年の初めのグチびらき??ですみません。
実家の近くに、新しいケア・センターができました。
年末に 「来年初めから開所」というチラシが入りまして、父が見せてくれました。
父はまだ介護認定は受けておりません。
母のときからもそうでしたが、両親とも何かと公のお世話になることも、
他人様が家に関わることも好きではないほうでしたので、母のときもいよいよになってから…でした。
以前にも書いていますが、実は、母がお世話になったケア・センターとその係りの人たちとは、
あまりにも腹の立つかかわりばかりで…。
とうとう母の最初の入院を機に、ケア・センターもケア・マネさんも、訪問診療も、全てかえてもらったわけです。
今回の父の入院時に、入院先のケース・ワーカーさんと父の退院後の相談をしたところ、
介護認定の段階が低いと、センターを選べないといわれました。
父は、母のことでかなり「あの」センターのやり方を信頼していませんでしたから、
尚のこと「あそこに世話になるのはごめんだ」と、最初から介護認定の話も「いらない」と、言っていました。
しかし、ここへきて「先」を考えたとき、やはり関わりだけは持っていたほうがいい、
幸い新しく地元にできるならと、と考えたようです。
それで、行ってみたところ「できたてほやほや」の状態でしたので、
親切にいろいろ説明もしてくださり、施設の中も全部見せてくれたそうです。
どこもかしこもまだ一度も使われていないため、ぴっかぴかだったとか。
ところで…父は、自分の状況を全部話し、娘の私も介護生活をしているのでそうそう頼れない、
いずれいろいろとお世話になるかもなので…と言ったのだそうです。
すると、父の状態と生活の状況を聞いて「介護認定が取れるかどうか」と言ったと。
要介護、というのは「介護が必要かどうか」を認定するためのものなので、
曲がりなりにも世話ナシで外出もでき、一人暮らしもできているとなると「介護」は必要ない…と、
そういう判断なわけです。
実は「要介護」のほかに「要支援」という認定があります。
こちらは、介護というほどではないけれど、ハンデがあるのでちと不安…というようなときの認定。
あるサイトの説明によれば…
支援の1は
「かろうじて一人でも生きていける。
訓練などで一部お世話をする程度のレベル。」
介護の1は
「お手伝い程度の介護が一部で必要。
例えば入浴時に手をあまり上げることができず、上着を脱ぐとき手伝うというくらいのレベル」
笑えてきます。
障害も状況も、人によって違います。
父と同時期に入院していた人は、奥さんもいて、退院して家に戻ったらなんでもやってくれる…
そのためにかえって手足の動きなどが、入院時よりわるくなってしまい、医師に注意されたそうです。
それでも奥さんがいるから、暮らすのには困らない…。
若い人のケガと違い、高齢者の場合は退院したあと「使うこと」そのものがリハビリです。
私は他人様がどういおうと、父のために「何もしません」。
何か届け物に行ったりしても「じゃこれからウチに行こうか」と車には乗せません。
これから来るなら歩いておいで、です。父もちょうどいいリハビリ・ロードだから、歩いていくと言います。
そうやって努力はしていても、父の手足はやはり「マヒ」しているのです。
家の中では補装具をできるだけはずしていますが、そうすると不安定で、あちこちつかまりながら歩きます。
右手が胸までしかあがらず、早く動かすことができなくなって、
スクランブル・エッグを作るのに、右手の菜ばしではなく、左手のフライパン回すんだ、と大笑い。
洗濯も掃除も、できるのかといわれれば「できる」ですが、マヒのないころのようにはいきません。
手が挙がらないので、シーツなどの大きなものを、高いところに干せなくなりました。
「暮らせている」ということは、以前と変わらず…であることが前提にはならないのでしょうか。
植木の手入れももうできないからと、全部取り払いました。
今でも雨の日は滑って転んだらいけないからと、買い物があっても出かけません。
買い物先でメモ書き一枚落としても、杖がころりと倒れても自分でしゃがんで拾うのはたいへんなのです。
バスに乗れば、座らなければ駅まで乗るのもたいへん…幸いにも必ず席譲ってもらえるそうですが。
これでもハンデはない…ということになるのです。
介護認定に使われる「要介護認定基準時間」というのがあるのをご存知でしょうか。
「介護の手間」にどれだけかかるかのものさしです。
たとえば「洗濯を手伝う」という場合、ほとんど何もできなければ、全て介護ということになりますが、
ある程度はできるなら、例えば洗濯物を入れてスイッチを押せるが、
水を吸って重たくなったものを洗濯槽から取り出すのが困難。
ハンガーには干せるけれど、高い物干しにシーツなどは干せない…。
こんなことを細かくしていって、そのときお手伝いする時間は全部でどれくらいかかるか…です。
これが例えば「要支援1」だと「25分以上32分未満」…。この32分ってのはどっから出てきたんでしょうね。
25分もお手伝いがなければ「1」にはならない、ということです。
こんなものさしで、判定されるのです。もちろん、判定の元はこれだけではありませんけれど。
確かに「要介護度」というのは、誰かの助けがなければ暮らせないレベルの判定、ということはわかります。
でも、暮らせない、ではなく「暮らしづらい」ということだって、正常ではない、ということだと思うのです。
しかも、この「支援」の説明の中には、状態を維持したり、向上させたりするために…
というようなことも書かれています。
つまり、多少あれこれ不自由なところが出てきても、いろいろ援助してもらって毎日元気で暮らして、
できるだけいい常態を長く保てるようにしましょう…です。その支援だというのですよ。
退院してきたばかりのころ、父自身は「一人でやらきゃ」で、勝手に外を出歩くようになりました。
そのこと自体はいいのですが、我が家の周辺は急な坂道ばかりです。
訓練のつもりで歩いても、下り坂になったら転倒が怖いです。
だから、最初のころだけでも、誰か一緒について歩いてほしい、何もしなくていいから、
よろけたら支えるとか、荷物が重いようなら荷物を持つとか…そんな「ガード」がほしいと思い、
ケアセンターがいやなら、ダスキンなどでやっている民間の「時間制お手伝いさん」を、
お願いしようかと思っていたのです。ところが父は、私に何もいわず、どんどん坂道も歩き、
「さすがに下りは膝が笑った」などと、ぞっとするようなことを言いました。
結局、いくら言っても何も聞いてくれませんので、今はもう「転んだらそのときはそのときだ」と、
こちらも腹をくくって?いるのですが、父がやっと少し「支援」ということを考え出したら、
こんなことで引っかかります。第一、父には「要介護」の話だけで「要支援」の話は出なかったようです。
プロの目で見て「これはどっちも『1』にもならないな」と判断したのでしょうけれど。
父より少々重くても、奥さんがいれば支援はいらない、父のように軽くても、できれば歩行時は付き添ってほしい、
そういうことは、まったく配慮されないのです。支援だの介護だのは「同居者がいるかどうか」だって、
大事な要素だと思うのですよ。
「かろうじて一人で暮らせる」…これはどういうことを言うのでしょうか。
今度できたところはケア・センターと言っても、要するに「地域ケア・プラザ」ということで、介護に関係なく、
地域の人が「ナントカ教室」を開いたり同好会のようなものを開いたり、そういうことに使う施設がメイン、
つまり医療関係の「ディ・サービス」系の施設はついていないのでした。
これは区内でも初めてのことだそうです。
つまり父は、たとえば回覧などで「○月○日、囲碁教室開催。初心者の方もどうぞ」なんていうお知らせが入って、
そんじゃ行ってみるか…で、でかける…といった、普通の人と同じ参加しかできないわけです。
ただ、ケア・プラザとなっているので、一応ケア・マネージャーもいて、介護の相談にはのりますよ、です。
その相談で「認定取れないでしょうねぇ」でおわりだったということです。
25分もかけて歩いていって…この国は、どこまで弱者に冷たいのでしょうか。
じゃあ、どうするかと言う時にこれまた難しい。
一番は本人が全くその気がないということなのですが、、、
地域包括センターが紹介してくれたのは高齢者用のデイサービスが併設されている施設。
いとこが見学にいってくれたのですが、あまりに入所している方の状態がまちまちで、みんなで折り紙をしていたそうですが、これでは本人が納得しないだろうなあと言う話でした。
高齢の親を一人暮らしさせている身としては本当にイロイロと気のもむことが多くて、何か良い方法はないかといつも思っています。
しかし、本人はいたって平気で頑固。これが困ってしまいます~~
着々と進められているように思ってました。
介護認定が様子進まないと受けられないのなら
それ以前の援護は知らないなんて不思議ですね。
本人が何をのぞんでいるか、少し負担しても、
希望に添えないというのか聞いてみたい思いです。
私も他人事ではありませんので、お父さまの話は
とても気になりますね。
リハビリに通っていれば手助けしてくれるのかしら?
もう一度確認したらなんて思っていますが。
転んだときはそのときではだめですよ、
転ばない手だてをしてください、と、
我が身に置き換えて思ってしまいます。
老いはみんなに平等にくるものですので、
なんとかならないものか、と、
考えてしまいますね。
それなんですよ。
我が家もずっとそれでした。
どこかひとつ悪いところがでたりしないと、
考えないんでしょうねぇ。
父は幸い、マヒでも軽いほうですから、
文句言いつつ、今のところはやれていますが、
どうにもならなくなったらこい…みたいなねぇ。
デイケアもついている施設でも、大きいところは、
その人にあった活動を選んだりできるようですが、
ほとんどは重い方中心ですからねぇ。
田舎のいとこが、そういう施設でボランティアしてるんですが
「お年寄りの幼稚園」なんていってます。
それがベストの人もいれば、普通の会話が必要な人も
いるんですよねぇ。
今日の記事にも書いたのですが、
介護予防、というのがあるのですが、
それについてはなんだか「悪くなってないんだから」、
とでも言うような、病気のない人対象みたいなんです。
なんかへんですねぇ。
リハビリも、ほんとに病院でするようなものばかりがリハビリといわれています。
ほんとに高齢になっていくのが不安な現状です。
かかりつけ医が、以前認定医をされていて
ご本人は歳をとるとして、あなた
(わたしですね)が
ご両親の介護をするだけの時間と
体力がないという申し立てをしていただき
要介護1に相当する要支援2の判断をいただきました。
今、父は理学療法士さんのリハビリを
うけつつ
併設されているコミュニティルームで
時おりにゲームやおしゃべりをして帰ってきます。
一度、転倒してからは、階段下までヘルパーさんに
来てもらって、つきそわれて歩いて行ってるようです。
かかりつけ医のおはなしでは、要支援でも
自動的に介護のつくものと、そうではないことで
対応にも差があるとのことでした。
とんぼさんの場合、リハビリが必要なお父様ですから
要支援2は申し立てられます。
信頼のできる医師に相談されて
書類を書いていただければ、リハビリしながら
ちょっとした息抜きも出来るケアは
のぞましいと思いました。
ご参考になればさいわいです。
おだいじにされてください。
貴重な情報、ありがとうございます。
いろいろな事情を考慮してくれるところくれないところ、
地域性があるのも事実です。
父の場合は、いわゆる医療のレベルでいえば、
リハビリ不要の位置づけで、
すでに理学療法の通院はなくなっているのです。
医師に言われているのは「脳外科」のほうの、
いわば怠けるとダメだよ(年齢的に)、です。
だから、自主的なリハビリということなんです。
私が「暮らしているのがリハビリだ」というのは、
医師の手を離れても、実は健康ではないのだということです。
私は健康に問題なく、ただ息子を介護しているというだけでは、
「何もできない」とはいえませんし、なにより同居すればすむといわれたら、それまでなんですよ。
実際には同居できる状態でなくとも、あちらは家のひろさとか人員しかいいませんから。
難しいことがたくさんなんです。
おまけに、どこかのどなたかと一緒で「頑固な父」ですからねぇ…。
そちらもそのへんはかわりませんか?
自分の父は、今のところ、脳の血管の疾患はなく、高度糖尿病による眼の疾患と腎不全と心不全で足がなえました。
自分(わたしですね)に進行性の難病があり、認定を受け
数年かけて、実家へケースワーカーさんの訪問をしていただき
すこしずつ、自分以外の人間が入り込む事のメリットになれてもらい
実家のほうで、できる努力をして
かかりつけ医に介護申請をして
ケースワーカーさんとケアマネさんと
支援センターのかたと
家庭状況が事実かのすりあわせをして
要支援2となりました。
申請前までは、実家の状況をこまかく
ケースワーカーさんに報告しておいたのが
よかったようです。
証明さえ出来れば、認定は可能です。
社会福祉と障害福祉だと、双方で
問題がピンポン化してしまいますから
地域包括センターで、作戦をねられて
とりかかっていただければ
横のつながりに血が通います。
あきらめないで!ねばりましょう。
おだいじにされてください。
が、持病で父を介護する判断能力が
あやしいと、かかりつけ医にも
ケースワーカーさんにも、理解して
いただいたうえで、要支援をいただけました。
同居云々も、あまり影響しないようです。
続けての情報、ありがとうございます。
そういういろいろな方法といますか、きめ細かくすれば、
どこかに方法がつなげられるというのも、
ある程度はわかっているのですが、
この記事は我が家の問題としてだけでなく、一番最初の窓口ってこうだよ、というお話なのです。
だから、もしものときはここから先は「じゃ、どうするか」をかんがえなければならないという、
情けない状態が今の福祉だよ、というお話です。
我が家の場合は、たまたま母のが関わったセンターが、
かなりひどい状態でして…。
母の最初入院のころに、ブログにも少しはかいていますが、
実際は、父がセンターに怒鳴り込むといったくらい、最悪だったんです。
病人より、医師のご機嫌のほうが大事…といった感じの…。
そういうことから、父自体が行政に不審もあり、これは一番困ることなのです。
いよいよになれば、私がなんとしてでも方法を考えてと思っています。
今の状態は、父自身はそのままでは何も受けられない状態である、というお話で、
「すりあわせ」の前の状態、ということなんです。
ご心配いただいてありがとうございます。