へと伝えています。日本では昔は「宝石」というものが
身近なものではありませんで、先祖代々から伝わる「ダイヤのかんざし」だの
「エメラルドの刀飾り」なんてものがあるわけじゃありません。
せいぜいが銀簪、鼈甲細工、サンゴ細工・・あとは「骨董的価値のある茶碗、
絵画、刀剣・・・」あるところには・・の話しですがね。
今親から受け取るものは、あればの話ですが「家・土地・現金・株券・・」
なんか日本人って、あぶなっかしくありません??
これって、ないもののヒガミ・・かもしれません。
まぁ、財産も財宝もなくたって、健康な体とまっすぐな精神、
これが一番残してもらって嬉しい財産ですけれどね。
それでもまぁ着物くらいは親から子へと伝えたいですね、
お金の価値ではなく、日本の心、日本の文化として・・。
いい「大島紬」は親子三代着られるっていいますし・・!
(だからそんないい大島持ってないってば・・・)
私も無いもののひがみかもしれませんが
お金は持っては死ねないて云いますよね。
何とか人様とお付き合いが出来三度の
食事が出来人並み(ピン・キリですが)の
生活ができれば良しと思っています。
ジュエリデザイナーってなんなの?
重たけりゃ高い、わかりやすい。
たとえばユダヤのかた、戦時中命永らえるのに必要なもの、どんな国にいっても換金できるもの、値打ちがどんな国にいっても大体一定している、持って歩ける、宝飾が命の綱であったと聞いています。貴族が亡命するのにも・・・・
日本はそのような歴史がなかった、戦乱は国内でのみ
金銀はアクセサリーにしかならなかったのでしょう。
命の綱と考えれば、どんとしたアクセサリーは必要かも
ということは日本ではあまり必要ないかも。と持ってないいいわけになるな~。
つい数年前まで、値段をよく確かめずに買物し、支払う時に慌ててカードにしたことが何度か。
お金は、単に世間の約束ごとと思っているので、そうなってしまうのか、金銭感覚が欠如しているので、そうなるのか、鶏と卵状態です。(><)
ほんとに・・とりあえず屋根があって、
ご飯がたべられて・・そして今
こんな風に、楽しいことができる・・
お金は大事なものだけれど、
それしかめにはいらなくなったらイヤですね。
蜆子様
確かに、持ってないいいわけになる~!
つまり日本はそれだけ平和だった
ということなのでしょうね。
今手持ちの金のネックレスなど
全部溶かしてみても「粒」ですわ、こりゃ・・。
一回食事に行ったらおわりそうです。
まぁないものはない・・で、のんきにいきます。
ぶりねぇ様
私も「計算」はいたって弱いほうです。
最近は老眼もあって商品の価格が見えない!
ちょっと用心深くなりました。
ただ今 一方的に放出中です。
いつか回ってくる時がくるのでしょうか。
不安を抱えながら首を長くして待っている状態であります。
という感じですね。
それともどっかで回るのを止めてるヤツがいる??
ま、気長に待ちましょう、もう慣れてるし??