毎年、8月は鎮魂の月…と、心のどこかで「忘れないように」という思いがあります。
まぁちょうどリオ五輪の開会式…重なってしまいました。
テレビも、いつも7月の終わりころからは、何かと大戦関係の番組が増え、
またその番宣もけっこうあるのですが、今年は五輪にちょっと遠慮気味?
まぁ、リオ五輪は今年だけ、鎮魂の8月は、これからも毎年ですから、
しかたないかな…の気持ちもありますが。
5月のサミットのとき、オバマ大統領が、広島を訪問しました。
あのスピーチは、なかなかのものだったと思っています。
あの時、日本人男性が、オバマ大統領と会った場面がありました。
何も言わず抱擁を交わした男性、あの方のドキュメンタリーを見ました。
あの方は森重昭さんとおっしゃいます。
ご自身も8歳で被爆、当初はアメリカを憎んでいたとか。
その後、原爆の時、アメリカ兵12名がなくなっていたことを知り、
彼らのことについて調べ始めたのだそうです。
「なんで原爆落としたアメリカ人のことなんて」という反発の中、40年も調査を続け、
番組では、その中の一人、19歳でなくなった米兵のことを放送しました。
原爆症で2週間苦しみ続けてなくなったのだそうです。
そのとき、広島の町は「遺体の山」…山積みのまま放置、やがてまとめて火をかけるしかない…
そんな状況であったわけですが、米兵に対して、その時のある将校さんが、
「きちんと火葬せよ」と命じたのだとか。そしてお墓も作り、後年その遺骨は祖国に帰されたのです。
森氏は、アメリカの学生たちとも話をし、そのときに「なぜ敵国の米兵のことを…」問われ、
「原爆で米兵はなくなった、自分は生き残った。生き残った者として、できるだけのことをしたいと思った」と答えたと。
原爆は、かつてアメリカではその投下に携わった者たちは英雄扱いし、
原爆を落としたことは正しい…という認識が多かったわけです。
しかし、あれから70年たった今、はっきり「間違いであった」という人も、
疑問に思って迷う人も、多くなってきたといいます。
戦争を知らない世代がどんどん増えていくこの時期に、
しっかり「現実」と対峙し、冷静に判断できるよう、やはり「伝えるべきこと」は、
たくさんあるのだと、そう思います。
台風は近づいているものの、まだ明日は広島も晴れのようです。
「あの日も、今日のように暑い日でありました」というナレーションが、また聞かれるのでしょう。
クーラーのきいた部屋で申し訳ないと思いつつ、頭を垂れることを忘れないでいたいと思っています。
ここ広島はほぼ一日。。テレビでは特集が組まれます。
今日は土曜日なので、市役所関係は元々休みですけれど、小中学生は登校日となっていて。。。
8時15分にはサイレンが鳴り響きます。
そして、黙とう。。。
一瞬にして焼野原?瓦礫の山と化した広島も、71年後の今や、まずまず(埼玉の川越程度?)には復活していて。。
それでも、あの平和式典の行われる平和公園の土の下には、まだ数多くの遺品たちが眠っているはず。。。?
あの公園一帯。。多くの人たちの生活の場だったこと一瞬にして跡形もなく影だけを残して蒸発してしまった人たちのことを思いながら。。黙とうをささげます。
広島は初めから投下目標だったみたいですが、
長崎はね。。。
そして。。8月9日11時2分にも、サイレン。。なればよいというより、ならすべき?と、思うのは、
広島出身者ではない私だけでしょうかね??
なんだか、広島の人たちが余りにも長崎を軽視しているような気がして。。。気のせいであってほしい思うのですけれど(;'∀')
しっかりと目を見開いて現実を受け止めなければと思う反面、なんかもう見たくないというか、もう忘れたいと思っている方もかなりいるように思います。
日本人として戦争を含めて、どう受け止めていくべきなのかということが何だかはっきりしないままにきた様な感じがします。
死は数字ではないといつも思います。
その人にとっては100%です。
例えそれが0.001%の確率でもそのわずかな可能性に遭遇した人にとっては100%です。
最近の政治家のおっしゃることを聞いていると死とはどういう事なのか、戦争とはどういう事が起きるのか、ということを判っているのだろうかと思う事が時々あります。
被爆者ののドキュメント私も観ました。憎しみからは平和は生まれない。
オバマ氏には時間を取って資料館を観てほしかったです。
映画「黒い雨」がまた放送されてました。
淡々と描かれています。だから胸に迫るものがあります。
「何故、原爆を落としたのだろう」
「早く戦争を終わらせるためだと・・」
「だったら東京に落としたほうが早く終わっただろうに。何故広島なんだろう」という会話があります。
私もそう思いました。「早く終わらせるため。犠牲者を少なくするため」これが詭弁のような気がします。
8月は長崎の原爆記念日、御巣鷹山航空機事故、(これも色々言われていますが)、お盆。
日本海側の海岸で行方不明者が出たのもその頃です
当時はニュースみておかしな話だと思いました。
何かの事件に巻き込まれたのではと思える状況でした。まさか拉致されたとは。
8月は毎年気が重くなります。
反面、高校野球とか観ると平和って有難いなあと思うことです。
リオでは、時間を合わせて…ということだったらしいですね。
平和の祭典である、ということのアピールであり、
また鎮魂の思いもこめて、ということなのでしょう。
家族にしても、近所づきあいにしても、
なんだかさまざま希薄になっている気がします。
スマホがあらわれ、地図アプリなるものが出て、
どこへ行ってもすぐ地図が見られる…となったとき、
あぁ、これで「すみませんが…」と、
人に道を尋ねたり尋ねられたりの、
人と人との関わりあいもなくなるのだろうなと
そんなことを思いました。
強く伝えていく気持ちがないと、忘れられてしまう、
そんなことを戦争もですが、災害でも思います。
戦争経験を、ついに話さないまま…という高齢者は
とても多いと思います。
確かに、戦争に行っていれば、人の命も奪ったでしょうし
泥水すすり、草を食べ…という経験もあるでしょう。
そんな話をしたくはない、思い出したくもない…
その気持ちも、わかるような気もします。
それでも、ここへきて「伝えなければ」と思う人が、
最後に言い残したい、と、話をしてくれるようになりました。
聞く側も、心して聞かねばと思います。
客観視が必要なことと、自分のこととしてとらえることと、
両方とも大切だと思います。
本当に8月は、心が何かとざわつく月ですね。
こちらは7月にお盆をやってしまいますが、
私は母が関西の昔びとでしたから、
この月も、また供養と鎮魂の思いを抱く月にしています。
毎年、もう話を聞けなくなった祖父母や親の人生を
ふと考えたりします。
混乱の時代を生き抜いた人たちは、
今の私たちを見て、どんな気持ちだろうと。
こうしてテレビでリオ五輪や高校野球を見ていると、
平和、ということと、それが実はとてもあやうい薄氷のような
現実の上にあるのだということを、考えます。
テロやテロまがいのことで、世界中が騒然として…。
4年後の東京は、どうなるのでしょう。