ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

今日は終戦記念日

2007-08-15 23:50:47 | つれづれ
写真は「朝顔」、ヘブンリーブルーの方のつぼみ、いっぱいついてます。
今日は館林で40度を越えた…と聞いたとたんに「日本じゃないわぁ」…。
ジリジリと火がでそうな暑さの中、朝顔さんは自分の道をまっすぐに…。
自然の摂理にのっとって、水がたりなきゃ葉をしおらせて、
お日様のぼれば花開く…さぼらずとまらず無理をせず、あ~そうありたいもの。

今日は終戦記念日、テレビも関連番組やニュースがおおかったですね。
今日の空は、昨日よりちょっと雲がありました。
のんびり流れてゆく雲を突っ切って、銀色にぴかぴか輝きながら行くのは、
どこかの大型旅客機、夏休みの旅を楽しむ人、こんなときでもお仕事の人、
たくさん乗せて、南西に飛んでゆきました。
62年前の、つい昨日まで、空を飛ぶのは「B29」であり、
運んでいるのは「爆弾」でした。
空の青さはきっとかわらなかったはずなのに。

今聞こえたニュースは「親が26の息子を殺した保険金殺人」事件。
まだ20にもならない息子や、嫁をもらったばかりの息子を、
おおっぴらに「生きて帰れ」と言えずに送った親たちがいたというのに。
万引きもパッケージ破りも虐待も保険金殺人も…やりきれませんね。



さて、このところ着物から離れておりますが、
まぁお盆休みということもあり、もう少しつれづれ、ズレズレで?!
週末にはこの暑さもおさまるとのことなので、
来週あたりから、ちょっと「着物」についてあれこれ、
またつづりたいと思っています。

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5 コメント

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兵士 (さくら)
2007-08-16 08:24:09
昨日関東はのきなみ35度以上でしたね。
そんな中、靖国神社へお参りしてきました。
40度以上もある南方のニューギニアやビルマで何十キロもある荷を背負って水も食料もなく戦った人たちの事を考えると社殿の前でこみ上げるものがあり、ちっとも暑くは感じませんでした。
神社は大勢の人で埋め尽くされておりました。
この記事、とんぼさんのいつも優しいまなざしがいいなぁと思いました。
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Unknown (陽花)
2007-08-16 09:20:42
何年か前に九州知覧で戦場に向かう前に
書かれた手紙を見て泣きました。
自分の本心を押し殺し、ご両親、姉妹に
宛てた手紙はどれもせつなく、やりきれない
気持ちがしました。
お国のために散らした若い尊い命、無駄に
する事無く平和を守り通したいと思います。
今の私利私欲で人殺しをするなんて本当に
もってのほかです。
返信する
Unknown (ゆん)
2007-08-16 10:32:51
 こんにちは。毎日、高い気温についての報道ばかりですが、体感温度や、気の持ちようってのも忘れたくないな~と思っています。
 うちの近所にいるおじさんは、母親を知りません。父親は二人います。「戦死した息子」の代わりにと、舅が生ませたのです。そして、誕生後、すぐに「父親」は復員しました。その家は、即座に嫁を追い出しました。
 こんな話は珍しくない・と聞きます。戦後も地獄・なのですね
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終戦記念日 (Tatehiko)
2007-08-16 13:51:53
真夏のお盆に終戦記念日が重なっているので戦争のことを少なからず知ることができます。
私は時々、なぜこの日を日本の休日にしないのかなぁ~と思うのです。
非科学的な建国記念日の設定に力をつくしながら・・・・お盆ということで日本中が休暇を取るようなこの時期の日を「国民の休日」として終戦の日を設定したらいいのになぁ~と思います。
私は生家へのお墓参りのついでに舞鶴の「引揚記念館」を見に行っていました。
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Unknown (とんぼ)
2007-08-16 17:46:17
さくら様
お参り、お疲れ様でした。
南のジャングルはもっと暑かったでしょうね。
北の大地はこの暑さでも解けない
凍土だったでしょうね。
「安かれと 祈ることしかできぬ身に
   それでいいよと せみ時雨降り」


陽花様
私も「特攻隊」の手紙、読みました。
これで19歳?これで20歳?と、
驚愕する手紙でした。生きたかったでしょうね、
ほんとうは…。今を大切にしないで、
何を大切にせぇと言うのでしょうね。


ゆん様
世情的に「跡取り」とか「家を継ぐ」とか、
そういうことが優先された時代です。
それでなくともそうだったのに、
戦争が更に「人」を「モノ」にしてしまいました。
もう、イヤですね、そんなこと。
「戦後の地獄」、今日ブログに
書かせていただきました。
テーマをありがとうございます。


Tatehiko様
「引揚記念館」は、義父が毎年、唯一行っていた
「旅行先」です。戦友会が開かれていました。
義父もそこからもどってきた人です。
義父がなくなったとき、会長・副会長に
連絡をとったところ、すでになくなっていました。
こうして「知る人」がいなくなってゆくのですね。
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