「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」の中の、有名な歌ですね。後白河法皇が、書きとめた「今様」の歌謡集の中のひとつ。
「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば 我が身さえこそ動がるれ」
「人は遊ぶために生まれてきたのだろうか、戯れるために生まれてきたのだろうか、
子供の遊び戯れる声を聞いていると、自分はもう子供ではないというのに、うずうずと遊びたくなる…」
別解釈もありますが、素直に訳せば、こういう意味です。
またある外国の、えーと何学だったかの教授が「人間の遊びの精神が歴史を作った」とかなんとか
そんなことを言ったそうな。
「遊び」というのは、実は「なくてもいいもの」です。芸術もそうですね。
それがなくても、人間はとりあえず「生存」は可能です。
でも、もしそれがなかったら、味気なく、ロボットのような暮らしで、文明も文化も育たない…。
だから、なくてもいいはずなのに、実はとても大切なこと…なのですね。
ひょんなことから、思いがけず「お手玉作り」の日々です。
小さな手仕事、暑さを避け、オリンピックをテレビ観戦しながらのチクチクは思いのほか楽しくて…。
「もの」というものはふしぎなものです。形になるにつれて、いろんなことを思い出しました。
古い記憶は、最初はセピア色で、そのうち少しずつ色がつき始めます。
色の変わった畳の薄っくらい部屋でペタンとすわって、お手玉する友達のヒザは、いつも赤チンが塗ってあって…。
あれは誰だったっけ…私がお手玉がヘタなのは…えぇいいわけですが、ほかに好きな遊びがあって、
お手玉は私の「好きなものランキング」では、下のほう~~だったからです。
私が好きだったのは「折り紙」「お絵かき」「あやとり」「おはじき」「まりつき」「ゴムとび」…。
あのころの遊び、いわゆる「ごっこ遊び」は別として、これに男の子は「ベーゴマ」「メンコ」「ケン玉」「ビー玉」…。
お手玉作りをはじめるとき、参考資料にと、いろいろサイトを調べました。
そのなかに「お手玉に限らず、昔の子供の遊びは、1960年代に入ると急速に衰退した」とありました。
原因はいろいろでしょうけれど、その要因のひとつが「核家族などになってきて『伝承』されなくなったから」。
私は1950年生まれですから、60年代は10歳から20歳まで。
実際におもちゃを使って遊んだのは50年代半ばから、10年くらいでしょう。
その間に「テレビ」という、大きな「おもちゃ」が現れました。
それまでは、夜になれば針仕事をする母のかたわらで「お人形さんごっこ」などしていたものが、
テレビの前でじーっと画面を見る暮らしになりました。思えば恐ろしいことのはじまりだった…?!
そうやって育った私たちが大人になって、子を持つ時代になったとき、
きれいでリアルで、モダーンなおもちゃに囲まれていました。
ただ投げたり取ったりのお手玉も、同じコトをえんえんと繰り返すあやとりも、子供たちの中から消えかかっていました。
幸いにも、今もお手玉やあやとりは、すっかり姿を消したわけではなく、日本の昔の遊びとして続いています。
でも昔のように、学校から帰ったらお手玉しよ、おはじきがいい…そんな風景はなくなりました。
当たり前に親から子へ、年上の子から年下の子へと伝わっていくものではなくなり、
わざわざ「これが日本の昔の遊びです」と、教え広めるものになりました。
どこの町内にもいた「お手玉の名人」も「メンコの達人」も、いまや「サークルで行なわれる大会の優勝者」です。
「伝承」ということについて考えました。
物や道具には、歴史というものがあります。最初に作られて、使い勝手や素材に工夫を重ねていき、
少しずつ形を変えて連綿と続いたり、あまりに変わりすぎて、元とはまったくちがうものになったり、
新しいものに取って代わられたり、不要になって消えていったり…。
それはそれで「物」のさだめとして、当たり前のことであるとは思うのですが、
今はあまりにも変化が早すぎて、変化するにも、惜しむにも瞬く間の時間ですぎてゆきます。
人はそれで豊かなのだろうかと、ふと思います。
さまざまなおもちゃや遊具にはそれぞれの歴史があります。
大概は元々「おとなのものだった」というのが可笑しいですが、
つまりはそれだけ「娯楽」というもがなかった、ということでもあるわけです。
元々「遊び」というものは、人間だけがするもの…。
もちろん動物でも、たとえば熊や狐の子が、兄弟でじゃれあい、噛み合ったり、追いかけっこしたりします。
少し人間に近いものは、いたずらに枝を折ったり、木の枝に乗ってゆさゆさしたり…。
でも、それらはごく単純なことであり、またそのほとんどが「成体」になってから必要なことの「練習」です。
人間だけが、あってもなくてもいいようなことをするのです。
でも、それに意味を持たせるのが人間…。「知恵を育てる」「体を鍛える」…楽しみながらそれをしました。
「遊び」といわれるものの中に「盤上遊戯」というカテゴリーがあります。囲碁、将棋、チェスなど。
起源は古く…(もうこの辺は調べるといろいろ説がありますので)かのツタンカーメンの副葬品にも、
盤上遊戯が、何種類かあったそうです。
だいたい「盤上」と呼ばれるものは、そのほとんどが「陣取り合戦」か「仮想戦」。
囲碁は、知的に高尚な貴族のたしなみとして、老若男女を問わず、広まりましたし、
武家が政権をとってからは、より「戦」に近い将棋が好まれ、奨励されました。
こうして並べてみますと…結局さまざまな遊び、みんな「競争」や「戦い」ですね。
お手玉やケン玉でも「いくつ取れるか」「何回続けられるか」、つまりは優劣を争うわけです。
また、大人はさらにこれに「賭け」が加わります。
1000年の昔から…さまざまな「遊戯・遊具禁止・規制」がでています。勤勉に働くことこそ、尊けれ…で、
特にさいころなどは、それだけで賭博になりますから、さいころを使うなという禁止令もありました。
なくなりゃしなかったわけですが…。いろいろな遊びが、大人から子供のものになっていった理由のひとつには、
そういうことがあったからかもしれません。もっとも隠れて続けられたのも確かですが…。
人とはおもしろいものです。
さて、今パソコンの「すべてのプログラム」を開いて見ると…ゲームというところに、少しですがゲームがあります。
最初から入っているものですね。私のにはバックギャモンも入っています。
以前のものには囲碁も将棋もオセロ、マージャンまで入っていました。
入ってなかったら、ネットでダウンロードもできますし、一人でパソコン相手にやることも、
世界とつながって、外国の人と対戦することも可能です。
つまり…盤上遊戯は、いまや「実物」がなくてもできるのです。
すすけた碁盤や、割れたところを接着剤でくっつけた将棋の駒がなくても、地球の裏側の人と対戦可能…。
でも、お手玉やおはじきはそうはいきません。いえ、確かに、作ればできるでしょう。
マウスを動かしてお手玉をすばやく上に上げている間に、下のお手玉をクリック…なんてね。
でも、面白くありませんね。お手玉やおはじき、ケン玉などは、実際にそれを手にとって、
つかんだり、投げたり、まわしたり、はじいたり…その動作こそが楽しいわけですから。
今の日本のお手玉の歴史は、江戸時代から、せいぜい数百年、
囲碁は多少の変化はあっても1000年変わらずに今もあります。
しかし、パソコンが普及し始めて、囲碁・将棋の歴史には、新しく1ページ書き加えられました。
「バーチャルでできるようになった」…です。これも「伝承」のひとつといえるのでしょう。
たとえば500年、1000年後に、まだ囲碁・将棋があったなら…
「囲碁将棋は、かつて盤上遊戯と呼ばれ、実際に木や紙などで盤面を作り、鉱物や貝、木などで作った
石や駒を、実際に人間が手を使って盤面に置き、勝負していた。つまり、当人が前にいないと勝負ができなかった。
これはさぞかし勝負相手を探すのに、苦労したことであろう…」なぁんて、かかれるんですかね。
お手玉はどうでしょうかねぇ。そのころには、お店と家庭のパソコンと、エア・シューターかなんかが直結していて、
「えーと、お手玉は…<下の項目から選んでチェックを入れてください>か…俵型で、色柄はAの3、赤に白の水玉がいいな、
サイズはM、重量は…40グラム、個数が5個…と。これで<購入>クリック!、終了」
ピコピコピコ…ぴーきゅるきゅる…ピロリロリ~~ン
「ゴコウニュウ アリガトウゴザイマシタ。サイタンデ、3プン25ビョウデ オトドケニナリマス。
エアシューターノ ゴカクニン オネガイイタシマス」・・・・・・・・・・・・・・・・・シューッ・トン「あ、ついた、かぁわいい!」???
母がお手玉を作ってくれたといっても、そんなにしょっちゅうのことではありませんでした。
古くて穴があいたものを繕ってくれたり、一個だけ新しく作ってくれたり…。
そんな思い出ごと、遊びというものが心に残る…ゆっくりした時間の流れと「豊か」ということの意味を思います。
「オキャクサマ <テヅクリ>ノイメージヲ ゴキボウノトキハ ヘイセイネンダイノ<テヅクリフウケイドウガ>ヲ
オプションデ オツケイタシマス。オプションキボウランニ チェックヲドウゾ」…
いりまへん…。
せっせとチクチクやっていますが…ただいまペレット待ちでーす。
あやとりはほんの少ししか覚えていないですけど、
先日孫が電車の中であやとりをしていました。
今の子供達もしているんだと嬉しくなりました。
そばに乗っておられた年配の男の方が順番に
綾をとる孫の手元を見て、ホーと嬉しそうにされたのが
とても印象的でした。
私は時々、ナンプレかオセロで気分転換&暇つぶしを
しておりますが・・・
チクチクとお手玉出来てきましたね。
肩を凝らさない様にして下さいね。
出来上がったお手玉で、チャレンジしましたが、
更に更に、ドヘタになってました。かなし~~。
誰か見ているところじゃとてもできません。
あやとりは、今でもひとりあやとりなんかやたりしていますが、
忘れているものもあります。
お孫さん、うれしいですねぇ。
小さい子は、面白さがわかればやるものだと思います。
教えてあげることがなくなるから、やらないのですよね。
オセロは…私、パソコンの初級レベルでも勝ったためしがありません。情けない話です。
お手玉、ペレットが足りなくなったのですが、すくにつかないんですよー。
外袋ばっかり増えてますー。