まずは子供のころの写真、昭和31年1月24日の大雪の日、横浜ですよぉ。
当時は6歳ちょい前です。何をしているかといいますと、
「雪つり」ってしってます?炭に糸をつけて雪の中にちょんちょんとつけると、
だんだん雪がくっついて大きくなるんです。
この年は雪が多くて、このあと4月2日の「幼稚園の入園式」も、
雪の翌日、長靴はいて行きました。証拠写真?です。
ちよっとすねているのは「ぞうり袋」と長靴の色が気に入らなかったから。
確か祖母だったか伯母だったかがお祝いにくれたものでししたが、
この頃から私「ヘンな子」でしたから「赤」がキライでしてねぇ。
まぁモノにもよるんですが、ハンカチとか小物は赤やピンクでもいいんですけど
洋服とか鞄とか靴とか、そういうものは「赤」はだめぇ。
この「幼稚園バッグ」も、当時は「幼稚園仕様」がなくて自由。
で、買いに行ったときに「これにしてくれなきゃ幼稚園行かない」と言い張って
かってもらった「白と黒の細かい市松模様」、オーバーは母の手作りで
黒に近い濃紺、帽子も紺です。当時はモノが豊富ではありませんから、
なにを買いに行っても「男の子は紺・青」女の子は「赤・桃色」、
なんでもそうでしたから、わたし的に「トータル・ファッション」にならなくて
ちっとばかしスネているところです。
ちなみにこのあと小学校に行くときは、親戚が「赤いランドセル」といったのを
泣いて嫌がって「茶色」にしてもらったというエピソードがあります。
本当は黒がよかったのですが、それだけは…とまだ健在だった実父に
却下されたのであります。いまや誰にジャマされることなく
モノトーン着ておりますが、ちと寂しい…のか?
さて、昨日「お正月」の歌のお話をしたところ、懐かしい遊び歌について
武者子さまからいただいたコメントで、いろいろと思い出しましたよ。
年末の忙しいひととき、お茶でもちょっと飲みながら思い出してみましょう。
昨日コメントいただいたのは「はないちもんめ」、
「ご自分の子供のころの歌との違い」を書いてくださったんですが、
あれっ、やっぱ違う…だったんです。
この「はないちもんめ」って、ほんとにいろいろあるんですよね。
最初はだいたい同じで「ふるさと求めてはないちもんめ」で始まる…、
そのあとですね、武者子さんは「お布団ボロボロいかれない」が、
「お布団ビリビリ」になっていた…と。
これは「となりのおばさんちょいときておくれ」「鬼がこわくていかれない」
「○○が破れて」或いは「○○が壊れていかれない」に
続く部分なわけですが、私、友人と話したことがあって、
私は「お釜かぶってちょいときておくれ」だと言ったら、
友人は「お釜じゃなくて『なべ』だよ」と…。
この歌って、地方によってずいぶんいろいろあるわけです。
あとは年代によっても変わってくるんじゃないでしょうか。
身近に使われている道具がでてきたりとか…「鍋釜」はそれもあるかと。
「タンス長持ち」ってのもあるそうですし、おもしろいものですね。
どっちにしてもこの「はないちもんめ」は「子取り遊び」の一種です。
「子ぉとろ 子とろ」というの、かすかに覚えてます。
遊び道具がいまほどなかった時代には、どこでも行われた遊びだったでしょうね。
元々「はないちもんめ」は「子売り・子買い」が元の話しです。
花一匁、というのは「子供の価格」ということ、悲しいですね。
どこの歌にしても「鬼がこわくていかれない」というのは、
「そういう世界に入ってしまったら」つまり「売られていったら」、
そこからはちょっと出られない(帰れない)、ということ。
売られた先は、たいがいが女郎屋だったでしょうし、よくても大店での奉公。
昔の奉公は休みなし、給金は自分の値段ですから本人はタダ働き。
年季が明けるまではどうしたって帰れないんですね、いくらお釜をかぶっても。
こういった「遊び歌」や「子守唄」は、楽しそうだったりゆるやかだったり
いかにも子供が遊んだり眠ったりするには、いい歌のように聞こえますが、
実はたいがい悲しい内容だったり、まんま悲しい歌詞だったりします。
今よりずっと貧しくて、子供が好きなように遊んだり学んだりなんて、
到底できなかった時代、それどころか「子供も労働力」の時代、
子供が歌う歌でさえ、そんな風に意味を持っていたわけです。
今の時代は本当にいい時代といえるわけで、その子供のために
給食費くらいはちゃんと払ってもらいたいものと…ありゃ、話しがズレました。
懐古趣味というわけではありませんが、年齢的なものも手伝ってか、
子供のころを思い出しては「あのころはよかった」なんぞと、
ふと思ったりします。もちろん、今が不幸ということではなく、
今の時代を「子供」として生きている「小さい人たち」と、
自分の子供時代を比べてみると、ふと「豊か」ということの意味を思うのです。
私たちは「花一匁」が子供が売られていく歌だなんぞとはつゆ知らず、
勝った負けたと、日が暮れるまで遊び倒していました。
それはその時代、もう「子買い」なんてそんなことはなかったわけで、
そういう意味でも幸せな時代に生まれ育ったと言えます。
今の子供たちは、今度はそんな遊び倒す楽しさを与えてもらえない…、
ホンモノそっくりのおもちゃや、バーチャルなテレビゲームはあっても、
泥だらけになって走り回ったり、年上も年下もなくまざりあって遊んだり、
そういう世界を知らない子がたくさんいます。
この前「今の子供が危ない」というリポートがあって、
ごく小さいころから、昔で言うなら「普通」の遊びや動作がないばっかりに、
まっすぐ走れないとか、転んだときに手が出ないとか…増えているのだそうです。
お医者さんが「昔では考えられないケガでくる子供が年々増える」と。
なんだって、転んだときにとっさに手が出なくてカオから突っ込む。
階段を二段ばかり飛び降りたら「骨折」…。
それは栄養の問題ではなく「鍛え方」の問題で、
小さい頃から、私たちが子供のころのように遊びまくっていれば自然と身につく
いわば「反射神経」とか「適応」とか、そういったものだそうです。
私は息子の障害の診察のときに主治医から
「赤ちゃんを育てるには、まず本来持っている能力があり、
次にそれを育てる環境が必要になる。
例えば赤ちゃんは、まだ眼もあかないうちでも手のひらに指をいれると
つかもうとするし、唇の辺りに触れると「お乳を吸おう」と口をあける、
それが本能というもので、それに対してしっかりつかみ返したり引っ張ったり、
或いは乳首を含ませたり、そういうことでその能力が鍛えられる。
障害のある子供は、その能力が最初から欠けていたり、
うまく機能しなかったりする、だから少しでも能力を高めるために、
普通の子以上に環境(訓練も含んで)が必要なのだ」と教えてくれました。
「本能」をうまく生かしてあげる、鍛えてあげる、というのとは
障害の有無に関係なく、要するに「使わないとダメ」なんですね。
今の時代、公園さえ安全な場所とはいえず、泥んこで遊ぶ場所もなく、
小さいときからまわりに子供が少なくて、みんなであそぼ…が減りました。
ちょっと大きくなっちゃうと遊び方が大きく違ってしまう。
そういう意味で、変わってしまった今の時代の中で暮らしている
「現代の小さい人たち」が、かわいそうだな、と思うこともしばしばです。
少しでものびのびと、安全に、子供らしい時期をすごせるように、
それは今の大人たちの責任でもありますね。
当時は6歳ちょい前です。何をしているかといいますと、
「雪つり」ってしってます?炭に糸をつけて雪の中にちょんちょんとつけると、
だんだん雪がくっついて大きくなるんです。
この年は雪が多くて、このあと4月2日の「幼稚園の入園式」も、
雪の翌日、長靴はいて行きました。証拠写真?です。
ちよっとすねているのは「ぞうり袋」と長靴の色が気に入らなかったから。
確か祖母だったか伯母だったかがお祝いにくれたものでししたが、
この頃から私「ヘンな子」でしたから「赤」がキライでしてねぇ。
まぁモノにもよるんですが、ハンカチとか小物は赤やピンクでもいいんですけど
洋服とか鞄とか靴とか、そういうものは「赤」はだめぇ。
この「幼稚園バッグ」も、当時は「幼稚園仕様」がなくて自由。
で、買いに行ったときに「これにしてくれなきゃ幼稚園行かない」と言い張って
かってもらった「白と黒の細かい市松模様」、オーバーは母の手作りで
黒に近い濃紺、帽子も紺です。当時はモノが豊富ではありませんから、
なにを買いに行っても「男の子は紺・青」女の子は「赤・桃色」、
なんでもそうでしたから、わたし的に「トータル・ファッション」にならなくて
ちっとばかしスネているところです。
ちなみにこのあと小学校に行くときは、親戚が「赤いランドセル」といったのを
泣いて嫌がって「茶色」にしてもらったというエピソードがあります。
本当は黒がよかったのですが、それだけは…とまだ健在だった実父に
却下されたのであります。いまや誰にジャマされることなく
モノトーン着ておりますが、ちと寂しい…のか?
さて、昨日「お正月」の歌のお話をしたところ、懐かしい遊び歌について
武者子さまからいただいたコメントで、いろいろと思い出しましたよ。
年末の忙しいひととき、お茶でもちょっと飲みながら思い出してみましょう。
昨日コメントいただいたのは「はないちもんめ」、
「ご自分の子供のころの歌との違い」を書いてくださったんですが、
あれっ、やっぱ違う…だったんです。
この「はないちもんめ」って、ほんとにいろいろあるんですよね。
最初はだいたい同じで「ふるさと求めてはないちもんめ」で始まる…、
そのあとですね、武者子さんは「お布団ボロボロいかれない」が、
「お布団ビリビリ」になっていた…と。
これは「となりのおばさんちょいときておくれ」「鬼がこわくていかれない」
「○○が破れて」或いは「○○が壊れていかれない」に
続く部分なわけですが、私、友人と話したことがあって、
私は「お釜かぶってちょいときておくれ」だと言ったら、
友人は「お釜じゃなくて『なべ』だよ」と…。
この歌って、地方によってずいぶんいろいろあるわけです。
あとは年代によっても変わってくるんじゃないでしょうか。
身近に使われている道具がでてきたりとか…「鍋釜」はそれもあるかと。
「タンス長持ち」ってのもあるそうですし、おもしろいものですね。
どっちにしてもこの「はないちもんめ」は「子取り遊び」の一種です。
「子ぉとろ 子とろ」というの、かすかに覚えてます。
遊び道具がいまほどなかった時代には、どこでも行われた遊びだったでしょうね。
元々「はないちもんめ」は「子売り・子買い」が元の話しです。
花一匁、というのは「子供の価格」ということ、悲しいですね。
どこの歌にしても「鬼がこわくていかれない」というのは、
「そういう世界に入ってしまったら」つまり「売られていったら」、
そこからはちょっと出られない(帰れない)、ということ。
売られた先は、たいがいが女郎屋だったでしょうし、よくても大店での奉公。
昔の奉公は休みなし、給金は自分の値段ですから本人はタダ働き。
年季が明けるまではどうしたって帰れないんですね、いくらお釜をかぶっても。
こういった「遊び歌」や「子守唄」は、楽しそうだったりゆるやかだったり
いかにも子供が遊んだり眠ったりするには、いい歌のように聞こえますが、
実はたいがい悲しい内容だったり、まんま悲しい歌詞だったりします。
今よりずっと貧しくて、子供が好きなように遊んだり学んだりなんて、
到底できなかった時代、それどころか「子供も労働力」の時代、
子供が歌う歌でさえ、そんな風に意味を持っていたわけです。
今の時代は本当にいい時代といえるわけで、その子供のために
給食費くらいはちゃんと払ってもらいたいものと…ありゃ、話しがズレました。
懐古趣味というわけではありませんが、年齢的なものも手伝ってか、
子供のころを思い出しては「あのころはよかった」なんぞと、
ふと思ったりします。もちろん、今が不幸ということではなく、
今の時代を「子供」として生きている「小さい人たち」と、
自分の子供時代を比べてみると、ふと「豊か」ということの意味を思うのです。
私たちは「花一匁」が子供が売られていく歌だなんぞとはつゆ知らず、
勝った負けたと、日が暮れるまで遊び倒していました。
それはその時代、もう「子買い」なんてそんなことはなかったわけで、
そういう意味でも幸せな時代に生まれ育ったと言えます。
今の子供たちは、今度はそんな遊び倒す楽しさを与えてもらえない…、
ホンモノそっくりのおもちゃや、バーチャルなテレビゲームはあっても、
泥だらけになって走り回ったり、年上も年下もなくまざりあって遊んだり、
そういう世界を知らない子がたくさんいます。
この前「今の子供が危ない」というリポートがあって、
ごく小さいころから、昔で言うなら「普通」の遊びや動作がないばっかりに、
まっすぐ走れないとか、転んだときに手が出ないとか…増えているのだそうです。
お医者さんが「昔では考えられないケガでくる子供が年々増える」と。
なんだって、転んだときにとっさに手が出なくてカオから突っ込む。
階段を二段ばかり飛び降りたら「骨折」…。
それは栄養の問題ではなく「鍛え方」の問題で、
小さい頃から、私たちが子供のころのように遊びまくっていれば自然と身につく
いわば「反射神経」とか「適応」とか、そういったものだそうです。
私は息子の障害の診察のときに主治医から
「赤ちゃんを育てるには、まず本来持っている能力があり、
次にそれを育てる環境が必要になる。
例えば赤ちゃんは、まだ眼もあかないうちでも手のひらに指をいれると
つかもうとするし、唇の辺りに触れると「お乳を吸おう」と口をあける、
それが本能というもので、それに対してしっかりつかみ返したり引っ張ったり、
或いは乳首を含ませたり、そういうことでその能力が鍛えられる。
障害のある子供は、その能力が最初から欠けていたり、
うまく機能しなかったりする、だから少しでも能力を高めるために、
普通の子以上に環境(訓練も含んで)が必要なのだ」と教えてくれました。
「本能」をうまく生かしてあげる、鍛えてあげる、というのとは
障害の有無に関係なく、要するに「使わないとダメ」なんですね。
今の時代、公園さえ安全な場所とはいえず、泥んこで遊ぶ場所もなく、
小さいときからまわりに子供が少なくて、みんなであそぼ…が減りました。
ちょっと大きくなっちゃうと遊び方が大きく違ってしまう。
そういう意味で、変わってしまった今の時代の中で暮らしている
「現代の小さい人たち」が、かわいそうだな、と思うこともしばしばです。
少しでものびのびと、安全に、子供らしい時期をすごせるように、
それは今の大人たちの責任でもありますね。
遊びを暗くなるまでしていましたね~
その頃は近所のおじさん、おばさんがどこどこの
○○ちゃんと子供たちの名前をみんな知っていて
くれたから危ない事をしていたら注意をしたり
親にいいつけをしたりしてくれました。
よその子も自分の子も訳隔てなく守ってくれていたと
思います。今じゃ外で遊ぶ子もめったに見ないです。
本当に寂しい環境ですね。
そして それが55年の長きに渡り 2・3年前まで続いていました。
それでも ランドセルは赤。
子供の頃の遊び・・・
周りに大人が多かった生活をしていたからかも知れませんが
絵本を読んだり ぬりえをしたり 家の中での遊びが多かった。
小学4年でガールスカウトに入り 箍が外れたのか
中学2年でボーイスカウトのリーダーとして毎週土日
外を走り回っていました。
泥だらけになって遊んだのは 花も恥らう中学2年から結婚するまでの10年間でした。
娘達が生まれてからは 沢山の友達と思い出を作って欲しかったから
毎日外に連れ出して外遊び三昧。
そんな娘達はどう思っているかしらね・・・
少なくとも 私より怪我はダントツに少ないけれど。
「雪つり遊び」もやりました、やりましたよ。
現代の子供の運動能力・・話によれば近頃じゃ
ボールを満足に投げられない子が結構いるんだそうですナ・・例えば右利きの子ならば、まず大きく左足を踏み出しその左足に全体重かけ、振り被る様にしてボールを遠くへ投げる・・この自然な動作が、先に右足を踏み出したりしちゃって、とんと出来ないのだそうです・・
我が子のそんな姿に堪りかねた親が、遂には「体育家庭教師」雇い入れる話もチラホラあるようです。
子供を売り買いするお話だったなんて、知りませんでした。。。
そういえば子守唄なんかも、どことなく物悲しいお話だったり。。。
昔、祖母の背中におんぶされて、よく『♪ねんねんころりよ、おころりよ』の子守唄を歌ってもらいましたが、なんだか子供心に悲しくて、泣いていた記憶があります(でもせっかく歌ってくれてる祖母に悪い気がして、こらえながら泣いてました)。
それにしても茶色のランドセル!! なんてお洒落!!
私が子供の頃でも、女の子で赤以外はものすごく珍しかったですよ。
ところで恵さま、
ガールスカウトにいらしたのですね。
中二でボーイスカウトのリーダーは凄すぎますね。
中二といえば、まだガールの方でも活動中だったのでは?
そういう私の息子は、ただいまボーイスカウト隊に所属してます。
今週末は、冬期キャンプがあります、がんばれ息子~。
そうそう、伊藤さまの『体育家庭教師』のお話、最近ホントに流行ってるそうですね。
でも、子供の運動能力が衰えてしまったり、子供の成人病が急増しているのは、決して子供のせいではありません。
地球温暖化を促進させておいて、そのツケを罪のない子供らに払わせるような大人の姿勢が間違っているせいです。
私ら今の親世代を含め、多くの大人達がそれに気が付かないと、悲しい事に子供らを取り巻く環境は悪化するばかりなんです。。。
もう勉強なんてしてたかな…でしたね。
コムとびとか石蹴りとか○○ごっことか、
いくらでも遊びは思いつきました。
楽しかったし、近所の人たちも気にかけてくれて
家ノ前で遊んでいると「もう5時だよ」なんて
教えてくれたりして…、いい時代でしたね。
惠様
妙な子供だと、いわれました。
ついでのことに「お菓子」もキライで、
「口のきれいな子」と言われましたが、
今その反動です!
「子供はあそんでこそ」子供、走り回ってアタリマエ
「あそびをせんとやうまれけむ」ですねぇ。
伊藤様
あの頃は今より寒かったですよね。
この前テレビで見ましたよ、運動会用トレーナー。
なんか物悲しかったですね。
そういえば、家の前を子供が走っていくのを
あまり見ません、なんかみんなダラダラしています。
疲れているのかなぁ…。
武者子様
大人の責任、一人だけじゃないわけですから、
行政も親も先生も近所の人も、
みんなして「子供のこと」
考えていかなきゃいけませんよね。
都会化して土や緑がなくなっていくのは
とめられなくても、どこの家でもこどもが訪ねて
庭で遊ぶとか、そこの家の人と遊ぶとか、
そんな風に昔のようになるといいですね。
よく「隣のおばちゃんち」の庭で、
お花の種とったりしてましたよ、懐かしい。
土曜日の午後の班集会(組集会)と日曜日の隊集会が重なり
尚且つ外で行われる諸々の行事も重なる事が多かった為に
子供達と遊べるボーイスカウトを選びました。
楽しい青春時代でした。