写真は、昨夜の大雨で一晩でたまった雨水です。
原爆の後は「黒い雨」がふったそうです。今の雨は酸性雨ではあるのでしょうが、
こんな透き通った雨が…被災者に降り注いだら、やさしい雨になったのに…。
毎年、被爆体験を語っておられた方が、今年もまた減っておられました。
もう、残された時間がないのだと、つくづく思います。
その中には、広島で被爆し、自宅のある長崎に戻って再度被爆した山口彊氏もいました。
人の一生は、一人一人みなドラマチックなものだと思っていますが
こんな大きな悲劇を二度も味わった方は、数少ないと思います。
長崎の式典では「献水」が行われます。
被爆された方が、水を渇望してなくなられたからです。
水を飲ませたら死ぬとわかっていても飲ませてやった人がいて、
わかっていたから飲ませなかった人がいて…今、そのどちらもが
「後悔」している…と話しています。やさしさが後悔になるなんて…。
昨夜「シベリア抑留」のリポートを見ました。
過去にも書きましたが、義父はシベリア抑留経験者です。
終戦後4年間、抑留されていました。
私の知っていることは、その収容所での過酷な労働や食糧難、
なくなった占有の争議もできぬ現状…そういったことでした。
でも、昨夜のリポートを見て愕然としました。
ロシアの収容所では「洗脳」が行われていたのですね。
つまり「天皇陛下の御ために」という考え方を「民主化する」。
民主といっても要するに「マルクス・レーニン」の方、共産主義です。
そして日本人同士で互いの罪を暴露し、いわば「裁判」が毎夜のように行われる…。
「吊るし上げ」とよばれたそうです。少しでもレーニン批判などしようものなら、
村八分どころでは済まされない、自殺に追い込まれた人もいたそうです。
インタビューに答えた人の中には「夜中にそっと戦友が耳元で『ごめんな』と、
つるしあげたことをあやまりにきた」と言ってました。
一緒になって責めなければ、次は自分が吊るし上げられる…その恐怖に、
したくもない吊るし上げに参加していたわけです。
私はこの話を聞いて「赤軍の総括事件」を思い出しました。
彼らは仲間でありながら、お互いに罪を告発させ、
吊るし上げ、更にはリンチにかけて何人も殺しました。
昨日まで「仲間」であったものをです。リーダーの狂気は、
毒ガスのようにすべてを包み込んで、逃げ場をなくす…恐ろしいことです。
ロシアは、捕虜たちについて、ロシアのいう「民主化」したとされるものを、
優先的に日本に帰還させたのだそうで、一番遅かった人は10年以上…。
なぜ、そんなことがとめられなかったのでしょう。
そしてもっと悲しかったのは、そんなつらい思いをしてやっと帰ってきた日本で、
彼らが「シベリアから帰った」というだけで、共産主義者とされ、
就職もままならなかったということ。
時代背景といってしまえばそれまでですが、実際共産主義者となった人もいれば、
生きるためにしかたなく、そうつくろっていた人もいるわけです。
「一人の人として、ひとりずつちゃんと見てあげられない」、そんな時代だったのですね。
戦争に駆り出され、したくもない人殺しをさせられ、捕らえられ、
押し付けられ、やっと帰ったら拒絶され…。
義父は本当に何も語らずに逝ってしまいました。
義父のいた収容所でも「吊るし上げ」も「洗脳」も、きっとあったのでしょう。
戦後は、電電公社(今のNTT)にすぐに復帰し、定年後も嘱託として子会社に勤め、
70過ぎまで働いていました。
普通に暮らし、よく働き、目立たず騒がず、静かに逝きました。
昔のアルバムがあります。楽しげに写っているのは「社員旅行の集合写真」だけ。
義母の死後、自分も介護を受けるようになってからでかけた、
デイケアセンターの旅行でのスナップは、車椅子に乗った義父の写真。
一枚も笑っているのがありません。
収容所生活のつらさと、帰郷を切望しながらなくなっていった戦友たちへの思い、
それだけだと思っていたのですが…もし義父が、さらにその「吊るし上げ」の中で
4年を過ごしたとしたら…すべてがつらく悲しく、
自分が帰国して、普通に働くこと、普通の家庭を持つことが、
どれだけ罪悪感と背中合わせだったのか…と思います。
今年もまたひとつ、私の知らない義父の心の闇を、垣間見ることができました。
仏壇の義父母の写真は、姪の結婚式の時のもの。
わずかに微笑んでいるように見えます。
暗い過去と、思い過去を背負って、本当はめでたいことも幸せなことも、
心から喜べないキモチといつもいっしょだったのでしょう。
毎日私は、仏壇の両親には「元気でがんばっていますよ。心配しないでくださいね」と
それだけをいいます。義父はきっと、自分が感じてはいけないと決めてしまった
幸福感や、たのしみや喜びを、残ったものには十分感じ取ってほしいであろうと
そう思っているからです。
それにしても…見てほしいと思うこういう番組は、どうしておっそろしく深夜なのでしょう。
原爆の後は「黒い雨」がふったそうです。今の雨は酸性雨ではあるのでしょうが、
こんな透き通った雨が…被災者に降り注いだら、やさしい雨になったのに…。
毎年、被爆体験を語っておられた方が、今年もまた減っておられました。
もう、残された時間がないのだと、つくづく思います。
その中には、広島で被爆し、自宅のある長崎に戻って再度被爆した山口彊氏もいました。
人の一生は、一人一人みなドラマチックなものだと思っていますが
こんな大きな悲劇を二度も味わった方は、数少ないと思います。
長崎の式典では「献水」が行われます。
被爆された方が、水を渇望してなくなられたからです。
水を飲ませたら死ぬとわかっていても飲ませてやった人がいて、
わかっていたから飲ませなかった人がいて…今、そのどちらもが
「後悔」している…と話しています。やさしさが後悔になるなんて…。
昨夜「シベリア抑留」のリポートを見ました。
過去にも書きましたが、義父はシベリア抑留経験者です。
終戦後4年間、抑留されていました。
私の知っていることは、その収容所での過酷な労働や食糧難、
なくなった占有の争議もできぬ現状…そういったことでした。
でも、昨夜のリポートを見て愕然としました。
ロシアの収容所では「洗脳」が行われていたのですね。
つまり「天皇陛下の御ために」という考え方を「民主化する」。
民主といっても要するに「マルクス・レーニン」の方、共産主義です。
そして日本人同士で互いの罪を暴露し、いわば「裁判」が毎夜のように行われる…。
「吊るし上げ」とよばれたそうです。少しでもレーニン批判などしようものなら、
村八分どころでは済まされない、自殺に追い込まれた人もいたそうです。
インタビューに答えた人の中には「夜中にそっと戦友が耳元で『ごめんな』と、
つるしあげたことをあやまりにきた」と言ってました。
一緒になって責めなければ、次は自分が吊るし上げられる…その恐怖に、
したくもない吊るし上げに参加していたわけです。
私はこの話を聞いて「赤軍の総括事件」を思い出しました。
彼らは仲間でありながら、お互いに罪を告発させ、
吊るし上げ、更にはリンチにかけて何人も殺しました。
昨日まで「仲間」であったものをです。リーダーの狂気は、
毒ガスのようにすべてを包み込んで、逃げ場をなくす…恐ろしいことです。
ロシアは、捕虜たちについて、ロシアのいう「民主化」したとされるものを、
優先的に日本に帰還させたのだそうで、一番遅かった人は10年以上…。
なぜ、そんなことがとめられなかったのでしょう。
そしてもっと悲しかったのは、そんなつらい思いをしてやっと帰ってきた日本で、
彼らが「シベリアから帰った」というだけで、共産主義者とされ、
就職もままならなかったということ。
時代背景といってしまえばそれまでですが、実際共産主義者となった人もいれば、
生きるためにしかたなく、そうつくろっていた人もいるわけです。
「一人の人として、ひとりずつちゃんと見てあげられない」、そんな時代だったのですね。
戦争に駆り出され、したくもない人殺しをさせられ、捕らえられ、
押し付けられ、やっと帰ったら拒絶され…。
義父は本当に何も語らずに逝ってしまいました。
義父のいた収容所でも「吊るし上げ」も「洗脳」も、きっとあったのでしょう。
戦後は、電電公社(今のNTT)にすぐに復帰し、定年後も嘱託として子会社に勤め、
70過ぎまで働いていました。
普通に暮らし、よく働き、目立たず騒がず、静かに逝きました。
昔のアルバムがあります。楽しげに写っているのは「社員旅行の集合写真」だけ。
義母の死後、自分も介護を受けるようになってからでかけた、
デイケアセンターの旅行でのスナップは、車椅子に乗った義父の写真。
一枚も笑っているのがありません。
収容所生活のつらさと、帰郷を切望しながらなくなっていった戦友たちへの思い、
それだけだと思っていたのですが…もし義父が、さらにその「吊るし上げ」の中で
4年を過ごしたとしたら…すべてがつらく悲しく、
自分が帰国して、普通に働くこと、普通の家庭を持つことが、
どれだけ罪悪感と背中合わせだったのか…と思います。
今年もまたひとつ、私の知らない義父の心の闇を、垣間見ることができました。
仏壇の義父母の写真は、姪の結婚式の時のもの。
わずかに微笑んでいるように見えます。
暗い過去と、思い過去を背負って、本当はめでたいことも幸せなことも、
心から喜べないキモチといつもいっしょだったのでしょう。
毎日私は、仏壇の両親には「元気でがんばっていますよ。心配しないでくださいね」と
それだけをいいます。義父はきっと、自分が感じてはいけないと決めてしまった
幸福感や、たのしみや喜びを、残ったものには十分感じ取ってほしいであろうと
そう思っているからです。
それにしても…見てほしいと思うこういう番組は、どうしておっそろしく深夜なのでしょう。
精神的な恐怖がどれほどだったかと思う
と身震いしてしまいます。
水をあげた為に・・水をあげなかったから・・
と思いながら、ず~っと後悔して暮らして
こられたのかと思うと辛いですね。
そして、シベリアでは洗脳教育を強制されていた事も。
全く理不尽な国際法違反であるにも拘らずエリツィン元大統領が軽く謝罪しただけで終わりました。
既に瀕死状態であった日本の広島と長崎に、市民をめがけて原爆を落としたアメリカ。
虫や犬畜生を殺すのと同じ感覚で落としたのだと思います。
日本は欧米の侵略を阻止しようとしたにしても矢張り理不尽な行為が沢山ありました。
戦争は人間を狂わせます。
国民に戦争の悲劇から護るのが政治家の役目ですが、一般に軍隊は何処の国でも拡大路線に向かう様です。
近隣の国を見ても。
自衛隊は日陰に咲く花。
命がけで国や国民を護る人達を日向に出すべきだと思っていましたが、感謝をしつつも日陰に置いておく方が良いかも知れません。
戦争がなかったら、自分たちは生まれていない、という観点。
戦争があったから、生まれた。
戦争がなかったら、ここにいない。
落とし子である認識は、戦争を風化させない力になるのでは。
戦争があった、そして今を享受できる感謝。
今も続いていると思います。
世界では相変わらず戦争はやまなく、時折、メディアなどで過激な発言を目にすることがあります。
戦争を経た人たちが
「戦争は絶対にいけない」
と言うときの心境を思うと、胸が締め付けられます。
戦争関連番組、みなが起きている時間に放送すればよいですよね!
何に遠慮してるのでしょうか。
人って悲しいですよね。
たくさんいると群衆心理も働くし、
何か権力的なものが働けば、
いやでも「いい」と言わなきゃ自分が危ない…。
戦争ってこんなことでも汚点を残すんですね。
水、やけどではあげちゃいけないって言いますが、
真っ黒こげで、もうだめかなと思ったら、
私もあげたくなると思います。
それでも跡にくいが野ころなんて、
悲しいですねぇ。
国を護る、というのは、そりゃ難しいと思います。
自衛隊はとやかく言われますが、
永世中立国のスイスでも軍隊はあります。
その組織の作り方と「権力」の位置づけ、
それをちゃんと見極めていくのが国民の義務
だとおもうのですが、なんだかねぇ…。
孫悟空や魔女じゃないんですから、
石の中やら木の股からうまれたわけじゃない。
ずっとつながっているものなんですから、
自分の親の代、祖父母の代のことを、
きちんと知ることは、とてもダイジなことだと思います。
今はねぇ…とつい言いたくなる世の中ですね。
子供が武器を持ってニコニコしたり、
「敵を殺してやるんだ」などとしらっと言ったり、
外国のそういう映像を見ると、
心が冷え冷えとなります。
子供の心にそんなものをうえつけるなんて…。
またそうしなければならない状況がおかしいのに
いつまでたってもなくならないんですよね。
なんで闘いたがるかなぁ…。
ほんとにもう少し早い時間にしてほしいです。
あれもおかしいですよね。