まぁ葬儀の後というものは、やることが山積み…です。
母の時は、私は娘の立場ですから、それなりの手続き、
例えば相続とかなんとか、父よりは煩わしくはなかったわけですが、
今回は配偶者、しかも家の大黒柱ですから、そりゃもうめんどいことばかり。
いえ、まだ何も始まってはいないのですけれど、
まぁ手続きのいるものは、順次こなしていけばいいわけですが、
主人が亡くなってすぐに「どうしよう」と思ったのが、趣味で飼っていた熱帯魚です。
トップ写真は、主人が飼っていたディスカスくんたち。大きさは10センチくらい。
すでにガラスが汚れ始めていて見づらいですが。
私は、熱帯魚も金魚も嫌いではありませんが、いわゆる「見るだけー」の人。
元々金魚なんて夜店の金魚すくいで手に入れたものを、
あのチューリップみたいなガラスの器で飼ったことがあるのがせいぜいです。
大人になるにつれて「命のあるものだから」と、そんな思いと、
飼い始めると実際にかかる手間とで、全く飼う気持ちはありませんでした。
それが何の因果か「金魚&熱帯魚ハカセ」みたいな人と結婚し、
「飼いたいよーオーラ」出し続けられましたっけ。
結果的に中国へ行く前は、自室で熱帯魚を大量に飼っていましたが、
いきなりの単身赴任が決まり、なんとか水槽をまとめていきました。
私は息子のことで手一杯、しかも熱帯魚の知識ゼロ…
主人は「できるだけでいいから」と、とりあえずエサのやり方と、
皮膚病になった時の隔離や治療の仕方だけを教えて、中国に行きました。
君にはムリだから、死んじゃってもしかたないから気にするな、とは言ってくれていましたし、
元々熱帯魚は1年くらいで寿命を終えるものも多いのだそうです。
でも、一匹、また一匹…と減っていくのは、自分が何もできない分、とても気の重いことでした。
最後に残ったのが「金魚」でしたが、それも数年後に天国へ…。
以来、飼うなら定年退職してからね、と言ってあったのです。
だから…昨年の8月帰国して、まず主人が始めたのが「念願の大型魚飼育」だったわけで。
もちろん赴任中もあちらでやっていたらしいのですが、結局最終的に連れて帰ることはできませんから、
戻るときは、みな人にあげたり、業者に引き取ってもらったり…。
今度こそ「ボクの楽園」とばかりに、そりゃぁチカラ入れてました。
努力のカイあって?2か月で主人の部屋は「水族館」…。こんな感じ。
左の水槽は90㎝幅です。私がすわってはいれるくらい…。
これより小さいのがいくつもありましたが、実は主人は私の言うことはちゃんと聞いてくれるヒト…。
私が過去の経験から「水槽は4個まで」それ以上飼ってはなりません、と厳命しました。
ほっといたらいくらでも増えます。赴任前はちいさいものだったけど、14個ありましたから。
ところが…完成しつつあるのを見たら水槽が6個も7個もあるのです。
「ちょっとぉ」と言ったら「魚が入っているのは4個だよ。これは水草生育用、これは予備の水用、
これは流木の調整用」…なんかゴマカサレタ気がするけど…。
そんなわけで、確かにオサカナさんがいるのは4個でした。
水草を種から撒いて育てたり、砂利や流木が魚に合うかどうか調整したり…本格的でした。
ちなみに「水草生育用水槽らしき一台」、ここにも魚は少し入っていますが、
魚が水草を食べるかげんとか、そんなものを見ていたような。
わかりづらいですが、小さいのがいます。
アップするとこんな。立ってる?…いえいえこれはガラスにへばりついているのです。
鯰の一種「コリド…なんとか」3センチ弱の小さなものですが、これが水槽ガラス面にできる
コケを食べてくれるのですと。いわば水槽内の清掃員ですね。
これも飼育して、各水槽に「配置」してました。ちなみに金魚の水槽には「タニシ」が派遣されます。
主人は部屋でガラスのテーブルを使っていたのですが、
ものを落としたりして割れると危ないから普通のテーブルにしたら、というと
ちょっとやりたいことがあって…と、そのまま使っていました。
ある日部屋に入ったら、そのテーブルの下に大きな四角いコンテナみたいなものが入れてあって、
その中には白い砂が敷きつめられ、優雅に「ランチュウ」が泳いでおりましたがな。
えぇ、上からランチュウが見えるシカケでございます。
ちなみにちなみに…金魚は本来「上から見て楽しむもの」です。
ガラスが一般的でなかった江戸時代、金魚は「桶」に入れて見ましたから。
ギヤマンの器で庶民が楽しむようになったのは、江戸も後期のことと聞いています。
だから、ランチュウや和金のしっぽは、上から見ると一番きれいなんですね。
さてさて…
葬儀前この部屋に入ったいとこや友人が「Yさん(主人のこと)、とても幸せだったと思う」と言いました。
もちろん、本人にしてみれば、もっと大きな水槽を入れたり、
魚もたくさん育てるつもりだったと思いますが、それでも人が「すっごーい!」と、
声を上げるくらいの水槽を並べるところまで来ていたのですから、
主人も、楽しくやっていたと思います。
さしあたっての問題は、この「おさかなさんたち」をどうするか、でした。
私にはとても飼育する時間も知識も腕もありません。
エサ一つとっても魚ごとに全部ちがい、状況や季節でもかわるのだそうです。
(冷蔵庫にはディスカス用の赤虫冷凍パックがはいっていましたわ)
水替えはポンプを使っても一個半日かがり…。
このままおいておけば、早晩全部死んでしまいます。
主人がてまひまかけて「住居」をしつらえ、その中で大切に育てていたお魚たちです。
なんとか命をつなげたい…それしかアタマにありませんでした。
通夜の準備の合間に、ネットで業者を探しました。
引き取り業者はたくさんいますが、ほとんどが「持ち込み」です。
やっと見つけたのが埼玉の業者で、水槽ごと引き取りに来てくれるところ。
とりあえず電話しましたら、日本国中どこへでも行くけれど、
引き取るものの査定額と、出張料手間料の額がプラスでなければ行けない…。
こちらはお金払ってでもと思うのですが、古物商の免許がないと、私がお金を払うことは、
法律違反になるわけです。あくまで向こうが、たとえ100円でもこちらに支払う形にならないと…。
ざっと電話で話すと、ぎりぎりプラスマイナスゼロ…ですが、と言われました。
それでいいから来てください、と、葬儀終了後のあちらの来られる日に約束しました。
それまで死なせたくはないのだけれど、というと、「○○はたぶん『××』というエサがあるはずだから
それをこのくらい…△△は、エサはしばらくなくても大丈夫。
状況から乾燥で水が減っているはずだから、こうしてああして、せめてバケツ一杯はたしてあげて」と、
細々教えてくれました。
主人が亡くなって十日…やはり何もしないと水槽のガラス面はコケが増えました。
お願いだから一匹も死なないで…と、祈る思いで、慣れないエサと水をやりました。
引き取り当日、主人の写真を水槽の方に向けて置き、
「おとサン、かわいがってたおさかな、別れるのはさびしいだろうけれど、
死なせたらかわいそうだから、新しい『熱帯魚大好き』な人に、引き継いでもらおうね。
いい人に引き取られるよう、おとサンも守ってあげなきゃね」といいました。
やってきた業者さんは、水槽や、その後ろの装備や道具をぱっとみて「本格的ですね」…。
魚の状態もいい、道具も新しいので、すべて引き取れます…そういわれたとき、
ほんとにほっとしました。
おとサンの見守る中、3時間以上かけておさかなさんたちは、メダカに至るまで全部
酸素を足したビニール袋に入れられ、水槽もすべてトラックの荷台に乗りました。
「どうかいい人に引き継がれますように」と、思わず手を合わせてしまった私に、
業者さんは「責任もってやりますから」と言ってくださいました。
全てなくなった主人の部屋はガランとしてしまいましたけれど、
私はこれでよかったのだと、そう思っています。
寂しさよりも安堵感が漂っているような…勝手にそう思っているのです。
主人の写真に「ちゃんと見届けてくれたよね。命は大事だからね」と言いました。
ふくれっ面には見えませんでしたから、納得してくれたと思います。
でも、ひとつだけ、残した水槽があります。
戻ってすぐのころに「ほしい」と言ったらセッティングしてくれた「私への金魚」。
私のパソコンの向かい側にあります。記事はこちら。
あの「陸ちゃん」と「浜ちゃん」です。元気です。
これだけは「私のために」と買ってきてくれたものですから、
少し手間をかけても育てていきたいと思っています。
みようみまねの実験台で、かわいそうな2匹ですが、これだけは手放す気になれませんでした。
主人のようにはうまくいかないかもしれないけれど、熱帯魚よりは簡単ですから。
生きているもの…ということで、一番の懸案でしたが、それがクリアできました。
これで安心して次の作業にかかれます。
とんぼは元気です。
元々前へ前への性分ですし、振り向いてうなだれることも「たられば」的思考も好きではありません。
こうなってしまったものはそこから進まねばならない…というのがノーテンキの元。
これから「チョーめんどくさい」さまざま手続きです。あぁぁぁ、頭痛薬がいるぅ…。
お魚さんたち無事旅立たせることができて良かったですね。
きっとご主人さまが行く末を見守ってくださることと思います。
そして陸ちゃんと浜ちゃんはとんぼさんのところに残っているのですね。ああ、良かった。
その2匹にはとんぼさんのそばにいてほしいなと思っていたのです。
札幌はいまも雪が降っております。
風も強くてまだまだ冬なんだなと思います。
横浜で10年暮らしたあとに札幌に戻った当時は雪が降るのが嫌で嫌で憂鬱でしたが、いまは穏やかな気持ちで見られるようになりました。
冬のあとにはかならず春が来ますものね。
手続きの大変さは・・役場で働いたことがあるのでお察しいたします。。
愚痴でもなんでも聞きますね。
父が亡くなった時 母を連れ 役所やら色々と手続きに行ったことを思い出しました。
母の時は 最後の5年を姉宅で過ごしたので…私は放棄していたので…姉が手続きをしたのですが…「なんで~面倒くさい!」と姉が騒いでいましたね。
今日の千歳市は雪です。春は まだまだ先ですね…
否応なしに流れていく時間の中で、「やらねばならないこと」は無情にも湧くようにあるものです。
三十年以上も生き別れであった実父が無くなった時の、言いようのない虚無感。
そして思いもしなかった相続問題。驚きと戸惑いと。
解決までに三年、あわただしさに振り回されて泣くことすらできなかった私は、すっかり心のバランスを崩してしまいました。
その時に医者に言われたのが「泣くことはとても大事なんです。ちゃんと泣かないとね・・・」でした。
「苦しかったでしょ」と言われて初めて、嘘みたいに涙があふれてきたのを覚えています。
父の形見は、後妻さんがすべて捨ててしまったらしく、私が連絡を受けた時には鉛筆一本ありませんでした。
おとサンが残した金魚さん・・・生きた形見ですね。
これから、とんぼさんの心を支えてくれるかもしれません。おとサンに代わって・・・
偶然にも北海道の方がお二人・・・実は私も北海道人です。雪深い道北の田舎町、春はまだ遠いようです。
生き物を飼うというのは、ただ観ている分には可愛いけれど毎日の世話を考えると、とても大変ですね。ご主人は趣味の範疇を越え、お魚に愛情を注いでいらした事、静かに芯の強さと優しさを兼ね備えた方だと想像します。
残された金魚、長生きします様に。
ここ何日か、初めての道中着作りに熱中する余り主人の三度の食事の支度も手抜き、とんぼさんのブログも見ていない私には、とても犬一匹も飼えません(笑)
期間でも熱帯魚の飼育で長年の夢が叶って本当に
よかったですね。
とんぼさんが少しづつ元気を
取り戻されているようでホッとしました
とんぼさんはおままごと道具がお好きらしい
ので素敵で豪華な雛人形飾りの写真を撮ったのですが・・・(^^;
投稿出来ませんのね_| ̄|○残念
明日も雨だそうです。御自愛下さいませ
陸と浜は、毎日元気で餌を食べています。
ほかのおさかなさんたちも、きっと今頃は、
新しい水槽で、出会いをまっていることと…。
手続きではすでに「お役所仕事」といわれる、
連携のなさに、ため息つく事態もありました。
あちらにしてみれば、毎日たくさんの人が
おなじようなことでやってくるのですから、
紋きりがたで、そこから先は自分で考えて…に、
なってしまうのでしょうけれど、
ほんっと一言教えてくれてたら…があります。
まだまだこれからですわ。
ここにいるより、ずっといい環境に
お引越ししていきましたから、
主人も安心してくれていると思います。
まだやっとひとつふたつ片付いただけですが、
プロにおまかせするにしても、何か月かはかかること。
すっきり「終わったー」という頃には、
梅雨入りじゃないかと…。
頑張ります。
もう3週間が経とうとしています。
あっというまですねぇ。
自分でも、割と気持ちの整理はついているのですが、
少し経って落ち着いたら、さみしさを感じるのでしょうねぇ。
陸と浜は、毎日ひらひらと元気に泳いでいます。
そのうち水草を入れてくれる予定でしたが、
それもせずじまいでしたから、
私がいずれ・・・と思っています。
ご近所の梅はもうどんどん咲いています。
まだちょっと先だけど、春はちかづいています。
本当に好きだったんです。
池も作りたいなんて言ってたんですよ。
私も実家にいるころに、犬もネコも飼いましたが、
やはり責任は重いですよね。
私には陸と浜だけで、ちょうどいいと思っています。