昔のアイロンです。実際には戦後もまだまだ使われていたと思います。
「家電品」というものが、どこの家庭にも見られるようになったのは、
昭和30~40年くらいのことだと思います。
私が10歳くらいのときから「テレビ」、それと前後して洗濯機とか掃除機とか、
そういうものが使われ始めていました。
アイロンは比較的前からあったような気がするのですが…。
このアイロン、お若い方の中にはどうやって使うのか、と
フシギに思われる方も、いらっしゃるでしょうね。
これは中に「炭」を入れて使います。
どうやって入れるかといいますと…こうやって開くようになっています。
トップの写真で、前についている曲がった煙突みたいなものは、
上がってくる「熱」を上ににがすためと、本体の後ろの下に
「空気の取り込み口」があって、そこの開け閉めで空気の流れを作るためのもの。
要するに「七輪」と同じですね。あっ七輪もわかりませんかね、
関西では「かんてき」と言います。つまり、真ん中に火のついた炭があると、
その下から新しい酸素供給するために穴を開けておかないと、
炭がよく燃えません。また、上を完全にふさいでしまうと、
酸素がなくなってすみは燃えなくなります。だから「空気の流れる道」を
作ってあげるわけですね。燃すものが薪なら、この曲がった筒は、
まさしく「煙突」になってしまうわけです。
炭で熱くするわけですから、当然温度調節なんてものはできません。
スチームもありませんから「霧吹き」で霧をふいて布を湿らせ、
これで伸ばしていたわけです。その熱の加減とか押さえ加減とか、
いろいろむずかしかったんでしょうねぇ。
電気アイロンの時代に生まれてよかったぁ~~。
ちなみに母は「火のし」と呼んでおりました。
さて、こんな古道具も、HPでご紹介しておりますので、
相も変わらずの写真取りまくり、原稿書きまくりの毎日です。
それがアップされるまでにはまたまた時間がかかるのですが、がんばりまっす。
本日は「道具」のお話でした。
「家電品」というものが、どこの家庭にも見られるようになったのは、
昭和30~40年くらいのことだと思います。
私が10歳くらいのときから「テレビ」、それと前後して洗濯機とか掃除機とか、
そういうものが使われ始めていました。
アイロンは比較的前からあったような気がするのですが…。
このアイロン、お若い方の中にはどうやって使うのか、と
フシギに思われる方も、いらっしゃるでしょうね。
これは中に「炭」を入れて使います。
どうやって入れるかといいますと…こうやって開くようになっています。
トップの写真で、前についている曲がった煙突みたいなものは、
上がってくる「熱」を上ににがすためと、本体の後ろの下に
「空気の取り込み口」があって、そこの開け閉めで空気の流れを作るためのもの。
要するに「七輪」と同じですね。あっ七輪もわかりませんかね、
関西では「かんてき」と言います。つまり、真ん中に火のついた炭があると、
その下から新しい酸素供給するために穴を開けておかないと、
炭がよく燃えません。また、上を完全にふさいでしまうと、
酸素がなくなってすみは燃えなくなります。だから「空気の流れる道」を
作ってあげるわけですね。燃すものが薪なら、この曲がった筒は、
まさしく「煙突」になってしまうわけです。
炭で熱くするわけですから、当然温度調節なんてものはできません。
スチームもありませんから「霧吹き」で霧をふいて布を湿らせ、
これで伸ばしていたわけです。その熱の加減とか押さえ加減とか、
いろいろむずかしかったんでしょうねぇ。
電気アイロンの時代に生まれてよかったぁ~~。
ちなみに母は「火のし」と呼んでおりました。
さて、こんな古道具も、HPでご紹介しておりますので、
相も変わらずの写真取りまくり、原稿書きまくりの毎日です。
それがアップされるまでにはまたまた時間がかかるのですが、がんばりまっす。
本日は「道具」のお話でした。
そうなんです、なかなかいい状態というのがなくて、
これはあんまり使わないうちにしまいこんで、
しかも保存状態がよかったという
「運のいい子」ですね。実家に一台あるんですが、
ヒサンな状態です。
留め具、ほんとにあぶないんですよ。
だからあまり開け閉めしないことにしました。
母もとにかく「シワ」については、干すときから
いろいろやってましたね。
干すときも、一枚一枚パンパンとたたいて
手でシワを伸ばして…私もやってます。
手のし、寝押し、もう今の人には
「通じない言葉」でしょうねぇ。
今となっては遣い勝手が面倒な代物ですが、当時は主婦のお助け道具だったんでしょうね。
そもそも大昔はアイロンなんて必要がなかったんですものね。手のし(手のぬくもりでしわを伸ばす)とか・・・。母は今もやってますけど。
手のしもそうですけど母は洗濯物をたたみながら膝下に押し込んでアイロン代わりの重石をやってます。
生活の知恵ですね。
あ、蓋の留め金具が弱そうなのでご注意を!
今や電化製品の中身は必ず「コンピュータ」が
関係する部分がありますから、
やたらめった修理もできませんが、
昔は「真空管」「ブラウン管」ですもんね。
うちのジサマは電気やさんだったので、
昔の家電品はお手の物ですが、
最近のものは全くわからん、といいます。
いいことなのか悪いことなのかよくわかりませんが、
いろいろ機能が付いている家電を見ると、
「シンプル」にしてほしいなぁと思います。
うちでは、始めて来たテレビは脚も付いていないポータブルタイプでした。後年親父に聞いたところ「自分で組み立てた」ということです。秋葉原や日本橋の電気屋街では、テレビの組み立てキットというのを売っていたんだそうです。まだ大層高価なものだった時代、多少の知識と技術がある人はそういう手段で入手することもできたようです。今ならハンドメイドで好きなようにカスタマイズしたパソコンを組み立てるような感覚だったのでしょうかねえ。
温度設定できないんだからたいへんですよね。
それでも熱した金属板で伸ばすとしわが伸びる、
ときがつくことがすごいですね。
昔の人はいろいろたいへんだったんですよね。
恵様
テレビの「緞帳」ありましたねぇ。
少し大きくなってから「家具調テレビ」でしたね。
洗濯機のローラー、のしいかみたいになって
びろーんと出てくる洗濯物、あんまり厚みがあると
動かなくなっちゃって、元に戻してやり直し。
みんなよく覚えています。
あたしもアブナイ?!
Suzuka様
「木炭車」ですね。ジサマは免許を取りに行ったら
教習車が木炭車で、自分が乗る日は
「薪」を持参したそうです。すごい話しですよね。
コレクション…できませんって!(やりたいけど?!)
調べてみたら、ありました。
どころでなく、復元の試みまであるようです。
たしか親たちが、息がどうとか言ってましたね。
とんぼさま、でもこれは、これくしょんに加えないでくださいましね!
知人?の所で見たような・・・
コードがついていないので不思議に思い
そこの家の人に聞いたら笑われた記憶があります。
炭を入れて使うと言われて子供心に焦げるだろうにと思いました。
同時代 テレビは緞帳のようなものが掛っていた。
知らない人まで我が家の2階に上がって見ていたらしい。
よき時代。
炭屋さんの店先には炭団が干してありました。
洗濯機の脱水はローラーの手回し。
衿とか袖口を平たく置いてローラーにかけて絞る・・・
これは小学校3・4年の頃記憶。
わーーー 遠い昔の事の方が良く思い出せる。
これは まずい!!!
小さい頃に見た記憶はあります。
茶色く焼けたような手ぬぐいがいつもそばに
あって、こげくさい匂いがしていたように
思います。
昔はアイロン掛けるだけでも火をいこしたり
大変だったんですね。