写真はパソコン横のカレンダー、もうあと少しですねぇ。
あれこれ書き込んでありますが、これがまた、
自分で書いてて読めないという「走り書き」でして…。
毎度自分で「解読」しております。
まだあと十日ほどありますが、ちと振り返って…。
まぁ個人的には、いつものようにいつものとおり…、
バサマの骨折だのなんだの、あれこれのドタバタ劇はありましたが、
家族全員大きなこともなく、おおむねよき年であったカナと。
ただまぁ世間様のほうは、なんといろいろあったこと…。
去年は偽装に始まり偽装におわった…とおもっていたら、
あれだけ「偽装」って騒がれたのに、まだやってる…。
事件も「信じられない事件」の多かったこと。
「親殺し・子殺し」だけでも、えぇーっと思うのに、
今年は「だれでもよかった」殺人。感じるのは怒りとともに恐怖です。
オリンピックもあったのに、北島が大活躍したのに、
ゴルフの王子様もがんばったのに…事件ばかりが多くて影薄いです。
そして「専門職」の犯罪、裁判官がストーカー、警察官が痴漢、
検事が振り込めサギ、消防士が放火、教師が盗撮…日本、壊れてません?
振り返ったらこんないやなことばっかりだなんて、寂しいですね。
「みぞうゆう」のどん底社会、まだ底がありそうで怖いです。
なんとかなりませんかねぇ、イマドキ政治家の「軽口・軽チャー」…。
ヤダヤダとため息つきつつ昨日、文庫本や着物関係の本や雑誌など、
今年入手のものを整理しました。
いらないのは捨てよう…いらないのなかった…毎年これです。
古本でも捨てられないのですよぉ、あまりにおもしろくて。
とりあえず、推理小説は病院の待合所の本棚に寄付することにしました。
そしてこちらは今年入手の「絵本」です。
2005年の本なんですが、母の老いと病に直面して読んでみたくなったもの。
とても仲のいいゾウさんとネズミさんのお話しです。
お互いかけがえのない友達でしたが、ゾウさんに「終わり」のときが近づきます。
ネズミさんは、別れたくなくてケンメイに「介護」します。
でも、それが避けられないものだとわかったとき、
ネズミさんは、ゾウさんが「あちら」へ行くためにわたる谷の、
つり橋を一生懸命補強します。そして「だいじょうぶだからね」と見送るのです。
動物ってよく「その時」は、姿を消すといいますね。
確かに、昔飼っていた我が家のネコもある日突然ふらりといなくなりました。
もう高齢でしたし、母は「身の始末をつけに行ったんや、
ネコは自分の遺骸を誰にも見せんそうやから」と言いまして、
私は、どこかの草むらで…と考えると涙がとまりませんでした。
ゾウも最期は姿を消すそうですね。ゾウの墓場というところがあるそうで。
この本では、それが深い谷に隔てられた対岸の森になっていて、
そこに板をつないだつり橋が架かっているのです。
ゾウさんはネズミさんに「だいじょうぶだよ」と見送られ、
「だいじょうぶだよ」と答えて橋を渡っていきます。
大人になって、身一つで生きている動物たちの最期の潔さを
単に自然の摂理、で片付けられなくなりました。
この本の帯には、「訳者」である柳田邦夫氏が、
「家族の病気や死を通じて、子供はだいじないのちや死について学び、
心を成長させる。大人たちは、その機会を子供から奪ってはいないだろうか?」と
書いています。
核家族になって久しい今の日本、我が家のオットも30近くなって、
私の祖父の葬儀に「はじめてでわからないことがたくさんある」といいました。
昔はどこの家にも年寄りがいて、元気な年寄り寝付いている年寄り…さまざま。
毎年近所でお葬式があり…それも当時はだいたいが自宅でしたしね。
そういうことも、またヒトでなくても犬や猫が当たり前のように
その辺にいました。小鳥を飼うもの、山で捕まえてきた虫をかうもの、
カエル、ザリガニ、命もその始まりも終わりもたくさん見えましたね。
今でも忘れられない光景があります。
高校のとき、毎朝駅に向かう近道に、雑木林の名残りがありました。
ほんの20本ばかりだったでしょうか、杉や松が残っていて、
そこの真ん中にヒトがすれ違える程度の道がありました。
ある朝、3~4mほど奥まった木の根方に子猫がうずくまっていました。
気にしつつも、小走りに通り過ぎました。
その日の帰りも、次の朝も、子猫は昨日と同じところでじっとしたまま。
私は気にしつつも、何もしてやれませんでした。
数日後、子猫は命を終えて横たわっていました。
やせこけて、私の手のひら片方にのるほど小さな体で。
後悔が今も残るのは、このあとです、私はやっぱり何もしなかったのです。
手だけは合わせました。何もできなくてごめんねとわびながら、
今度はもっといいところのネコちゃんに生まれておいでと祈りました。
でもそれだけでした。毎朝チラリと見る…白に大きな黒ブチの体は、
幸か不幸か、ほかのものにあらされることもなく、
毎日少しずつ朽ちてゆきました。毎日手をあわせましたが、
一週間くらいたったころでしょうか、見えなくなりました。
その数本の木の向こうには病院がすぐそばにあって、
患者さんの姿も窓辺によく見えましたから、
もしかしたら誰かがみつけたのかもしれません。
病院ということもあり、看護師さんがかたづけたのかもしれません。
私は「それ」を見ることがなくなって、とてもホッとしたのです。
でもそのあと、なぜせめて山ほどある周りの枯葉をかけてやるとか、
それくらいのことをしてやらなかったのかと、とても後悔したのです。
汚かったから?、気持ち悪かったから?、いえ、きっと怖かったのです。
命の終わりに気が付いてしまったことも、何もしなかったことも、
たった一匹で昼も夜も「終わり」までじっとたえていたのだろうと
想像することも、哀しすぎて怖かったのです。
母にその話をした記憶があります。母はたしか
「手を合わせてくれるもんがおったら、それだけで『いく』とこるへいける」
という意味のことをいったと思います。
40年以上たった今でも、枯葉の中で目を閉じて、じっと動かなかった子猫の、
左半分黒ブチだったカオを鮮明に思い出すことができます。
あれからも、いくつかの行き倒れや交通事故の「生き物」の姿を見ています。
やっぱり同じように何もできなかったけど、
祈る気持ちはいつも忘れないようにしました。
「いくべきところへいくんだよ」と。
そしてそのあと、今度は人間様のほうで、祖父母を送り、いとこを送り、
伯父伯母を送り…そのたびに私は手を合わせ、
「安心して行くべきところへ行かれますように、私たちは元気でやっていきます」
と心の中で言ってきました。
この本の最初のページには、作者の言葉として
「どんなことにもひるまないで生き、
とりわけあの世への旅だちをおそれなかった母へ」
と書いてあります。
母のその時を、まっているわけでも予感しているわけでもないけれど、
そう遠くない日に「それ」を迎えるのだろうと思う昨今の私は、
ネズミさんのように「だいじょうぶだよ」といい、
母もまたゾウさんのように「だいじょうぶやで」とこたえ、
そのときがきたら同じことを祈るだろうと、そうありたいと、おもっています。
あれこれ書き込んでありますが、これがまた、
自分で書いてて読めないという「走り書き」でして…。
毎度自分で「解読」しております。
まだあと十日ほどありますが、ちと振り返って…。
まぁ個人的には、いつものようにいつものとおり…、
バサマの骨折だのなんだの、あれこれのドタバタ劇はありましたが、
家族全員大きなこともなく、おおむねよき年であったカナと。
ただまぁ世間様のほうは、なんといろいろあったこと…。
去年は偽装に始まり偽装におわった…とおもっていたら、
あれだけ「偽装」って騒がれたのに、まだやってる…。
事件も「信じられない事件」の多かったこと。
「親殺し・子殺し」だけでも、えぇーっと思うのに、
今年は「だれでもよかった」殺人。感じるのは怒りとともに恐怖です。
オリンピックもあったのに、北島が大活躍したのに、
ゴルフの王子様もがんばったのに…事件ばかりが多くて影薄いです。
そして「専門職」の犯罪、裁判官がストーカー、警察官が痴漢、
検事が振り込めサギ、消防士が放火、教師が盗撮…日本、壊れてません?
振り返ったらこんないやなことばっかりだなんて、寂しいですね。
「みぞうゆう」のどん底社会、まだ底がありそうで怖いです。
なんとかなりませんかねぇ、イマドキ政治家の「軽口・軽チャー」…。
ヤダヤダとため息つきつつ昨日、文庫本や着物関係の本や雑誌など、
今年入手のものを整理しました。
いらないのは捨てよう…いらないのなかった…毎年これです。
古本でも捨てられないのですよぉ、あまりにおもしろくて。
とりあえず、推理小説は病院の待合所の本棚に寄付することにしました。
そしてこちらは今年入手の「絵本」です。
だいじょうぶだよ、ゾウさんローレンス ブルギニョン,ヴァレリー ダール文溪堂このアイテムの詳細を見る |
2005年の本なんですが、母の老いと病に直面して読んでみたくなったもの。
とても仲のいいゾウさんとネズミさんのお話しです。
お互いかけがえのない友達でしたが、ゾウさんに「終わり」のときが近づきます。
ネズミさんは、別れたくなくてケンメイに「介護」します。
でも、それが避けられないものだとわかったとき、
ネズミさんは、ゾウさんが「あちら」へ行くためにわたる谷の、
つり橋を一生懸命補強します。そして「だいじょうぶだからね」と見送るのです。
動物ってよく「その時」は、姿を消すといいますね。
確かに、昔飼っていた我が家のネコもある日突然ふらりといなくなりました。
もう高齢でしたし、母は「身の始末をつけに行ったんや、
ネコは自分の遺骸を誰にも見せんそうやから」と言いまして、
私は、どこかの草むらで…と考えると涙がとまりませんでした。
ゾウも最期は姿を消すそうですね。ゾウの墓場というところがあるそうで。
この本では、それが深い谷に隔てられた対岸の森になっていて、
そこに板をつないだつり橋が架かっているのです。
ゾウさんはネズミさんに「だいじょうぶだよ」と見送られ、
「だいじょうぶだよ」と答えて橋を渡っていきます。
大人になって、身一つで生きている動物たちの最期の潔さを
単に自然の摂理、で片付けられなくなりました。
この本の帯には、「訳者」である柳田邦夫氏が、
「家族の病気や死を通じて、子供はだいじないのちや死について学び、
心を成長させる。大人たちは、その機会を子供から奪ってはいないだろうか?」と
書いています。
核家族になって久しい今の日本、我が家のオットも30近くなって、
私の祖父の葬儀に「はじめてでわからないことがたくさんある」といいました。
昔はどこの家にも年寄りがいて、元気な年寄り寝付いている年寄り…さまざま。
毎年近所でお葬式があり…それも当時はだいたいが自宅でしたしね。
そういうことも、またヒトでなくても犬や猫が当たり前のように
その辺にいました。小鳥を飼うもの、山で捕まえてきた虫をかうもの、
カエル、ザリガニ、命もその始まりも終わりもたくさん見えましたね。
今でも忘れられない光景があります。
高校のとき、毎朝駅に向かう近道に、雑木林の名残りがありました。
ほんの20本ばかりだったでしょうか、杉や松が残っていて、
そこの真ん中にヒトがすれ違える程度の道がありました。
ある朝、3~4mほど奥まった木の根方に子猫がうずくまっていました。
気にしつつも、小走りに通り過ぎました。
その日の帰りも、次の朝も、子猫は昨日と同じところでじっとしたまま。
私は気にしつつも、何もしてやれませんでした。
数日後、子猫は命を終えて横たわっていました。
やせこけて、私の手のひら片方にのるほど小さな体で。
後悔が今も残るのは、このあとです、私はやっぱり何もしなかったのです。
手だけは合わせました。何もできなくてごめんねとわびながら、
今度はもっといいところのネコちゃんに生まれておいでと祈りました。
でもそれだけでした。毎朝チラリと見る…白に大きな黒ブチの体は、
幸か不幸か、ほかのものにあらされることもなく、
毎日少しずつ朽ちてゆきました。毎日手をあわせましたが、
一週間くらいたったころでしょうか、見えなくなりました。
その数本の木の向こうには病院がすぐそばにあって、
患者さんの姿も窓辺によく見えましたから、
もしかしたら誰かがみつけたのかもしれません。
病院ということもあり、看護師さんがかたづけたのかもしれません。
私は「それ」を見ることがなくなって、とてもホッとしたのです。
でもそのあと、なぜせめて山ほどある周りの枯葉をかけてやるとか、
それくらいのことをしてやらなかったのかと、とても後悔したのです。
汚かったから?、気持ち悪かったから?、いえ、きっと怖かったのです。
命の終わりに気が付いてしまったことも、何もしなかったことも、
たった一匹で昼も夜も「終わり」までじっとたえていたのだろうと
想像することも、哀しすぎて怖かったのです。
母にその話をした記憶があります。母はたしか
「手を合わせてくれるもんがおったら、それだけで『いく』とこるへいける」
という意味のことをいったと思います。
40年以上たった今でも、枯葉の中で目を閉じて、じっと動かなかった子猫の、
左半分黒ブチだったカオを鮮明に思い出すことができます。
あれからも、いくつかの行き倒れや交通事故の「生き物」の姿を見ています。
やっぱり同じように何もできなかったけど、
祈る気持ちはいつも忘れないようにしました。
「いくべきところへいくんだよ」と。
そしてそのあと、今度は人間様のほうで、祖父母を送り、いとこを送り、
伯父伯母を送り…そのたびに私は手を合わせ、
「安心して行くべきところへ行かれますように、私たちは元気でやっていきます」
と心の中で言ってきました。
この本の最初のページには、作者の言葉として
「どんなことにもひるまないで生き、
とりわけあの世への旅だちをおそれなかった母へ」
と書いてあります。
母のその時を、まっているわけでも予感しているわけでもないけれど、
そう遠くない日に「それ」を迎えるのだろうと思う昨今の私は、
ネズミさんのように「だいじょうぶだよ」といい、
母もまたゾウさんのように「だいじょうぶやで」とこたえ、
そのときがきたら同じことを祈るだろうと、そうありたいと、おもっています。
おぉ写真に気がつきましたか。
カオのシワがわからないよーにボカしてます?
この本は、涙じんわりですよー。
最期のね、橋を渡っていくところ、
どちらも「受け入れた」二匹が、
お互いに笑顔でわかれるんです。
泣かされました、ほんと。
ほんとにいい本です。
こういう本を小さいときから、
子供にみせてほしいもの、と思います。
核家族で、家族がへっていくということを
なかなか体験できませんからねぇ。
同じようなご経験をなさったんですね。
そうそう小骨がひっかかっている感じ。
いつまで経っても、思い出すと心の奥底で、
チクッとするんです。
そう「穢れ」という感覚、よく言いますよね。
私はゴーストさんは遠慮したいんですが、
ヒトでないものは、ちょっと好きでして…?
誰にも必ず平等に訪れるものですからねぇ。
若いころは怖かったけど、
今はそんなにです、まだそこから先の楽しみが
あるような気がして…といったら欲張り?
一年は早いですねぇほんっとにびっくり。
一年が早く一日が長いと感じると、
「老齢」なんだといわれましたが、
まだまだ一日も「あっという間」ですー。
確かに「生きてない」ということは、
ちっと怖い気もしますが、
我が家のワンコがなくなったときは、
お骨にするために斎場まで、
私がしっかり抱いて行きました。
冷たいのが悲しかったですね。
それにしても庭があるとネコが来る、
というのはよく聞くのですが、
我が家の周辺、どうしてか野良猫さんが
いないんです。この12年で3回くらいしか
見ていないんですよ。フシギです。
私の実父がなくなったのは、
11歳の終わりのときで、
まだはっきりわかっていなかったのでしょうね
とにかくもう会えないんだ、話もできないんだ
それがとても悲しかったですね。
京都の伯父伯母のときは、
お葬式にいけなかったのですが、
いろんなことを思い出しました。
そうやって積み重ねていくんですね。
そう、切ない…ですね。
ほんとに切ないという言葉がピッタリです。
「涙の数だけ優しくなれる」という
歌がありますが、ホントにそうだと思います。
とんぼさん、新しいお写真、素敵です
この本、「涙で見えないよ~」状態になりませんか?あらすじだけでこんなに胸に迫ってくるのですから…
どんなことでも、「受け入れる」って切なくて、でも一番大切な一歩なんですね。
そんな風に思ってます。
あらすじを教えていただいただけで
胸がしいんとしました。
涙が出ました。
私も大切な人と別れるときに
「大丈夫だよ」と言ってあげなくてはいけないのですね。
そういう人になりたいです。
猫の話と同じような体験、
私もあるので気持ちがよくわかりました。
でも私の場合はもう大人になっていましたけれど。
ひとり暮らしをしていた時、
マンション近くに住み着いていた黒猫と仲良くなりました。
いつもなでてその場で別れていたのですが
ある日、ドアまでついてきて
部屋に入れろと言っているようでした。
もしかしたら前の住人が
こっそりかわいがっていたのかもしれません。
でもペット禁止のところだったので
「だめなのよ」と部屋には入れませんでした。
数日後、マンションの前で車に轢かれて死んでいて・・・
あの時部屋に入れてあげればよかったと悩みました。
せめてもと役所に連絡をしておきましたが
心のどこかにそういうことって
小骨のように引っかかって残っていますよね。
私にとっての骸についての恐れって、穢れの意識に通じているような気がします。
忌まわしいとかそういう感じ。
でも、これが人の死ということになるとちょっと違っているんです。
あまり禍々しい感じがしないと言いますか。
死の要因が自分の中にあると実感できない今、不遜にも「人間にある絶対ってのは死ぬことだけだもんねぇ。」などと考えたりしています。
年年歳歳一年経つのが早くなって・・・・
でも、最近これがちょっと嬉しかったりします。
不思議なんですけど。
君どこの子?人目に触れないって、他人なら良いわけ?少なくとも庭に出入りしていたチビ君は倉庫の陰だったよ・・・
仕方がないのでアボカドの木の根本に大きな穴を掘ってでかいスコップで運んで埋めましたよ。どうして、あんなに恐いんでしょうね、もう生きていないものって・・・おっかなびっくりですよ。すくいぞこなってちょっとこぼれそうになったら、きゃーっと叫びそうになるのをじっと我慢して。未だにその場所は踏めませんよ。食用の魚や鶏は平気でさばけるのにね。
大きくなってから初めての人の死でしたから
怖くてトイレに行けなかったです。
義母を24歳の時に送ってからは、怖いという
気持ちはなくなりました。
誰もが必ず行く所と思えるようになったから
かもしれません。
義母の兄弟、連れ合いと毎年のように見送り
私の伯父伯母も・・・そして父母も・・・
遅かれ早かれいずれあちらで出会えると思い
それまで待っててねと思うようにしています。
そんなときの日本語「切ない」
本当に切ないですよね。
そんな 思いを沢山して 人にやさしくなれるのだと思います。