頂き物の鳩サブレーです。
実はとっても久しぶり…なのです。
母がまだ元気だったころ、毎年12月31日になると両親は鎌倉の八幡様にお参りに行きました。
鎌倉の八幡様は大晦日の夕方から翌日は、とてつもなくこみますから、
まだ明るいうちに行き、帰りに「豊島屋本店」に立ち寄ってこの鳩サブレーを買ってくる…
翌日元旦には、それが我が家にお年賀として渡されました。
毎度アタマからいくか、しっぽからいくか…迷いつつ食べてましたっけ。
母が外出をあまりしなくなってから、鳩サブレーは我が家に来なくなり、
今回久しぶりの「ご訪問」となったわけです。
形も味もかわっていませんね。明治27年創業だそうですから、ほんとに「老舗」です。
ところで、豊島屋さんの本店には「鳩サブレーグッズ」かあります。本店でしか購入できないそうです。
「鳩妻鏡(携帯ミラー)」なんてのもあってかわいいです。こちらです。
いわゆる「ご進物」とか「おみやげ」として、いただいたり持って行ったりするお菓子。
昔々を思い出してみれば、我が家ではこのサブレーのほかには「ひよこ」、これはいただく方が多かったす。
「ひよこ、持ってこね」なんてCMソングもできましたっけね。
こちらから…というと、我が家は和菓子が多かったように思います。
「おみやげに持っていくんやで、さわったらあかんえ」といわれて、
そっと風呂敷の隙間からのぞくと、だいたいは「虎屋の羊羹」、一棹何千円、なんて高いものでした。
そして、親戚が本牧におりまして、そこには「喜月堂」という、横浜ではまぁちっと知られてるかな…の
和菓子屋さんがありまして…今、高島屋の中にも入っているようです。
ここの名物の「喜最中」というのが、その親戚の毎度のおみやげ。
私これが苦手でした。あんこ、入りすぎ…と、これはあくまで私の個人的意見ですが。こんなのです。
私は粒あんよりこしあん…なのと、関東のあんこ、とっても甘いのです。
それが「これでもか」というほど入っているもんですから、いつも叔母が持ってくると、逃げてました。
マズいわけではないのですよ、もちろん。単に私の好みです。
あんこは京風の甘さ控えめで、少し水っ気があるのが好きです。
伊勢の赤福はもう別格、今や伊勢まで行かずとも買えますが、昔は関西圏でしか買えなかったので、
母の里帰り土産はこれが楽しみでした。
それと、母の大好きだった「生八ッ橋」…というと皆さんは、あの三角のあんこ入りを思い出されると思いますが、
あれは正しく言うと?「あん入り生八ッ橋」、ただの「八ッ橋」は、焼いたものを言います。
「生八ッ橋」は、八ッ橋の生地そのままで焼かないもの、つまり、ただの板状のもの。
こちら「本家八ッ橋西尾」さんのものです。
チューインガムみたいな形にカットされたものがかさなっているだけ。これを1枚ずつとか3枚重ねてとか、
ペロリンと食べるのがおいしいのです。今でもありますが、あん入りのように、京都ならどこでも…
というものではないので、もうずいぶん長いこと食べてません。
子供のころもらってうれしかったのは「ナポナ」、「ゴーフル」、その他「おせんべい類」…。
おせんべいは、子供のころは町のお菓子屋さんで、メーカーも気にならずに一袋で計って買ってもらっていましたが、
おとなになって口が肥えた?…どこのおせんべいが…などと生意気なことを言うようになりました。
今のお気に入りは小倉山荘の「嵯峨乃焼」と「定家の月」、川崎・大師堂の大師巻き、海苔がついてるのは大好き!
とまぁ「鳩サブレー」を食べたら、昔のことを(いやお菓子ばっかしだけど…)いろいろ思い出しました。
ダイエットは成功して、ただ今体重もしっかりキープ、要領もわかってきたのでお菓子も時々いただいてます。
あれも食べたいこれも食べたなどと思いながら、懐かしくお菓子ばかりを思い出していました。
おしまいに…これはあまり知られていないお菓子ですが「源氏巻き」というお菓子。
こちらの写真は、京都の八幡市の有名店のものですが、母の田舎の近くの小さなお店にもありました。
私にとってはそこのものが一番の「源氏巻き」です。ホムペもなく、行かなきゃ買えない…でしたし、
更に残念なことに、高齢のためとかでお店がしまったようで…もうあのお店のものは出会えないと思うとさみしいです。
源氏巻きは、赤い羊羹で白あんを包んだもので、カットすると「なると」みたいに渦を巻いています。
あっさりした甘さでお茶にピッタリです。
思えば、私がまだ小さいころは、駄菓子や安いお菓子が当たり前で、
戦後何年も経っていても、今日のおやつはふかしいも…なんてこともありました。
箱に入ってくるようなお菓子、老舗と言われるようなお菓子は、年に何回も口に入りませんでした。
だからこそおいしいと思ったのでしょうし、いろんな思い出がつながって思い出されるのでしょうね。
今は何でもある、遠くのものも手に入る、いつでも食べられる…幸せなのでしょうけれど、
町の和菓子屋さんのお饅頭やおだんご、練り切りとか水ようかんとか…
そういう思い出を持つ機会が減っているのかなとも思ったりします。
あー鳩サブレー、もう一枚食べちゃおっと。
私も50代ですので、ふかし芋に味噌味の焼きおにぎりとか、お菓子でないおやつが日常でした。
手間がかかっている・・・出来るまでのワクワク感が、とっても懐かしいです。
今何でも手に入るというのは、もしかしたら不幸なのかもしれないですね。ちょっとずつ、大人になって、食べられるものが増えたりする歓び!今じゃ、子供もウニ・イクラ・カフェなんて言うのですから。
ささやかながら、ときめく幸せを感じられた時代に生まれて、良かったと思うこの頃です。
我が家の菓子パンより総菜系のパンが好きな次女が赤福が好きみたいで、私も外出の際目に付くと買って帰ったりしますw
その次女が好きなお菓子に『八朔大福』というものがあって、以前は県東部の因島まで態々?行って買っていたのだけれど、
最近広島市内でも手に入ると知り、
時々。。本当に時々ですが買いに行ったりします。
次女が大人になった時?に『懐かしいおやつ』として、思い出してくれると良いな~と思いながらw
懐かしいと思えるものがあるという心の贅沢って素敵だと思うのですよ。
その懐かしさに紐づけで色々な思い出が出来ますしね^^
かき餅とくずのようなサツマイモで餡子を
作り鯛焼きのようなお菓子に、なぜか花形の
菓子焼があったのです。とにかく5人の子供の
お腹を満たすため手作りのおやつをよく作って
くれていたと母のことを思い出しました。
そう!味噌焼きおにぎり!火鉢で焼いて…懐かしいです。
何でもある、なんでも手に入る…幸せなのかどうなのかと私も思います。
当たり前にすんなり手に入ると、ありがたみが薄れるような気がしています。
「○○屋の何々」でなくとも、おいしくて楽しみでした。
豊かであることは幸せだとは思いますが、少し足りないくらいが
ほんとはちょうどいいんじゃないかと思っています。
「八朔大福」、聞いたことがあります。
実家のお隣の奥様が広島出身でしたので…。
おいしいそうですね。
赤福が、賞味期限偽造やらなにやらで問題になりましたね。
あのとき「全国に販売を始めたら、たいへんで」みたいなこと、
上の人が行っていたような気がします。
横浜崎陽軒のシウマイも以前はあちこちで売っていたのですが、
今は「地元」ということを大切に…と考えて、関東でしか販売しなくなりました。
そのかわり、昔はなかったメニューがたくさん増えて、
売り上げも好調らしいです。
「~でないと食べられない」というのは、けっこうぜいたくなこと、
そんなことを思いました。
思い出を手繰り寄せるものがいろいろあるって、年を取ると余計に思いますね。
そうでした。おかき!お持ちの残りをおかきにしたり、
たまに油で揚げてもくれましたっけ。
そういえば、父が新しいもの好きで、パンを時々食べていましたが、
パンの耳も揚げてお砂糖まぶして…。
あのころの母親は、いろんなこと考えて、子供のおなかを満たしてくれたんですねぇ。
いまさらのように、懐かしくありがたいです。